兄よりすぐれた弟など存在しねえ?
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同時代の「弟」としては、新田義貞の弟・脇屋義助や楠木正成の弟・正季がいますが、いずれも兄の陰に隠れた目立たない存在です。弟というのは兄の割を食いやすいんですかねえ。それでも直義は健闘した方ですが。
ところで、長らく「源頼朝像」とされていた衣冠束帯で口ひげの人物肖像画が神護寺に存在します。
しかし、90年代になってこの肖像画は実はこの直義のものではないかという説が唱えられるようになっています。根拠の一つとしては、「神護寺略記」によれば藤原隆信の頼朝像は一筆で描かれたとされているがこの肖像は彩色画であり一筆で描くようなものではない事、肖像は後世に描かれたと思われることなどが挙げられています。尤も、以下にリンクしたWikipedia項目で詳細は見ることが出来ますが結論が出ているわけではないようですね。
Wikipedia:「神護寺三像」
なお、テレビ番組でもこの話題は取り上げられたことがあります。
http://omomani.blog53.fc2.com/blog-entry-1985.html
このリンク先の一番上の動画を参照してください。
14世紀日本の政治史における重要人物の一人なのに、「足利尊氏の弟」としか言われていないのが哀れで涙を誘います。皆さん、足利幕府初期の政治を担当した直義の名前は覚えておいてあげてください(涙)。同じ「兄と対立して悲劇的最期を遂げた弟」でも、少なくとも義経よりは実は政治史ではずっとずっと重要人物ですから。それにしても、この時代の「弟」は割を食ってますなあ、つくづく。
追伸:そういえば、「尊氏像」といわれていた騎馬武者像も説がひっくり返りましたねえ。…肖像画の伝来と言う奴は当てになりませんな。
【参考文献】
日本史の快楽 上横手雅敬 角川ソフィア文庫
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関連レジュメ
「足利尊氏」(http://kyoto.cool.ne.jp/rekiken/data/2001/010511.html)
(以下2010年6月27日加筆)
足利直義の兄、足利尊氏については
よろしければ、社会評論社『ダメ人間の日本史』
(「足利尊氏 ヘタレなのになぜかモテモテ、リアルエロゲ主人公」収録)
もご参照ください。