<言葉> 民族と法
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彼は法の担い手を平凡・猥雑な民衆の中に見出し、社会と文化と歴史の広く深い研究の基礎の上から、民衆生活の行為規範たる法を解明しようとしていました。彼はあくまで、ドイツ民族の法を理解するために、民族の言語の研究や民族の童話の収集に力を尽くしていたというわけです。
そして彼の考えは、その著書の『法における詩歌』にある以下のような言葉に端的に表れています。
「法と詩歌は同じ揺籃から育って来た」(河上倫逸著『法の文化社会史』ミネルヴァ書房 147頁より)
というわけで、法とは、詩歌に象徴される民族・民衆の文化の猥雑ですらある根元的な部分より生まれてくるものであって、自国の文化的土壌から遊離した上品気取りの一部急進人士が、自分たちの浅薄で脆弱な正義感・倫理観を満たすために、外国人の手先になって社会に適合しない有害無益なゴミ法を民衆に押しつけるなどという事態はあってはならないことなのです。
まして、その外国人が百五十年にわたって我が国を圧政下に置く倫理的に悪辣な不当な侵略者となれば、その様な事態は断固阻止しなくてはなりません。
だから、幼女に萌えるヘタレ主人公がモテモテな軟弱小説『源氏物語』を元に民族の精神を論じ、中興の英主と讃えられた天皇を先頭にロリコン道をひた走る、ピンクの妄想垂れ流しの由緒正しいオタク国家日本に、建前だけが小奇麗な極悪白人キリシタンどもに媚びへつらった、無駄に潔癖でかえって有害なゴミ法なんか全く不要。日本の法と文化に不当な干渉を行う、腐れレイプ民族アメリカ人のシーファーとか日本人のふりしたシーファーの手先は、とっととアメリカに帰れ。
リンクを変更(2010年12月8日)