男のしるし、皇統の危機
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女性の乳への強い執着を持つ風潮についての記事が以前ありました。そこで、今回は男性の肉体の一部への執着についての話を。男根については、巨大である事をよしとする考え方が少なからず有るのはご存知の方も多いでしょう。これは我が国だけの話ではなく、世界的に男性はその大きさを気にしているという統計がありますし、例えばインドで西洋の標準サイズより小さい事が問題視されたりもしています。また、アメリカで若い女性が巨大な男根像を雪で作ったと言うこともありました。他にも、一物が小さいのを苦にして自殺したとか大きくしようとして失敗し痛さに耐えられず自殺したとか言う海外の痛ましい話も聞いた事がある気がします。かくのごとく、世界各地の少なからぬ男女は巨根に憧れていると言えるのです。もっとも、ほとんどの人は巨根よりも世界平和の方がより望ましいと考えているようですが、これはまあ当たり前でしょう。
こうした考え方は時代を超えて共通しているようです。例えば、豊作の象徴として巨大な男根をかたどった像が信仰の対象となっているのは原始信仰で広く存在し現在でもそうしたものを神体とした神社はありますし、一般的に見られる巨岩信仰も男根に見立てたものだという説があります。また、徳川期の春画ではしばしば常識外れの大きさに誇張して男根が描かれていることはご存知の方も多いでしょう。他にも中国では、漢字の中には「祖」など男根が隆起した形から成立した象形文字が存在しており、早くから子孫繁栄の観点で男根が重視されていた事が伺われます。時代が下ってからも、秦始皇帝の母が淫乱であったのに対して嫪アイという男がその巨根で取り入った事は知られています。何でも、その一物を軸にして馬車の車輪を回すことができたと言いますから尋常ではありません。因みに「史記」を横山光輝が漫画化した作品で、母后が嫪アイを側に仕えさせるよう要求して(表向きだけは)宦官としてでなければ後宮に入れないと言われた際に「宦官!宦官では何の役にも立たぬではないか!」という台詞を吐いていたのが露骨で笑ってしまいました。どうでもいいですね、すみません。さて更に例を挙げると、清代の官能小説「肉蒲団」では犬の男根を移植して一物を強化しようと図るという滑稽なエピソードが登場したりしています。また、ロシアでも帝政最末期に権勢を振るい怪僧と呼ばれたラスプーチンも、不特定多数の女性と関係したといわれ彼のものとされる巨大な男根が今日まで保存されています。これほどに、太古の昔から各地の人々は巨根に執着していたのです。
ところで、男根が巨大であることの生物学的な意義について、ゾウアザラシとセイウチを比較した上で考察がなされていたりもします。たとえば、緯度が高くなるほど寒冷となり出会える個体数が少なくなるため少ない交尾の機会を逃さないようペニスの大きな種類が残ったとする説や、陰茎骨骨折の危険の違いから地上で交尾するゾウアザラシはペニスが小さく水中で交尾するセイウチのそれは大きくなったという説もあるようです。これらの説の当否は不明ですが、こうした考察も巨根への思い入れがなしたものだといえます。
そして、我が国において巨根とされる歴史人物と言えば何と言っても称徳女帝に寵愛を受けた事で知られる道鏡でしょう。何しろ、局部を蜂に刺された事で巨根となったとか、雪の中を歩くと足跡が三つついていたといった類の逸話がまことしやかに語られたりしています。まあ、高貴な独身女性が独身男性と密接な関係にあることから邪な連想がなされた事や、道鏡への反感・嫉視があった事から生まれた与太話であることは言うまでもありませんが。そうした伝説が、わが国におけるパソコン草創期にはこれを元ネタにした官能ゲーム「道鏡」を生み出すに至っています。勿論、女帝を心身ともに満足させ奉るという内容のゲームです。あと、政敵である和気清麻呂をそのついでに呪殺しないといけないので大変です。
「私だけの十字架」(http://www5a.biglobe.ne.jp/~kitakaz/)の「ダメゲーレビュー」にレビュー(http://www5a.biglobe.ne.jp/~kitakaz/damedame/doukyou.htm)があります。
