雷神・道真と当時の人々
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巫俊様はブログ「巫氏春秋」でPTSDのようなものが影響したんじゃないかと述べておられます。
「巫氏春秋 怨霊信仰はフラッシュバックから?」
まあ、確かに皇太子が続けざまに夭折したり宮殿に落雷して死傷者多数となったりとなるとトラウマにもなるでしょうね。道真の怨霊が、以前から雷神として崇拝されていた「天神」とされたことからも落雷事件のインパクトが強かった事が伺えます。
加えて、これらの事件が道真と結び付けられた背景を考察してみます。長らく政権のトップとして国政改革に従事し文化事業にも関与してきた道真に関する公式な記録が全て削除されていました。道真時代の太政官符が前後と比べて不自然なまでに何も残っていない事や、「日本三代実録」の編纂者から道真の名が削られている(一方、完成前にまとめられた道真の詩文集で「実録」の一部が掲載されており道真が関わったのは確実とされています)のがその一例です。どうやら、時平らは道真を追放した後、その時代の存在そのものを否定し改革の功績を独占しようとしたと見ることも出来るようです。そうした大きな無理に対する人々の後ろめたさ・違和感が背景にあったのではないでしょうか。
因みに、14世紀の足利尊氏も後醍醐天皇や弟・直義の怨霊を恐れていたようです。やはり、「怨霊」祭祀に勝者側の後ろめたさが大きく関わっているのは間違いないでしょうね。
【参考文献】
消された政治家菅原道真 平田耿二 文春新書
日本歴史叢書天満宮 竹内秀雄 吉川弘文館
天満天神御霊から学問神へ 上田正昭編 筑摩書房
「菅原道真」(http://www.geocities.jp/trushbasket/data/nf/michizane.html)
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