2010年 03月 01日
若者 vs 年配者 in『今昔物語集』 ~老人は人を食う鬼である~ 悪老人の若者いじめに昔の人も苦しんだ
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近頃の年配者の方々は、若者叩きが大変お好きなようです。
まあ、若者の方も、多少は生意気なところとかがあるでしょうから、少々なら、叩かれても仕方ない面があるでしょう。
ところが、暴れればここぞとばかりに叩くくせに、大人しくしていれば、それをバカにして叩き、放縦に走れば叩きまくるくせに、ならば慎ましやかに生活していればというと、それを小馬鹿にするという有り様で、
何をしていようが、何もしていなかろうが、どっちに転んでも、年配者の方々にとって、とりあえず若者は叩きたいものらしいです。
それどころか、年配者の方々は、自分たちの若かった時代の凶悪犯罪の多さを棚に上げ、明らかに犯罪の減っている後の若者を心の闇だの何だのと、凶悪犯予備軍扱いしてメチャクチャに罵倒している様子。
というわけで、若者の未熟さや生意気さ等を考慮に入れても、近年の年配者の若者叩きは異常。
まあ、現実問題として、普通の人は、明日の社会を担う下の世代を踏みにじって喜ぶような悪趣味はあまり持っていないものですし、それ以上に、日々他人を叩いて回るほど暇でもないので、若者に共感したりはしないにせよ、若者叩きに精を出したりもしないものかと思われます。結局、若者叩き論者なんてものは多少規模のデカいノイジーマイノリティに過ぎない気がしますが、それでもノイジーマイノリティが、最近、ウザイ程度に目に付いているのも事実ではあります。
で、このような(一部の)年配者の老害ぶりは若者にとって忌々しいのはもちろんのこと、おそらく、年配者中の良識ある多くの方々も苦々しく眺めているに違いありません。明日の社会を担う若者を、育み導く責務を捨てて、不当にいびり叩いて、どうして社会が維持できるでしょう。
そして、私も、このような現状を深く憂慮し、この荒廃しきった日本の状況をどうにか改めることはできないか、頭を悩ませる人間の一人であります。知恵と経験と磨き抜かれた人格を備えた尊敬すべき年配者が、明日を担う若者達の未熟を教え導き育ててくれる、そんな日本を創り出すことはできないのか。
で、このブログは一応歴史ネタを扱うブログでありますので、何か歴史や古典から教訓や指針を得られないものかと、目線を過去に向けてみたところ、ここで思い至るのは、昔話。昔話は、喜々として若者叩きに励む現代の年配者と違って、下の世代を慈しみあるいは導く、ナイスな爺婆が出てくる話が多かった気がするのです。桃とか竹とかに入ってた捨て子を育てる優しい爺婆とかいますし、その爺婆、若者の自分勝手、具体的には鬼退治と称する変な冒険暴走行為や、結婚拒否とかにも、寛容だった気がしますし。他にも、老人を捨てるよう法令が出されたのに、老親を捨てられず隠しておいた孝行者が、隠しておいた老人の知恵に導かれ、誰も対処できなかった難題を解決し、褒美をもらって年寄りのありがたさが示されメデタシメデタシなんていう、姨捨山伝説とか。そういえばこの姨捨山伝説、敬老精神と老人の導きがナイスなコラボレーションでハッピーエンドを導き出した、ある種理想の年配者-若者関係。その周辺に、年配者と若者の関係を再構築する、人間関係の知恵が見つかると見た。
いざ、古き良き日本の知恵を訪ねん。
ちなみに姨捨山伝説は『大和物語』(10世紀)に現れるのが最初だそうですが、『大和物語』は宮廷ゴシップ集としての性格が強く、浮ついた社交の知恵ならともかく、社会を切り盛りする人間関係の知恵を引き出す上で、イマイチ頼りにならなさそう。そこで、次いで姨捨山伝説の現れる説話集『今昔物語集』(12世紀)に、年配者-若者関係再構築のヒントを求めますよ。姨捨山伝説的な理想的年配者-若者関係を可能とする『今昔物語集』の世界観を読み解き、そこから良好な年配者-若者関係を可能とする論理を抽出し、現代日本の再生に役立てるのです。