※このゲームはいうまでもなく性的内容を含み18歳未満禁止です。リンク先は自己責任で御覧下さい。
さて、道鏡について他に知られている事と言えば、臣下の出でありながら皇位簒奪を目論んだとされている一件だと思います。それについて今回は見てみましょう。
道鏡は孝謙上皇の病を癒した事を切っ掛けに寵愛を受けるようになり、称徳天皇(孝謙が再度皇位についてからはこう呼ぶ)時代には太政大臣待遇、更には法王として宗教界における頂点に任じられるなど破格の栄達を見せました。そんな中で神護景雲三年(769)、宇佐八幡から道鏡を帝位につけるようにとの信託があったと報告がありました。女帝はこれをうけて側近・法均尼の弟である和気清麻呂を使者として神託の確認を取らせに派遣したところ、「我が国が始まって以来、君臣の区別は定まっている。臣下が天皇となったことはいまだかつてない。皇太子には必ず皇族を立てよ。無道の人は速やかに排除せよ。」という内容であったと報告。女帝と道鏡はこれを聞いて激怒し、法均尼・清麻呂を流罪にしました。これでこの件は立ち消えになり、女帝の死を契機に道鏡は失脚。これがこの事件の概要です。
さて、従来は女帝は道鏡を寵愛する余り、これを利用して彼に帝位を譲ろうとしたが、清麻呂の機転により簒奪の危機は防がれたと理解されていました。これが実際のところはどうだったのかというと、詳細に見れば不思議な点がいくつかあるようです。
まず、清麻呂らを非難し処罰する宣命(和語で表された天皇の命令文)には、彼等が神託にかこつけて非道な捏造をした・悪人は進言を待たずとも天地が示すものであるとありますが、皇位継承に関する件はここでは述べられていません。更に、清麻呂の報告を虚偽と断じた割には神託の再確認を行った様子もありませんでした。
他にも、清麻呂一族についてみてもおかしな点があります。宇佐に派遣される前に、清麻呂は女帝から「輔治能真人」の称号を贈られ、その一族や家臣らにもそれぞれ「輔治野宿禰」「石成宿禰」や「石生別公」「石野」といった姓が授けられその故郷・備前国藤野郡が「和気郡」に改称されています。破格の厚遇であり、神託への女帝の強い期待が窺われます。さて、清麻呂と法均尼は改名させられ流罪にされていますが、一族の誰も連座していないばかりか上述の特権が剥奪された様子もありません。
これは、一体どうした事なのでしょうか。
考えてみれば、称徳は帝位継承者を巡ってむやみな事をすれば政治的混乱が引き起こされうる事は熟知していた筈です。というのも、前回の在位中から彼女の在位の正統性や後継者を巡って政治的混乱が巻き起こされていたからです。称徳の父・聖武天皇は自身の帝位の正統性を示し政局を安定させるため天武天皇の皇太子・草壁皇子の嫡流である事を強く唱え、その血統による継承を図っていました。しかし彼の男児はすべて夭折し、草壁系統の男系断絶は避けられない状態でした。やむなく残された長女である阿倍内親王(孝謙・称徳)を皇太子として譲位しましたが、数ある傍流から後継者を選ばねばならず、それを巡って権力争いがしばしばおこっていたのです。更にこれまでも女帝の存在はありましたが、あくまで中継ぎであって女性が皇太子を経て正式に即位した例はなく、彼女の正統性に疑問を持ち批判する声は少なくなく実際に謀反の企ても頻発していたようです。そうした辛酸を舐めている称徳ですから、強引に皇族ですらない道鏡へ帝位を譲ろうとすれば誰も従わず未曾有の混乱を招くであろう事は容易に想像できたでしょう。そこで周囲の反対を押し切るほど称徳は愚かではなかったはずです。そう考えれば、称徳が道鏡に位を譲ろうとした事自体が疑わしくなるのです。
おそらく、女帝が清麻呂に期待した答えは、一般に思われているのとは逆で、道鏡への譲位を否定し皇室から皇太子を立てるべしというものであったのでしょう。そして清麻呂はその期待には見事に応えました。しかしながら、予想しなかった道鏡の追放も一緒に進言しており、これは女帝にとって認められないものだったはずです。道鏡への個人的寵愛に留まらず、大嘗祭を仏僧を交えて行ったように神仏一体の国家を構想しその仏教側の頂点として道鏡を用いていた女帝にとっては、自らの治世を否定するものであったのですから。
