『童貞の世界史』拾遺 その6 タウンゼンド・ハリス~日本相手に通商条約を結んだ外交官にまつわる伝説~
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ハリスは、アメリカの外交官です。ニューヨーク州で商人の家に生まれ、繊維商・陶磁器輸入商の下で働きました。その後は日曜学校教師や貯蓄銀行評議員などを経てニューヨーク市教育委員など教育活動に従事。1849年からは船主として海外貿易活動に手を染めています。一方で、外交官としても寧波のアメリカ領事に一時任命されているそうです。
彼が日本との関わりを持つようになったのは1856年。日米和親条約の規定にのっとって総領事として下田に赴任。貿易開始も含めた条約締結を求め、時には武力もちらつかせながら強硬に交渉を行ったのは知られています。そしてその結果、1858年に日米修好通商条約の締結に成功していたのです。
なお、その交渉過程については一言しておく必要がありそうです。ハリスの強硬さもあって、条約締結にあたっては「ハリスが一方的にアメリカの利益を押し通し、日本側も言われるままの弱腰であった」というイメージが少なくとも一部では持たれていると聞きます。しかし実のところ、さにあらず。日本側の代表・岩瀬忠震は誠意をもって交渉にあたる一方で相当なタフネゴシエーターだったとか。そうした岩瀬の姿はハリスにも印象的だったようで、
ハリスは岩瀬の態度に感嘆し、一面に米国の利益を図ると共に、他面には及ぶ限り、日本の利益を図りて条約草案を作成(大川周明『日本二千六百年史』第一書房 381頁)
岩瀬等は、ハリスの説明を聴き乍ら、各項に就て剴切深刻なる質問を発し、ハリスをして啻に答弁に苦ましめたるのみならず、岩瀬に論破せられて其説を改めた条款も多かつた(同書 同頁)
日本側委員は当初に見られた対抗意識を去って、愚問を恥じずに率直にハリスの教示を乞うようになり、ハリスもまた相手の手を取るように教え、たがいに誠意をもって談判の進捗をはかった(坂田精一『人物叢書 ハリス』吉川弘文館 176-177頁)
ハリスは七十四年の長い生涯を独身で押しとおし、女性関係は全くなかったと思われる(同書 8頁)
彼の胸奥に秘められた母への慕情が結婚の意思をさまたげたのであって、彼は母のイメジの中に理想の女性を見出していたが、それと同じ女性をもとめることは到底不可能だと思っていたから(同書 8-9頁)
坂田精一『人物叢書 ハリス』吉川弘文館
大川周明『日本二千六百年史』第一書房
『朝日日本歴史人物事典』朝日新聞出版
『日本人名大辞典』講談社
『大辞泉』小学館