コミュニストはSEXがお好き?
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まず日本の社会主義者について述べる前に、彼等が奉じていたマルクス自身の発言にちょっとだけ触れておきます。マルクスらは資本主義に人々を縛る制度として家族制度の解体を唱え、反対派からは「共産主義者のいわゆる公認の婦人共有」(「共産党宣言」岩波文庫P64)つまりは男女間の乱交を企図しているのではないかと非難されていたようです。これに対しマルクスはあえて否定せず、ブルジョアこそが「かれらのプロレタリアの妻や娘を自由にするだけでは満足」せず「自分たちの妻をたがいに誘惑して、それを何よりの喜びとしている」偽善者であって共産主義者は「公認の、公然たる婦人の共有」(いずれも同P65)を行うのであるから恥じるべき何物もないと主張しています。
さて、日本の社会主義者の中でこうした考えを実行に移したと言えなくもなさそうなのが大正期を代表する無政府主義者・大杉栄です。よく知られている話ですが、彼は堀保子と婚姻関係にありながら神近市子と関係を持ち、更に辻潤の妻であった伊藤野枝とも恋愛関係になっています。何ともお盛んな話ですが、主張するところによれば国家の制度である「結婚」から解放された「自由恋愛」を唱え、四人の間で「お互ひに経済上独立する事、同棲しない事、別居の生活を送ること、お互ひの自由(性的のすらも)を尊重する事」(「大杉栄集」P162)という各個人を認め合った開明的な方針を取ったのだとか。しかし、実際のところ三角関係ならぬ四画関係の修羅場になりそうで苦し紛れに打ち出した策ではなかったかと思われます。というのも、この「自由恋愛」、結局は破綻して大正五年(1916)に大杉は日蔭茶屋で神近によって刺される事態にまで至っているのです。何でも、神近は大杉との関係を壊すまいと例の約束を真面目に遵守しようとしていたそうなのですが、伊藤が情熱のままにこの方針が眼中にないかのように振る舞い大杉もそれにほだされがちであったんだとか。理屈ではなく感情・情念が前面に立つ恋愛においては、ましてや一人の男を三人の女が争う状況においては、そもそもこうした「理性的」な基本方針を決めて守ろうとする事に無理があったのでしょう。大杉はこの事件において世間や仲間からの非難にさらされますが、これも「自由恋愛」の是非云々よりも、うらやまけしからん振る舞いに対する喪男のやっかみによるものが大きかったであろう事は想像に難くありません。ともあれ、これを契機に大杉は多角関係を改めて伊藤野枝との関係を深め、関東大震災直後に殺害されるまで同棲生活に入る事となります。
ところで、この伊藤野枝という女性は恋愛だけでなく社会主義運動においてもかなり熱心な活動を行い大杉の良き同志でありましたが、知り合った当初は必ずしも関係は円滑ではなかったようです。大杉による彼女宛ての書簡における回想によれば、「君は、本当に、僕が大好きであった」にもかかわらず「其の大好きな事」と「数千年若しくは数万年の強制と必要と習慣とから本能のやうな感情になった貞操観」とが彼女の心の中で闘ったため、「君は、僕の事を、大嫌ひだとまで云ふやうになつた。いろいろと難くせをつけては、盛んに僕を罵倒した。」(共に「大杉栄集」P163)という状況であったのだとか。…なかなか良いツンデレだったのですね。で、大杉への情が募って思い詰め凶行に出た神近はさしずめヤンデレといったところでしょうか。期せずして彼はツンデレとヤンデレ双方の醍醐味を堪能した訳ですが、こうしてみると社会主義的な「自由恋愛」も命懸けですね。まあ、社会主義云々に関係なく古今東西問わず恋愛における優柔不断は血を見る結末になりかねないという事です。
しかし、いくら社会主義になったからと言って誰でも「自由恋愛」とやらの恩恵を蒙れる訳ではありません。「自由恋愛」においては気に入らない相手を拒む自由も当然認められるわけですから、どうしてもあぶれる喪男喪女が出てきます。なら、誰もが相手を得られるような強制をすればよいかといえばそうもいきません。そうするとどうしても受け付けられない相手とも関係を強いられる事がありうるわけで、それは地獄以外の何物でもないでしょう。となると、喪男喪女たちは悶々としながら「右手が恋人」状態に甘んじざるを得ません。おまけに「自慰行為は体に悪く精神にも悪影響」などと非難する声も昔から絶えず、喪男喪女にとっては生きにくい話ですね。
そんな彼等と関わりのありそうな社会主義者として、山本宣治が挙げられます。山本は昭和初期における数少ない無産政党議員として活動し、治安維持法が最高刑を死刑とするなど改定される際には反対の論陣を張り、反対派によって暗殺されました。その少し前に行った演説の一節「山宣独り孤塁を守る。だが僕は淋しくない。背後には大衆が支持してゐるから」という言葉は彼の墓碑銘となっています。さて山本は生物学者でもあり、その知見に基づいて労働者階級の生活改善に尽力しました。例えば多産が労働者たちの貧困を助長していると考えサンガー女史らと連携し産児制限や避妊法普及に力を注いだり、正しい性知識を身に付けさせるため性教育にも力を注いでいます。例えば大正十年(1921)、「人生生物学入門、性教育私見」において近代日本社会の性的隠蔽主義・体験至上主義や禁欲主義を非難しその克服を訴えたのです。夢精を病的とし、自慰を心身に有害とする風潮もそうした弊害の一つと山本はみなしました。彼は自慰行為が有害である明らかな証拠はない事を客観的データで示し、自慰は青年期に普通に見られるものでありそれを害悪と恐れる事の方が弊害が大きいと唱えています。後ろ暗い思いに駆られながらもオナニーで性欲処理をせざるを得なかった喪男には、彼の言葉によって精神的に救われた者も少なくなかった事でしょう。当時、西洋でもオナニーは精神疾患や不妊の原因となるとみなされており、発生学者ウィリアム・H・マスターズと心理学者ヴァージニア・E・ジョンソンによりオナニーと精神疾患を関連付ける疫学的証拠はないと唱えて注目されたのが1966年だといいますから山本の先見性には驚嘆すべきものがありますね。因みに、「自慰」という言葉も山本らが普及させたもので、従来は「手淫」と呼ばれ心身の健康を損なうものという負のイメージを伴うものだったため呼称を改める事で悪い印象を払拭しようという意図があったとか。
