Niceなboatの行く先は―補陀落渡海について―
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まあ、正気とは思えないヒロインのあの行動は「首実検→一騎打ち→割腹(代行)→補陀落渡海」と考えれば古式ゆかしい伝統的な振舞と言えなくもないかもです。調べた限りでは彼女はお嬢様らしいですし、伝統に明るくとも不思議ではないですから。後醍醐天皇が「建武年中行事」、北畠親房が「職原抄」を著して故実について述べているように、上流階級にとって伝統は大事なものですしね。…無理がありますかね、やっぱり。
ところで、上で僕が述べた譬えの中で「補陀落渡海」については耳慣れない方も多いのではないかと思います。そこで、今回はこの「補陀落渡海」について述べさせてもらいます。それが本編では語られなかったあの「Nice boat.」の行く先を考える手がかりにひょっとしたらなるかもしれません。
「補陀落」というのは南方にあるとされる観音菩薩の浄土の事で、「補陀落渡海」は文字通り小船でその補陀落浄土へと渡ろうとすることを言います。勿論、実際には死出の旅であり、船で没したであろう人もあれば入水して浄土に至ろうとする人もありました。九世紀には既に記録が見られ、十二世紀頃から増加したようです。有名な所では平維盛の入水が「平家物語」で語られや御家人・下河辺行秀が出家して渡海した例が「吾妻鏡」に記されています。
渡海船には、渡海者の入る屋形が作られその周りを四つの鳥居が囲んでいます。つまりは葬送船を模した形です。それに三十日分の食料と灯火を積み込み、白帆を上げて出航し補陀落へ赴くと信じられていたのです。当時の人たちにとってこの船はまさにniceなboatだったわけですね。出航した渡海者は船中で経を唱え、浄土に往生する事を念じて海中に没したのでしょう。
これらの渡海は、室戸岬や足摺岬からなされた例もありますが過半は熊野那智浦からのものでした。この地に建立された補陀落山寺は渡海の総本山的な役割を果たし渡海した人々の墓碑が残されています。後にはこの寺の住職が六十歳になると渡海する慣習となりますが、徳川期になると死後に船に乗せ水葬するという形式的なものに変化しました。金光坊という僧が渡海を嫌がって船から逃げ出し、海に突き落とされてからだとされています。社会の変化と共に現世中心主義が浸透した事により、来世より現世中心となったための自然で当然な経過と言えるでしょう(現代の目から見ると非人間的な習慣ですしね)。それに元来は水葬の習慣が変化したものらしいので、本来の形に戻ったと考えるべきです。
日本人は古来より海の彼方に「常世」(来世)があると信じていたようで、補陀落信仰も仏教と混合してこれが変形したものと考えられます。そして、その常世は再生の国でもありました。垂仁天皇時代に田道間守が不老不死の薬として橘を常世から持ち帰った(ただしその時には天皇が既に崩御していた)という伝説からもそれが知られます。そして、補陀落渡海も人々の罪を負って渡海し仏として生まれ変わると言う点では再生の旅と信じられていたのです。「熊野那智参詣曼荼羅」で渡海船の横に米俵の山を陸揚げする船が描かれており、渡海によって豊穣がもたらされた事が象徴されているのはそうした考え方を反映したものと言えるでしょう。
そして、補陀落渡海への出発点・熊野もまた死者の国でした。七里御浜の「花ノ窟」(三重県紀宝町)はイザナギが火の神を産んで死んだ後に葬られた場所とされていますし、その近くの岩田神社にある大岩は黄泉国(地下にある来世)への入り口という伝承があります。そして、那智周辺には死者の霊が櫁の花を持って妙法山に登り、阿弥陀寺にある無間の鐘をつくという言い伝えが残されていました。これに補陀落信仰を加えて考えると、この地域自体が神話・仏教と絡んで死者の世界と密接に関連していると考えられた事が分かります。そして、熊野はまた再生の地でもありました。例えば、「平家物語」によれば厳寒の中、那智にある滝の一つで滝壺に浸かって修行していた文覚は二度も命を落としかけます。しかし不動明王の使いである金迦羅・制多伽の童子二人に救われ蘇生して修行を完遂し法力を得るに至ったと言うのです。「熊野那智参詣曼荼羅」にもこの二人に守られた文覚の姿が描かれていたりします。…やれやれ、「School Days」関連の話題でまた文覚ですか。一度なら偶然ですが二度は必然ですね。やはりあのアニメは我が国に古来からある何かを衝いているのかも、という気が少ししてきました。さて話を戻しますと、文覚の他にも熊野には再生に関わる有名な小栗判官伝説があります。常陸の豪傑・小栗判官は両親が毘沙門天に祈って生まれた子で評判の美女・照手姫を妻としますが、照手の実家は判官の振舞に殺意を抱きこれを毒殺。照手も殺されるところでしたが家臣に助けられ逃がされます。一方、判官は家臣たちと共に地獄で閻魔大王に裁かれますが家臣の哀願もあり蘇生の機会が与えられ、動けず口も利けない餓鬼として現世に帰る事に。熊野本宮にある湯の峰温泉で湯治すれば本復すると言う事で、時宗僧により土車で曳かれて熊野へ向かいます。判官は街道の人々にも助けられて土車の旅を進めますが、その際に遊女屋の下女となっていた照手も夫と知らず供養のため車を曳く。そうして湯の峰で湯治し蘇生した判官は、照手と再開して迎え入れ繁栄したという物語です。こうした事からも、熊野が死者の再生と深く関わる地とされていたと言えるでしょう。
こう考えると、あの帆を上げて進むヨットはやはり死出の旅なんでしょうね…。ヒロイン本人は主人公と共にあることができて幸せなのかもしれませんが。あるいは無意識に(生首となった)恋人の再生を祈る心情が反映されているのでしょうか?何にせよ、救いのない話なのは確かですね。
【参考文献】
日本の聖地 久保田展弘 講談社学術文庫
山岳霊場御利益旅 久保田展弘 小学館
補陀落渡海史 根井浄 法蔵館
平家物語(上)(下) 佐藤謙三校注 角川文庫ソフィア
的と胞衣 横井清 平凡社ライブラリー
常世論 谷川健一 講談社学術文庫
井上靖短篇名作集 講談社文芸文庫
日本書紀(二) 坂本太郎・井上光貞・家永三郎・大野晋校注 岩波文庫
説教小栗判官 近藤ようこ ちくま文庫
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歴史研究会・とらっしゅばすけっと関連発表:
「日本民衆文化史」(http://kyoto.cool.ne.jp/rekiken/data/2002/021206.html)
「後醍醐天皇」(http://kyoto.cool.ne.jp/rekiken/data/2001/010706.html)
「北畠親房」(http://kyoto.cool.ne.jp/rekiken/data/2002/030117.html)
「本居宣長」(http://kyoto.cool.ne.jp/rekiken/data/2001/011214.html)
関連サイト:
「School Days」
(http://www.schooldays-anime.com/)
アニメ公式サイトです。
「み熊野ねっと」
(http://www.mikumano.net/index.html)
熊野地域の地元紹介です。こちら(http://www.mikumano.net/meguri/fudaraku.html)に補陀落渡海について述べられています。また、「熊野の説話」に文覚・小栗判官の話もあります。
「熊野学情報センター」
(http://www.city.shingu.wakayama.jp/kumanogaku/kumanogaku/top/index.htm)
熊野についてのデータベースです。「補陀落渡海の記録」も。
「古事記・日本書紀」
(http://www2.odn.ne.jp/cbm54970/framekiki2.html)
垂仁天皇の項に田道間守も。菓子の神となったそうです。