引きこもりニート列伝外伝その1 宮沢賢治―理想郷を夢見た文学青年―
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「ダメ人間の世界史」
(中核となる「偉大なるダメ人間シリーズ」は当ブログ内に移転しました。今後、修正等の管理はブログ版のみ行いますhttp://trushnote.exblog.jp/14529052/ [2010年12月8日])
そこで、「引きこもりニート列伝」の方も該当者が見つかり次第このブログでも出していこうかと思います。
この間の繰り返しての大地震で、東北は大きな被害を出しました。特に大きかったのが岩手な訳ですが、一日も早く復興する事を祈るばかりです。さて、岩手県が生んだ文学者といえば石川啄木が知られていますが、もう一人忘れてはならないのが宮沢賢治。啄木が放蕩者であったのに対し賢治は潔癖で禁欲的・滅私的であったという違いはありますが、夭折した夢想家で浪費家であったという共通点もあります。そして、秀才でありながら定職につかずブラブラしていた時期があるのも同じなようです。という訳で、久しぶりの「引きこもりニート列伝」はこの宮沢賢治を扱います。
では、まずこのシリーズ好例の略歴を。
生没年は1896-1933。詩人・童話作家。岩手県生まれ。盛岡高等農林学校卒。花巻で農業指導者として活動しつつ創作活動を行った。自然や農村社会で育まれた独特の感覚や宗教的心情をつづった詩と童話を残す。生涯にわたり法華経を篤く信仰し宗教団体「国柱会」に入信していた。童話「銀河鉄道の夜」「風の又三郎」「注文の多い料理店」、詩集「春と修羅」などで知られる。
賢治は裕福な質屋の子として生まれ、盛岡高等農林学校を優秀な成績で卒業して実験助手になるという順調なコースをたどっていましたが、何を思ったかすぐに退職しました。その後しばらくは定職につかずに過ごし、趣味の浮世絵集めに熱中し父親から叱責されたりしています。まあ、才能に恵まれ世間的成功に向かっているかに見えた息子がいきなりニート生活に入ってブラブラし出したら誰だって怒りますわな。ただ、賢治にしてみれば貧しい人々から金を巻き上げる商売をする父親に批判的な感情を抱かざるを得ず、また自分だけが恵まれた人生を送る事に強い後ろめたさや抵抗感があったようで。それなら、学問を身につけ社会的実力を得てそれを人々に還元すれば良いと思うのですが…。ともあれ、こうした感情は後半生における自虐的なまでな奉仕活動における滅私ぶりへと繋がって行く訳です。
さて、世間への疑問を抱く賢治は当時勢力を伸ばしていた日蓮宗系宗教団体「国柱会」の田中智学に心酔し、実家は熱心な浄土真宗であったにもかかわらず二十四歳で国柱会に入信。以後、法華経への信仰は賢治にとって大きな心の柱となります。入会間もない頃の賢治は花巻市内を太鼓を叩き題目を唱えて練り歩いて熱心に布教活動をしたとか。…周りから見るとどう考えても危ない人ですね。そして翌年、賢治は突発的に実家を出奔して上京。国柱会に転がり込みますが、流石に国柱会側もこれには困惑したようでまずは実の落ち着き先を探して今後を考えるよう諭されています。この際、賢治は出版社の校正係として就職し、夜は国柱会でボランティア活動に励む生活だったそうです。こうした賢治の動向は郷里では一種のスキャンダルであったようで、「岩手日報」に顛末が報道されたとか。秀才として知られた名士の息子が新興宗教に入れ込んで失踪したわけですから、無理もありませんね。
さて、賢治が詩・童話の創作活動を始めたのはこの頃からのようです。何でも、国柱会の要人である高知尾智耀から「法華文学」を作るよう勧められたからだとか。国柱会は、教祖・田中智学自らが史劇を書いたり幻燈会を催すなど文化活動を通じての布教に熱心でしたから、その一環として文学を通じて宗教世界の価値を世間に知らしめようと考えるようになったものとされています。東京時代の後半には父と和解し仕送りを素直に受けられるようになったのもあり、経済的に余裕が出て創作活動も活発化したそうです。…結局、理想実現にしろ文学にしろ夢を追うのにも先立つものが要る訳ですね。
25歳の時、極めて仲の良かった妹トシの病気をきっかけとして帰郷し、故郷で花巻農学校講師として就職。翌年にトシが病没すると、その悲しみを紛らわすかのように「無声慟哭」「春と修羅」「注文の多い料理店」といった数多くの詩・童話を発表していきます。そして30歳で岩手県国民高等学校講師も兼職しますが、同年3月に花巻農学校を突如辞職し一介の農民となりました。そして、「羅須地人協会」を設立して農民の生活向上を目指した活動に従事する事となります。農業化学・土壌学・植物生理学などの講義といった実際的なものに留まらず、エスペラント語講義に幻燈会やレコードコンサート、オルガン演奏といった文化的活動にも力を注いでいたといいます。しかしながら、この活動は長続きせず賢治自身の発病もあり二年半ほどで中断を余儀なくされました。
