2009年 03月 02日
HENTAIとヘタレが咲き乱れる日本の文学的至宝・物語文学案内 「2/2 鎌倉編」中 注目作は倒錯のエロス
|
【1/2 平安編】はこちら
【「2/2 鎌倉編」上】はこちら
【「2/2 鎌倉編」下】はこちら
鎌倉時代には、平安時代の物語を倣うべき古典として物語が製作されたが、これを擬古物語と呼ぶ。鎌倉時代物語とも。
『源氏物語』や『狭衣物語』といった当時傑作とされた作品の模倣、再現に熱心で、武士の時代となって無力化した貴族の過去を回想し盛時に憧れる精神が色濃く、独創性に乏しいなどと評価される。
また、鎌倉物語全般の傾向としては、筋書きを描き出すのに終始して、描写に厚みの足りないきらいがあることも指摘される。
とはいえ、様々に趣向を凝らして多彩な物語を展開した点は注目されている。
14世紀頃から台頭した平易で単純素朴な大衆向け文芸『御伽草子』に、しだいに取って代わられてしまう。
この「2/2 鎌倉編」では三回に分けて作品の内容を紹介するが、「中」における個人的な注目作は
■『石清水物語』■『我身にたどる姫君』
■『むぐら』
『むぐらのやど』『むぐらの宿』とも。1271年以前の成立。長く見る見解で1124年頃からの約150年間、短く見る見解で1200年頃からの約70年間に成立したと推定する。
女君は、夫の大将との仲は良かったが、娘を大将のもう一人の妻としている大将の継母が、女君のことを酷く憎むので、争いから身を引いて宇治に身を隠そうとし、最後の挨拶だと、皇太子妃となっていた妹を訪ねたのであるが、雪で退出することができなくなってしまった。そこに皇太子の兄である帝がやって来て女君を連れ去って自分の物にしてしまう。しかも感想は「も一人の妹の方も犯りたいが、弟の嫁でガキまでいるから、さすがになびかせるわけにもいかず、これだけはどうにもならん(さかさまの事も、若宮ひとりおはしませば、なびきまゐらせたけれど、こればかりは)」。その後、女君は、帝の子を懐妊することになる。
一方、ろくでもない帝に嫁をさらわれた大将は、行方の知れない嫁を想い、探し回り、清水の観音のお告げを受けて、それを元に、ついに嫁の所在を探り当てる。だがそのせいで一層気落ちし、どうにか各方面や女君への遺言を終えると死亡。
やがて女君は皇子を出産。帝は退位し、皇太子が新帝になって、女君の妹は皇妃となり、女君の産んだ皇子が皇太子とされる。さらにその後、この皇子が帝となる。この間一族は大変繁栄した。
天皇家二代の寵愛を受けて繁栄する姉妹の栄華に、世の人々は感歎しきりで、貴族達は、彼女たちにあやかろうと、子供が生まれると姉妹の着物をいただいて、その子に着せたという。
■『住吉物語』
鎌倉時代に改作された物語。原作は平安時代の『枕草子(まくらのそうし)』『源氏物語』以前、10世紀末に成立したが、伝わらない。改作本は、1200年以降1271年以前の成立とするのが一般的。
父の中納言や男君に深く愛された姫君が、それ故に継母の恨みを買って、結婚を妨害されるなど様々に陥れられ、やむなく侍女を務めていた乳母子の手引きで、母の乳母であった尼君と連絡を取り、尼君のいる住吉に身を隠す。そして姫君は、彼女を求めて訪ね来た男君に妻として引き取られて幸福になり、やがて父や、母の姫君への仕打ちを情けなく思っていた妹たちとも再会する。
■『風につれなき』
鎌倉時代の物語で、1200年以降1271年以前の成立と考えられる。
皇妃であった姉の死に際して生まれたばかりの若宮を託された関白家の姫君が、帝やその他の貴公子の想いを一切寄せ付けずに独身を貫きつつ、若宮を養育し、若宮の即位とともに、天皇の母に準じる存在として女院の尊称を与えられる。
■『浅茅が露』
『あさぢが露』とも書く。鎌倉時代の物語で、1271年以前の成立。おそらくは1240年代以降のものである。
