涼宮ハルヒの名将の憂鬱 後編
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さて今回は、先日言ったとおり『涼宮ハルヒの憂鬱』シリーズで比喩に用いられたスケールの大きめの名将たち、武田信玄、司馬懿(司馬仲達)、ベリサリウス、上杉謙信、ハンニバル(「REVの雑記」の「キョンの歴史知識」http://lightnovel.g.hatena.ne.jp/REV/20060706/p7を参照)について、彼らの経験した憂鬱な大敗北あるいは大敗北に準ずる戦いを特集し、さらにそれを元にあえてそれらの名将にけちをつけてみます。
武田信玄
1548年、村上義清相手に上田原で惨敗、有力部将多数を失い、自身も負傷。
1550年に村上義清を戸石城を攻めて果たせず退却時に追撃を受けて惨敗、有力部将を失う。
1561年川中島で少数の上杉謙信軍相手に、挟撃を狙って軍を二分した隙を襲撃され信玄の弟信繁をはじめ有力部将を多数失い、信玄自身危険にさらされる惨敗の形勢。武田側の分遣軍の救援がかろうじて間に合ったため、兵力に劣る上杉軍は勝ちの最終段階で勝ちきれず、武田軍は完全敗北は免れ、一応体勢を立て直すことに成功する。
ただし戦争の結果を見れば、信玄は着々と支配領域を固め広げているので、戦闘そのものはともかく、戦争には勝ったと言える。
戦術家としては、別に飛び抜けて強いわけではない。この点から見れば、用兵家として過剰な名声を得ているかと思います。他の実績から見て弱くもないですが。
戦術的に致命傷になりかねない酷い敗北をしても、勢力が揺るがず拡大の一途をたどっているあたり、戦争は非常に巧いと思われます。つまり戦略・戦争指導の能力を合わせて評価すればかなりの名将でしょうが、それでも同等以上の存在は同時代でもいくらもいるので、この点から見ても名声は過分ではないかと思います。
日本の支配者となった徳川家康を用兵の天才とするためには家康にぼろ勝ちした信玄がそのぶん優秀であったことにしないとまずいから、実像以上に素晴らしい用兵家に仕立て上げられたのではないでしょうか。
司馬懿(司馬仲達)
231年部下の熟練の勇将張郃が諫めるのも聞かず、撤退に入った諸葛亮(諸葛孔明)の侵略軍を追撃して大敗、張郃を失う。
軽率。
自分より圧倒的に格下の弱小勢力を討伐するときは、軽率さが迅速果敢な神業的用兵を生み出しているので、欠点とは言い切れないが。
決戦を避け相手が去っていくの待った諸葛亮の侵攻への全般的な対応は、彼の用兵家としての性質から言えば、よく自重したと言うべきかもしれない。ただ史書に軍略は得意でないと評された人物(諸葛亮)が率いている小国の軍勢を、大軍を率いて自国領内で迎え撃ちながら、打撃を与えることもできず時間切れでお帰りいただくだけってのは、大国の防衛担当者として、ちょっと寂しい戦果な気がします。この点に重点をおいて評価されると、大国の防衛担当者としてせいぜい並程度の能力と評価されても仕方ないかもしれません。弱小地方軍閥をつぶす際の用兵は神業の域にあるんですが。
実績全体から判断して、三国志の枠組みの中に限れば最高水準の名将の一人ではあるでしょうが、同時代、同世代ですら同等以上の用兵家は何人もおり、歴史を通じてみればいくらでも居る水準、いささか変な表現をすれば並の名将であり、諸葛亮との戦いなんかが人々の最高度の関心の対象となっているのは、やや分不相応な気がします。
ベリサリウス
531年、兵士たちを抑えきれずにペルシア軍相手に追撃に出て、ユーフラテス河畔で反撃を受け大敗。大敗した中で、一部の部隊の統率を維持して名声を落とさない程度の活躍はしている。
533年、前進中にヴァンダル王ゲリメルの挟撃作戦を受け、前方の敵は打ち破ったものの、遅れて背後から現れたゲリメルの攻撃を受け、軍勢は四散する。ゲリメルが追撃せずに戦死した弟の葬式を始めたおかげで、軍を再結集し、逆転勝利。
兵士の反抗に苦しむのは、歴史上の他の名将でもよく見られることですが、それが大敗につながってるあたり、他の名将と比べると、ちょっと統率力とか威厳とか人間的魅力に難があるのではないでしょうか。妻とか部将とかも従わせることができないし。
ただ歴史上の名将と比べるから難点に見えるものの、一時代の中でなら、それらの能力が低いわけではないでしょう。
むしろ臣下として使うなら、どれだけ活躍されても変な影響力とか持てなさそうなので、それくらいのほうが好ましいかも。
上杉謙信
