猥談と品行について
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因みに、これらの話を伝えた南方熊楠も「ずいぶん陰陽和合の話などで聞こえた方だが、行いは至って正しく、四十歳まで女と語りしことも少し」であったそうで(以上、「南方熊楠コレクションⅣ動と不動のコスモロジー 河出文庫」より)。要するに、口で猥雑な話を憚らずにする人の方が、清潔ぶった人より実生活では道徳的だったりするということですね。まあ、リアルでやましい事がないからこそ変な話も堂々とできるわけで。実際、このブログで変な話をしている僕たちも、品行方正とまでは言えないにしても実生活においては清潔と言ってよいと思っています。という訳で、個人的にはこの二つの言葉は座右の銘にしても良いかも知れない。
更に考えると、人間のやる事ですから完璧な訳はなく変態チックなものはどうしても出てきますし、歴史が人間の業を扱うものである以上、それらを避けて通ることはあってはならないと思うのです。更に、エロに関しても人間の基本的欲求の一つであり、子孫を残し次世代に繋いでいく上で必要なものですから、重要な関心事となるのは当然といえるでしょう。むしろ、そうした話題を忌避する事こそ不自然な虚偽と言うべきです。
人間のありのままな姿を目を逸らさず見つめる、という観点からはエロやグロもまた人間の欲求であるのですから話の対象となるのは当然といえるでしょう。そうした人間の欲望・欲求に蓋をするのではなく、否定するのでもなく、ありのままに受け入れた上でどのように付き合っていくのかを考える。それが大事であろうと思います。自分たちに疚しい所がないのなら、尚更の事だと思います。「心の中でさえ姦淫しない」人間なんて、実際にはいないといってよいのですから。仮にいたとしても、彼らが心の中でも姦淫しない事自体は勝手ですが、人類の大部分を占める凡俗に対しても同じ事を強要する権利なんてないと思います。