もうすぎましたけども、5月25日は、湊川の戦いがあったとされる日。旧暦と新暦の違いをホントは考慮する必要があるのですが、まあここではおきます。
という訳で、今回は楠木正成を題材にした明治の漢詩を取り上げます。お題は小野湖山『楠公』。『詠楠百絶』の中に収載された一編だそうです。
作られた時代が時代だけに、忠君愛国オーラが満ちた一品で現代人の中には拒絶反応を余儀なくされる人もあるかもしれません。ただまあ、意味がとりやすく、しかもよく見ると句の選択も意を致している。そしてなおかつ平仄がちょっと面白いので漢詩作りに興味を持った人にとってはその意味では参考になるかもしれない。そんな思いも持ちつつ取り上げました。では、見ていきましょう。
小野湖山 楠公
忠純不愧武侯倫
一拜龍顏卽致身
皇家危急今如此
可待草盧三顧人
(中村孝也編著『楠公遺芳』小学館 110-111頁)
忠純 愧ぢず 武侯の倫
一たび 龍顔を拝して 即ち身を致す
皇家の危急 今 此の如し
待つ可し 草盧 三顧の人
〈超意訳〉
楠木正成公の純粋なる忠義は、かの諸葛孔明にも負けはしない。
一たび後醍醐帝に拝謁したからには、直ちに帝に身を捧げたのだ。
今日も、皇室が危機にある事は見ての通り。
私も、正成公や諸葛武侯に倣ってお召しがあれば直ちに献身できるよう庵で待ち構えるとしよう。
平仄及び押韻は下記の通り。○が平声、●が仄声、△はいずれも可、◎は韻脚になります。平仄を始めとする漢詩の規則については、こちらをご参照ください。下にあるサイトも参考にしました。
関連サイト:
「平仄くん」(http://kanshi.work/pinyin/index.php)
○○●●●○◎
●●○○●●◎
○○●●○○●
●●●○○●◎
韻脚は「倫、身、人」で上平声十一真。
以下、語句解説です。
・忠純
私欲を挟まず忠義一途な事。諸葛亮『出師表』で使われた語であるのを意識していると思われます。
・愧
自らの罪を他に対して恥じる事。元来は仏教用語。
・武侯
蜀漢の宰相・諸葛亮(181-234)の諡。瑯琊(山東省)の人で、襄陽で隠遁していた際に劉備からの招きに応じて出仕。戦略家として活躍し、劉備軍閥を曹操の魏や孫権の呉に対抗しうる勢力(蜀漢)とした。劉備死後も蜀漢の宰相として国家経営に尽力し、強大な魏を討つべく出兵を繰り返したが最終的に陣没。魏との戦いに臨んでの奏上文『出師表』は名文として知られる。
・倫
同類、仲間。
・拝龍顔
「龍顔」とは天子の顔。「拝顔」とは「人にお目にかかる」意の謙譲語。ここでは後醍醐天皇に拝謁する事を表す。
・致身
主君に身を捧げ奉公する事。『論語』学而に「事君能致其身」とある。
・危急
危険な事態が目の前に迫っている事。『出師表』に「危急存亡秋」とあるのを意識していると思われる。
・草盧
草葺のいおり。草庵。『出師表』で諸葛亮が襄陽での自らの隠遁先をこう称していた事が念頭にあると思われる。
・三顧
ある人に目上の人が礼を尽くして仕事を頼む事。劉備が諸葛亮を招く際に自ら三度訪れ礼を尽くした事に由来する。
楠木正成の忠義を諸葛亮に準えているためか、諸葛亮を連想させる語句が散りばめられているのが分かりますね。
作者である小野湖山(1814-1910)について。近江出身で、梁川星巌や藤森弘庵らに学んだ後に儒官として三河吉田藩に仕官し、安政の大獄で幽閉された事も。明治新政府の下で短期間官吏となりますが、やがて在野詩人の道を選びました。玉池仙史とも号し、詩集『湖山楼詩鈔』などを残しています。宋詩の影響が強い詩人とされています。
さて、この詩の平仄について。見てお分かりの通り、大昔の記事で漢詩の規則として触れた拗体には反しています。ただ、違反ではないようです。変則ではありますし避けられたら避けた方が良いらしいですが、
△●△○△●◎
△○△●●○◎
△●△○○●●
△○△●●○◎
△○△●●○◎
△●△○△●◎
△○△●△○●
△●△○△●◎
なんて形式もなくはないらしいです。湖山は明治の漢詩壇にその人ありと言われた一人ですから、当然、変則なのは百も承知の上でこうしたものと思われます。
【参考文献】
中村孝也編著『楠公遺芳』小学館
新田大作『漢詩の作り方』明治書院
『新字源』角川書店
『日本大百科全書』小学館
『精選版 日本国語大辞典』小学館
『大辞泉』小学館
『普及版 字通』平凡社
菅原武『漢詩詩語辞典』幻冬社ルネッサンス
『日本人名大辞典』講談社
『世界大百科事典』平凡社
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この変則、振り返ると去年の僕もやってました。…我ながら怖いもの知らずな真似を。