貴公子達の恋物語の背後に、秘かに前世代の恋物語を設定し、物語の進行とともに、それをしだいに謎解いていく、二重構造の描写が特徴的な作品。
世間の人々から日月に喩えられる、二人の貴公子、色好みな二位中将と真面目な三位中将、それに兵部大夫の家に養われる薄幸の美姫を巡って物語は展開する。二位中将は、今上帝の姫宮に思いを寄せていたが、帝の譲位に伴い伊勢神宮に奉仕する姫巫女を新たに選定することとなり、姫宮がこれに選ばれ、二位中将の思いは叶わなくなる。
二位中将は、満たされぬ想いを抱える日々に、斎宮によく似た兵部大夫の養う姫君と出会うが、この姫君は養父の兵部大夫が言い寄ってくるのに堪えかねて失踪する。身を潜めて暮らすようになった彼女を、三位中将が垣間見て、たいへん哀れみ援助しようとするも、三位中将の送った使者に対して姫君は不在を装い、彼女はひっそりと死去。
その後、二位中将が姫君の出生を知る者と偶然出会い。姫君と、彼らをつなげる前代の因縁が、説き明かされる。姫君は、三位中将の従姉妹で、姫巫女の異母妹だったのである。
ところで、その後、出家を望む道心溢れる三位中将は、高徳の聖を訪ねることにしたが、その際、死んだはずの姫君を発見し、聖が彼女を助けて蘇生させていたことを知ることになる。
関連記事
・おっぱい、いっぱい、昔の日本 ~昔の日本人はどれ程おっぱい星人だったのか?~ 中世の古典を素材として
■『いはでしのぶ』
『言はで忍ぶ』とも書く。1235年から1271年の成立と推測される。小さくまとまり筋書きを描き出すのみの痩せこけた作品の多い鎌倉物語の中にあって、珍しく壮大な骨格と厚みのある描写を兼ね備えた傑作とされる。
『恋路ゆかしき大将』や『風に紅葉』といった後発作品に大きな影響を与えたとされる。
世にもてはやされる二人の貴公子は、時の帝(やがて院)の娘である一品宮に想いを寄せていた。
一方の貴公子は、娘を溺愛する帝の目を盗んで一品宮と秘かに通じ、既成事実の前に帝もしぶしぶ結婚を承認。ところが、彼は兄である式部卿宮から娘の伏見大君を託され、これも妻に迎えることになった。とはいえ彼は、一品宮に惚れ込んでいて、男女の子宝にも恵まれ、圧倒的に一品宮ばかりに意識を向けており、その隙を突いて帝(先述の帝の息子)が彼女を見出し執着するようになる。
そして、このようにこじれだした男女関係の中で、どこからともなく一品宮が冷遇されているとの悪意ある噂が立ち上り、もともと娘を取られたことが内心不愉快であった院は、激怒して一品宮を夫の元から引き離してしまう。その後、強情な性格でいっこうに許しを与えようとしない院と、他の誰より父院のことを信頼し父院の意向を気にする一方、夫には冷淡で全く音信を断ってしまった一品宮の態度の前に、夫は苦悩の日々を送るが、一品宮が出家し復縁の望みが絶えると、彼は死んでしまう。
この間、もう一方の貴公子は、思いを口にも出せない「いわでしのぶ」の恋に堪えきれず、一品宮に思いを打ち明けてしまったが、一品宮の出家により、この恋の望みも断たれることとなった。しかし彼の恋は、その後、一品宮の産んだ母と生き写しの姫君を妻として与えられることで、報いられることになる。
ところが、彼の息子は、義母であるこの姫君に想いを寄せ、父がかつてしたように「いわでしのぶ」の恋に生き、堪えきれず打ち明け報われず、ついには出家することになる。
■『石清水物語』
『いはしみず』『石清水』『岩清水物語』とも。1247年から1271年の間に成立と推測されるが。もう少し成立を遅らせる推測もある。
左大臣家を正妻の嫉妬によって追い出された宰相の君は、常陸で姫君を出産した後、死亡。この姫君は武士である常陸の守の妻の手で、常陸の守が余所で産ませた息子の鹿島とともに養育され、常陸の守の死後、養母とともに京都へ移住。
