外国から見た日本、日本から見た外国―娯楽文化の視点から―(前半)
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海外映画に日本が登場する早い例としては「タイフーン」(1914)や「チート」(1915)が挙げられます。早川雪洲がその熱演によってハリウッド俳優としての地位を確立した両作ですが、得体の知れないスパイや残酷な金融業者といった役柄であり日本では国辱映画と呼ばれるに至ります。物腰が柔らかく老獪な日本人スパイが主人公のMR. MOTOシリーズ(1937-39)も人気を博したようですが、日中戦争に伴いアメリカの対日感情が悪化するに従い主人公描写が屈折したものとなったようです。当時の日本を扱った娯楽小説ではエラリー・クイーン「ニッポン扇の謎」(1937)が挙げられ、日本に対し好意的な視点ではありますが作中の日本像はいわゆる「ゲイシャ、サムライ、ハラキリ」といった典型的な「何処か間違った日本」の範疇と言えます。第二次大戦中には、小説・映画とも日本は敵国として恐怖・憎悪の対象として描かれ、多くのプロバガンダや勧善懲悪の作品が生まれていたようです。
戦後になってしばらくするとそうした作品は下火になっていき新たな作品群が生まれてきます。推理小説でも戦後日本を舞台にしたものとしてW. アイリッシュ「ヨシワラ殺人事件」などがありますが、これらを見る限り再び「サムライ、ゲイシャ、ヤクザ、スモウレスラー、ハラキリ」といったイメージに返ったと言えそうです。
では、映画においてはどうだったのでしょうか。以下に日本を扱った映画作品をいくつかあげていくことにしましょう。
「八月十五日の茶屋」(56):沖縄の村人たちを好意的に描いているが、マーロン・ブランドが目尻をテープで止めて吊り上げ日本人を演じていた。
「ティファニーで朝食を」(61):小男・丸顔・出っ歯・眼鏡の日本人が登場。日本・中国のもので埋め尽くされた部屋で暮らし、オードリー・ヘプバーン演じる主人公を口汚く罵る。
「素晴らしきヒコーキ野郎」(65):安価だが低品質と日本製品が認識される。敗れた日本チームの主将がリンゴを剥くためナイフを取り出したときに「ハラキリ」すると懸念される場面がある。
「007は二度死ぬ」(67):日本を舞台にした作品。銀座を人力車が走る、日本のスパイが忍者。
「猿の惑星」(68):直接日本を描いている訳ではないが、作者は日本軍により捕虜収容所に入れられた体験を基に書いたと述懐。つまり「猿=日本人」ということになるという。
「007 黄金銃を持つ男」(74):007が進入した邸内で、彫刻のように立っていた二人の相撲取りに突然襲われる。
「ザ・ヤクザ」(75):義理・名誉を重んじるヤクザの抗争を描く。
「キャノン・ボール」(81):工業技術力は優れているが狡賢い存在として日本人が描かれる。
「燃えよNINJA」(81):ニンジャブームのきっかけとなった作品。忍者については比較的調べ上げられているが、妙な日本庭園や道場が登場。
「帰ってきたMr.BOO!ニッポン勇み足」(85):悪役が力士を雇い主人公を襲わせている。主人公を襲う際、力士は廻し姿である。
「悪魔の毒々モンスター 東京へ行く」(88):一部で高い人気を誇るドタバタコメディ。その中で丁髷姿のサラリーマン、忍者、パチンコ、銭湯、鯛焼き、しゃぶしゃぶ、力士といった「日本的な」ものが次々に登場。
「ブラック・レイン」(89):エキゾチックで未来的なイメージで大阪が描かれる。
「カブキマン」(90):実は正義のヒーローであった歌舞伎役者が暗殺され、死に際に主人公にカブキマンとしての超能力を伝授する。主人公はカブキマンに変身し下駄・割り箸・巻き寿司などを武器にして悪者と戦う。
「ミスター・ベースボール」(92):主人公である大リーガーが日本式野球の奇妙さに戸惑う話。
「ライジング・サン」(93):冷酷で統制の取れた機械のような存在として日本企業戦士が描かれる。
「クロオビキッズ 日本参上!」(94):主人公らが忍者大会に参加。相撲取りも登場。東京に名古屋テレビ塔や大阪空中庭園が存在する。
「冒険王」(96):日本は中国に侵略する悪役。相撲取りが主人公に襲い掛かる。
「パール・ハーバー」(01):敵国としての扱いであり、基本的に悪役。山本五十六ら海軍首脳が機密会議を野外で行い、そのすぐそばで子供たちが凧揚げをしている。
