「17歳教」の先駆者たち ~13世紀末の説話集『沙石集』から~
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実は、お姉ちゃんの愛称でファンの方々に慕われる人徳の故か、お姉ちゃんが常人とは異なり永遠に同い年の誕生日を迎え続けることは、既に社会的に承認されており、毎年オタク界隈では、お姉ちゃんの「17歳の」誕生日が到来したことを、祝い話題にする習わしとなっているのです。ちなみにお姉ちゃんは、17歳教(入ると、いつまでも17歳を名乗ることができるありがたい教え)という運動を興していて、入信者も何人か確認されています。
ところで、今日はこの17歳教の遙かな先駆者達を日本史上から紹介したいと思います。その先駆者達の姿を伝えるのは13世紀末頃の仏教説話集『沙石集』。
そこには、こうあります。
人ごとの事といひながら、女人は殊に年のよるをば悲しく思ひて、いつも十七、八ばかりにてあらばやと思ひあへるにや。六角堂に、ある女房、参じたるに、寺僧、「御姓は何、御年はいくらぞ」と問ひければ、「姓は藤原にて候ふ。年は、十八にて候ひし、四十年が先は」と答へける。
(『新編 日本古典文学全集 52 沙石集』小学館 269、270頁)
<訳>
人は皆そういうものかもしれないが、とりわけ女性は年を取るのを悲しく思って、いつも17、8歳くらいでいたいと思っているのだろうか。六角堂に、とある女官がお参りしたところ、寺の僧が、「姓は何で、お年はおいくつですか」と問うたのだが、「姓は藤原でございます。年は、(満年齢だと)17歳と、15000日ほどです」と答えた。
ところで、『沙石集』は似たようなことをする男性の例も挙げています。すなわち、
武州に西王の阿闍梨と云ふ僧有りけり。「御年は、いくらにならせ給ひ候ふぞ」と、人の問ひければ、「六十に余り候ふ」と云ふに、七十に余りて見えければ、不審に覚えて、「六十には、いくら程余り給へる」と問へば、「十四余りて候ふ」と云ひける。遙かの余りなりけり。七十と云へるよりも、六十と云へば、少し若き心地して、かく云ひける。人の常の心なり。
(同書 418頁)
東京だか埼玉のあたりに西王の阿闍梨という僧がいた。「御年はいくらにおなりですか」と、人が問うたところ、「六十を越えたところです」と言うのだが、七十は越えていそうなので、不審に思って。「六十をどれほど越えておられるのですか」と問えば、「5000日ほど越えてございます」と言った。ちょっと越えすぎである。七十と言うよりも、六十と言えば、少し若い心地がするので、このように言ったのである。人の心とは皆こういうものだ。
参考資料
『新編 日本古典文学全集 52 沙石集』小学館
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http://www.geocities.jp/trushbasket/data/nf/warawa.html
幾つになってもずっと童のままの人の話とかが出てきます。
日本民衆文化史
http://kyoto.cool.ne.jp/rekiken/data/2002/021206.html
沙石集にも触れられています。