当時、都では「春、秋の君達」と並び称される二人の貴公子がおり、「秋」は左大臣の息子であったが、姫君は異母兄であるこの「秋」に想いを寄せられ、さらには成人して伊予守となり、都の警備に当たるため上京してきた鹿島にも想いを寄せられる。
伊予守は、東国の反乱の平定で一時都を離れることもあったが、姫君と逢瀬を重ねて関係を深めていった。
ところが姫君は、帝の叔父で六十歳近い中務宮に嫁がされることになる。とはいえ、この結婚生活は、五年後、中務宮が姫君が近くにいると物の怪に苦しめられるという状態に陥って破綻、夫妻は別居し、伊予守と姫君は再会するのであった。
しかしここで、帝が、中務宮が危篤で最後に会いたがっているとの虚報で、姫君を誘い出し、彼女を奪い去ってしまう。
伊予守はこれを機会に出家してしまった。
要するに、実兄の「秋」と義兄の伊予守が妹に恋するも報われないという話。
妹モノというある意味定番のネタを採用した話の筋よりも、「秋」と伊予守が同性愛で結ばれた旨、ハッキリ本格的に記述されていることのほうが、興味深いかも知れない。
曰く、
「秋の中納言は、若い男達だけを間近で寝させて、仲睦まじくなさろうというお心づもりであったところ、御目にとまった伊予守に真情より思いを込めて言い寄りなさって、彼も思いの程は同じ気持ちで靡き申し上げ、……瑞々しい様子でかしずいてくる人の言いようもない匂い深さとて、秋の中納言は、起きても寝ても纏わりついておられるのだがこれを伊予守が身に余るばかりに喜ばしく思って、……「故郷のことなんて忘れてしまいそうだよ。こんな思いもよらない関係を持ってお仕え申し上げるようなことまで起きたのだから。僧侶たちが稚児を扱うやり方がこういう感じなのかな。」と感じるまで馴染ませ懐かせ仕込みなさったのである。(若きをのこどものみけ近く臥せて、睦まじくてし給ふ心にて、御目とまりし伊豫守をまめやかに懇に語らひ寄り給へれば、かれも思ふ哀れは同じ心に靡き聞えて、……若き心地になつかしく媚きたる人の言ひしらず匀ひ深くて、起き臥しむつれ給へばいみじうかたじけなく覺えて、……「國の事は忘れぬべかめり。思ひよらざしまじらひをして參りつかうまつるだにあるを。法師などの童あつかひたるはかくや。」と覺ゆるまで馴れ馴れしくならはし給へる。)」etc.。
(原文の引用は『校註 日本文學体系』からで、一部記号改変)
関連記事
・ウホッ!いい日本史… 前近代日本男色略史
■『苔の衣』
『こけ衣』とも。鎌倉時代の物語で1250年前後から1271年以前に成立したと考えられる。
関白家の男君は、想いを寄せる女君が帝に嫁ぐ予定だと知って病となるが、関白が我が子のためを思って姫君の父の内大臣に事情を打ち明けたところ、既に帝の正妻が定まっていることに気が引けていた内大臣も男君を婿とすることを決め、二人はめでたく結ばれることになる。男君は女君を溺愛して暮らし子供にも恵まれるが、そこに帝が、男君に先帝の娘である弘徽殿の姫宮を降嫁させるよう催促するようになる。そうするうちに内大臣が死去、女君は後見してくれる身内を失い、その一方で降嫁の催促は益々強まり、姫君は不安の中で病を発し死去。
その後も降嫁の催促は続くが、男君は偽りの承諾をして出奔、出家して苔の衣(僧衣)を纏うことになる。
その後、次世代において、帝の妃となった男君の娘の姫君の元に兵部卿の宮が忍び込み、既にふられているくせに無理矢理密通、やがて病を得て死んだ後も、姫君に取り付いて苦しめる。ここで僧となって修行の日々を過ごしていた男君が、自分の子を救うよう夢告を受けて姿を現し、祈祷を行い、誰であるか気づかれぬ内に、子を思う煩悩が捨てきれないとの歌を残して、退去。その書き置きを発見して彼の子供達は涙にむせんだ。
■『我身にたどる姫君』
『我が身にたどる姫君』『わが身にたどる姫君』とも書く。1259年以降の成立と見られ、八巻中四巻は1271年までには成立しており、1278年までには全巻出そろっていたと推定されている。