で、『今昔物語』を探索したところ、若者と年配者の関係につき、興味深い内容の説話が存在しました。
それは第27巻のとある説話。
猟師の兄と弟が深夜に狩を行ったとき、鬼に掴みかかられ片腕を弓矢で射切って撃退、家に帰ると戸の向こうから老母のうめき声がする。そこで火を灯すと、手にした腕はまるで母の腕のよう、戸を開けると母が恨みを述べてつかみかかってくる。まもなく死んだ母を見ればその片腕は切られていた。「母ガ老ヒ耄ケテ、鬼ニ成テ」(『新編日本古典文学全集 38 今昔物語集4』小学館 78頁)、子を食おうと襲ったのであった。
というお話。
で、『今昔物語集』のこの説話、これらの成り行きを語るに続けて一般論を展開して曰く、
<訳>
そういうわけで、人の親のひどく年取った者は必ず鬼となってこのように子まで食おうとするものなのである。
……老いた親が鬼となって子を食おうとするのは、特異な単発の怪奇現象とかではなく、「必ズ」起こる一般的現象らしいです。
なお、鬼が子を食うのは子が手近にいるからで、手近に子がいなければ、他の者を食おうとしたことは想像に難くありません。鬼となった世代は、各自の子にとってのみならず、鬼ならぬ世代が多数生活する社会全体にとっても鬼でしょう。子を食うのでなく「子ヲモ」食うのですよ。
そういうわけで、「必ズ」とするのは言い過ぎな気もしますが、それでも老人は、若者や社会にとって、高確率で鬼となっている、そう言って良いということになります。老人を見たら、敬う前に、若者や社会にとって、その正体が鬼でないか否か警戒しなければいけない、この説話は、そのことを教えてくれているとも言えます。
喜々として若者叩きに精を出す最近の(一部の)年配者を見ていれば、納得の話ですが、最近だけでなく、昔から少なからぬ年配者が若者と社会の害となってきたということなのでしょうか。
それにしても、平均寿命の問題で、そうそう年配者が生き残らない時代でも、一般論として年配者を鬼呼ばわりし、警戒せねばならなかったことを思えば、医療技術の発達で寿命の延びた現代は、何とも恐ろしいことですね。おそらく、社会に鬼が溢れかえっていることでしょう。
ああ、それで現代は、年配者の若者叩きが異常なくらい目立っているのか。
ところで、この説話は、そんな鬼に悩まされる全ての人に、いかに対処すべきかを教えてくれているとも言えましょう。
すなわち
鬼は狩れ。
人を食う鬼と人が出会えば、人は食われぬために、人の世を護るために、鬼を討つしかないのです。
若者は、鬼と化した悪しき年配者との間に相互理解を打ち立てるなんて下らない可能性は考えず、一心不乱に、いかに食われぬか、いかに狩るかを考えねばならぬということですね。
そういえば、姨捨山の話は老人の価値を諭す話とされているのですが、だからといって、老人なら誰でも価値があるなどと示してるわけではありません。なにせ、優れた知恵を発揮してハッピーエンドってことは、知恵がなければバッドエンドです。
即ち、長い人生を活かして、それ相応の識見を備えた良い老人は大切にしなければならない、と言っているのみでした。
ちなみに、姨捨山伝説には、捨てられる老人が子に背負われながら、木の枝を折って行き、それを目印に、自分を捨てた子が、帰路に迷わぬよう取りはからってやるという、老人の識見に加えて、愛情・人格の方をより強調するバージョンも存在するようです。
結局、以上を合わせて考えると、古き良き日本の人間関係の知恵は、良好な若者-年配者関係構築のため、こう教えていると言えましょう。
知恵と人格に劣った悪しき年配者を殲滅せよ。
