さて、前回の記事で直江兼続の漢詩『織女惜別』についてご紹介したかと思います。個人的には、この詩を契機に「鬱胸」という熟語を覚えました。承句の末尾に出てきます。意味合いとしては、前回も触れた通り「胸中にわだかまる悩みや不快感」。手元の詩語辞典にも出てくるし、特に気にせず漢詩でも何度か使った覚えがあります。ところが。
ふとこちらの中国語データベースで漢詩用例を調べてみたら、何と「鬱胸」の用例は一つもなし。
関連サイト:
「捜韻」(https://sou-yun.cn/index.aspx)
中国語サイトです。
不審に思って調べていたところ、橋本行洋「書記言語における新語の成立:「鬱胸」の場合」なる論文にぶつかりました。これによると、「鬱胸」と言う語は我が国の中世文献に既に用例があるものの、漢籍での典拠は明らかでないと鈴木丹士郎氏によって1982年の論文で指摘されているとのこと。あらら。
比較的知られた用例としては『太平記』巻九の「足利殿、欝胸彌深かりけれ共、憤を押へて気色にも出されず」(『精選版 日本国語大辞典』より)なんてのがあるとか。ところが手持の岩波文庫『太平記』当該部位を見ると「足利殿、鬱陶いよいよ深まりけれども、憤りを押さえて出だされず」(兵藤裕己校注『太平記 二』岩波文庫 38頁)と「鬱胸」でなく「鬱陶」となっています。意味合いも「不快な思い」(同書 同頁)だそうですから「鬱胸」とほぼ共通しているといってよさそう。橋本行洋氏の論文によると、『太平記』写本によってこの部分の表記は異なるようで、写本だと「胸」と「陶」が類似しているため紛れた可能性があるようで。『太平記』だけでなく『吾妻鏡』でも事情は類似しているそうです。
「鬱陶」は漢籍でも用例が見られる言葉だそうで、確かに上述した「捜韻」でもちゃんと検索結果が出てきました。日本にも王朝時代には伝わっていたようで、史書や書状での用例があるそうです。これが誤記か何かを契機に「鬱胸」に変わり広まったものでしょうか。
割と有名な日本漢詩で覚えた熟語に、まさかの和製漢語疑惑。まあ、だからといって『織女惜別』の価値が減ずる訳では勿論ありません。あと、兼続は押韻の関係から敢えて知りながら用いた可能性はありそう。「直江版」と呼ばれる『文選』を刊行するほど漢籍収集に熱心で知識もあった人らしいですし。
ただ、親しんだ漢詩に出てくる語句を深掘りすると思わぬ事が判明してびっくりではあります。なかなか興味深い。
漢詩作りをする際にはこうした可能性を頭の片隅に置く必要はありそうですね。その上でこうした「和製漢語」を避けるか、知りながら敢えて使うか。勿論、その辺はその人次第だとも思います。
【参考文献】
橋本行洋(二〇〇八)「書記言語における新語の成立:「鬱胸」の場合」(『國文学』92学燈社)
加藤徹『漢文の素養 誰が日本文化をつくったのか?』光文社新書
『精選版 日本国語大辞典』小学館
『大辞泉』小学館
菅原武『漢詩詩語辞典』幻冬社ルネッサンス
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