水尾帝の皇后と関白との密通によって誕生した我が身にたどる姫君が関白家に迎えられ、やがて皇妃となるが、彼女の物語を起点に、皇室と摂関家の血筋が複雑に絡まり合う、天皇七代、四世代四十五年にわたる長大な物語が展開していく。彼女の出生以外にも、皇室と摂関家の血筋はさまざまに混じり乱れるが、乱脈複雑な愛欲の人間模様を伴いつつ、しだいに両家の血筋は密接に融合、両家の対立関係は解消していく。その過程で、気高く美しく桁はずれた識見を備えた女帝が登場、摂関家出身の先帝の皇后と一致団結して善政を敷く。そして、皇位を継いだ皇后の息子が、女帝の政治を受け継ぎ、摂関家の大臣に補佐されつつ、理想的な王政を実現する。
全体のストーリーは、現代人には、研究者でもなければ把握すら困難な気がします。研究者の人の用意してくれたまとめを見て、そういう話だったのかと、ようやく、騙されたような気分で無理矢理納得する感じ。だけどまあ、血筋にこだわり、複雑な血筋を容易く暗記し理解することに意義を感じたであろう大昔の人ならともかく、現代の一般人が、この物語の全容を多大な労力をかけて自力で理解する価値は無いような気がします。
とはいえ、この物語に読む価値がないかと言えば、そんなことはない。
この物語の高い価値は、血筋の物語なんて所とは別に存在しているのです。
なぜなら、この物語は、とってもハードにエロいから。レイプにヤンデレに百合も咲く、エロく爛れて倒錯した熾烈な情念の世界へようこそ。
関連記事
・鎌倉時代のハードエロノベル『我身にたどる姫君』1 ~狂乱するヤンデレ皇女の苛烈な愛欲の日々~
・鎌倉時代のハードエロノベル『我身にたどる姫君』2 ~レイプレイプレイプあの娘をレイプ?~
・鎌倉時代のハードエロノベル『我身にたどる姫君』3 ~百合ん百合んな姫巫女の嫉妬渦巻くレズハーレム~
・おっぱい、いっぱい、昔の日本 ~昔の日本人はどれ程おっぱい星人だったのか?~ 中世の古典を素材として
■『雫ににごる』
『しづくに濁る物語』『しづくににごる物語』などとも書く。1271年以前の成立。
中納言が帝の寵愛を受ける女官の内侍督に想いを寄せるが、それに帝が怒って、内侍督は皇子を妊娠しながら離縁され、すっかり意気消沈して出産後、生きる気力もなく死亡。死に際に、彼女への真心を示し続けた中納言に対して、少しばかり好意を示し、一言、言葉をかけて逝く。
内侍督はこの世に思い残すことがありそのため遺体が燃えずにいたが、離縁したといっても実は内侍督への想いを断てない帝は、これを聞き、内侍督に手紙を書いた。そして帝の手紙を煙の中に入れると内侍督は雲になって天に登った。
なお、帝は、内侍督を失った悲しみで意気消沈して退位し出家、やがては経を読みつつ遺体すら残さず即身成仏する。その間、中納言はというと、意気消沈して、おまけに帝の怒りも恐いので、出仕もせずに引き籠もった。
そろいもそろってしょぼくれた男女男はさておき、帝の位を継いだ内侍督の息子については、内侍督の兄が関白となって後見に当たり、帝は美しく成長、関白の一族は栄えた。
参考資料
『新編 日本古典文学全集』小学館
『中世王朝物語全集』笠間書院
小木喬訳著『いはでしのぶ物語 本文と研究』笠間書院
『校註 日本文學体系』國民圖書株式会社
徳光澄雄著『我身にたどる姫君全註解』有精堂出版
『体系 物語文学史 第四巻 物語文学の系譜II 鎌倉物語1』三谷栄一編 有精堂出版
『体系 物語文学史 第五巻 物語文学の系譜III 鎌倉物語2』三谷栄一編 有精堂出版
中村真一郎著『色好みの構造-王朝文化の深層-』岩波新書
岩田準一著『本朝男色考 男色文献書志』 原書房
『スーパー・ニッポニカ Professional』小学館
【1/2 平安編】はこちら
【「2/2 鎌倉編」上】はこちら