以上のように、山本宣治は社会的弱者であった労働者だけでなく「恋愛における弱者」というべき喪男喪女への救済にも貢献したといえます。まあ、山本とて喪男喪女があぶれるという現実をどうにかできたわけではありませんが、それでも彼等が負わざるを得なかった精神的な重荷を幾許か除いてやる事はできた。こうしてみると、弱者への社会的救済と精神的救済に励んだ彼の事跡はある意味で宗教家のようでもありますね。大杉にも快男児としての魅力があったようですが、個人的には「オナニーは恥ずかしくない」と喝破する喪男の味方(?)であった山本により強い敬意を寄せずにはいられないように思います。
二十世紀後半に世界を二分する陣営の一方により奉じられ、その敗北と共に大きな社会的問題を残して退潮したマルクス主義。しかし、科学的な知識を活用し社会的弱者を救済しようというその活動には今日にも学ぶべきものが存在しているようです。…とりあえず、山本宣治はオナニーで性欲処理せざるを得ない喪男を「自然な生理的行為」として後ろめたさから解放してくれた偉い人、と言う事で。
【参考文献】
共産党宣言 マルクス・エンゲルス著 大内兵衛・向坂逸郎訳 岩波文庫
近代日本思想大系20大杉栄集 筑摩書房
山本宣治(上)(下) 佐々木敏二 不二出版
山本宣治の性教育論 山本直英 明石書店
山本宣治全集第一巻~第三巻 汐文社
ペニスの文化史 マルク・ボナール、ミシェル・シューマン 藤田真利子訳 作品社
関連記事(2009年5月20日新設)
「ひとりでできるもん」~自慰を歴史的に少し振り返る~
「引きこもりニート列伝その10 マルクス」補足~「ありがとうメイドさん 明日も革命がんばるよ」~
結婚に関する歴史の一真理 ~モテない男は悟りを開く~ 歴史上に見る「結婚しなくても平気になった人々」
歴史研究会・とらっしゅばすけっと関連発表:
「日本近現代医学史」(http://kyoto.cool.ne.jp/rekiken/data/2000/000609.html)
労働者階級の保健衛生に意を用いた山本宣治の遺志を引き継ぐ形で、彼の死後に同志により低所得労働者への医療提供を目的とした無産者診療所が設立されています。
「引きこもりニート列伝その10 マルクス」
(http://www.geocities.jp/trushbasket/data/nf/neet10.html)
大杉栄については
よろしければ、社会評論社『ダメ人間の日本史』
(「大杉栄 ツンデレ、ヤンデレ、どっちもいいなあ ~でも刃傷沙汰には御用心 優柔不断なヤリチンは命がけ~」収録)
もご参照ください。
(著作紹介2010年6月27日加筆)
関連サイト:
「コミュニストはSEXがお上手?」(http://www.commusex.jp/)
冷戦期での東西ドイツにおける性生活の違いを取り上げたドキュメンタリーだとか。
「宇治山宣会」(http://ha2.seikyou.ne.jp/home/yamashiro/yamasen/)
「カジ速 Full Auto」(http://www.kajisoku.org/)より
「やるおが『資本論』を読み始めたようです」
(http://www.kajisoku.org/archives-0/eid1907.html)
「やるおが『資本論』を読み始めたようです 2」
(http://www.kajisoku.org/archives-0/eid1918.html)
「ツンデレヒロイン大辞典」(http://tsun-dere.com/)
派生語としてヤンデレの説明もあります。
「School Days」アニメ公式サイト(http://www.schooldays-anime.com/)
大杉、一つ間違うと最終回の主人公みたいになるとこでした。
「ちゆ12歳」(http://tiyu.to/)より
「30年前のエロ本」(http://tiyu.to/permalink.cgi?file=news/01_07_03b)
「右手が恋人」な話。
「R25.jp」(http://r25.jp/)より
「週5回以上の『自慰行為』で前立腺がんを予防できる!?」
(http://r25.jp/magazine/ranking_review/10008000/1112004081917.html)
「ニュース速報++」(http://news2plus.blog123.fc2.com/)より
「【超速報】日本人が世界マスターベーションマラソンに出場、8時間40分超で優勝!使用玩具はTENGA」(http://news2plus.blog123.fc2.com/blog-entry-206.html)
日本の誇り…なんでしょうか?