極意・マンガの描き方 from 平安朝 ~見るべき要素を誇張せよ 具体的にはエロマンガではチンコをでかく~
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時々、昔のマンガ呼ばわりされたりする12、13世紀頃の風刺画『鳥獣戯画(鳥獣人物戯画)』。
この絵の作者として伝承されてきた人物は、風刺画の達人であった鳥羽僧正の俗称で知られる覚猷(1053~1140)という人物です。
この鳥羽僧正が『鳥獣戯画』の作者である確証はなく、実際の所は、どうやら彼は作者ではないようなのですが、
ともかく彼が、思わず『鳥獣戯画』の作者と見なしたくなるような、滑稽絵画の達人であったことは歴史的に有名で、江戸時代には滑稽な風刺画を彼にちなんで「鳥羽絵」とよんでいたりしたんだそうです。
ところでこの天才漫画家・鳥羽僧正、1254年成立の説話集『古今著聞集』の伝えるところによれば、その弟子と絵の描き方について議論したことがあります。
というか、弟子いびりに走った僧正に、弟子が食ってかかって僧正を粉砕。
そしてその議論(というか弟子の発言)は、浮世絵だのマンガその他のオタ文化だのといったその後の日本表現文化にも通じる精神を非常に良く表しており、千年の時を越えて取り上げる価値のある、なかなか面白い代物になっております。
というわけで、今回はその議論を紹介してみましょう。
(原文の引用は『国史大系』経済雑誌社より)
同僧正の許に繪かく侍法師ありけり。餘りに好ならひければ。後ざまには僧正の筆をも恥ざりけり。此事を僧正ねたましくや思はれけん。いかにもして失を見出さんと思ひ給所に。或時件の僧人のいさかひして腰刀にてつきあひたるを書て自愛してゐたりけるを。僧正見給に。其つきたる刀せなかへこぶしながら出たりけり。よき失と思ひての給ひけるは。わ僧が繪かきながくとゞむべし。いかなる者か人を付くに拳ながらせなかへ出る事あるべき。つか口までつきたるなどをこそいかめしき事にはいふを。これは有べくもなき事也。かく程の心ばせにては繪かくべからずといはければ。此僧かいかしこまりて。其事に候。これは繪の故實に候也といふを。僧正いはせもはてず。わ法師が繪の故實かたはらいたしといはれけるに。少しも事とせず。
<訳>
鳥羽僧正の許に絵を描く侍法師がいた。その道に非常に熱心に習熟した結果、いつしか僧正の筆にも引けを取らなくなった。このことを僧正はいまいましく思ったのであろう。どうにかして欠点を見つけてやろうとお思いになっていた所、ある時その弟子の僧が、闘いで腰刀で突き合っている絵を描いて大事に持っていた。それが僧正が御覧になったところ、その突いた刀は背中に拳まで抜け出ていたのであった。僧正が良い具合の欠点を見つけてやったと思って仰るには、「お前のような奴は絵描きを永遠に止めてしまった方が良い。人を突いて拳まで背中に突き抜けてしまうような者がいるわけないだろう。柄のところまで突き込んだなどと激しい表現に言ったりはするものの、さすがにこれは無いぞ。こんな心がけで絵を描いてはならん。」とのことであった。弟子の僧がたいへん畏まりつつも、「そのことでございますが、これは絵の道の先例にもかなっておるのでございます」と言い出したのを、僧正、最後までは言わせず、「お前ごときが絵の先例を語るとは笑止千万」と仰ったところ、弟子の僧は少しも堪えた様子はなかったのである。
僧正、超横暴。
ところがここで、弟子の反撃が始まる。
なぜだか「おそくつの繪」=「偃側図(おそくず)の絵」すなわちエロ絵を例にとって。
さも候はず。ふるき上手どものかきて候おそ・くつの繪なども御覽も候へ。その物の寸法は分に過て大に書て候事いかでか實にはさは候べき。ありのまゝの寸法にかきて候はゞ見所なきものに候ゆへに。繪そら事とは申事にて候。君のあそばされて候物の中にも。かゝる事はおほくこそ候はめとへりもをかずいひければ。僧正ことはりにおれていふ事なかりけり。
<訳>
「そんなことはございません。古の達人たちが描いたと言われるエロ絵などをご覧になってくだされ。そのイチモツの寸法が度外れてデカく描かれておる姿は、どう見てもリアルではあり得ません。ありのままの寸法で描いてしまえば、見所の無いものになってしまいますわけで、絵空事と言うではありませんか。僧正様のお描きになった物の中にも、このような手法が多くございますよ」と遠慮なく言い返したところ、僧正は道理の前に折れて、それ以上は難癖をつけなかった。
写実を主張する師匠に、誇張を掲げて弟子、勝利。
ここで注目すべきは、
でかいチンコとかの誇張表現が、原始的な写実意識の欠如のもたらす素朴幼稚な印象と写実の未分化によって生じているわけはなく、
写実を意識しながら敢えて写実性を捨てる形で、誇張表現が意図的に採用されており、
そして、それが芸術の本道として掲げられているという点ですね。
現代日本の大衆向け表現文化では、漫画は記号だとか、「特撮は、頭の中の「イメージ」を見せることをめざしている。科学的か、とか現実にありそうな、とかではない。どちらかといえば「かっこいい!」とか、「美しい!」とかのセンスを優先するのだ(岡田斗司夫『オタク学入門』新潮OH!文庫 135頁)とか、反写実主義があちこちの分野について語られたりしていますが、
すでにそのようなマンガ的精神は、千年ほど前に、民族文化の自然的傾向という潜在的な次元を脱して、明確に自覚され、意図的な手法として確立・顕在化されていたわけです。
時に、原始的表現と現代のオタ的表現の表層的な類似を捉えて、日本人は建国以来オタクだったみたいなことがネタとして語られたりすることがあるわけですが、
この鳥羽僧正師弟の説話を読み、そこに現れた精神を汲み取るならば、千年ほど前であれば既に日本人はオタクだったと、真面目に、断言して良いのではないかと思われます。
参考資料
『国史大系 第15巻 古事談 古今著聞集 十訓抄 栄華物語』経済雑誌社
リチャード・レイン編著『定本浮世絵春画名品集成17 秘画絵巻【小柴垣草子】』河出書房新社
『スーパー・ニッポニカ Professional』小学館
岡田斗司夫著『オタク学入門』新潮OH!文庫
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日本民衆文化史
http://kyoto.cool.ne.jp/rekiken/data/2002/021206.html