【「2/2 鎌倉編」下】はこちら
【「2/2 鎌倉編」上】はこちら
【「2/2 鎌倉編」下】はこちら
鎌倉時代には、平安時代の物語を倣うべき古典として物語が製作されたが、これを擬古物語と呼ぶ。鎌倉時代物語とも。
『源氏物語』や『狭衣物語』といった当時傑作とされた作品の模倣、再現に熱心で、武士の時代となって無力化した貴族の過去を回想し盛時に憧れる精神が色濃く、独創性に乏しいなどと評価される。
また、鎌倉物語全般の傾向としては、筋書きを描き出すのに終始して、描写に厚みの足りないきらいがあることも指摘される。
とはいえ、様々に趣向を凝らして多彩な物語を展開した点は注目されている。
14世紀頃から台頭した平易で単純素朴な大衆向け文芸『御伽草子』に、しだいに取って代わられてしまう。
この「2/2 鎌倉編」では三回に分けて作品の内容を紹介するが、「中」における個人的な注目作は
■『石清水物語』■『我身にたどる姫君』
■『むぐら』
『むぐらのやど』『むぐらの宿』とも。1271年以前の成立。長く見る見解で1124年頃からの約150年間、短く見る見解で1200年頃からの約70年間に成立したと推定する。
女君は、夫の大将との仲は良かったが、娘を大将のもう一人の妻としている大将の継母が、女君のことを酷く憎むので、争いから身を引いて宇治に身を隠そうとし、最後の挨拶だと、皇太子妃となっていた妹を訪ねたのであるが、雪で退出することができなくなってしまった。そこに皇太子の兄である帝がやって来て女君を連れ去って自分の物にしてしまう。しかも感想は「も一人の妹の方も犯りたいが、弟の嫁でガキまでいるから、さすがになびかせるわけにもいかず、これだけはどうにもならん(さかさまの事も、若宮ひとりおはしませば、なびきまゐらせたけれど、こればかりは)」。その後、女君は、帝の子を懐妊することになる。
一方、ろくでもない帝に嫁をさらわれた大将は、行方の知れない嫁を想い、探し回り、清水の観音のお告げを受けて、それを元に、ついに嫁の所在を探り当てる。だがそのせいで一層気落ちし、どうにか各方面や女君への遺言を終えると死亡。
やがて女君は皇子を出産。帝は退位し、皇太子が新帝になって、女君の妹は皇妃となり、女君の産んだ皇子が皇太子とされる。さらにその後、この皇子が帝となる。この間一族は大変繁栄した。
天皇家二代の寵愛を受けて繁栄する姉妹の栄華に、世の人々は感歎しきりで、貴族達は、彼女たちにあやかろうと、子供が生まれると姉妹の着物をいただいて、その子に着せたという。
■『住吉物語』
鎌倉時代に改作された物語。原作は平安時代の『枕草子(まくらのそうし)』『源氏物語』以前、10世紀末に成立したが、伝わらない。改作本は、1200年以降1271年以前の成立とするのが一般的。
父の中納言や男君に深く愛された姫君が、それ故に継母の恨みを買って、結婚を妨害されるなど様々に陥れられ、やむなく侍女を務めていた乳母子の手引きで、母の乳母であった尼君と連絡を取り、尼君のいる住吉に身を隠す。そして姫君は、彼女を求めて訪ね来た男君に妻として引き取られて幸福になり、やがて父や、母の姫君への仕打ちを情けなく思っていた妹たちとも再会する。
■『風につれなき』
鎌倉時代の物語で、1200年以降1271年以前の成立と考えられる。
皇妃であった姉の死に際して生まれたばかりの若宮を託された関白家の姫君が、帝やその他の貴公子の想いを一切寄せ付けずに独身を貫きつつ、若宮を養育し、若宮の即位とともに、天皇の母に準じる存在として女院の尊称を与えられる。
■『浅茅が露』
『あさぢが露』とも書く。鎌倉時代の物語で、1271年以前の成立。おそらくは1240年代以降のものである。
貴公子達の恋物語の背後に、秘かに前世代の恋物語を設定し、物語の進行とともに、それをしだいに謎解いていく、二重構造の描写が特徴的な作品。
