2009年 05月 17日
民明書房刊「戦国武将考察」―人気漫画から見る戦国期における「ゲン担ぎ」について―
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「魁!!男塾」という漫画が昔に流行した事について、以前に以下のレジュメで少し触れました。
ここでも述べたように、初期は架空の男子校を舞台に鬼教官たちが軍国主義っぽい無茶苦茶なシゴキをする様子を描くギャグ漫画でしたが、途中から当時の「週刊少年ジャンプ」漫画の例に漏れず闇の組織相手に破天荒な格闘トーナメントで戦うというバトル路線に変更。それでも常軌を逸した男臭い世界観である事は変わらず、主要な登場人物たちは中国拳法やインドやらエジプトやらに起源を持つと称する数々の奇想天外な武術の達人という設定となり、秘技を駆使して戦う事になります。そうした胡散臭い武術・奥義を尤もらしく解説し権威付けたのが「民明書房」なる出版社の書物から引用したと称する文章の数々でした。この民明書房は大河内民明丸が大正十五年(1926)に創立した出版社で東西の武術を中心に様々な奇妙な風習を紹介する書物を多く出しているという設定です。民明書房が架空の存在なのは論を待ちませんが、当時の少年読者がその存在を信じ、書店にその本を求めたという話もよく聞かれました。因みに作中で同様にして登場する架空の出版社には英学館や太公望書林などもあります。
それら民明書房等の本には我が国の戦国武将について述べたものもあり、中には架空の武将だけでなく織田信長・武田信玄・上杉謙信など有名実在武将を扱ったものも見られます。例えば、男塾の生徒たちは上述したように命懸けの格闘大会への参加をしばしば余儀なくされており(まあ死んでも簡単に生き返ってくるわけですが)、出発の際には縁起を担ぐため勝利を祈っての儀式が行なわれるわけですが、その儀式が武田信玄に由来すると称しているのです。
男塾の面々を送り出すため景気づけに行なわれたこれらの儀式ですが、百に一つのはずの「死」がでたりサイコロが割れたりといった不吉な結果になったのはお約束です。
さて、この二つの儀式が架空であるにせよ生死を賭けた戦いの前に士気を上げるためや縁起かつぎのため似たような景気づけを行った事は十分に考えられます。近代における第二次大戦においてすら弾除けのお守りとして春画やエロ写真が用いられたといった風習が残っていたくらいで、前近代において非科学的な慣例が強く見られるのは寧ろ当然だと思います。ましてや戦争ですから、何にでも縋りたかったでしょうしね。と言う訳で、実在した形式的な景気づけについて述べようかと。
出陣の時に盃を三献重ねて酒を飲む儀式があり、その際に打鮑・勝栗・昆布を肴にする事は有名です。「打って勝って喜ぶ」という訳です。その他に出陣前に連歌会を開くと良いと言う話もありました。それだけでなく、いわゆる吉兆の占いにもそうした景気づけがなされていたのです。
進軍中、旗指物が風で折れる事はよくありました。竹竿の先に大きくて重い布やらをたなびかせている訳ですから、風には弱かったと思われます。その際にも吉凶を占う基準があったそうで、「今川大双紙」は「軍陳(ママ)の時、旗棹の折たるにて吉凶を見る事、持たるより上のおれたるハ吉事、持たるより下ハ凶事也」と述べており「出陣日記」や「京極大草紙」も大体同様の事を言っています。しかし考えてみれば、旗竿の高さは2~3メートルで持ち手の部分は下から80~90センチ程度。上のほうが折れる可能性が圧倒的に高いわけです。折れる時は持ち手部分が支点になって折れるんでしょうしね。してみると、この吉凶判断も上述の占針盤やら賽子やらと同じで形式的な景気づけと言ってよさそうです。
