2010年 02月 20日
輪廻転生と南北朝~オーラの泉を抱く英雄たち~
|
仏教思想の影響なのか、日本人には現在でも前世とか転生とかの話題が好きな人が多いようですね。テレビ番組にも前世がどうといっているものは時にありますし、娯楽作品でも比較的有名なものだけでも漫画「ぼくの地球を守って」「美少女戦士セーラームーン」、恋愛ゲームだと「痕」「久遠の絆」といった作品で前世や転生といった話があります。
現代でこの状況ですから、前近代においてはかなり大真面目に唱えられたりしたであろう事は想像に難くありません。今回は、日本の南北朝におけるそういった例を見てみましょう。
後醍醐天皇が通念から外れた型破りの「異形の帝王」であると説明される際にしばしば引用されるのが清浄光寺が所蔵する後醍醐天皇像。手に密教の法具を持って怪しげな祈祷をしている図で、一度は教科書などで御覧になった方も多いのではないでしょうか。この絵で、後醍醐は冠に加えて冕冠(端からビラビラが何本も垂れ下がった、中国皇帝の被る冠)をも頭の上に乗せているという実際にはありえない格好をし、黄櫖染(帝王の色)の衣の上に袈裟を纏うといった通常は見られない姿をしています。しかし、この格好には前例があったようです。
鎌倉期においては、聖徳太子への信仰が盛んでした。「太平記」では楠木正成が四天王寺で聖徳太子が書いたとされる「未来記」を読んで北条氏の滅亡を知る逸話がありますが、その他にも聖徳太子と結び付けられた「未来記」は多かったようです。そうした中で描かれた肖像「聖皇曼荼羅図」「聖霊院御影」では、聖徳太子は冠の上に冕冠、黄櫖染の上に袈裟という上述の後醍醐天皇像と同じ姿をしているのです。これは、後醍醐が聖徳太子を強く意識して自画像をそのように描かせた可能性が強そうです。
実際、後醍醐は建武三年(1336)に未来記の一つである「四天王寺御手印縁起」を書写した上で聖徳太子に倣い自らの手印を朱で押しています。自らを太子の再来に擬しているものと考えてよいのではないでしょうか。同様に彼は高野山の弘法大師手印縁起をも書写していますが、弘法大師もまた聖徳太子の生まれ変わりと信じられていた事を考慮すると同一の文脈で解釈できます。
後醍醐天皇は、当時において広く信仰されていた聖徳太子、そして弘法大師の生まれ変わりであると信じることで自らを奮い立たせ、また周囲に自らをカリスマとして権威付けたものでしょう。
それにしても、後醍醐のようなエネルギッシュで破壊的な人物と聖人君子なイメージが流布した聖徳太子とはなんだか不釣合いな気はします。でも、ふくしま政美先生の漫画作品「超劇画・聖徳太子」みたいなキャラだったら話は変わってきますが。
「a Black Leaf」(http://blog.livedoor.jp/textsite/)より
「本当は怖い聖徳太子『超劇画・聖徳太子』」
(http://blog.livedoor.jp/textsite/archives/50372499.html)
自らの一族が滅ぼされたのに怒った聖徳太子が現世に帰還して大暴れ…という漫画の筈なんですが聖徳太子が地獄に連行されてあの世で好き放題やりだした辺りからストーリーも良く判らなくなって結局「未完」のままで終了した話。こんな聖徳太子なら後醍醐が生まれ変わりだと言われてもなんか納得。ところで、近年では聖徳太子の実在が疑問視されているそうですが、そうなるとこの漫画の内容も事実ではありえないということでちょっと残念です。
話は変わって、後醍醐天皇と敵対し自らの政権を樹立した足利尊氏について。「難太平記」には足利氏に関する有名な伝説が記されています。平安後期を代表する軍事的英雄であり足利氏の祖先にあたる源義家は「七代後の子孫に生まれ変わり天下を取る」と遺言したそうで、七代後に相当する足利家時(尊氏の祖父)は天下を取る時節でない事から「わが命を縮め三代後に天下を取らせよ」と祈り若くして自害したというのです。家時から数えて三代目が尊氏であり、ここに至りようやく長年の宿願が果たされたという事になります。ここでは明言されている訳ではありませんが、源義家→家時→尊氏の順に転生したと解釈する事も不可能ではないように思います。後醍醐のケースと同様に、自らが伝説の英雄の後世であるという話は尊氏や周囲の励ましになったのではないでしょうか。
