2010年 01月 24日
重源 東大寺再建にかける工夫~鎌倉期名僧・裏の顔~
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鎌倉初期に、重源という僧侶がいました。源平合戦の最中で焼失した東大寺再建に全力を尽くし、再興の祖として「俊乗堂」に像が祀られている名僧です。昔読んだ歴史学習漫画「少年少女日本の歴史」でも、重源は「もはや老人ですが、命あるかぎりがんばり」「源氏であろうと、平氏であろうと、大仏への寄付をおねがいにあがろうと思って」(『少年少女日本の歴史』旧版第七巻 小学館 22頁)奔走する真面目そうな老僧で、その「情熱とお人がらによって」(同 23頁)莫大な寄付を集められる人格者として描かれています。それだけに東大寺再建が成った際の「大仏殿、南大門、それにこの二王像。わたしの望みはかなえられました。法皇さまが生きておいででしたら…、たいへんよろこばれたことでしょう。」(同 39頁)としみじみと述懐する場面は感動を呼ぶものがあります。
さてこの重源ですが、土木工事に長じ「支度第一」と呼ばれ巨木を見つけたものに米一石を与える事で木材を効率よく集めたり、巨石を轆轤を用いて少人数で運んだりといった工夫に一目置かれる知恵者でした。その重源の知恵は、時にとんでもない方向に向けられる事もあったようです。
南河内の狭山池にある石垣を調査したところ、昔の石棺が使われていた事が判明しました。その工事自体は豊臣時代のものだったのですが、同時に見つかった石碑によればその石棺はそれ以前に用水路の樋に利用された前歴があるようです。何でも、建仁二年(1202)に重源が樋を修築した際に用いたとか。恐らく、彼はその際に近くの古墳を暴いて石棺を樋に利用したと推定されます。
何だか罰当たりな話ですが、僧侶が石仏や墓を粗末に扱うのは実は珍しくありません。例えば高野山奥の院では古い墓地を破壊してその上に更に墓地を建設する事が繰り返されたらしい事が調査で明らかになっています。他にも根来寺では溝板として墓石を無造作に使ったり、井戸をつぶす際に詰め物として石仏四体が使われていました。越前一乗谷の寺跡でも溝の橋として石仏が再利用されていたのです。実際に死者の祭祀などに従事する僧侶達はかえって唯物的な価値観が身につくもののようですね。特にこの重源の事例では、生きている人々に役立てるためでもありますし眼をつぶっても良い気はします。
しかし、重源の「罰当たり」ぶりはこれだけではありませんでした。同時代の最高級貴族・九条兼実の日記「玉葉」は以下のような事件を記しています。建久二年(1191)五月、室生寺の仏舎利が盗難されました。やがて判明した犯人は何と重源の弟子・空諦坊。それが明るみになると重源師弟は一時姿をくらまし、六月三十日の舎利講に現れて後白河に仏舎利三十粒、更に経文と「未来記」(予言書)を献上。仏舎利盗難事件に関しては室生寺と本寺末寺関係にあった興福寺から朝廷に解決依頼があったのですが、後白河は舎利献上で上機嫌となりしかも「未来記に入らしめ給う」状況で重源師弟を無罪放免にしてしまいました。しかも献上された仏舎利が偽物であったと後日に判明するというおまけ付きです。
この男、ライバル寺院から宝物を盗み出した挙句、最高権力者に(しかも偽物を)献上して機嫌をとりおまけに胡散臭い予言書で誑かして無罪を勝ち取ったわけですね。悪どい、実に悪どい。罰当たりっぷりも半端じゃありません。
他に、弟子に命じて伊勢の神鏡も盗み出させたりしているという疑惑も重源にはあります。どうやら、これら仏舎利や鏡といった宝物は転売して東大寺再建の資金に充てていたようですね。…何という錬金術。いくら「支度第一」とはいえ、これはまずいんじゃないでしょうか。
世間一般では「東大寺再建に情熱を注ぐ聖人君子」なイメージで捉えられていそうな重源。まあ、再建への情熱は間違いなく本物でしたが、その実態は目的のためなら墓地盗掘・聖遺物窃盗・(君主相手の)詐欺といった重大犯罪も辞さない危険な老人でした。確か、「五悪」とかいって仏教では偸盗(盗み)・妄語(虚言)は禁じられているはずなんですが…。と言うか仏教じゃなくてもアウトでしょ、これ。それにしても上述の歴史学習漫画では頼朝・義経の不仲や幕府・朝廷の対立を憂慮して「うむ、何もおこらなければよいが…。」(『少年少女日本の歴史』第七巻 小学館 23頁)、「いくさだけは、やめてほしいものじゃ…。」(同 40頁)と良識的な台詞を吐いていた重源ですが、史実だと戦乱のどさくさにまぎれて一儲け企みそうなキャラクターしてますね。
まあ、色々言ってきましたが、重源がその手腕と情熱で日本仏教史に大きな貢献をした名僧である事は動かない事実です。宗教的な情熱と並んで俗的な胡散臭さをも併せ持っていたという点では、文覚や西行、文観といった面々と通じるものがあるでしょう。それにしても、いくら情熱があっても清く正しくだけでは寺院再建といった大事業はできないのだな、と痛感させられる話ですね。
【参考文献】
中世日本の予言書 小峯和明 岩波新書
日本史の快楽 上横手雅敬 角川ソフィア文庫
寺社勢力の中世 伊藤正敏 ちくま新書
少年少女日本の歴史第七巻 あおむら純・画 児玉幸多・監修 小学館
日本大百科全書 小学館
関連記事:
「ナイス暴徒なNise bozu.」
「男のしるし、皇統の危機」
「『南朝五忠臣』」
歴史研究会・とらっしゅばすけっと関連発表:
「引きこもりニート列伝その3 鴨長明・兼好法師」
(http://www.geocities.jp/trushbasket/data/nf/neet03.html)