他にも、馬の嘶きにも吉兆があったそうです。「中原高忠軍陣聞書」には「馬のいばふ事、厩又は引出てのらぬ以前にいばふ事吉也。はやあぶみに足をかけていばふこと凶なり。其時は弓を脇にはさみて、上帯をもむすび直し、腹帯をもしめなをす也」とあり、「随兵之次第事」にも同様の内容があります。恐らくは、馬は人が乗ると余り嘶かなかったのではないでしょうか。更に、凶事になったとしても帯を締めなおせば帳消しに出来るようです。これも景気づけですね。してみると、旗竿が凶の折れ方をした時にも取り消せる作法があっても可笑しくありません。
また、出陣の日取や方角にも陰陽五行説によって吉凶があったそうです。それが決まる仕組みは複雑でよく分らない(同時代でも専門家しか分らなかったようです)ので省略しますが、悪日に出陣せざるを得ない時でも扇をうまく用いれば吉日に変えられたとか。また「中原高忠軍陣聞書」から引用すると「悪日に合戦をする時は、ひるは月の方を面へなしてつかふべし。よるは日のかたを面へなしてつかふべし。」とあり、昼に月が書かれた面を表にし夜は太陽が書かれた面を表にして扇を使えば昼夜が逆になるんじゃなくて悪日と吉日が逆になると言うわけですね。…もう何でもありです。他にも、吉日に出陣できない場合には吉日に「調伏の矢」を射る事でその日に出陣した形式にすると言う事も行なわれたようです。
吉になるに決まっている吉凶判断、凶になっても吉に変えられる呪い…。これらには、一見滑稽なものも見られますが、何とかツキをものにしよう、味方の士気を上げようと言った涙ぐましい苦心の跡が垣間見えるのです。しかし、男塾の皆さんには凶を吉に変える呪いはなかったのでしょうか?
ところで、武田信玄がらみの民明書房項目としては他にこれも有名です。
信じられない話ですが、後漢末の中国にこれに近い実話が存在したようです。何でも、張楊は呂布と旧知の関係でしたが、曹操が呂布を攻めた際に援軍に駆けつけたくとも果たせず野王県の東に出兵して、はるかに声援を送ったのだとか。まさかリアル「大鐘音」が実在したとは。事実は小説より奇なり、とはよく言ったものです。この話題については、
で紹介されています。
一方で日本の戦国時代にこうした事例はなかったようですが、軍勢の声に超自然的な力を感じていたのは事実でした。例えば、戦場で上げる勝鬨ですが、単なる掛け声ではなかったようです。城を落とした時の勝鬨は「泰平の時」と呼ばれ勝利によって平和がもたらされる事を祈るものでした。そして、「捨頸之吐気」なるものがあり、軍配者(吉凶判断の専門家)により作法通りに討ち取った首を捨てながら鬨を上げるもので怨霊封じに近い意味があったようです。また、「勧進時」というのがあって陣に神を招きよせるための鬨の声もありました。因みにその際に鬨をあげる人は、主君から拝領した袍をまとい袈裟やお守りの前で行なったそうです。やはり呪術的な意味合いが強いわけですね。してみると、同じ文脈からは「大鐘音」とやらも単なる応援の掛け声だけでなく、魂を届けると言う呪術的な意味合いを期待したものだといえるわけです。
生き残りに必死な乱世、人は様々に縁起を担いだり神仏の加護を期待したりして精神的平衡を保とうとしていました。何かにすがらなければならないのは、歴戦の武将も「漢」の道を極めんとする男たちですらも変わらないと言う事でしょうか。まあ、軍隊を動かす上では集団心理をプラス方向に向けることも大事でしたから、そっちの意味合いも大きかったのでしょう。
【参考文献】
呪術と占星の戦国史 小和田哲男 新潮選書
日本の歴史11戦国大名 杉山博 中公文庫
人物叢書武田信玄 奥野高廣 吉川弘文館
日本の武将32毛利元就 三坂圭治 人物往来社
正史三国志2 陳寿 井波律子・今鷹真訳 ちくま学芸文庫
江戸の性風俗 氏家幹人 講談社現代新書