以上のことや和気一族への待遇を考えると、清麻呂らを処罰したのは飽くまで道鏡の体面を立てるのが主な目的だったのではないでしょうか。この頃に藤原百川が清麻呂の忠烈を憐れんで配所の彼に備後の封郷二十戸の貢物を送っていますが、百川は称徳の側近でもありましたから女帝の意を汲んでの行いだったのかもしれません。許せない言動はしたが最低限の仕事は果たしたという事で、配慮がなされた可能性はあります。
以上を考えると、称徳女帝は飽くまでも当時の宮廷社会における常識を考慮し、その範囲内で事を運ぼうとしていた可能性が伺われます。道鏡を巡る話には、彼や女帝を非難するニュアンスが強くそれを差し引いて考える必要がありそうです。しかし、この件に関して道鏡本人はどう考えていたのか、なぜそのような奏上がそもそもなされたのか。大宰帥が道鏡の弟・弓削浄人であったので一族の勢力拡大のために彼が一枚かんだとも推測されていますが、真相は今となっては藪の中です。
<追記(08/1/20)>
この記事について、一部訂正事項があります。訂正記事はこちら(http://trushnote.exblog.jp/7957480/)。
【参考文献】
性と日本人 樋口清之 講談社文庫
呪術・占いのすべて 瓜生中・渋谷申博著 日本文芸社
日本の聖地 久保田展弘 講談社学術文庫
山岳霊場御利益旅 久保田展弘 小学館
春画―秘めたる笑いの世界― 白倉敬彦・早川聞多編著 洋泉社
史記Ⅰ 司馬遷 小竹文夫・小竹武夫訳 ちくま学芸文庫
史記7若き支配者 横山光輝 小学館ビッグゴールドコミックス
金瓶梅 日下翠 中公文庫
肉蒲団完訳 伏見冲敬訳 文園社
怪僧ラスプーチン マッシモ・グリッランディ著 米川良夫訳 中公文庫BIBLIO
超エロゲー 多根清史・八霧敬治 太田出版
美少女ゲームマニアックス1 キルタイムコミュニケーション
最後の女帝孝謙天皇 瀧浪貞子 吉川弘文館(後半はこの本に依拠)
女帝と道鏡 北山茂夫 中央公論新社
人物叢書道鏡 横田健一 吉川弘文館
日本の歴史3奈良の都 青木和夫 中公文庫
関連記事(2009年5月17日新設)
「世界は『男性』の大きさを歴史的にどう見ていたか」補足―我が国の場合―
「十七か、聞くだけで勃起するわい」―日本の性器信仰―
ウホッ!いい日本史… 前近代日本男色略史
歴史研究会・とらっしゅばすけっと関連発表:
「日本民衆文化史」(http://kyoto.cool.ne.jp/rekiken/data/2002/021206.html)
「中国民衆文化史」(http://kyoto.cool.ne.jp/rekiken/data/2002/020607.html)
「エロゲーを中心とする恋愛ゲームの歴史に関するごく簡単なメモ」
(http://kyoto.cool.ne.jp/rekiken/data/s2004/050311.html)
道鏡の生きた時代を扱ったレジュメとして
「遣唐使」(http://kyoto.cool.ne.jp/rekiken/data/2003/030418.html)
関連サイト:
「浮世絵」(http://www1.ocn.ne.jp/~matikado/index.html)
様々な春画を閲覧する事ができます。無論、18歳未満の方は閲覧禁止です。18歳以上の方も閲覧される際には自己責任でお願いします。
「おやぢのパソコンゲーム調査隊」
(http://in.geocities.com/ninjazxrzxzx/oyajinopcgamechousa/oyaji.html)
「ゲーム紹介」「ゲーム攻略」で「道鏡」も紹介されています。勿論、18歳未満の方は閲覧禁止です。18歳以上の方も閲覧される際には自己責任でお願いします。
「X51.ORG」(http://x51.org/)
不思議なニュースを扱っています。中でも「PHALLIC」分野(http://x51.org/x/phallic/)は男根にまつわる話題が多く、上でもいくつか引用しています。