1561年、関東の諸勢力を糾合して北条氏康を小田原城を攻囲したが、撤退。
この際、大軍を維持しきれなくなり関東諸将の兵を解散した、あるいは関東諸将を統御しきれず反発を招いてその兵が続々脱落していったところをつかれ、北条軍に攻め崩されたとも言われる。ただし、この伝承は信憑性が薄いらしい。
1566年、臼井城を攻囲していたところ、援軍として現れた北条軍の攻撃を受け大敗、大きな被害を出す。
強豪の北条軍が相手だと、攻囲戦のあげくにやり込められているあたり、精神的な持続力や注意力に難があるのかもしれません。戦闘の指揮者として短期的に決戦させると強い一方で戦争はそれほど巧くないようですが、これもそれらの能力を欠くせいではないでしょうか。弱小勢力をつぶして回るだけなら問題ないのでしょうが、長期的な戦略の下、強豪相手に競い合うには力が足りないかもしれません。
大々的に繰り返した割に政治的領土的に成果のない彼の関東出兵については、冬期に飢える雪国越後の民衆の救い主として関東への出稼ぎを組織したようなものだという評価もありますし、死の際には膨大な金の備蓄を残していますから、単なる戦バカではないのでしょうが…。
それでも彼は一方の雄として君臨するよりは、しかるべき人物に仕えて使われる方が幸せだった気がします。
ハンニバル
紀元前216年、ハンニバルはローマの将軍マルケルスの守るノラの町の内部に内通者を得て混乱する町に接近するが、ローマ軍はすでに内通者を押さえ込んで混乱を装っていただけであり、不意をついて続々襲撃してきたローマ軍の前に、ハンニバルは敗北、大きな損害を出した可能性。たいした損害は出ていないとも言われており、大敗と言えるかどうか怪しい。無敵の強さを誇っていたハンニバルを初めて打ち破った精神的意義と、ハンニバルの勢力が肥沃なカンパニア地方へ伸びるのを遮断した戦略的意義の大きさのせいで、戦果が誇張されている可能性もあり、大敗ではない可能性の方が高そうである。
紀元前215年ノラ近辺で、ハンニバルの軍は、マルケルスの軍相手に決戦を望んだが応じてもらえず、軍の大部分を略奪に出さざるを得なくなった時を待って攻撃され、大きな被害を受ける。
紀元前209年カヌシウム付近でマルケルスと二連戦。一戦目は勝利したが、二度目の戦いで両軍互角の状況下、象をローマ軍に差し向けたところ、ローマ兵の反撃を受け象が暴走、これをきっかけに敗北し大損害を受けた。ただ両軍の死者の数こそ大きな差があるが、ローマ軍はほとんど全軍が負傷して追跡する余力すらなかったので、これが大敗に当たるかは微妙。
紀元前202年ザマの戦いで、弱兵を多く含みつつも兵力的には優勢な軍を率いる。様々な工夫をこらし軍の質の割に善戦したものの、スキピオ率いるローマの精鋭軍の強固な歩兵と優勢な騎兵の前に、包囲殲滅される。
敗北にもかかわらず、この戦いの彼の用兵は高い評価を受けているが、彼が採用した工夫には失策も含まれていた。
彼は象を先頭に押し立てて敵軍歩兵を踏み破ることを狙ったが、象は暴走しやすく味方に被害を与えることもしばしばであって、彼の時代までに、戦力としてあまり役に立たないことが完全に判明していた。象が役に立つことがあるとすれば、主に敵の馬を脅えさせる効果であった。したがってローマ歩兵のように十分な抵抗力・反撃能力を持つ強固な歩兵部隊に、象を先頭に立ててぶつけるなど、贔屓目に見ても優れた用兵とは思えない。しかも、彼自身、象に足を引っ張られた経験がある(先述)。にもかかわらず、しかも訓練のほとんどできていない象であったのに、彼はローマの歩兵戦列を踏み破るため、これを歩兵隊の前面に配置した。当然すぐさまローマ歩兵の反撃を受けて、象は暴走、味方の騎兵に突っ込むことになった。ただし作戦展開を破綻させるような損害を与えたわけではなく、失敗としては小さなものか。
彼は傭兵、新兵、子飼いの熟練兵の順に三段の歩兵戦列を構えて、敵を消耗させた後、熟練兵で決戦する態勢をとったが、傭兵は優勢に戦いをすすめたものの、新兵が脅えてこれを支援するどころか後退しようとし、これに怒った傭兵は味方に襲いかかった。ただし傭兵と新兵の同士討ちの引き起こした混乱に巻き込まれ、ローマの戦列が一度は崩壊しかかっているので、これがハンニバルの作戦展開を実質的にどの程度損なったかは評価が難しい。傭兵と新兵の位置は逆の方が良かったような気もするが、それでも失敗としては小さなものか。