また、話は転生から少しはなれるのですが、足利氏にはもう一つの伝承があります。そこではまた別の英雄が祖先として仰がれています。公式には足利氏は義家の孫である義康から始まり、その子義兼が頼朝に重用され足利氏繁栄の基盤を作ったとされています。しかし、「難太平記」によれば義兼は実は源為朝の子であったというのです。為朝は頼朝の叔父に当たる人物で、弓の名手で戦上手として知られました。この伝承は尊氏の時代には結構真面目に信じられていたらしく、「梅松論」には尊氏が後醍醐に反旗を翻し九州で菊池氏を破った後に筥崎八幡宮で為朝の文書を発見し「当家の祖神」であると感激した逸話が残されています。転生とは直接関係ないですが、この伝承も自らを奮い立たせ周囲にカリスマとして働きかける大きな助けになったと考えられます。
せっかくですから為朝関連と転生とを絡めた話もしておきましょう。徳川期の滝沢馬琴は為朝の伝説を基にして読本「椿説弓張月」を執筆していますが、この中に以下のような話が登場します。為朝の子である尊敦は成長して琉球王舜天王となりますが、死に際に「我が魂は庶兄である足利義包(NF注:義兼の当て字)の家に行く。義包の子孫に尊敦の『尊』の字を名に持つ者が現れれば、それが我が生まれ変わりである」と遺言。つまり異母兄義兼(共に為朝を父とする)から七代目の子孫である尊氏が舜天王の後世だった、という話です。為朝にまつわる伝説を絡み合わせた馬琴の巧みな創作ですね。
少し話が逸れましたが、後醍醐にせよ尊氏にせよ、自らの血縁につながる伝説的英雄の生まれ変わりと称する事で人々を牽き付けるオーラが湧き出す泉を手に入れようとしたわけですね。自らの正統性をアピールするためにはオカルトめいた話も存分に利用する。現在から見ると滑稽にも見えるこれらの逸話は、両陣営の必死な宣伝戦の一環と言えるのです。
【参考文献】
後醍醐天皇のすべて 佐藤和彦・樋口州男編 新人物往来社
信仰の王権聖徳太子 武田佐知子 中公新書
足利尊氏のすべて 櫻井彦・樋口州男・錦昭江編 新人物往来社
京大本梅松論 京都大学国文学会
「群書類従 第二十一号 合戦部」より「難太平記」 続群書類従完成会
日本古典文学大系椿説弓張月(上)(下) 岩波書店
聖徳太子はいなかった 谷沢永一 新潮新書
超劇画・聖徳太子 原作滝沢解 劇画ふくしま政美 太田出版
関連記事:
「南北朝における歴史人物の筆跡」
「聖徳太子未来記と野馬台詩~『話は聞かせてもらったぞ!日の本は滅亡する!』『な、なんだってー!』」
「HENTAIとヘタレが咲き乱れる日本の文学的至宝・物語文学案内 ~作品紹介+関連記事まとめ~ 1/2 平安編」
歴史研究会・とらっしゅばすけっと関連発表:
南北朝関連発表は
「南北朝関連発表まとめ」
にまとめてリンクしています。
「物語の消費形態について―いわゆるオタクを時間的・空間的に相対化する試み―その2」
(http://www.geocities.jp/trushbasket/data/nf/genji.html)
王朝物語にも転生がテーマのものがあります。
後醍醐天皇、足利尊氏については
よろしければ、社会評論社『ダメ人間の日本史』
もご参照ください。
「後醍醐天皇 幼女誘拐・セックス宗教 どんとこい 政治工作のためだもの ~理由が何だろうがダメなものはダメ~」
「足利尊氏 ヘタレなのになぜかモテモテ、リアルエロゲ主人公」
収録
(著作紹介2010年6月27日加筆)
関連サイト:
「原田 実 Cyber Space」(http://www.mars.dti.ne.jp/~techno/)より
「日本の予言書-『野馬台詩』『聖徳太子未来紀』『竹内文献』-」
(http://www.mars.dti.ne.jp/~techno/column/text9.htm)
「芝蘭堂~軍記で読む南北朝・室町~」(http://homepage1.nifty.com/sira/)
「難太平記」「梅松論」もあります。
「泳ぐやる夫シアター」(http://oyoguyaruo.blog72.fc2.com/)より
