「大陸土産は世界最強ォォーッ」―市民革命直前期の、とある文学―
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さて、こんな素敵なナポレオン漫画の登場人物の一人に、ミュラという男がいます。騎兵指揮官としてナポレオンに重んじられ、後にはナポレオンの義弟としてナポリ王にまでなる人物ですが、派手に着飾った目立ちたがり屋の色事師として知られています。普段は脳足りんだが、戦場で馬に乗ったときとベッドで女に乗ったときの二つだけは颯爽としている伊達男。そのミュラが作品中で初めてナポレオンに出会うのは、パリでナンパした女に贈るために(当時は浪人中で貧乏生活だった)ナポレオンが店番をする書店に本を買いに来た時でした。求める書名は「哲学者テレーズ」。ミュラによれば何でも彼女は「教養ある女性」だそうですから、さぞかし高尚な本なのでしょう、少しその内容を覗いてみる事にしましょう。なになに、「私は神父の尻が後に動くたび紐はその隠れ家から先が見えるまで戻ってエラディスの陰唇がぱっくり開きうっとりするような桜色になって現われるのを見ました」(「ナポレオン 獅子の時代」第六巻 P8)…。たいした教養書があったものです。青年ナポレオンも「もっとマシな本を読んだらどうだ」「自慰をしすぎると痩せて盲目になるんだぞ」(同 P9)と呆れてのたまっている位ですからね。後者の説の真偽は知りませんが。
まあ、改めて解説するまでもないでしょうが、ミュラが購入しようとしていたこの「哲学者テレーズ」というのはダルジャンス侯爵によって書かれ当時のフランスで人気を博したエロ小説の名前です。という訳で、せっかく冒頭で「ナポレオン」について紹介したのですが、今回はナポレオンじゃなくてこうしたエロ小説について話をしようかと思います。
「哲学者テレーズ」にとどまらず、十七世紀以降、フランス通俗文学の一分野としてエロ文学が勢いを振るっていました。性交の体位図に詩を添えたアレチノ「体位集」を始め、ディドロ「不謹慎な宝石」、ヴォルテール「オルレアンの乙女」といったこれらの作品はフランス国内にとどまらず、海を越えてイギリスにまで輸出されています。十七世紀後半の英国喜劇「田舎女房」でもフランス帰りの主人公が「あいにくアレチノの『体位集』も『娘の学校』の第二部も持ち帰りませんでした」という台詞を述べているように、当時はこうした作品が大陸土産の定番になっていたわけですね。自国の文化への誇りが強そうな英国紳士をしてこうした行動に走らせるとは、全くもってエロは強し。まさに世界最強の大陸土産だったわけですな。
こうした風潮を、イギリスの愛国者たちが苦々しい思いで見ていたであろう事は想像に難くありません。そんな中で、1749年にジョン・クレランドによって著された「ファニー・ヒル」(正式名は「一娼婦の手記」)は、逆にフランスを始めとする欧州諸国に英国から初めて輸出された記念すべき作品であり「国威の発揚に万丈の気を吐いた」(「ファニー・ヒル ちくま文庫」解説 P336)そうです。…嫌な国威ですね。
しかし、この「愛国的」創作行為に対して当時のお偉方は正当な評価をしたとはいえなかったようで、禁書処分とされ地下出版を余儀なくされた時期が長かったそうです。まあ、性交描写が全体の三分の一を占め性豪ボズウェルにさえ「すこぶる放埓かつ扇情的な書物」と言わしめるような作品である上に当時は厳しいタブーであった同性愛描写にも踏み込んでいるわけですから無理もありませんが。クレランドは生涯貧困に苦しみ独身で過ごしたのを考えると、つまりは喪男の悶々と蓄積した妄想力は当代きってのヤリチンをも脱帽轟沈させる程の威力だったわけですね。流石は国威発揚に貢献した最終兵器。
この時代、フランス革命やナポレオン戦争において激しく争うことになる英仏両国ですが、その前哨戦として国の威信を賭けたエロ小説合戦があったわけですね。フランス革命で活躍することになるミラボーやサンジュストもエロ小説やエロ詩を書いたりしているようですから、エロ文学は当時の文学において隠れた主流といえそうです。…またもやフランスのイメージが一つ壊れた気がしますが。
まあ、フランスのイメージが良い感じに壊れたところで話を少し変えると、エロ文学が隠れた主流というのは革命前夜のフランスだけでなく明以降の中国や現代日本なんかを考えると普遍的な事象だと思われます。そしてそのエロ文学・エロ文化が他国より強いというのが、その国の文化力の指標といえるのかもしれませんね。一方、そのエロ文化の爛熟と社会の行き詰まり(成熟の果てともいえます)もまた相関しているようで、エロ文化の絶頂と社会変革期はしばしば近接している気がします。日本に関して言えば「とはずがたり」などの宮廷文学の爛熟に続いて南北朝動乱、町人文学が熟しきった頃に明治維新といった感じで。
そういえば、近年、我が国のアニメを始めとする娯楽文化作品も「hentai」とか呼ばれて各国において(一部で)愛好されていることが知られていますが、これもまた新たな時代における日本の国威発揚につながっているという事でしょうか。我が国の栄光を担う娯楽作成者に幸あれ。
【参考文献】
ファニー・ヒル ジョン・クレランド 中野好之訳 ちくま文庫
世界伝記大事典世界編11 ほるふ出版
世界の歴史15フランス革命 河野健二他 河出書房新社
中国艶本大全 土屋義明 文春新書
「ナポレオン 獅子の時代」 長谷川哲也 少年画報社
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歴史研究会・とらっしゅばすけっと関連発表:
「西洋民衆文化史」(http://kyoto.cool.ne.jp/rekiken/data/2002/021108.html)
「中国民衆文化史」(http://kyoto.cool.ne.jp/rekiken/data/2002/020607.html)
「日本民衆文化史」(http://kyoto.cool.ne.jp/rekiken/data/2002/021206.html)
「引きこもりニート列伝その17ミラボー」
(http://www.geocities.jp/trushbasket/data/nf/neet17.html)
「物語の消費形態について―いわゆるオタクを時間的・空間的に相対化する試み―」
(http://www.geocities.jp/trushbasket/data/nf/kouroumu.html)
関連サイト:
「モシキの書斎」(http://home.att.ne.jp/star/moshiki/index.html)より
「快楽世界文学」(http://home.att.ne.jp/star/moshiki/kairaku.htm)
「超低金利漫画家 長谷川哲也のホームページ」
(http://mekauma.web.fc2.com/)
長谷川先生の公式ホームページです。
「大陸軍野営地(仮)」
(http://www4.ocn.ne.jp/~davout/FRandN.htm)
「ナポレオン 獅子の時代」のファンサイトです。
「フランス革命大解剖」(http://www5a.biglobe.ne.jp/~french/)
「NAPOLEON!(JAPAN)」(http://kodaman-empire.kir.jp/Napoleon/nh.html)
日本唯一のナポレオニックサイトだそうです。「ナポレオン 獅子の時代」にコラム「大陸軍戦報」を寄せています。
「hentaiとは―はてなダイアリー―」(http://d.hatena.ne.jp/keyword/hentai)
「Moonlight Fantasia」(http://www.moonlight.vci.vc/main/index.html)
海外アニメファンについて「Misc」コーナーで色々。