そうすれば、残った知恵と人格に優れた老人と若者の間に良好な関係ができると。
とはいえ、これが実行できるかというと疑問があります。実際に殺し尽くすわけにも生きませんし、社会的に抹殺するにしても、それができるかというと……。現代は、医療技術の発達で、人がなかなか死ななくて、結果、年配者の社会に占める比率が異常に肥大化している時代。しかも、それが先行者の優位を活かして、財力、権力をガッチリ掌握している時代。つまり、人数も財力も権力も全て年配者が、不公正なまでに、圧倒的な時代ですから、金も力もたいしてなく、人数だって多くはない若者の力では、おそらくはマイノリティとは言え、悪しき老人を殲滅するのは容易なことでは無さそうです。
どうやら、古典の知恵は、役に立ちそうにありませんね。
あと、もう一つ古典の知恵。
年配者の若い頃の犯罪率から言って、いつ年配者が若者を暴力的な襲撃の的にしてもおかしくないといえます。
実際、駅なんかで駅員暴行したりするのも年配者が多いらしいですし。
ところでそんな場合の対処法。
猟師の家の母子の話からして、
凶悪な年配者が掴みかかってきても、複数人で武器を使って反撃すれば、勝てる。
……こっちもあまり役に立ちそうにないですね。
ということで、残念なことに、古典は、現状に活かせる知恵は何も与えてくれませんでした。
それでも、年配者なら何でも尊重報恩しろとか言って理不尽な道徳まき散らしたりせず、
年配者が敬うよりも警戒すべき存在であると、記述を残してくれただけでも、大きな仕事をしてくれたと言えるかも知れません。
そういうわけで、大事な内容をもう一度確認しておきましょう。
よい子のみんな、平安時代のご先祖さまからのありがたいアドバイスだ。
年配者を見たら、それはみんなのことを食べようと狙っている鬼であることが結構あるから、気をつけないといけないよ。
参考資料
『新編日本古典文学全集 38 今昔物語集4』小学館小学館
『スーパー・ニッポニカ Professional』小学館
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今昔オナホ物語 ~お手製自慰用具いまむかし(男の子用)~
れきけん・とらっしゅばすけっと/京都大学歴史研究会関連発表
人を食った話
http://www.geocities.jp/trushbasket/data/nf/cannibal.html
日本民衆文化史
http://kyoto.cool.ne.jp/rekiken/data/2002/021206.html
おまけリンク
少年犯罪データベース
http://kangaeru.s59.xrea.com/
第2回 キレやすいのは誰だ【反社会学講座】
http://mazzan.at.infoseek.co.jp/lesson2.html
新・後藤和智事務所 ~若者報道から見た日本~
http://kgotoworks.cocolog-nifty.com/youthjournalism/
まあ、若者の方も、多少は生意気なところとかがあるでしょうから、少々なら、叩かれても仕方ない面があるでしょう。
ところが、暴れればここぞとばかりに叩くくせに、大人しくしていれば、それをバカにして叩き、放縦に走れば叩きまくるくせに、ならば慎ましやかに生活していればというと、それを小馬鹿にするという有り様で、
何をしていようが、何もしていなかろうが、どっちに転んでも、年配者の方々にとって、とりあえず若者は叩きたいものらしいです。
それどころか、年配者の方々は、自分たちの若かった時代の凶悪犯罪の多さを棚に上げ、明らかに犯罪の減っている後の若者を心の闇だの何だのと、凶悪犯予備軍扱いしてメチャクチャに罵倒している様子。