世間の人々から日月に喩えられる、二人の貴公子、色好みな二位中将と真面目な三位中将、それに兵部大夫の家に養われる薄幸の美姫を巡って物語は展開する。二位中将は、今上帝の姫宮に思いを寄せていたが、帝の譲位に伴い伊勢神宮に奉仕する姫巫女を新たに選定することとなり、姫宮がこれに選ばれ、二位中将の思いは叶わなくなる。
二位中将は、満たされぬ想いを抱える日々に、斎宮によく似た兵部大夫の養う姫君と出会うが、この姫君は養父の兵部大夫が言い寄ってくるのに堪えかねて失踪する。身を潜めて暮らすようになった彼女を、三位中将が垣間見て、たいへん哀れみ援助しようとするも、三位中将の送った使者に対して姫君は不在を装い、彼女はひっそりと死去。
その後、二位中将が姫君の出生を知る者と偶然出会い。姫君と、彼らをつなげる前代の因縁が、説き明かされる。姫君は、三位中将の従姉妹で、姫巫女の異母妹だったのである。
ところで、その後、出家を望む道心溢れる三位中将は、高徳の聖を訪ねることにしたが、その際、死んだはずの姫君を発見し、聖が彼女を助けて蘇生させていたことを知ることになる。
関連記事
・おっぱい、いっぱい、昔の日本 ~昔の日本人はどれ程おっぱい星人だったのか?~ 中世の古典を素材として
■『いはでしのぶ』
『言はで忍ぶ』とも書く。1235年から1271年の成立と推測される。小さくまとまり筋書きを描き出すのみの痩せこけた作品の多い鎌倉物語の中にあって、珍しく壮大な骨格と厚みのある描写を兼ね備えた傑作とされる。
『恋路ゆかしき大将』や『風に紅葉』といった後発作品に大きな影響を与えたとされる。
世にもてはやされる二人の貴公子は、時の帝(やがて院)の娘である一品宮に想いを寄せていた。
一方の貴公子は、娘を溺愛する帝の目を盗んで一品宮と秘かに通じ、既成事実の前に帝もしぶしぶ結婚を承認。ところが、彼は兄である式部卿宮から娘の伏見大君を託され、これも妻に迎えることになった。とはいえ彼は、一品宮に惚れ込んでいて、男女の子宝にも恵まれ、圧倒的に一品宮ばかりに意識を向けており、その隙を突いて帝(先述の帝の息子)が彼女を見出し執着するようになる。
そして、このようにこじれだした男女関係の中で、どこからともなく一品宮が冷遇されているとの悪意ある噂が立ち上り、もともと娘を取られたことが内心不愉快であった院は、激怒して一品宮を夫の元から引き離してしまう。その後、強情な性格でいっこうに許しを与えようとしない院と、他の誰より父院のことを信頼し父院の意向を気にする一方、夫には冷淡で全く音信を断ってしまった一品宮の態度の前に、夫は苦悩の日々を送るが、一品宮が出家し復縁の望みが絶えると、彼は死んでしまう。
この間、もう一方の貴公子は、思いを口にも出せない「いわでしのぶ」の恋に堪えきれず、一品宮に思いを打ち明けてしまったが、一品宮の出家により、この恋の望みも断たれることとなった。しかし彼の恋は、その後、一品宮の産んだ母と生き写しの姫君を妻として与えられることで、報いられることになる。
ところが、彼の息子は、義母であるこの姫君に想いを寄せ、父がかつてしたように「いわでしのぶ」の恋に生き、堪えきれず打ち明け報われず、ついには出家することになる。
■『石清水物語』
『いはしみず』『石清水』『岩清水物語』とも。1247年から1271年の間に成立と推測されるが。もう少し成立を遅らせる推測もある。
左大臣家を正妻の嫉妬によって追い出された宰相の君は、常陸で姫君を出産した後、死亡。この姫君は武士である常陸の守の妻の手で、常陸の守が余所で産ませた息子の鹿島とともに養育され、常陸の守の死後、養母とともに京都へ移住。
当時、都では「春、秋の君達」と並び称される二人の貴公子がおり、「秋」は左大臣の息子であったが、姫君は異母兄であるこの「秋」に想いを寄せられ、さらには成人して伊予守となり、都の警備に当たるため上京してきた鹿島にも想いを寄せられる。
