乳をこよなく愛した人々の話 in 西洋史
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さて、現実世界でも彼等を髣髴とさせるようなメイドさんや乳への執着を見せた作家が存在した事については以前に述べましたが、他にも乳への思い入れを高らかに言明した勇者は結構いたようです。例えば十六世紀におけるフランスの詩人クレマン・マロは
「うるわしの乳房は卵より形良く 新しく真っ白な繻子のよう 乳房の前ではバラも恥じ入る 乳房は何より美しい」という文句で始まる乳房賛歌をものした事で知られています。同時期にはテオドール・ド・ベールも女性の胸部を圧迫する留め金に強い執着を示し
「お願いだから、可愛い留め金よ、愛する人の胸を締める留め金よ 彼女の雪のような乳房と私の燃える情熱 赤らむ二つの丸い乳房を放さない留め金よ」「乳首も丸い乳房も苦しんでいる 激しい戦いと衝突ゆえに 陣容となる留め金は嫌われ者だ 留め金よ、一体おまえは恐れていないのか? このひどすぎる熱にあぶられ雪のような乳房がとけてしまうことを」などと煩悩だだ漏れな詩文を残しているのです。中々見事な変態さんですね。
十七世紀には、シャルル・コタンがモンフランセルの修道院における司祭という清く正しく尊い御身分であるにもかかわらず、
「隣り合う二つは合わさることなく過ごす 誰からも愛されるこの二つ どちらも誇りと生き生きとした 魅力に満ちてふくらみ 獲得した名誉をともに分かち合う 生まれたときにはともに十五歳だったこの二つ 二つとも同じ型で成形されたようだ」という詩を後世に残しています。とりあえず、彼は神に仕えているのか乳に仕えているのかはっきりさせた方が良いと思われます。なんだか、「天にまします聖なる乳よ」とか平気でほざきそうな気がしますよ、この坊主は。以前の記事で猥雑な話をする人はかえって実生活では清潔みたいな話をしましたが、彼の場合は夫のある貴婦人を数多く口説いて浮名を流すヤリチンだったそうですから弁護の余地がありません。さて十八世紀には、メルシエ・ド・コンピエーニュが「女の乳房礼賛」を著して「乳房は女にもたらされる最後の美であり、奪い取られる最初の美である。乳房の美を保つことのできる幸運に恵まれた女はほとんどいない。だからこそ女たちは乳房を特別念入りに手入れするのだ。」と力説。流石はフランス、「メイドガイ」の世界に飛ばされてもそのままやっていけそうな人たちがたくさんいますね。まあ、ルイ十五世時代や総裁政府時代には女性たちも乳房をほとんど開けっ広げにして大きさ・美しさを誇示したような御国柄ですからね。
ところで、上述「乳ファンクラブ」の中でもリーダーは乳へのこだわりが傑出しており、女性を顔でなく乳で認識しているという剛の者。しかし「事実は小説より奇なり」とはよく言ったもの(まあ小説じゃなくて漫画なんですが)、顔には関心を寄せず純粋に乳だけで女性を評価した勇者たちがかつて実在したと言う情報が。1890年代から1910年代にかけて、ヨーロッパやアメリカで「乳房コンテスト」が流行。美人コンテストが顔やスタイルも含め総合的に判断するのに対し、この「乳房コンテスト」は二つの乳房のみを判断するもので、美人コンテストなら評価されないであろう女性が優勝した事例も存在するようです。参加者はパネルに両乳房を差込み、審査員は他の肉体的要素に影響される事なく乳房の輪郭・形・大きさ・乳首・色などを採点し多数決で順位を決めていたとか。このコンテストを、「乳房の専門家」ジャック・ペレスは「美人コンテストと乳房コンテストの関係は、フィルハーモニック・オーケストラと管楽器のソロのようなものだ。」と評しています。要は乳さえ立派ならよいと言う事を格好付けて言っている訳ですね。…それにしても、「乳房の専門家」って一体何なんでしょうかね?さてこのコンテスト、1950年代になると徐々に変質していきます。観客が乳だけでは飽き足らず顔もチェックしたがったものですから、盆に乳を通して顔や体つきも見せるようになりやがては道具を使わず乳房を晒すのみとなったそうです。こうなると通常の美人コンテストと余り差はありませんね。こうして存在意義があやふやになりやがて廃れていったこのコンテストですが、現在でも、Tシャツが濡れて透けた美しさを競うコンテストなどとして一部で生き残っているそうです。それにしても乳への偏愛を獅子吼する漢たちといい、乳だけを問題にするコンテストといい、「乳房の専門家」といい、特定の女性への「乳ファンクラブ」が実在したとしてもリーダーのように顔でなく乳で女性を認識する男性がいても僕はもう驚きません。
