待時鳥 常磐井入道前太政大臣
蜀魄 今やとおもふ 山の端に
月をまつこと なれをこそまて
〈超意訳〉
ホトトギスよ、今か今かと思って 山の端に月が出るのを待つかのように、お前が鳴く声こそを待っていたのだ。
天より舞い降りた 悪逆非道の王が
生まれ変わったとされる 蜀の伝説の鳥
(漫画 王欣太、原作・原案 李學仁『蒼天航路』講談社 その三百六十一「杜鵑の花」)
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2024年 02月 15日
暦は既に春となり、ようよう梅や鶯も顔を出してきたかどうかというこの頃。そんな時期ですが、今回は鶯どころか夏の季語であるホトトギスを題材にしてみます。我ながら気が早いどころじゃないですけども。 と言いますのは、『玉葉和歌集』を見ていると巻第三 夏歌でホトトギスを題材にした歌があり、手元の写本での表記が少し興味深かったので取り上げてみようかと思った次第。 待時鳥 常磐井入道前太政大臣 「時鳥」がホトトギスと読むのはご存知の方も多いかと思いますが、それだけでなく「蜀魄」の方もこれでホトトギスと読みます。 何故にこんな表記がなされるのか。どうやら、中国は蜀、すなわち四川にある伝説に由来するそうです。何でも、この地を統治した望帝なる君主が訳あって譲位したもののやがて復位を望むようになり、しかしながらその夢が叶わずホトトギスに化身して悲しい鳴き声を挙げるのだそうで。説によると治水に功を上げた宰相に位を譲って隠遁しホトトギスの鳴く季節に没したため、蜀の人々はホトトギスの声で望帝を偲ぶようになった、ともあります。 「蜀魄」と書いてホトトギスと読むのはそういう逸話が基になっているのですな。「蜀魂」「蜀鳥」という表記もあり、またこの「望帝」という名自体もホトトギスの異名になっているそうですよ。 そういえば『蒼天航路』でもホトトギスが 天より舞い降りた 悪逆非道の王が と言及されていましたね。ご記憶の方もあるかと思います。この台詞は望帝を念頭に置いたものでしょうか。悪逆非道というのは、文献によっては臣下の妻を寝取ったという話もあるからなのでしょうか。 さて、この歌を詠んだ「常磐井前太政大臣」についても言及しておきましょう。これは西園寺実氏(1194-1269)の事らしいです。承久の乱の後に鎌倉の支持を受けて太政大臣になった西園寺公経の子で、彼もまた皇室の外戚となると共に北条時頼の支持を背景に関東申次として権勢をふるっています。詩歌にも優れ、多くの勅撰和歌集に採録された人物でもあったそうです。 【参考文献】 『玉葉和歌集 上之一』吉田四郎右衛門尉刊行 『普及版 字通』平凡社 常璩著、中林史朗訳『完訳 華陽国志』志学社 漫画 王欣太、原作・原案 李學仁『蒼天航路』講談社 葉嘉瑩『迦陵论诗丛稿』Beijing Book Co. Inc. 『日本大百科全書』小学館 関連記事: 「青葉がくれの郭公鳥」が夏の象徴だとか。 近代日本文学で「ホトトギス」といえば正岡子規。「子規」もホトトギスを意味します。 蜀絡みでこの記事も。
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by trushbasket
| 2024-02-15 21:40
| NF
2024年 02月 10日
『玉葉和歌集』巻第二 春歌下を見ていると、こんな和歌にぶつかりました。 源氏信があとに二もとの桜あり名高き花なるによりて人々さそひて見侍けるに程なくくれて月出にける後をのをの歌よみ侍ける時 平貞時 〈超意訳〉 伏見天皇の命により『玉葉和歌集』が色々あった末に京極為兼の手でまとめられたのが正和元年(1312)、この時期の人たちが知っている平姓の「貞時」さんといえば…。後世の我々がすぐ思いつくのは得宗北条貞時(1271-1301)。 鎌倉北条氏の人々にも、勅撰和歌集に四十首入集した政村のように和歌に親しんだ人々も多い事は知る人ぞ知る。貞時も和歌に熱心で、二条派を学びつつも京極派の歌風も体現できる実力があったそうです。下記サイトを参照する限り『新千載和歌集』を初出として二十五首入ってるそうで。 関連サイト: だとすると、「源氏信」というのは誰なのやら。おそらくは、この人も鎌倉武士なんでしょうな。…調べて見た限り、時期的に該当しそうなのは佐々木氏信(1220-1295)かと。佐々木信綱の子で、京都京極高辻に屋敷を構えた事から「京極」と称しました。