伊予守は、東国の反乱の平定で一時都を離れることもあったが、姫君と逢瀬を重ねて関係を深めていった。
ところが姫君は、帝の叔父で六十歳近い中務宮に嫁がされることになる。とはいえ、この結婚生活は、五年後、中務宮が姫君が近くにいると物の怪に苦しめられるという状態に陥って破綻、夫妻は別居し、伊予守と姫君は再会するのであった。
しかしここで、帝が、中務宮が危篤で最後に会いたがっているとの虚報で、姫君を誘い出し、彼女を奪い去ってしまう。
伊予守はこれを機会に出家してしまった。
要するに、実兄の「秋」と義兄の伊予守が妹に恋するも報われないという話。
妹モノというある意味定番のネタを採用した話の筋よりも、「秋」と伊予守が同性愛で結ばれた旨、ハッキリ本格的に記述されていることのほうが、興味深いかも知れない。
曰く、
「秋の中納言は、若い男達だけを間近で寝させて、仲睦まじくなさろうというお心づもりであったところ、御目にとまった伊予守に真情より思いを込めて言い寄りなさって、彼も思いの程は同じ気持ちで靡き申し上げ、……瑞々しい様子でかしずいてくる人の言いようもない匂い深さとて、秋の中納言は、起きても寝ても纏わりついておられるのだがこれを伊予守が身に余るばかりに喜ばしく思って、……「故郷のことなんて忘れてしまいそうだよ。こんな思いもよらない関係を持ってお仕え申し上げるようなことまで起きたのだから。僧侶たちが稚児を扱うやり方がこういう感じなのかな。」と感じるまで馴染ませ懐かせ仕込みなさったのである。(若きをのこどものみけ近く臥せて、睦まじくてし給ふ心にて、御目とまりし伊豫守をまめやかに懇に語らひ寄り給へれば、かれも思ふ哀れは同じ心に靡き聞えて、……若き心地になつかしく媚きたる人の言ひしらず匀ひ深くて、起き臥しむつれ給へばいみじうかたじけなく覺えて、……「國の事は忘れぬべかめり。思ひよらざしまじらひをして參りつかうまつるだにあるを。法師などの童あつかひたるはかくや。」と覺ゆるまで馴れ馴れしくならはし給へる。)」etc.。
(原文の引用は『校註 日本文學体系』からで、一部記号改変)
関連記事
・ウホッ!いい日本史… 前近代日本男色略史
■『苔の衣』
『こけ衣』とも。鎌倉時代の物語で1250年前後から1271年以前に成立したと考えられる。
関白家の男君は、想いを寄せる女君が帝に嫁ぐ予定だと知って病となるが、関白が我が子のためを思って姫君の父の内大臣に事情を打ち明けたところ、既に帝の正妻が定まっていることに気が引けていた内大臣も男君を婿とすることを決め、二人はめでたく結ばれることになる。男君は女君を溺愛して暮らし子供にも恵まれるが、そこに帝が、男君に先帝の娘である弘徽殿の姫宮を降嫁させるよう催促するようになる。そうするうちに内大臣が死去、女君は後見してくれる身内を失い、その一方で降嫁の催促は益々強まり、姫君は不安の中で病を発し死去。
その後も降嫁の催促は続くが、男君は偽りの承諾をして出奔、出家して苔の衣(僧衣)を纏うことになる。
その後、次世代において、帝の妃となった男君の娘の姫君の元に兵部卿の宮が忍び込み、既にふられているくせに無理矢理密通、やがて病を得て死んだ後も、姫君に取り付いて苦しめる。ここで僧となって修行の日々を過ごしていた男君が、自分の子を救うよう夢告を受けて姿を現し、祈祷を行い、誰であるか気づかれぬ内に、子を思う煩悩が捨てきれないとの歌を残して、退去。その書き置きを発見して彼の子供達は涙にむせんだ。
■『我身にたどる姫君』
『我が身にたどる姫君』『わが身にたどる姫君』とも書く。1259年以降の成立と見られ、八巻中四巻は1271年までには成立しており、1278年までには全巻出そろっていたと推定されている。