というわけで、若者の未熟さや生意気さ等を考慮に入れても、近年の年配者の若者叩きは異常。
まあ、現実問題として、普通の人は、明日の社会を担う下の世代を踏みにじって喜ぶような悪趣味はあまり持っていないものですし、それ以上に、日々他人を叩いて回るほど暇でもないので、若者に共感したりはしないにせよ、若者叩きに精を出したりもしないものかと思われます。結局、若者叩き論者なんてものは多少規模のデカいノイジーマイノリティに過ぎない気がしますが、それでもノイジーマイノリティが、最近、ウザイ程度に目に付いているのも事実ではあります。
で、このような(一部の)年配者の老害ぶりは若者にとって忌々しいのはもちろんのこと、おそらく、年配者中の良識ある多くの方々も苦々しく眺めているに違いありません。明日の社会を担う若者を、育み導く責務を捨てて、不当にいびり叩いて、どうして社会が維持できるでしょう。
そして、私も、このような現状を深く憂慮し、この荒廃しきった日本の状況をどうにか改めることはできないか、頭を悩ませる人間の一人であります。知恵と経験と磨き抜かれた人格を備えた尊敬すべき年配者が、明日を担う若者達の未熟を教え導き育ててくれる、そんな日本を創り出すことはできないのか。
で、このブログは一応歴史ネタを扱うブログでありますので、何か歴史や古典から教訓や指針を得られないものかと、目線を過去に向けてみたところ、ここで思い至るのは、昔話。昔話は、喜々として若者叩きに励む現代の年配者と違って、下の世代を慈しみあるいは導く、ナイスな爺婆が出てくる話が多かった気がするのです。桃とか竹とかに入ってた捨て子を育てる優しい爺婆とかいますし、その爺婆、若者の自分勝手、具体的には鬼退治と称する変な冒険暴走行為や、結婚拒否とかにも、寛容だった気がしますし。他にも、老人を捨てるよう法令が出されたのに、老親を捨てられず隠しておいた孝行者が、隠しておいた老人の知恵に導かれ、誰も対処できなかった難題を解決し、褒美をもらって年寄りのありがたさが示されメデタシメデタシなんていう、姨捨山伝説とか。そういえばこの姨捨山伝説、敬老精神と老人の導きがナイスなコラボレーションでハッピーエンドを導き出した、ある種理想の年配者-若者関係。その周辺に、年配者と若者の関係を再構築する、人間関係の知恵が見つかると見た。
いざ、古き良き日本の知恵を訪ねん。
ちなみに姨捨山伝説は『大和物語』(10世紀)に現れるのが最初だそうですが、『大和物語』は宮廷ゴシップ集としての性格が強く、浮ついた社交の知恵ならともかく、社会を切り盛りする人間関係の知恵を引き出す上で、イマイチ頼りにならなさそう。そこで、次いで姨捨山伝説の現れる説話集『今昔物語集』(12世紀)に、年配者-若者関係再構築のヒントを求めますよ。姨捨山伝説的な理想的年配者-若者関係を可能とする『今昔物語集』の世界観を読み解き、そこから良好な年配者-若者関係を可能とする論理を抽出し、現代日本の再生に役立てるのです。
で、『今昔物語』を探索したところ、若者と年配者の関係につき、興味深い内容の説話が存在しました。
それは第27巻のとある説話。
猟師の兄と弟が深夜に狩を行ったとき、鬼に掴みかかられ片腕を弓矢で射切って撃退、家に帰ると戸の向こうから老母のうめき声がする。そこで火を灯すと、手にした腕はまるで母の腕のよう、戸を開けると母が恨みを述べてつかみかかってくる。まもなく死んだ母を見ればその片腕は切られていた。「母ガ老ヒ耄ケテ、鬼ニ成テ」(『新編日本古典文学全集 38 今昔物語集4』小学館 78頁)、子を食おうと襲ったのであった。
というお話。
で、『今昔物語集』のこの説話、これらの成り行きを語るに続けて一般論を展開して曰く、
然レバ、人ノ祖ノ年痛ウ老タルハ必ズ鬼に成テ此ク子ヲモ食ハムト為ル也ケリ。(同上)
<訳>
