ロリコン外伝―南北朝前史―
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14世紀に日本が南朝・北朝に分裂して争う50年ほど前から、皇室はすでに持明院統(北朝の系統)と大覚寺統(南朝の系統)に分かれて皇位争いをしていました。そこで、南北朝に分裂する少し前の時代から、二つの皇統から一例ずつ挙げていこうと思います。そしてこれが雅な王朝文化の伝統に忠実なものであることも示そうかと。
まず、持明院統の始祖である後深草院から。後深草院はかつて親密な関係にあった女性が亡くなった後、彼女が遺した女児を引き取って自分の御所で育てています。これだけなら知り合いの遺族を面倒見る美談なんですが、そうは問屋が卸さない。実は後深草に性の手ほどきをしたのがその女性だったのですが、彼は彼女を忘れられず、その娘が成長するのを生まれて間もないころから楽しみに待っていたのです。そして娘が数え十四歳になった時、後深草は彼女を愛人にして想いを遂げたのです。時に後深草は数え二十九歳。因みにこの娘が、鎌倉後期での朝廷を知る上で重要な史料である「とはずがたり」の筆者・後深草院二条です。ここまででも十分何だかなあですが、後深草も二条もそれぞれ他の異性と関係したりしていますから、乱脈・頽廃も良いところです。後深草などは腹違いの姉妹とも契りを結んだ上に「男女の事は前世からの宿縁だから罪にはならない」と口にしていますから、何とも天晴れな開き直りっぷりではあります。
次に、大覚寺統からは南北朝分裂の原因である後醍醐天皇を取り上げます。後醍醐は皇太子時代の正和二年(1313)、太政大臣西園寺実兼の娘・禧子を密かに浚って我が物としています。後醍醐は時に数えで二十六歳、禧子は数えで十一歳。翌年に発覚した際には彼女は後醍醐の子を身籠っていたそうで、既に勝負はついていたわけです。後醍醐が彼女を浚ったのは、鎌倉幕府と繋がりが深く朝廷で権勢を振るっている西園寺の娘を妻にできればその後ろ盾が期待できるという計算もあったようです。しかしそれにしても、満年齢で十歳程度の相手でも彼にとって十分性愛の対象になりうる事は読み取れます。彼もまた、祖父や父、兄の側室を寝取ったり亀山院皇女すなわち叔母に自らの子を産ませたりと乱脈な女性関係が目立っていますし、歴代天皇でも有数の子沢山なのは知られているところです。
どちらも、ナボコフ「ロリータ」でハンバート先生が提唱された定義にはしっかりと当てはまっており、ロリコンと呼ぶのに問題はなさそうですね。まあ、この年代「しか」愛せないわけではなくこの年代「でも」抵抗なく愛せるという程度ではありますが。
ただ、この二人の凄い所は、ロリコンであったことと言うよりはそれぞれ「想っても叶わないあの人の代わりに、縁続きの幼女を最初からそのつもりで育て、年頃になるとすぐに保護者からオスに豹変して抵抗できない相手をヤっちゃった」事だったり「親の手元から気に入った少女を浚って自分の手元に連れ込み、抵抗できない相手をヤっちゃった」事だったりします。(血は繋がってないにせよ)近親相姦っぽい匂いがしたり、誘拐および暴行に相当したりします。そういえば、「源氏物語」で正ヒロインに当たる紫の上もそんな感じでしたね。藤壺女御を想うも叶わない光源氏が藤壺の姪にあたる若紫を幼女時代に見初め、その父親に無断で自分の所に引き取って育て年頃になるとすぐに我が物としている。何と、後深草と後醍醐の両方の条件を満たしているわけです。こう考えると、光源氏は実に偉大です。後深草も後醍醐も、光源氏の亜流といえるのです。特に後醍醐なんか、祖父・亀山院の側室で十五歳ほど年上な相手にも手を出していたりして、幼女から老女までOKな光源氏が相手でもストライクゾーンの広さで対抗できそうですよ。
しかし、王朝文学にのっとった伝統と言えば聞こえはいいですが、近年の少女監禁事件なんかを考えると実際問題としては洒落になりませんけどね。
考えてみると、「源氏物語」作者である紫式部が存命のころでさえ、当時有数の才人と言われた藤原公任が酔って女房達の部屋に来て「あなかしこ、このわたりに若紫やさぶらふ(ああ、この辺りに若紫はいらっしゃらないでしょうか)」と言ったという話があります。まあ、作者である紫式部を暗喩していたようですが、「源氏物語」には沢山のヒロインが登場するにもかかわらずその中からよりによってそれですか。更に言うと、成人した紫の上でなくて若紫ですか。リアルタイムで「源氏物語」が書かれていた時期に既にこうした好み・伝統が貴族社会にはあった事がうかがわれますが、それから三百余年。「源氏物語」が語り継がれるに従って(直接読むことは言葉の変化もあってだんだん難しくなってきていたようですが)DNAレベルまで「若紫」趣味は宮廷貴族社会に染み付いて爛熟を極めたものと言えるでしょう。そして、その「源氏物語」が史上最高の古典であり国民文学とされる国民。さすがはイザナギとイザナミがまぐわって国土が誕生したという神話を持つだけはあって、考えようによっては香ばしい感じですね。