民明書房大全 集英社
魁!!男塾 宮下あきら 集英社
関連記事:
「どれほど兵は神速を尊ぶか? ~歴史的に行軍速度を探求し戦争術評価の尺度とする試み~」
「神国日本のしょんぼりナショナリズムと鬼子・第六天魔王信長」
「涼宮ハルヒの名将の憂鬱 後編」
歴史研究会・とらっしゅばすけっと関連発表:
「日本民衆文化史」(http://kyoto.cool.ne.jp/rekiken/data/2002/021206.html)
「日本前近代軍事史」(当ブログ内に移転しました)(http://trushnote.exblog.jp/14549736/)
「エリート教育とは」(http://www.geocities.jp/trushbasket/data/nf/elite.html)
関連サイト:
「魁!男塾ファンページ」(http://o-juku.s18.xrea.com/)
風雲戦国史(http://www2.harimaya.com/sengoku/index.html)
南北朝から戦国にかけての武家について述べたサイトです。新田氏・山内上杉氏・越後上杉氏・大井田氏・里見田中氏・里見氏などについても掲載されています。
リンクを変更(2010年12月8日)
「エリート教育とは」
(http://www.geocities.jp/trushbasket/data/nf/elite.html)
ここでも述べたように、初期は架空の男子校を舞台に鬼教官たちが軍国主義っぽい無茶苦茶なシゴキをする様子を描くギャグ漫画でしたが、途中から当時の「週刊少年ジャンプ」漫画の例に漏れず闇の組織相手に破天荒な格闘トーナメントで戦うというバトル路線に変更。それでも常軌を逸した男臭い世界観である事は変わらず、主要な登場人物たちは中国拳法やインドやらエジプトやらに起源を持つと称する数々の奇想天外な武術の達人という設定となり、秘技を駆使して戦う事になります。そうした胡散臭い武術・奥義を尤もらしく解説し権威付けたのが「民明書房」なる出版社の書物から引用したと称する文章の数々でした。この民明書房は大河内民明丸が大正十五年(1926)に創立した出版社で東西の武術を中心に様々な奇妙な風習を紹介する書物を多く出しているという設定です。民明書房が架空の存在なのは論を待ちませんが、当時の少年読者がその存在を信じ、書店にその本を求めたという話もよく聞かれました。因みに作中で同様にして登場する架空の出版社には英学館や太公望書林などもあります。
それら民明書房等の本には我が国の戦国武将について述べたものもあり、中には架空の武将だけでなく織田信長・武田信玄・上杉謙信など有名実在武将を扱ったものも見られます。例えば、男塾の生徒たちは上述したように命懸けの格闘大会への参加をしばしば余儀なくされており(まあ死んでも簡単に生き返ってくるわけですが)、出発の際には縁起を担ぐため勝利を祈っての儀式が行なわれるわけですが、その儀式が武田信玄に由来すると称しているのです。
戦吉兆占針盤
戦国時代、希代の名将とうたわれた武田信玄が中国の霊占をヒントに考え出したといわれている。占針盤には100のマス目があり勝利の文字が書かれた99マスと死の文字が書かれた1マスで構成されている。戦の命運を占うために使われたものだが死と出るのは、100分の1という極めてわずかな確率のため出陣前の兵士の士気を高めるために用いられた形式的な儀式といえる。
(民明書房刊「戦国武将考察」第五章「古今東西占術大全―当たるも八卦当たらぬも八卦―」より抜粋)
勝利賽子(しょうりジャイツ)