「歴史系 やる夫鎌倉幕府」
(http://oyoguyaruo.blog72.fc2.com/blog-category-23.html)
足利義兼父子が主人公。
現代でこの状況ですから、前近代においてはかなり大真面目に唱えられたりしたであろう事は想像に難くありません。今回は、日本の南北朝におけるそういった例を見てみましょう。
後醍醐天皇が通念から外れた型破りの「異形の帝王」であると説明される際にしばしば引用されるのが清浄光寺が所蔵する後醍醐天皇像。手に密教の法具を持って怪しげな祈祷をしている図で、一度は教科書などで御覧になった方も多いのではないでしょうか。この絵で、後醍醐は冠に加えて冕冠(端からビラビラが何本も垂れ下がった、中国皇帝の被る冠)をも頭の上に乗せているという実際にはありえない格好をし、黄櫖染(帝王の色)の衣の上に袈裟を纏うといった通常は見られない姿をしています。しかし、この格好には前例があったようです。
鎌倉期においては、聖徳太子への信仰が盛んでした。「太平記」では楠木正成が四天王寺で聖徳太子が書いたとされる「未来記」を読んで北条氏の滅亡を知る逸話がありますが、その他にも聖徳太子と結び付けられた「未来記」は多かったようです。そうした中で描かれた肖像「聖皇曼荼羅図」「聖霊院御影」では、聖徳太子は冠の上に冕冠、黄櫖染の上に袈裟という上述の後醍醐天皇像と同じ姿をしているのです。これは、後醍醐が聖徳太子を強く意識して自画像をそのように描かせた可能性が強そうです。
実際、後醍醐は建武三年(1336)に未来記の一つである「四天王寺御手印縁起」を書写した上で聖徳太子に倣い自らの手印を朱で押しています。自らを太子の再来に擬しているものと考えてよいのではないでしょうか。同様に彼は高野山の弘法大師手印縁起をも書写していますが、弘法大師もまた聖徳太子の生まれ変わりと信じられていた事を考慮すると同一の文脈で解釈できます。
後醍醐天皇は、当時において広く信仰されていた聖徳太子、そして弘法大師の生まれ変わりであると信じることで自らを奮い立たせ、また周囲に自らをカリスマとして権威付けたものでしょう。
それにしても、後醍醐のようなエネルギッシュで破壊的な人物と聖人君子なイメージが流布した聖徳太子とはなんだか不釣合いな気はします。でも、ふくしま政美先生の漫画作品「超劇画・聖徳太子」みたいなキャラだったら話は変わってきますが。
「a Black Leaf」(http://blog.livedoor.jp/textsite/)より
「本当は怖い聖徳太子『超劇画・聖徳太子』」
(http://blog.livedoor.jp/textsite/archives/50372499.html)
自らの一族が滅ぼされたのに怒った聖徳太子が現世に帰還して大暴れ…という漫画の筈なんですが聖徳太子が地獄に連行されてあの世で好き放題やりだした辺りからストーリーも良く判らなくなって結局「未完」のままで終了した話。こんな聖徳太子なら後醍醐が生まれ変わりだと言われてもなんか納得。ところで、近年では聖徳太子の実在が疑問視されているそうですが、そうなるとこの漫画の内容も事実ではありえないということでちょっと残念です。
話は変わって、後醍醐天皇と敵対し自らの政権を樹立した足利尊氏について。「難太平記」には足利氏に関する有名な伝説が記されています。平安後期を代表する軍事的英雄であり足利氏の祖先にあたる源義家は「七代後の子孫に生まれ変わり天下を取る」と遺言したそうで、七代後に相当する足利家時(尊氏の祖父)は天下を取る時節でない事から「わが命を縮め三代後に天下を取らせよ」と祈り若くして自害したというのです。家時から数えて三代目が尊氏であり、ここに至りようやく長年の宿願が果たされたという事になります。ここでは明言されている訳ではありませんが、源義家→家時→尊氏の順に転生したと解釈する事も不可能ではないように思います。後醍醐のケースと同様に、自らが伝説の英雄の後世であるという話は尊氏や周囲の励ましになったのではないでしょうか。