「義経は戦の天才か?」
(http://kyoto.cool.ne.jp/rekiken/data/2002/020510a.html)
同時代人たちの話です。
関連サイト:
「奈良観光」(http://urano.org/kankou/index.shtml)より
「東大寺(その5)」(http://urano.org/kankou/toudaiji/todaiji5.htm)
さてこの重源ですが、土木工事に長じ「支度第一」と呼ばれ巨木を見つけたものに米一石を与える事で木材を効率よく集めたり、巨石を轆轤を用いて少人数で運んだりといった工夫に一目置かれる知恵者でした。その重源の知恵は、時にとんでもない方向に向けられる事もあったようです。
南河内の狭山池にある石垣を調査したところ、昔の石棺が使われていた事が判明しました。その工事自体は豊臣時代のものだったのですが、同時に見つかった石碑によればその石棺はそれ以前に用水路の樋に利用された前歴があるようです。何でも、建仁二年(1202)に重源が樋を修築した際に用いたとか。恐らく、彼はその際に近くの古墳を暴いて石棺を樋に利用したと推定されます。
何だか罰当たりな話ですが、僧侶が石仏や墓を粗末に扱うのは実は珍しくありません。例えば高野山奥の院では古い墓地を破壊してその上に更に墓地を建設する事が繰り返されたらしい事が調査で明らかになっています。他にも根来寺では溝板として墓石を無造作に使ったり、井戸をつぶす際に詰め物として石仏四体が使われていました。越前一乗谷の寺跡でも溝の橋として石仏が再利用されていたのです。実際に死者の祭祀などに従事する僧侶達はかえって唯物的な価値観が身につくもののようですね。特にこの重源の事例では、生きている人々に役立てるためでもありますし眼をつぶっても良い気はします。
しかし、重源の「罰当たり」ぶりはこれだけではありませんでした。同時代の最高級貴族・九条兼実の日記「玉葉」は以下のような事件を記しています。建久二年(1191)五月、室生寺の仏舎利が盗難されました。やがて判明した犯人は何と重源の弟子・空諦坊。それが明るみになると重源師弟は一時姿をくらまし、六月三十日の舎利講に現れて後白河に仏舎利三十粒、更に経文と「未来記」(予言書)を献上。仏舎利盗難事件に関しては室生寺と本寺末寺関係にあった興福寺から朝廷に解決依頼があったのですが、後白河は舎利献上で上機嫌となりしかも「未来記に入らしめ給う」状況で重源師弟を無罪放免にしてしまいました。しかも献上された仏舎利が偽物であったと後日に判明するというおまけ付きです。
この男、ライバル寺院から宝物を盗み出した挙句、最高権力者に(しかも偽物を)献上して機嫌をとりおまけに胡散臭い予言書で誑かして無罪を勝ち取ったわけですね。悪どい、実に悪どい。罰当たりっぷりも半端じゃありません。
他に、弟子に命じて伊勢の神鏡も盗み出させたりしているという疑惑も重源にはあります。どうやら、これら仏舎利や鏡といった宝物は転売して東大寺再建の資金に充てていたようですね。…何という錬金術。いくら「支度第一」とはいえ、これはまずいんじゃないでしょうか。
世間一般では「東大寺再建に情熱を注ぐ聖人君子」なイメージで捉えられていそうな重源。まあ、再建への情熱は間違いなく本物でしたが、その実態は目的のためなら墓地盗掘・聖遺物窃盗・(君主相手の)詐欺といった重大犯罪も辞さない危険な老人でした。確か、「五悪」とかいって仏教では偸盗(盗み)・妄語(虚言)は禁じられているはずなんですが…。と言うか仏教じゃなくてもアウトでしょ、これ。それにしても上述の歴史学習漫画では頼朝・義経の不仲や幕府・朝廷の対立を憂慮して「うむ、何もおこらなければよいが…。」(『少年少女日本の歴史』第七巻 小学館 23頁)、「いくさだけは、やめてほしいものじゃ…。」(同 40頁)と良識的な台詞を吐いていた重源ですが、史実だと戦乱のどさくさにまぎれて一儲け企みそうなキャラクターしてますね。
まあ、色々言ってきましたが、重源がその手腕と情熱で日本仏教史に大きな貢献をした名僧である事は動かない事実です。宗教的な情熱と並んで俗的な胡散臭さをも併せ持っていたという点では、文覚や西行、文観といった面々と通じるものがあるでしょう。それにしても、いくら情熱があっても清く正しくだけでは寺院再建といった大事業はできないのだな、と痛感させられる話ですね。
【参考文献】
中世日本の予言書 小峯和明 岩波新書
日本史の快楽 上横手雅敬 角川ソフィア文庫
寺社勢力の中世 伊藤正敏 ちくま新書
少年少女日本の歴史第七巻 あおむら純・画 児玉幸多・監修 小学館
日本大百科全書 小学館
関連記事:
「ナイス暴徒なNise bozu.」
「男のしるし、皇統の危機」
「『南朝五忠臣』」
歴史研究会・とらっしゅばすけっと関連発表:
「引きこもりニート列伝その3 鴨長明・兼好法師」
(http://www.geocities.jp/trushbasket/data/nf/neet03.html)
「義経は戦の天才か?」
(http://kyoto.cool.ne.jp/rekiken/data/2002/020510a.html)
同時代人たちの話です。
関連サイト:
「奈良観光」(http://urano.org/kankou/index.shtml)より
「東大寺(その5)」(http://urano.org/kankou/toudaiji/todaiji5.htm)
by trushbasket
| 2010-01-24 01:18
| NF