さて閑話休題、「メイドガイ」作中においてなえかは数学を大の苦手としており、これに関連して「バストサイズと数学の点数は反比例する」(「仮面のメイドガイ」第一巻P97)という学説がパイマン博士なるドイツの専門家によって唱えられたという話や、「古代アステカ文明の残した石版に描かれていた由緒正しい頭脳伸長法」(同P120)として見かけだけでも胸が小さくなれば数学の点数が改善するという方法が登場しています。で、例のごとく現実世界でも似たような学術研究が大真面目になされていたようなのですよ。まず1920年代、テスチェ教授なる人物が「女性の性的発展と知的発展との間には一定の均衡があり、どちらか一方がより発達すれば、もう一方の発達は未熟になる」とのたまっています。そして1950年代になると、ヒューストンのベイラー大学において神経生理学博士アーティン・ストラスマン教授を中心とする研究チームは七百人以上の女性を対象にして調査し「女性の知性は胸の大きさと反比例する」と結論を出しました。次いで1964年にはパリの婦人科医カーゼンティ博士もこれに同意し、「胸の大きい女性は乳腺の分泌物が多いが、これは脳の基幹部分に関係する現象である。だが当面は、ほぼ科学的な仮説ということにしておかねばなるまい。」と理由の推定をも行ったとか。何の研究をしているやら。乳の魔力は現代科学に仕える学者たちをも引き寄せるのですね。こうした発表に対して、乳房の大きい女性たちの反論やら男たちの恋人に関する惚気やらも混じった激論が交わされるに至ったそうです。因みに現代では知性に関しては寧ろ食物の影響が大きいとされているとか。
これまで、おバカギャグ漫画である筈の「仮面のメイドガイ」における世界観と似たり寄ったりなメイドさんへの愛着が現実世界にも存在したという記事がいくつか存在しました。
メイドキングダムを目指した哲学者 キルケゴール
もっともっとメイドさんとキルケゴール 続・偉大なるダメ人間シリーズその1
偉大なるダメ人間シリーズ番外その2 等身大幼女フィギュアを抱えて動き回る変態武闘派哲学者?
メイド哲学史断章 ~メイドの奉仕を力に変えて 世界の真理に奉仕する それがこの俺 哲学者~
メイド哲学史断章その2 批判的メイド主従
世界の偉人とメイドさん
萌える大英帝国 セーラー服&メイド服成立史
メイドロボの精神史(前編),(後編)
加えて、いくらなんでも現実離れしているだろうと思われた乳への執着もまた現実世界に見られたのですね。「仮面のメイドガイ」を彩る乳やメイドさんへの飽くなきこだわり、それは少なくとも西洋においては確かに嘗て実在した世界だったのです。…実はこれ、参考文献が一冊しかありませんし以前の記事の続編という事で短い雑記扱いにするつもりだったんですが、結構な分量になったし昔の話も多いので折角だから歴史記事にしてしまいますね。
【参考文献】
図説乳房全書 マルタン・モネスティエ著 大塚宏子訳 原書房
仮面のメイドガイ 赤衣丸歩郎 角川書店
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歴史研究会・とらっしゅばすけっと関連発表:
「西洋民衆文化史」(http://kyoto.cool.ne.jp/rekiken/data/2002/021108.html)
「エロゲーを中心とする恋愛ゲームの歴史に関するごく簡単なメモ」
(http://kyoto.cool.ne.jp/rekiken/data/s2004/050311.html)
関連サイト:
「富士見書房 仮面のメイドガイ」
(http://www.fujimishobo.co.jp/sp/maidguy2/)
「MANGAOU CLUB」仮面のメイドガイ
(http://www.mangaoh.co.jp/topic/maid-guy.php)
アニメ「仮面のメイドガイ」オフィシャルページ
(http://www.maidguy.com/)