メイド哲学史断章その3 メイドと主人とラノベオタな俺のちょっと危険なアウフヘーベン
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プロイセン国家に抜擢され、国家を思想的に擁護する、権力背負った御用哲学者。
そんな堅苦しい雰囲気みなぎる彼ですが、『メーメルからザクセンへのゾフィーの旅』という、一人の少女を主人公に非現実的な事件の連なる冒険を描く低俗小説を熱心に愛読したりと、実は割と柔軟というかお軽いところのある人間だったりもします。
ちなみに、若い頃には、「宮廷でのコンサートにはよく行って、彼自身述べているように、本来の目的を越えて、「美しい少女を眺めるための」密かな機会を窺った」(ホルスト・アルトハウス『ヘーゲル伝 哲学の英雄時代』 法政大学出版会 23頁)のだとか。ただし「かわいい女の子を見るのは楽しいのだが、ただ遠くから眺めるだけであった。彼はこれを自分だけの秘め事として日記に記していた。」(同書 24頁)という、なかなか良い感じなムッツリな人。
要するにムッツリすけべなラノベオタさん。
むやみやたらと難解で、顔もいかめしく、なんとも近寄りがたかった大哲学者が、なんだか微妙に親しみやすい雰囲気になってきましたよ?
ところでこんなオタ臭い彼ですが、それにふさわしいというか何というか、メイドさんがらみのエピソードを持つメイド哲学者だったりもします。
実は彼、イエナ大学で私講師を務めていた1806年、メイドさんと私生児を作ってイエナを去らねばならなくなっています。
つまり、ちょうどそのとき別の出来事が起こっていて。彼にはさっそくにもイェーナの町を去らねばならなくなっていたからである。ヘーゲルは男の子の父親になっていたのである。母は彼の家政婦でもある女主人のクリスティアーネ・シャルロッテ・ブルクハルトであった。
(前掲書 185頁)
こうしたことすべては、こういう環境のもとではなおさらのことだが、イェーナのような小さな町では隠し通せることではなかった。大学にはガーブラーの周りにヘーゲルの教授昇任を妨害しようと試みていた敵がいて、このことだけでもヘーゲルには快適な生活は考えられなかったであろう。その上「ブルクハルトさん」──ヘーゲルは彼女をそう呼んでいた──は、どうやら執拗に結婚の約束を迫っていたらしい。そしてヘーゲルはその約束をしていたらしい。断わろうものならたいへんな騒ぎが起こると思って、それを避けようとしてのことである。
(同書 186頁)
ちなみに女主人というのはヘーゲルの下宿の女主人ということです。
主人なんだかメイドなんだか、メイドと呼んでよいのかどうか、ちょっと微妙な感じではありますが、ヘーゲルは矛盾・対立を止揚(アウフヘーベン)して統一した状態へと高めることで変化・成長・発展を達成する弁証法を掲げた人物ですから、彼の交わったメイドさんが、メイドと主人という矛盾するはずの要素を統一して彼の生活サポートに当たっているのは、これはこれで彼にふさわしい有様なのではないかと思います。
なお、彼の哲学は主観と客観の二元的対立構造を乗り越えて統一を達成するという課題に取り組んでいますが、メイドさんとの結婚から逃げ出さなければ、主人と客人の二元的対立がアウフヘーベンされていたところです。
ところで彼は主人と客人の二元対立の統一を拒んで逃走したわけですが、この話はこれで完全に終わったわけではなく、1811年、彼が41歳にして、20歳のマリー・フォン・ツーヒャーと結婚するとき、ブルクハルトさんは結婚の約束を言い立てて姿を現し、なだめすかしてどうにかお引き取りいただけたそうです。
それにしても、安易に性器をアウフヘーベンしたせいで、ヘーゲルの一生は危機一髪でしたね。
そういえば、メイドさん騒動を一応乗り越えたかに思えた1807年、彼の主著の『精神現象学』が完成しています。
なんか他にもどっかにこんな奴いましたね。
先日取り上げましたが、たしかショーペンハウアーもメイドさんと交わって私生児作りながら主著を完成させた哲学者。
ショーペンハウアーと言えば、激烈なヘーゲルの敵対者で、ヘーゲルを馬鹿げたことを書いて人々を混乱させる似非哲学者と呼び、低俗小説を愛読するヘーゲルを嘲笑してたりするのですが、メイドさんとの関係を見れば二人は大差ない人間にしか見えません。
ヘーゲルを似非哲学者呼ばわりするショーペンハウアーの発言については「これはへーゲルに対するきわめて悪意のある言葉ではあるが、ヘーゲルとショーペンハウアーの場合を考えると、奇妙な類似性を持つ二つの思索する天性がそこでぶつかり合っているという事実は無視するわけにはいかない。二人は形而上学者であり、二人とも実体は一つだという教義を信奉し、美学の世界索引を作れば、二人はきわめて近い場所に並べられるし、二人の哲学によって汎神論の強い気流が巻き起こったのである。」(前掲書 617,618頁)とか言われていて、哲学者としても同じ穴の狢らしいのですが、メイド的観点からしても全く納得です。
なおヘーゲルはメイドとのおしゃべりが好きだった文豪ゲーテと仲良しです。
ドイツ文化の頂点に広がるとっても素晴らしいメイド人脈。
というわけで、メイド哲学の歴史がまた一ページ。
参考資料
ホルスト・アルトハウス著『ヘーゲル伝 哲学の英雄時代』山本尤訳 法政大学出版会
澤田章著『人と思想17 ヘーゲル』 清水書院
リュティガー・ザフランスキー著『ショーペンハウアー 哲学の荒れ狂った時代の一つの伝記』山本尤訳 法政大学出版会
『スーパー・ニッポニカ Professional for Windows Ver.1.0』 小学館
過去記事&発表 特集・メイド哲学者
偉大なるダメ人間シリーズ番外その2 等身大幼女フィギュアを抱えて動き回る変態武闘派哲学者?(デカルト)
http://trushnote.exblog.jp/7499094/
メイド哲学史断章 ~メイドの奉仕を力に変えて 世界の真理に奉仕する それがこの俺 哲学者~(前半がショーペンハウアー)
http://trushnote.exblog.jp/8429498/
メイドキングダムを目指した哲学者 キルケゴール
http://trushnote.exblog.jp/7232022/
<本体発表> 偉大なるダメ人間その1 キルケゴール(当ブログ内に移転しました)
http://trushnote.exblog.jp/14529065/
もっともっとメイドさんとキルケゴール 続・偉大なるダメ人間シリーズその1
http://trushnote.exblog.jp/8194144/
<本体発表> 引きこもりニート列伝その10 マルクス
http://www.geocities.jp/trushbasket/data/nf/neet10.html
アーレント(前掲のメイド哲学史断章の後半)
http://trushnote.exblog.jp/8429498/
メイド哲学史断章その2 批判的メイド主従(ポパー)
http://trushnote.exblog.jp/8504823/
(以下2010年6月26日加筆)
ヘーゲルについては
よろしければ、社会評論社『ダメ人間の世界史』
(「ヘーゲル 国家公認大哲学者はムッツリスケベのラノベオタ」収録)
もご参照ください。
リンクを変更(2010年12月8日)