戦国時代、希代の名将とうたわれた武田信玄が、考案したと伝えられる。寿・吉・勝・祝・喜・生の六文字をそれぞれ六面に書き入れたサイコロを頭上高くに投げ、表に出た文字によって戦いの行方を占ったといわれる。しかし、どの面がでても勝利を暗示する文字が書かれているわけで、いうなれば出陣の景気づけの儀式である。
(英学館刊「武家社会に於ける風俗・迷信」第二章「世はいかさま」より抜粋)
男塾の面々を送り出すため景気づけに行なわれたこれらの儀式ですが、百に一つのはずの「死」がでたりサイコロが割れたりといった不吉な結果になったのはお約束です。
さて、この二つの儀式が架空であるにせよ生死を賭けた戦いの前に士気を上げるためや縁起かつぎのため似たような景気づけを行った事は十分に考えられます。近代における第二次大戦においてすら弾除けのお守りとして春画やエロ写真が用いられたといった風習が残っていたくらいで、前近代において非科学的な慣例が強く見られるのは寧ろ当然だと思います。ましてや戦争ですから、何にでも縋りたかったでしょうしね。と言う訳で、実在した形式的な景気づけについて述べようかと。
出陣の時に盃を三献重ねて酒を飲む儀式があり、その際に打鮑・勝栗・昆布を肴にする事は有名です。「打って勝って喜ぶ」という訳です。その他に出陣前に連歌会を開くと良いと言う話もありました。それだけでなく、いわゆる吉兆の占いにもそうした景気づけがなされていたのです。
進軍中、旗指物が風で折れる事はよくありました。竹竿の先に大きくて重い布やらをたなびかせている訳ですから、風には弱かったと思われます。その際にも吉凶を占う基準があったそうで、「今川大双紙」は「軍陳(ママ)の時、旗棹の折たるにて吉凶を見る事、持たるより上のおれたるハ吉事、持たるより下ハ凶事也」と述べており「出陣日記」や「京極大草紙」も大体同様の事を言っています。しかし考えてみれば、旗竿の高さは2~3メートルで持ち手の部分は下から80~90センチ程度。上のほうが折れる可能性が圧倒的に高いわけです。折れる時は持ち手部分が支点になって折れるんでしょうしね。してみると、この吉凶判断も上述の占針盤やら賽子やらと同じで形式的な景気づけと言ってよさそうです。
他にも、馬の嘶きにも吉兆があったそうです。「中原高忠軍陣聞書」には「馬のいばふ事、厩又は引出てのらぬ以前にいばふ事吉也。はやあぶみに足をかけていばふこと凶なり。其時は弓を脇にはさみて、上帯をもむすび直し、腹帯をもしめなをす也」とあり、「随兵之次第事」にも同様の内容があります。恐らくは、馬は人が乗ると余り嘶かなかったのではないでしょうか。更に、凶事になったとしても帯を締めなおせば帳消しに出来るようです。これも景気づけですね。してみると、旗竿が凶の折れ方をした時にも取り消せる作法があっても可笑しくありません。
また、出陣の日取や方角にも陰陽五行説によって吉凶があったそうです。それが決まる仕組みは複雑でよく分らない(同時代でも専門家しか分らなかったようです)ので省略しますが、悪日に出陣せざるを得ない時でも扇をうまく用いれば吉日に変えられたとか。また「中原高忠軍陣聞書」から引用すると「悪日に合戦をする時は、ひるは月の方を面へなしてつかふべし。よるは日のかたを面へなしてつかふべし。」とあり、昼に月が書かれた面を表にし夜は太陽が書かれた面を表にして扇を使えば昼夜が逆になるんじゃなくて悪日と吉日が逆になると言うわけですね。…もう何でもありです。他にも、吉日に出陣できない場合には吉日に「調伏の矢」を射る事でその日に出陣した形式にすると言う事も行なわれたようです。
吉になるに決まっている吉凶判断、凶になっても吉に変えられる呪い…。これらには、一見滑稽なものも見られますが、何とかツキをものにしよう、味方の士気を上げようと言った涙ぐましい苦心の跡が垣間見えるのです。しかし、男塾の皆さんには凶を吉に変える呪いはなかったのでしょうか?