水尾帝の皇后と関白との密通によって誕生した我が身にたどる姫君が関白家に迎えられ、やがて皇妃となるが、彼女の物語を起点に、皇室と摂関家の血筋が複雑に絡まり合う、天皇七代、四世代四十五年にわたる長大な物語が展開していく。彼女の出生以外にも、皇室と摂関家の血筋はさまざまに混じり乱れるが、乱脈複雑な愛欲の人間模様を伴いつつ、しだいに両家の血筋は密接に融合、両家の対立関係は解消していく。その過程で、気高く美しく桁はずれた識見を備えた女帝が登場、摂関家出身の先帝の皇后と一致団結して善政を敷く。そして、皇位を継いだ皇后の息子が、女帝の政治を受け継ぎ、摂関家の大臣に補佐されつつ、理想的な王政を実現する。
全体のストーリーは、現代人には、研究者でもなければ把握すら困難な気がします。研究者の人の用意してくれたまとめを見て、そういう話だったのかと、ようやく、騙されたような気分で無理矢理納得する感じ。だけどまあ、血筋にこだわり、複雑な血筋を容易く暗記し理解することに意義を感じたであろう大昔の人ならともかく、現代の一般人が、この物語の全容を多大な労力をかけて自力で理解する価値は無いような気がします。
とはいえ、この物語に読む価値がないかと言えば、そんなことはない。
この物語の高い価値は、血筋の物語なんて所とは別に存在しているのです。
なぜなら、この物語は、とってもハードにエロいから。レイプにヤンデレに百合も咲く、エロく爛れて倒錯した熾烈な情念の世界へようこそ。
関連記事
・鎌倉時代のハードエロノベル『我身にたどる姫君』1 ~狂乱するヤンデレ皇女の苛烈な愛欲の日々~
・鎌倉時代のハードエロノベル『我身にたどる姫君』2 ~レイプレイプレイプあの娘をレイプ?~
・鎌倉時代のハードエロノベル『我身にたどる姫君』3 ~百合ん百合んな姫巫女の嫉妬渦巻くレズハーレム~
・おっぱい、いっぱい、昔の日本 ~昔の日本人はどれ程おっぱい星人だったのか?~ 中世の古典を素材として
■『雫ににごる』
『しづくに濁る物語』『しづくににごる物語』などとも書く。1271年以前の成立。
中納言が帝の寵愛を受ける女官の内侍督に想いを寄せるが、それに帝が怒って、内侍督は皇子を妊娠しながら離縁され、すっかり意気消沈して出産後、生きる気力もなく死亡。死に際に、彼女への真心を示し続けた中納言に対して、少しばかり好意を示し、一言、言葉をかけて逝く。
内侍督はこの世に思い残すことがありそのため遺体が燃えずにいたが、離縁したといっても実は内侍督への想いを断てない帝は、これを聞き、内侍督に手紙を書いた。そして帝の手紙を煙の中に入れると内侍督は雲になって天に登った。
なお、帝は、内侍督を失った悲しみで意気消沈して退位し出家、やがては経を読みつつ遺体すら残さず即身成仏する。その間、中納言はというと、意気消沈して、おまけに帝の怒りも恐いので、出仕もせずに引き籠もった。
そろいもそろってしょぼくれた男女男はさておき、帝の位を継いだ内侍督の息子については、内侍督の兄が関白となって後見に当たり、帝は美しく成長、関白の一族は栄えた。
参考資料
『新編 日本古典文学全集』小学館
『中世王朝物語全集』笠間書院
小木喬訳著『いはでしのぶ物語 本文と研究』笠間書院
『校註 日本文學体系』國民圖書株式会社
徳光澄雄著『我身にたどる姫君全註解』有精堂出版
『体系 物語文学史 第四巻 物語文学の系譜II 鎌倉物語1』三谷栄一編 有精堂出版
『体系 物語文学史 第五巻 物語文学の系譜III 鎌倉物語2』三谷栄一編 有精堂出版
中村真一郎著『色好みの構造-王朝文化の深層-』岩波新書
岩田準一著『本朝男色考 男色文献書志』 原書房
『スーパー・ニッポニカ Professional』小学館
【1/2 平安編】はこちら
【「2/2 鎌倉編」上】はこちら
【「2/2 鎌倉編」下】はこちら
by trushbasket
| 2009-03-02 00:03
| My(山田昌弘)