すなわち「京極氏の祖」です。検非違使や対馬守、近江守を歴任、北条氏からも重く用いられて幕府内でも引付衆、評定衆を務めています。宝治合戦や霜月騒動でも武勲を挙げたそうで、鎌倉政権の重鎮と呼んで差し支えなさそう。その屋敷跡に名物となる桜があっても、そしてそれを貞時らが見物に行っても違和感なさそうですな。 鎌倉政権後期における風流な一幕を、勅撰和歌集から見いだした一首でありました。 【参考文献】 『玉葉和歌集 上之一』吉田四郎右衛門尉刊行 『朝日日本歴史人物事典』朝日新聞出版 『日本人名大辞典』講談社 野口実編著『図説 鎌倉北条氏』戎光祥出版 関連記事: 鎌倉期に名高かった武家歌人の話も。 貞時は「最勝園寺殿」だそうで。
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by trushbasket
| 2024-02-10 16:07
| NF
2024年 01月 31日
今回は、また歌枕シリーズ。お題は「長等山」です。長等山は滋賀県大津市にあり、長良山、長柄山、志賀山とも呼ばれます。標高は354m、ちょうど園城寺の背後にあたる位置だそうです。東麓は桜の名所である事もあってか、古くから歌に詠まれてきました。有名なところでは『千載和歌集』に収められた平忠度の さざなみや 志賀の都は 荒れにしを という歌が挙げられるかと。「昔ながら」と「長等」がかけられている訳ですね。なお、余談ながらこの歌、有名な逸話があります。平忠度は平家一門の公達で、藤原俊成に和歌を学んだ人物でした。しかし源平合戦で平家が敗れ都落ちを余儀なくされた際、歌人としての名を残したいと自らの詠草を師俊成に託して落ちていったといいます。後に俊成が勅撰和歌集編者となった際、その意を汲んでこの歌を採用したそうです。ただし、平家が朝敵である事を憚り「詠人不知」という扱いだったそうですが。 話を戻しますと、他にも長等山を題材にした歌といえば『拾遺和歌集』にある大中臣頼宣の さざなみの 長柄の山の 長らへて なんてのもあります。 今手元で見ている『玉葉和歌集』でら巻第二 春歌下に 花歌とてよめる 権中納言師俊 なんてのがありました。やはり「さざなみ」「花」がキーワードなんですな。 「さざなみや」はこの「長等」をはじめ「近江」「志賀」「三井」など琵琶湖南西岸を思わせる地名にかかる枕詞です。なお、「寄る」とか「浜」にもかかるそうです。 歌枕シリーズも、だいぶ数が増えてきましたな。一度、雑記なりで整理しないと、とは思っているのですが。 【参考文献】 『玉葉和歌集 上之一』吉田四郎右衛門尉刊行 『ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典』ロゴヴィスタ 『朝日歴史人物事典』朝日新聞出版 『日本大百科全書』小学館 『精選版 日本国語大辞典』小学館 『学研全訳古語辞典』学研 関連記事: 近江八景についても触れています
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by trushbasket
| 2024-01-31 21:51
| NF
2024年 01月 23日
今回もいわば日本漢詩ネタ。永井晋先生の『鎌倉幕府はなぜ滅びたのか』(吉川弘文館)を読んでて、鎌倉炎上の件でこんな一節が出てきました。 鎌倉の漢詩文は、京都から伝わっている王朝漢詩と、禅宗とともに伝わってくる南宋の漢詩の二系統がある。幕府の文官であれば将軍附の京下りの文官から王朝漢詩を学ぶのが一般的だが、塩飽氏の場合は得宗被官兼任なので、得宗家が信仰する禅僧の漢詩文を学んだと推測できる。(永井晋著『鎌倉幕府はなぜ滅びたのか』吉川弘文館 204-205頁) という訳で、今回は「禅僧の漢詩文」について。ここで取り上げられているのは得宗家(北条氏嫡流)に文官として仕えた塩飽氏が、新田義貞による鎌倉攻めに際して北条氏に殉じて自害した時の話。当主の塩飽聖遠は曲彔(禅僧の椅子)に座って辞世として「頌」を詠んだ上で、我が子に首を刎ねさせたそうです。禅僧として死んだ。と見て良いのでしょうかね。この時に聖遠が詠んだ「頌」とは何か、について今回は見ていきたいと思います。 頌とは、経典の中で詩の形式をとり教えや仏を讃えた文句のこと。サンスクリット語のgathaを音訳した「偈陀」を略した「偈」という呼称も用いられます。