ところで、武田信玄がらみの民明書房項目としては他にこれも有名です。
大鐘音
その由来は、戦国時代武田信玄が上杉謙信との合戦に於てどうしても援軍にいけず苦戦におちいっている遠方の味方の兵をはげますために自陣の上に一千騎の兵をならべいっせいに大声を出させ檄を送ったという故事に由来する。その距離はおよそ二十五里。キロになおすと100キロ離れていたというから驚嘆のほかはない。余談ではあるが、昭和十五年の全日本大学野球選手権に於てW大学応援団のエールは神宮球場から池袋まで聞こえたという記録がある。
(民明書房刊「戦国武将考察」第6章「戦場の中心で檄を飛ばす」より抜粋)
信じられない話ですが、後漢末の中国にこれに近い実話が存在したようです。何でも、張楊は呂布と旧知の関係でしたが、曹操が呂布を攻めた際に援軍に駆けつけたくとも果たせず野王県の東に出兵して、はるかに声援を送ったのだとか。まさかリアル「大鐘音」が実在したとは。事実は小説より奇なり、とはよく言ったものです。この話題については、
「三国志博物館集解」(http://blog.livedoor.jp/amakusa3594/)より
「張楊 『大鐘音』の起源を発見!? 」
(http://blog.livedoor.jp/amakusa3594/archives/50566808.html)
で紹介されています。
一方で日本の戦国時代にこうした事例はなかったようですが、軍勢の声に超自然的な力を感じていたのは事実でした。例えば、戦場で上げる勝鬨ですが、単なる掛け声ではなかったようです。城を落とした時の勝鬨は「泰平の時」と呼ばれ勝利によって平和がもたらされる事を祈るものでした。そして、「捨頸之吐気」なるものがあり、軍配者(吉凶判断の専門家)により作法通りに討ち取った首を捨てながら鬨を上げるもので怨霊封じに近い意味があったようです。また、「勧進時」というのがあって陣に神を招きよせるための鬨の声もありました。因みにその際に鬨をあげる人は、主君から拝領した袍をまとい袈裟やお守りの前で行なったそうです。やはり呪術的な意味合いが強いわけですね。してみると、同じ文脈からは「大鐘音」とやらも単なる応援の掛け声だけでなく、魂を届けると言う呪術的な意味合いを期待したものだといえるわけです。
生き残りに必死な乱世、人は様々に縁起を担いだり神仏の加護を期待したりして精神的平衡を保とうとしていました。何かにすがらなければならないのは、歴戦の武将も「漢」の道を極めんとする男たちですらも変わらないと言う事でしょうか。まあ、軍隊を動かす上では集団心理をプラス方向に向けることも大事でしたから、そっちの意味合いも大きかったのでしょう。
【参考文献】
呪術と占星の戦国史 小和田哲男 新潮選書
日本の歴史11戦国大名 杉山博 中公文庫
人物叢書武田信玄 奥野高廣 吉川弘文館
日本の武将32毛利元就 三坂圭治 人物往来社
正史三国志2 陳寿 井波律子・今鷹真訳 ちくま学芸文庫
江戸の性風俗 氏家幹人 講談社現代新書
民明書房大全 集英社
魁!!男塾 宮下あきら 集英社
関連記事:
「どれほど兵は神速を尊ぶか? ~歴史的に行軍速度を探求し戦争術評価の尺度とする試み~」
「神国日本のしょんぼりナショナリズムと鬼子・第六天魔王信長」
「涼宮ハルヒの名将の憂鬱 後編」
歴史研究会・とらっしゅばすけっと関連発表:
「日本民衆文化史」(http://kyoto.cool.ne.jp/rekiken/data/2002/021206.html)
「日本前近代軍事史」(当ブログ内に移転しました)(http://trushnote.exblog.jp/14549736/)
「エリート教育とは」(http://www.geocities.jp/trushbasket/data/nf/elite.html)
関連サイト:
「魁!男塾ファンページ」(http://o-juku.s18.xrea.com/)
風雲戦国史(http://www2.harimaya.com/sengoku/index.html)
南北朝から戦国にかけての武家について述べたサイトです。新田氏・山内上杉氏・越後上杉氏・大井田氏・里見田中氏・里見氏などについても掲載されています。
リンクを変更(2010年12月8日)
by trushbasket
| 2009-05-17 03:49
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