結婚に関する歴史の一真理 ~モテない男は悟りを開く~ 歴史上に見る「結婚しなくても平気になった人々」
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そういったダメ人間の道を選んで趣味に走った人間を、結婚や出世といったレールに乗せるには、
彼らの趣味の世界を尊重し、尚且一般社会を彼らにとっても魅力的なものにすべき
との内容の記事が投稿されました。
今回は、それに便乗した記事を書きます。
で、上記記事の論ですが、
趣味の道と社会的なレールが矛盾しない状態を作るとともに、社会の与えるストレスを私的な世界に逃げ出さずにすむ程度に軽減してやれってことなんでしょうが、
出世はともかく、結婚に関してはあまり効果はないのではないかと思います。
仕事の最中に趣味するわけにはいかない以上、仕事と趣味が排他矛盾の関係にあるのに対して、
結婚生活の中の一コマとして趣味することは可能であり、趣味と結婚が、排他矛盾の関係にあるわけではないですからね。
理屈の上では。
そして、一般社会云々との絡みでいえば、別に、一般社会のストレスが結婚にマイナスに働いてるとは思えません。
場合によっては、ストレスから結婚生活に癒しを求める人までいても不思議ではありませんし。
結局、少なからぬ男たちが結婚しないのは、根本的に、結婚とかその前段階である恋愛とか、結婚・恋愛の対象である女に魅力が感じられないからだと思います。
ではなぜ少なからぬ男たちにとって、結婚や恋愛や女が魅力的でないのか、抽象的に、大多数の男にとっての恋愛とはどんなものか考えてみることにしましょう。
そもそも出生段階で男の方が女より多く生まれます。
その上、生殖・性欲構造の観点から言って、男のほうが性的な現役期間が長く、大勢、恋愛市場に留まることになります。
さらに、生物として、男女双方がより良い子孫を残そうとするとともに男が一人でも多くの子孫を残そうとする結果、良い男に女の人気は集中しますし、当然そういった男も遠慮することなく複数の良い女と上の方からよろしくやります。
結果、一般的抽象的に言って(個別具体的に異なる関係が成立可能で現に成立していることは総体的な議論であるから無視します)、
並以下の大多数の残りものの男にとっては、恋愛・結婚とは、少数の超残りものの「並以下」以下の女を、圧倒的多数の男で奪い合うゲームだということになります。
そして人数比から言って、当然、男にとってかなり不利で、女への好意の提供競争を強いられる関係とならざるを得ません。
その上、一般的に男の方が性欲が強いという事情があります。このことからも、男女の恋愛関係というゲームにおける条件は、社会的な死を覚悟して暴力に訴えたりでもしない限り、男が不利になっています。
これらを総合すれば、並以下の男にとって、恋愛というものは、「並以下」以下の女を相手に非対等な奉仕関係を強いられるということになります。
つまり、冷静になってみれば、大多数の男にとっては、恋愛や結婚というのは、根本的に、それほど好ましいゲームにはなっていないわけです。
逃げ出したくなる人間が続出しても仕方ないですよね。
それでも、男性全般が社会的に優遇され、男の顔を立てていた時代なら、まだ強者の責務、優遇の対価として女性への奉仕を強いて、逃亡を押さえ込むことも出来たでしょうが、平等が強調される世の中ではとてもそんな奉仕を強いることはできますまい。
その上、現代に特有の事情が、多くの男にとって、女を魅力的でなくしているということも考えられます。
なにも二次元の方が良いとか、三次元キモいとか言うのではありません。
現代の社会環境が、女の魅力を削いでいると言いたいのです。
女が不快と思えばどんなコミュニケーションもセクハラとされ、痴漢冤罪を警戒しなければいけない世の中では、多くの男にとって女は危険物でしかありません。
勝手に女が寄ってくるような恵まれた男ならともかく、
必死に奉仕しなければ女に相手してもらえない並以下の男、すなわち男としての存在自体が女にとって快ではなく、ちょっと行動でミスすれば不快評価を受けかねない男にとっては、
女に接近することは、セクハラの罪名で社会的に抹殺され一生を台無しにするという危険を、高度に含有する行為となるわけです。
それどころか痴漢冤罪の危険を考えれば、人間関係的な接近のみならず、物理的に接近することさえ危ない。
並以下の自分に割り当てられる、「並以下」以下の異性を相手に、社会的な死の危険を冒しつつ接近し、危険を乗り越えた褒美に非対等に奉仕することが許されるなんて関係、コストパフォーマンスが悪過ぎて誰もそんなの嬉しくなんてないわけで、そりゃあ、恋愛とか結婚がめんどくさい人間も増えますよ。
だいたい、並以下の男だと、母親以外の女に優しくされたことが無く、それどころか女に不当な扱いを受け、より一層女との恋愛・結婚について魅力を感じにくくなっているって人間も少なくないでしょうしね。
しかも、人間は自分の置かれた環境に慣れてしまう生き物です。結構、女無しの環境にも人間慣れるものみたいですよ。
で、抽象的な考察はここまでにして、恋愛市場における弱者が、戦利のわりに情勢ばかり厳しい不利な戦場での闘いを拒んでトンズラし、女無しの生活に慣れきって、恋愛・結婚への意欲を凍り付かせてしまった歴史的な例を、いくつか見ておきましょう。