「ラスト・サムライ」(03):士族反乱鎮圧に参加した外国人が捕虜となり武士の生き様に共感し自らも鎧に身を固めて戦いに参加する。武士を誇り高い存在として美化しているのは否めない。
「SAYURI」(05):芸者の世界を神秘的・エキゾティックなものとして描く。ヒロインを中国人女優が演じているため、舞踊が中国的になっている。
こんなところでしょうか。話の流れ上、いわゆるB級映画が多くなってしまうのは致し方ありません。以上より伺える、外国作品における日本の虚像的イメージは以下のように分類できるようです。
①サムライ、ゲイシャ、スモウレスラーに代表される過去の日本を基にした異国情緒溢れる幻想(ただし、しばしば中国と混同される)
②旧帝国陸軍・戦後ビジネスマンなど、得体の知れない不気味な敵
③戦後の技術発展からなる、ハイテク溢れる未来的イメージ
④上記のイメージの混合
中には悪意のない微笑ましいものもありますが、放置していては好ましくない偏見を定着させかねないものも存在しますね。勿論、上記のような妙な偏見溢れた作品ばかりではなく、日本の実像を把握しようと努力した作品も多数見られます。例えば、「戦場にかける橋」(57)や「太平洋紅に染まる時」(60)はまともな日本描写と言えます。ただ、娯楽作品として観客の求めるものに応じる必要性もあり、こうしたイメージから完全に自由になるのは難しかったようです。まあ、日本への偏見溢れた作品でも寧ろ好意的(時には理想化された)な視点で描かれる事も少なくはなく、必ずしも悪意によるとはいえないようです(また、分かった上でギャグとしてやっている「確信犯」も多くみられます)。
これらの何かが間違った描写に一々ヒステリックに反応する必要はないと思いますが、誤ったイメージについては可能な限り誤解を払拭する地道な努力が必要でしょうね。特に明らかに悪意を持って描かれているものに対してはきっぱりと否定する必要があるでしょう。ま、アラブ世界もアラビアン・ナイトかテロリストの両極なイメージで描かれる傾向があると言いますから日本だけがそうという訳じゃないんでしょうが。では、今度は日本が外国に対してどんなイメージを持っているかを考えて見ることにしましょう。
(後半に続きます)
【参考文献】
後半に記述します。
歴史研究会・とらっしゅばすけっと関連発表:
「西洋民衆文化史」(http://kyoto.cool.ne.jp/rekiken/data/2002/021108.html)
「中国民衆文化史」(http://kyoto.cool.ne.jp/rekiken/data/2002/020607.html)
「インド民衆文化史」(http://kyoto.cool.ne.jp/rekiken/data/2002/020614a.html)
「イスラム民衆文化史」(http://kyoto.cool.ne.jp/rekiken/data/2002/020614b.html)
「日本民衆文化史」(http://kyoto.cool.ne.jp/rekiken/data/2002/021206.html)
関連記事(2009年5月17日新設)
大アジア友好の偉大な架け橋 ~前近代日本史に現れたインド人~
米国大統領と愛国歌人―橘曙覧―
三国志の時代と日本
関連サイト:
「ストレンジャー・ザン・ジャパニーズ」
(http://www.toyama-cmt.ac.jp/~kanagawa/cinema/gaikokueiga.html)
「DEBUMOVIE」(http://ueno.cool.ne.jp/chiro_san/movieindex.htm)
Techan's Page Summer(http://www014.upp.so-net.ne.jp/cinemania/index.htm)より「CINEMA FAN」
Falling Down(http://www.geocities.jp/s_leg_666/top.html)
「史劇的な物見櫓」(http://www2s.biglobe.ne.jp/~tetuya/REKISI/REKISIMENU.HTML)より「歴史映像名画座」
以上からは、日本が登場する海外映画について知る事ができます。前半は主にこちらの諸サイトによっています。