東西ヒトブタ物語 ~王者という名の神官によって帝国創設の生け贄に捧げられた愚かで哀れな獣の話~
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こんな話を聞くと思わず、中国人ヤバイとか、女怖いとか、年寄りの妄念は恐ろしいとか知った風なことを言いたくもなるのですが、こういうことするのは何も中国人や女性や老人だけではないので、西洋の青年男性からこの手の逸話を一つ紹介したいと思います。
西洋から紹介するのはアレクサンドロス大王。普段は賢明な軍人政治家として紳士的に振る舞っているものの、ときおり発狂状態すれすれの暴走を見せる、名君にして暴君という二面性を持った覇王であり、彼の暴走行為が呂后の人彘(ヒトブタ)にも比肩しうる、残虐な態様をとったこともあるのです。
アレクサンドロスは狭苦しいギリシア世界の辺境国家マケドニアの王として周囲への征服を開始、短い生涯であったにもかかわらず、圧倒的な軍事的才幹で超大国ペルシアを征服し、さらに東進インドにまで軍を進めます。そしてその過程で、彼は、征服したペルシアの習慣や文化を、ペルシア風の王に対する服従・崇拝を含めて意欲的に取り入れたのですが、そのことでギリシア・マケドニア国粋主義に憑かれた守旧的な兵士および部将たちの反発を買って政治的軋轢を生じ、そこから起こった暗闘の中で、アレクサンドロスは、彼の親ペルシアのアジア嗜好に批判的で守旧派の支持を集めていた従軍哲学者カリステネスを、処刑することになります。一説によれば、この処刑において、アレクサンドロスはカリステネスの手足全部を切断し、耳と鼻と唇を削ぎ取って、犬と一緒に籠の中に閉じ込めて、他の者への見せしめとしたのだそうです。イヌと一緒に籠に入れたあたり、「ヒトイヌ」とでも呼ばせたいのでしょう。何の動物に喩えるかはさておき、ほとんどやり口は呂后の「ヒトブタ」と変わりません。
男女老若所を問わず割と普通に思いつく虐待方法なのかも知れませんね。
さてこれらの行為は行為態様の残虐さから見れば、狂気としか取れず、単に行為者の悪性・横暴を証明するものとしか見えないわけですが、政治的背景をも考慮に入れると随分見え方が変わってきます。怖いもの見たさで残虐行為を取り上げただけというのもどうかと思うので、以下は、それらの行為を政治的文脈の中に置いて評価してみたいと思います。
まず呂后の行為ですが、それによって処分された戚夫人は、高祖の寵愛につけこんで涙を武器に、皇太子を廃して自分の子に代えるよう主張し続けた卑劣な人物で、しかもその企ては消えては蘇り、何度も成功寸前まで迫っていました。呂后の行為に個人的な怨みや狂気が含まれていないとは言いませんが、呂后が功臣の誅殺による帝国の基礎固めなどの局面で劉邦を補佐して活躍していることを考えれば、仮に怨みが無くとも彼女は、戚夫人を母子共々、過去の経緯から帝国に混乱を招きかねない禍根として、誅殺せざるを得なかったでしょう。戚夫人母子を処刑したこと自体は、皇太后の行為としては全く咎められるようなことではありません。
皇太后が陰謀を巡らし権力を振るうというのも、皇帝権を脅かして帝国を混乱させる恐れがあり、野心溢れる寵姫に劣らず帝国の統治にとって危険ではありますが、皇帝が残虐な情景を一見したくらいで再起不能になるような繊弱な人物であれば、この時点では緊急措置として是認するよりほかありません。その後、呂后および呂氏が専横を極め皇帝権を脅かすこととなるのは、これとはまた別の問題。
行為態様の行き過ぎは確かに非道いものですが、政治的な暗闘を繰り広げた敵手の間のことで、無辜の民を嬲ったわけではなく、この点は、まあ見逃してあげても良いでしょう。
アレクサンドロスの行為についても政治的背景を考えれば、単に狂気として断罪するわけにはいきません。
アレクサンドロスがペルシアの習慣を取り入れたことは、辺境の小国マケドニアが広大なペルシア領を支配するためには必要な措置ですし、王に対する服従・崇拝の要求も、巨大化した王国を支配するにふさわしい王権を確立するためには、当然必要な措置と言えるでしょう。アレクサンドロスの死後、たちまち彼の帝国が有力部将による分割の餌食となり、争闘する部将たちがギリシア・マケドニアの兵士達のご機嫌とりに財貨をばらまいて領土を搾りあげるのみであった結果、国力を弱め現地の臣民の忠誠を損ない、ギリシア・マケドニア勢力が早々と衰退するに至ったことを思えば、アレクサンドロスの親ペルシア・親アジア・王権強化路線の正しさおよび重大な必要性は明らかだったと言えます。
にもかかわらず哲学者風情が、偏狭な文化意識から合理的政策を批判し、政治感覚の欠落した守旧派を取り巻きに調子に乗って、帝国建設の障害となっているとなれば、これに処分を加えるのは至極当然。
処分の態様は行き過ぎで狂気を含んでいるとはいえ、権力中枢における暗闘の中で社会に害を及ぼすことなく行われた措置ですから、態様について見逃してやる余地はあり、行為全体としては、否定するよりはむしろ是認すべき措置です。
ちなみにカリステネスはアレクサンドロスの師である大哲学者アリストテレスの甥だったのですが、アリストテレスがこの事件について、王を批判することなく、王に対する物言いが自由に過ぎた甥の態度を遺憾とするにとどめたらしいのは、さすがに哲学者でもアリストテレスほどの人物であれば、それなりの現実的識見を備えていると言うべきでしょうか。
一応まとめておくと、呂后のヒトブタにせよ、アレクサンドロスのヒトイヌにせよ、行為態様は残虐で狂気を内に含むものであり、とても王者の行為として完璧なものとは言えませんが、態様のみ切り出すのではなく、行為全体を分割不可能な一体として政治的な側面を含めてその是非を判断するならば、どちらかといえば是認すべき行為に属すると言わざるを得ません。おそらくは、末節に誤りはあるが本筋において正当な行為と評価するべきなのでしょう。
参考資料
司馬遷著『史記』野口定男/近藤光男/頼惟勤/吉田光邦訳 平凡社
大牟田章著『アレクサンドロス大王 「世界」をめざした巨大な情念』 清水新書
ポンペイウス・トログス著 ユニアヌス・ユスティヌス抄録『地中海世界史』合阪學訳 京都大学学術出版会
フラウィオス・アッリアノス著『アレクサンドロス東征記およびインド誌 本文篇・注釈篇』大牟田章訳 東海大学出版会
F.E.Adcock著『The Greek and Macedonian Art of War』
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http://www.geocities.jp/trushbasket/data/nf/neet18.html
アレクサンドロス
http://kyoto.cool.ne.jp/rekiken/data/1999/991022.html
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