追伸:こう考えると、本居宣長が主要研究テーマとした「源氏物語」と「古事記」の組み合わせって、結構気まずいものがありますね。
【参考文献】
とはずがたり 冨倉徳次郎訳 筑摩書房
帝王後醍醐 村松剛 中公文庫
死の日本文学史 村松剛 中公文庫
後醍醐天皇のすべて 佐藤和彦・樋口州男編 新人物往来社
日本古典文学大系14-18源氏物語 岩波書店
紫式部日記 池田亀鑑・秋山虔校注 岩波文庫
古事記 倉野憲司校注 岩波文庫
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歴史研究会・とらっしゅばすけっと関連発表:
「宗良親王」(http://kyoto.cool.ne.jp/rekiken/data/1997/971003.html)
「楠木正成」(http://kyoto.cool.ne.jp/rekiken/data/2000/001201.html)
「足利尊氏」(http://kyoto.cool.ne.jp/rekiken/data/2001/010511.html)
「後醍醐天皇」(http://kyoto.cool.ne.jp/rekiken/data/2001/010706.html)
「菊池氏の南北朝」(http://kyoto.cool.ne.jp/rekiken/data/2002/021004.html)
「北畠親房」(http://kyoto.cool.ne.jp/rekiken/data/2002/030117.html)
「源氏物語を読む」(http://kyoto.cool.ne.jp/rekiken/data/1998/980515.html)
「日本民衆文化史」(http://kyoto.cool.ne.jp/rekiken/data/2002/021206.html)
「本居宣長」(http://kyoto.cool.ne.jp/rekiken/data/2001/011214.html)
「エロゲーを中心とする恋愛ゲームの歴史に関するごく簡単なメモ」
(http://kyoto.cool.ne.jp/rekiken/data/s2004/050311.html)
「佐々木導誉」(http://www.geocities.jp/trushbasket/data/nf/douyo.html)
「物語の消費形態について―いわゆるオタクを時間的・空間的に相対化する試み―その2」(http://www.geocities.jp/trushbasket/data/nf/genji.html)
「偉大なるダメ人間シリーズその1 キルケゴール」(当ブログ内に移転しました)
(http://trushnote.exblog.jp/14529065/)
「偉大なるダメ人間シリーズその3 モルトケ」(当ブログ内に移転しました)
(http://trushnote.exblog.jp/14529098/)
最後二つは、偉大なロリコン二人に敬意を表して。
後醍醐天皇については
よろしければ、社会評論社『ダメ人間の日本史』
(「後醍醐天皇 幼女誘拐・セックス宗教 どんとこい 政治工作のためだもの ~理由が何だろうがダメなものはダメ~」収録)
もご参照ください。
(著作紹介2010年6月27日加筆)
関連サイト:
「後深草院二条-中世の最も知的で魅力的な悪女について-」
(http://www015.upp.so-net.ne.jp/gofukakusa/)
「とはずがたり」「増鏡」などの考察をしているサイトです。
「史劇的な物見櫓」
(http://www2s.biglobe.ne.jp/~tetuya/REKISI/REKISIMENU.HTML)
南北朝・倭寇などを中心に様々な話題を扱う歴史サイトです。後醍醐についての話はここの掲示板での指摘で初めて気付いたので感謝を込めて。
なぜ、幼い頃にセックスをしてはいけないのか?(恋愛科学研究所)
(http://www.so-net.ne.jp/renaikagaku/news/content/020520.html)
リンクを変更(2010年12月8日)