まずはイケメン、イケメン、セックス、セックスと暇持て余して大はしゃぎして熾烈な恋愛競争を繰り広げていた、平安貴族の恋愛敗者。
十世紀末頃に書かれた物語の『落窪物語』に、面白の駒という男性貴族のキャラクターが出てきます。ひょろ長い首と真っ白い馬面でいつもみんなの笑い者、鼻が光るとかお便利機能があるでもないからサンタのおじさんが助けてくれるわけでもないといった、笑われる以外に世間に意義を認めてもらえない容姿に恵まれない人なわけですが、
人に笑われるといって、出かけることができない(人笑うとて、え出で立ちもしはべらず)引きこもりです。
「女房がほほほとかいって馬鹿にして笑うから、恥ずかしい(人の、ほほと笑へば、恥づかしうて)」などと言って親戚の邸宅を尋ねることさえできない状態です。
そして親戚の男に「君は何で妻を今まで持たずに居るんだ、独り寝はとても苦しいものだろう(君は、妻などて今まで持たまへらぬぞ、やまめ臥しては、いと苦しきものを)」と問われると彼は「仲立ちしてくれるような人もないので、独り寝を続けていたのですが、今更、別に苦しくもないですよ(あはする人のなきうちに、独り臥してはべるも、さらに苦しくもはべらず)」と返答します。
(原文引用は『新編日本古典文学全集17』小学館からで文中記号を省略)
暇持て余して恋愛恋愛はしゃぐくらいしかすることのない平安貴族でありながら、女の嘲笑受けるしかない容姿であった彼は、女に絶望し、恋愛関係に魅力が感じ取れず、恋愛市場から退出して、その環境にすっかり馴染んでしまったというわけです。
もちろん彼は物語上の架空の人物ですが、リアル世界に元ネタとなったと思しきよく似た男、藤原道義なる人物もいるそうですし、
当時、僻者といわれる奇人の一群がいて後の隠者の系譜へと繋がっていったそうです。
ですから、こういった恋愛からトンズラした人物も、当時それなりにありふれていた現実的なキャラクターであったと見て良いのだろうと思います。
それにしても隠者のメジャーどころと言えば徒然草の作者、吉田兼好(兼好法師)なわけですが、兼好は、女の色仕掛けの策略で笑い物にされそうになった(具体的にいえば嘘の告白を真に受けたところを馬鹿にしようって計略をしかけられた)経験を持つ、強硬なアンチ女論者で、激烈な結婚否定者でした。
ひょっとして、僻者→隠者の系譜ってのは、非モテをこじらせた人々の系譜ってことなんでしょうかねえ。
まあ兼好はさておき、
あれだけ恋愛、恋愛騒いでる環境の平安貴族ライフにおいても、誰もが恋愛に参加したわけではなく、馴れてしまえば恋も結婚も無くて平気になるってのは、目をとめておくべき事実ではないかと思います。
ついで、もう一つ、今度は富と女が一部の強者に集中する中で、持たざるモテざる者が、恋愛市場から脱退していく、最も苛烈な例として中国明代の男達を。
この時代の男達の有様と言えば、
…北京で水を売って歩く男が、いつまでも妻がないので、友達が金を出しあって妻をめとらせたところ、頭巾をぬいだら花嫁は白髪のおばあさんであったという話がある。これは、まだ運のいい方で、支度金がなければ永遠に独身でいなければならない連中が無数にいたのである。この種の男にとって、男性のシンボルにどれほどの価値があろうか。それは、影にもひとしい存在でしかない。これを悪魔に売ってみよ、一度運がひらければ実質的に大帝国を支配し…
このように見ると、自宮こそは人間を悪魔に売る道を開いたものということができる。
この悪魔的制度が最高潮に達したのが明代であった。…
(三田村泰助著『宦官 側近政治の構造』中公新書 41~42頁)
…ほんとに運のいい方なんでしょうか?
運の良し悪しはさておき、
自宮ってのは刑罰とかによらずに進んでチンコ&タマ切り落とすことです。宮殿に仕える宦官になることが目的で行われます。
つまり、容易に準備できないほどの大金を絞られ、せいぜい老婆をあてがわれるだけなんて、俺たち結婚に絶望した、モテない金無いみじめな俺らは役立たずのチンコなんか切り捨てて、宦官になって、宮殿仕えして権力のおこぼれにありつこうぜとか考えた男が、明代にはゾロゾロ現れたというわけです。
あまりに自宮者が多すぎて時の政府は、悲鳴を上げたとか。
というわけで、恋愛・結婚・女の魅力の無さ故に、男が恋愛・結婚から逃げていくってのは、歴史上にも結構ありふれていることなわけです。
しかも、結構簡単に、人間恋愛無しで平気になってしまい、恋愛不可能に人体改造するなんて決断さえできる境地に達してしまうようです。
なにも趣味が楽しいから恋愛・結婚しなくなるわけではない。
そんなわけで、並以下の男にとっての恋愛・結婚がコストパフォーマンス的に改善しない限り、趣味世界を尊重しようが、社会が多少住みやすくなろうが、彼らは恋愛市場に戻って結婚したりはしないと思います。
それどころか、コストパフォーマンスが改善してさえ戻ってこないかもしれません。現状に慣れてしまって戻ってくる必要を感じないって人も相当数いるでしょうから。
参考資料
『新編日本古典文学全集 17 落窪物語 堤中納言物語』小学館
三田村泰助著『宦官 側近政治の構造』中公新書
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