もっとも、羅須地人協会が挫折したのはあながち賢治の健康だけが問題ではなかったようです。賢治は農民となってからも、年末に上京しエスペラント語やタイプライターを学び、セロやオルガンの個人教授を受けています。加えて、築地小劇場や歌舞伎座で一流の芝居を楽しみ書籍やレコードを買いあさっていたのです。協会の文化活動に必要な投資だと言えなくはないでしょうが、賢治本人の欲求によるものも大きかったのは間違いないのではないかと思います。で、それに必要な費用を一介の農民である賢治が賄えた筈もなく、結局は父親に頼る羽目になっています。何でも、二百円(小学校教員の初任給は四十円)の無心をした手紙が残っているとか。…ニート脱出した後も、夢を追って親の脛を齧っていた甘ちゃんだった事には変わりないわけですね。おまけに、農繁期に旧友に会うため伊豆大島に旅行している始末。まあ、青年のための園芸学校設立に関する相談が目的だったとはいえ、旧来の農民たちからすれば「農業を舐めてる」と思われてもいたし方ありません。結局は、坊ちゃんゆえの甘さが失敗の根底にあったというわけでしょう。
それでも、農民たちの生活向上を願う志は本物であったようで、その後も粗食に甘んじながら東北砕石工場の技師となったり石灰肥料の販売のため各地を駆けずり回ったりと我が身を省みずに激務を続け体を壊すに至っています。死の床についた際も、死の前日に無理を押して農民の相談に応じた事で容態を悪化させたとか。孤軍奮闘という言葉がふさわしい生涯でしたが、現実世界における事跡を追ってみれば、理想を抱きその実現のため奔走するも甘さゆえにことごとく失敗し自らも親の脛齧りから脱出できず終わったという評価にならざるを得ないように思います。
恵まれた家庭に育ち、純粋な精神を持っていたが故に自らの環境に後ろめたさを感じ「ほんたうのしあわせ」をどこまでも追求して理想郷建設のために奮闘した賢治。その甘さもあって活動は失敗に終わり自らも寿命を縮める事となりましたが、彼が心の中に築いた理想郷「イーハトーブ」(彼によれば「実在したドリームランドとしての日本岩手県」なんだとか)や、生み出された詩・童話は現在でも数多くの人々を魅了しています。
【参考文献】
イーハトーブと満洲国 宮下隆二 PHP研究所
宮沢賢治必携 佐藤泰正編 學燈社
宮沢賢治修羅に生きる 青江舜二郎 講談社現代新書
童貞としての宮沢賢治 押野武志 ちくま新書
大辞林第二版 三省堂
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歴史研究会・とらっしゅばすけっと関連発表:
「日本民衆文化史」(http://kyoto.cool.ne.jp/rekiken/data/2002/021206.html)
「西洋軍事史」(当ブログ内に移転しました)(http://trushnote.exblog.jp/14455214/)
賢治と同じく国柱会会員であった石原莞爾の著作が参考文献になっています。
「引きこもりニート列伝その14 宮崎滔天・北一輝」
(http://www.geocities.jp/trushbasket/data/nf/neet14.html)
北も日蓮宗の影響を強く受けた同時代人です。
「引きこもりニート列伝その24 石川啄木」
(http://www.geocities.jp/trushbasket/data/nf/neet24.html)
宮沢賢治については
よろしければ、社会評論社『ダメ人間の日本史』
(「宮沢賢治 農民のために尽くす宗教作家は世間知らずな甘ちゃんで元ニート、リアル女はお断り」収録)
もご参照ください。
(著作紹介2010年6月27日加筆)
関連サイト:
「宮沢賢治の宇宙」(http://www.kenji-world.net/)
「宮沢賢治学会イーハトーブセンター」(http://www.kenji.gr.jp/)
「『イーハトーヴォ物語』攻略」(http://sfcihatov.michikusa.jp/)
宮沢賢治の作品世界を題材にしたスーパーファミコンソフトの攻略サイトです。ゲーム性は高くなく難易度も低めですが、ゲーム音楽には定評があります。
「国柱会公式サイト」(http://www.kokuchukai.or.jp/)
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