また、話は転生から少しはなれるのですが、足利氏にはもう一つの伝承があります。そこではまた別の英雄が祖先として仰がれています。公式には足利氏は義家の孫である義康から始まり、その子義兼が頼朝に重用され足利氏繁栄の基盤を作ったとされています。しかし、「難太平記」によれば義兼は実は源為朝の子であったというのです。為朝は頼朝の叔父に当たる人物で、弓の名手で戦上手として知られました。この伝承は尊氏の時代には結構真面目に信じられていたらしく、「梅松論」には尊氏が後醍醐に反旗を翻し九州で菊池氏を破った後に筥崎八幡宮で為朝の文書を発見し「当家の祖神」であると感激した逸話が残されています。転生とは直接関係ないですが、この伝承も自らを奮い立たせ周囲にカリスマとして働きかける大きな助けになったと考えられます。
せっかくですから為朝関連と転生とを絡めた話もしておきましょう。徳川期の滝沢馬琴は為朝の伝説を基にして読本「椿説弓張月」を執筆していますが、この中に以下のような話が登場します。為朝の子である尊敦は成長して琉球王舜天王となりますが、死に際に「我が魂は庶兄である足利義包(NF注:義兼の当て字)の家に行く。義包の子孫に尊敦の『尊』の字を名に持つ者が現れれば、それが我が生まれ変わりである」と遺言。つまり異母兄義兼(共に為朝を父とする)から七代目の子孫である尊氏が舜天王の後世だった、という話です。為朝にまつわる伝説を絡み合わせた馬琴の巧みな創作ですね。
少し話が逸れましたが、後醍醐にせよ尊氏にせよ、自らの血縁につながる伝説的英雄の生まれ変わりと称する事で人々を牽き付けるオーラが湧き出す泉を手に入れようとしたわけですね。自らの正統性をアピールするためにはオカルトめいた話も存分に利用する。現在から見ると滑稽にも見えるこれらの逸話は、両陣営の必死な宣伝戦の一環と言えるのです。
【参考文献】
後醍醐天皇のすべて 佐藤和彦・樋口州男編 新人物往来社
信仰の王権聖徳太子 武田佐知子 中公新書
足利尊氏のすべて 櫻井彦・樋口州男・錦昭江編 新人物往来社
京大本梅松論 京都大学国文学会
「群書類従 第二十一号 合戦部」より「難太平記」 続群書類従完成会
日本古典文学大系椿説弓張月(上)(下) 岩波書店
聖徳太子はいなかった 谷沢永一 新潮新書
超劇画・聖徳太子 原作滝沢解 劇画ふくしま政美 太田出版
関連記事:
「南北朝における歴史人物の筆跡」
「聖徳太子未来記と野馬台詩~『話は聞かせてもらったぞ!日の本は滅亡する!』『な、なんだってー!』」
「HENTAIとヘタレが咲き乱れる日本の文学的至宝・物語文学案内 ~作品紹介+関連記事まとめ~ 1/2 平安編」
歴史研究会・とらっしゅばすけっと関連発表:
南北朝関連発表は
「南北朝関連発表まとめ」
にまとめてリンクしています。
「物語の消費形態について―いわゆるオタクを時間的・空間的に相対化する試み―その2」
(http://www.geocities.jp/trushbasket/data/nf/genji.html)
王朝物語にも転生がテーマのものがあります。
後醍醐天皇、足利尊氏については
よろしければ、社会評論社『ダメ人間の日本史』
もご参照ください。
「後醍醐天皇 幼女誘拐・セックス宗教 どんとこい 政治工作のためだもの ~理由が何だろうがダメなものはダメ~」
「足利尊氏 ヘタレなのになぜかモテモテ、リアルエロゲ主人公」
収録
(著作紹介2010年6月27日加筆)
関連サイト:
「原田 実 Cyber Space」(http://www.mars.dti.ne.jp/~techno/)より
「日本の予言書-『野馬台詩』『聖徳太子未来紀』『竹内文献』-」
(http://www.mars.dti.ne.jp/~techno/column/text9.htm)
「芝蘭堂~軍記で読む南北朝・室町~」(http://homepage1.nifty.com/sira/)
「難太平記」「梅松論」もあります。
「泳ぐやる夫シアター」(http://oyoguyaruo.blog72.fc2.com/)より
「歴史系 やる夫鎌倉幕府」
(http://oyoguyaruo.blog72.fc2.com/blog-category-23.html)
足利義兼父子が主人公。
by trushbasket
| 2010-02-20 23:51
| NF