この戦いの彼の用兵は全体的に見て、大敗が予想される戦いを勝ち取るための多段階の策の多くが不発となり、結果、形勢を逆転させ損なったという感じ。失敗というより不成功という感じ。
地中海世界の戦争史に象が登場してかなり久しいのに、象の用兵が拙すぎるというか、象を理解できていないと思います。彼ほどの人物にしては、理解しがたい欠点です。用兵家として致命的な欠点にはなっていませんが、結構恥ずかしい欠点だと思います。
参考資料
オクターヴ・オブリ編『ナポレオン言行録』大塚幸男訳 岩波文庫
F.E.Adcock著『The Greek and Macedonian Art of War』
モンテスキュー著『ローマ人盛衰原因論』田中治男/栗田伸子訳 岩波文庫
猿谷要編『世界の戦争8 アメリカの戦争 独立から世界帝国へ』 講談社
笹本正治著『武田信玄 伝説的英雄像からの脱却』 中公新書
柴辻俊六著『信玄の戦略 組織、合戦、領国経営』 中公新書
井上鋭夫著『日本の武将 上杉謙信』 新人物往来社
矢田俊文著『上杉謙信 政虎一世中忘失すべからず候』 ミネルヴァ書房
藤木久志著『雑兵たちの戦場 中世の傭兵と奴隷狩り』 朝日新聞社
陳寿著『正史三国志 3・5』今鷹真/井波律子訳 ちくま学芸文庫
『歴史群像シリーズ 17三国志・上、18三国志・下』 学研
エドワード・ギボン著『ローマ帝国衰亡史6』朱牟田夏雄/中野好之訳 ちくま学芸文庫
伊藤政之助著『世界戦争史 西洋中世篇1』 原書房
リデル・ハート著『戦略論 上』森沢亀鶴訳 原書房
長谷川博隆著『ハンニバル 地中海世界の覇権をかけて』 清水新書
塩野七生著『ローマ人の物語 II ハンニバル戦記』 新潮社
『THE HISTORY OF POLYVIUS』 LOEB CLASSICAL LIBRARY
『LIVY THE WAR WUTH HANNNIBAL』PENCUIN BOOKS
『プルターク英雄伝(四)』河野与一訳 岩波文庫
谷川流著『涼宮ハルヒの憂鬱』 角川スニーカー文庫
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民明書房刊「戦国武将考察」―人気漫画から見る戦国期における「ゲン担ぎ」について―
れきけん・とらっしゅばすけっと/京都大学歴史研究会関連発表
C.W.C.Oman『中世における戦争術 378~1515』(翻訳)
http://www.geocities.jp/trushbasket/data/my/oman.html
偉大なるダメ人間シリーズその2 諸葛亮(当ブログ内に移転しました)
http://trushnote.exblog.jp/14529083/
引きこもりニート列伝その7 カエサル
http://www.geocities.jp/trushbasket/data/nf/neet07.html
ハンニバル
http://kyoto.cool.ne.jp/rekiken/data/1997/970627.html
ベリサリウス
http://kyoto.cool.ne.jp/rekiken/data/1999/990430.html
アレクサンドロス
http://kyoto.cool.ne.jp/rekiken/data/1999/991022.html
オットー・ヒンツェ『国家組織と軍隊組織』(翻訳)(当ブログ内に移転しました)
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『晋書』 宣帝紀(翻訳)
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http://kyoto.cool.ne.jp/rekiken/data/2003/040109.html
はじめてのさんごくしin歴研
http://kyoto.cool.ne.jp/rekiken/data/2003/031219.html
ビザンツ軍事史
http://kyoto.cool.ne.jp/rekiken/data/2004/041001.html
西洋軍事史(当ブログ内に移転しました)
http://trushnote.exblog.jp/14455214/
(以下2010年6月26日加筆)
ベリサリウスについては
よろしければ社会評論社『ダメ人間の世界史』(「ベリサリウス 史上最も無様に妻の尻に敷かれた英雄 ~女王様の足にマゾ奴隷として口づけを~」収録)
もご参照ください。
リンクを変更(2010年12月8日、16日)