漢語訳された時には、四字、もしくは五字などを一句として四句からなる形式にしたものが多いそうです。有名なところでは、「七仏通戒偈」の 諸悪莫作 〈超意訳〉 や「無常偈」の 諸行無常 〈超意訳〉 といったところが挙げられます。転じて、禅宗を中心とした仏家で作られる漢詩をも「偈」「頌」と呼ぶようになったそうです。 さて、冒頭で話題にした塩飽聖遠が詠んだ辞世の頌はと申しますと。『太平記』第十巻によれば 提持吹毛 〈超意訳〉 というものだそうで。なお岩波文庫に掲載された版では第一句・第二句は 五蘊有に非ず となっています。写本によって異同があるようですね。 語句解説をしておくと、 ・提持 ささげもつ ・吹毛 吹毛の剣。吹きかけた小さな毛をも切る鋭利な剣。 ・截断 「切断」と同じ。 ・聚 あつめる ・五蘊 心身を構成する色(物質的肉体)、受(感情、感覚)、想(表象、概念)、行(意志)、識(認識の主体)。 ・四大 万物を形成する地(物質を保つもの)、水(湿性を保つもの)、火(熱、成熟)、風(動作)。 絶句や律詩とは異なり平仄とか押韻の厳密な規則はなさそうですが、「空、風」が上平声一東で韻を踏んでるようです。 日本の漢詩文の歴史には、我々が教科書で知る絶句や律詩といった「詩」以外にも仏教由来の「偈」「頌」も無視できぬ存在だったことを確認し今回は話を終えようかと思います。 【参考文献】 永井晋著『鎌倉幕府はなぜ滅びたのか』吉川弘文館 『校註日本文学大系第17巻 太平記上巻』国民図書 『日本古典文学大系 太平記 一』岩波書店 兵藤裕己校注『太平記 二』岩波文庫 『大辞泉』小学館 『日本大百科全書』小学館 『精選版 日本国語大辞典』小学館 『普及版 字通』平凡社 『角川新字源改訂版』角川書店 新田大作『漢詩の作り方』明治書院 菅原武『漢詩詩語辞典』幻冬社ルネッサンス 関連記事: 四字四句の偈を残した事例の記事を探してみました。 塩飽聖遠の辞世もこうした流れにありそう。 後醍醐陣営にも、偈で辞世を残した人が。 戦国期に偈で辞世を残した武将の話。「四大本空」は、この人も言ってますな。 #
by trushbasket
| 2024-01-23 21:19
| NF
2024年 01月 16日
今年の大河ドラマ『光る君へ』の主人公、紫式部。その父・藤原為時は当代の学者である事は、劇中でも触れられていましたね。現時点では色々とパッとしない役回りですけども、今後はどうなっていくのやら。さて、今回はその為時の漢詩を一つご紹介しようかと。 雨為水上絲 以浮為韻 藤原為時
平仄及び押韻は下記の通り。○が平声、●が仄声、△はいずれも可、◎は韻脚になります。平仄を始めとする漢詩の規則については、こちらをご参照ください。下にあるサイトも参考にしました。 関連サイト: ⚫︎⚫︎⚪︎⚪︎⚪︎⚫︎◎ 韻脚は「頭、浮、留、鉤、秋」の下平声十一尤。以下は語句解説です。 ・濛濛 霧や霞が立ち込めるさま。 ・乱糸 もつれて乱れた糸。 ・経 織物の縦糸。 ・従 「より」 ・潭 淵。水を深くたたえたところ。 ・霑 濡れてうるおう。 ・曳 ひきよせる ・自 「より」 ・藕 蓮のこと。 ・鉤 釣り針。先端の折れ曲がった器具。 ・沈潜 水底に沈み隠れる。心を沈め没入する意味にも。 ・霜縷 細い白髪。「霜」は白髪の例えに用いられる事あり。「縷」は細い糸筋。 ・茎 細いものを束ねたものを数える単位。 己の老いを意識して嘆く「歎老」は古来から漢詩の伝統的テーマであったそうですが、為時のこの作品もそれに則ったものといえそうですね。 【参考文献】 小島憲之編『王朝漢詩選』岩波文庫 『精選版 日本国語大辞典』小学館 『日本大百科全書』小学館 『世界大百科事典』平凡社 『大辞泉』小学館 『大辞林』三省堂 『普及版 字通』平凡社 『角川新字源改訂版』角川書店 新田大作『漢詩の作り方』明治書院 菅原武『漢詩詩語辞典』幻冬社ルネッサンス 『書きこみノート漢文句形』学研教育出版 「日本漢字能力検定 漢字ペディア」(https://www.kanjipedia.jp) 揖斐高『江戸漢詩の情景 風雅と日常』岩波新書 関連記事: 紫式部絡みの記事。 平安王朝漢詩の一例。 趙翼の「絶句」も「歎老」の詩と見れるかも。 #
by trushbasket
| 2024-01-16 22:18
| NF
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