そういうわけで、人の親のひどく年取った者は必ず鬼となってこのように子まで食おうとするものなのである。
……老いた親が鬼となって子を食おうとするのは、特異な単発の怪奇現象とかではなく、「必ズ」起こる一般的現象らしいです。
なお、鬼が子を食うのは子が手近にいるからで、手近に子がいなければ、他の者を食おうとしたことは想像に難くありません。鬼となった世代は、各自の子にとってのみならず、鬼ならぬ世代が多数生活する社会全体にとっても鬼でしょう。子を食うのでなく「子ヲモ」食うのですよ。
そういうわけで、「必ズ」とするのは言い過ぎな気もしますが、それでも老人は、若者や社会にとって、高確率で鬼となっている、そう言って良いということになります。老人を見たら、敬う前に、若者や社会にとって、その正体が鬼でないか否か警戒しなければいけない、この説話は、そのことを教えてくれているとも言えます。
喜々として若者叩きに精を出す最近の(一部の)年配者を見ていれば、納得の話ですが、最近だけでなく、昔から少なからぬ年配者が若者と社会の害となってきたということなのでしょうか。
それにしても、平均寿命の問題で、そうそう年配者が生き残らない時代でも、一般論として年配者を鬼呼ばわりし、警戒せねばならなかったことを思えば、医療技術の発達で寿命の延びた現代は、何とも恐ろしいことですね。おそらく、社会に鬼が溢れかえっていることでしょう。
ああ、それで現代は、年配者の若者叩きが異常なくらい目立っているのか。
ところで、この説話は、そんな鬼に悩まされる全ての人に、いかに対処すべきかを教えてくれているとも言えましょう。
すなわち
鬼は狩れ。
人を食う鬼と人が出会えば、人は食われぬために、人の世を護るために、鬼を討つしかないのです。
若者は、鬼と化した悪しき年配者との間に相互理解を打ち立てるなんて下らない可能性は考えず、一心不乱に、いかに食われぬか、いかに狩るかを考えねばならぬということですね。
そういえば、姨捨山の話は老人の価値を諭す話とされているのですが、だからといって、老人なら誰でも価値があるなどと示してるわけではありません。なにせ、優れた知恵を発揮してハッピーエンドってことは、知恵がなければバッドエンドです。
即ち、長い人生を活かして、それ相応の識見を備えた良い老人は大切にしなければならない、と言っているのみでした。
ちなみに、姨捨山伝説には、捨てられる老人が子に背負われながら、木の枝を折って行き、それを目印に、自分を捨てた子が、帰路に迷わぬよう取りはからってやるという、老人の識見に加えて、愛情・人格の方をより強調するバージョンも存在するようです。
結局、以上を合わせて考えると、古き良き日本の人間関係の知恵は、良好な若者-年配者関係構築のため、こう教えていると言えましょう。
知恵と人格に劣った悪しき年配者を殲滅せよ。
そうすれば、残った知恵と人格に優れた老人と若者の間に良好な関係ができると。
とはいえ、これが実行できるかというと疑問があります。実際に殺し尽くすわけにも生きませんし、社会的に抹殺するにしても、それができるかというと……。現代は、医療技術の発達で、人がなかなか死ななくて、結果、年配者の社会に占める比率が異常に肥大化している時代。しかも、それが先行者の優位を活かして、財力、権力をガッチリ掌握している時代。つまり、人数も財力も権力も全て年配者が、不公正なまでに、圧倒的な時代ですから、金も力もたいしてなく、人数だって多くはない若者の力では、おそらくはマイノリティとは言え、悪しき老人を殲滅するのは容易なことでは無さそうです。
どうやら、古典の知恵は、役に立ちそうにありませんね。
あと、もう一つ古典の知恵。
年配者の若い頃の犯罪率から言って、いつ年配者が若者を暴力的な襲撃の的にしてもおかしくないといえます。
実際、駅なんかで駅員暴行したりするのも年配者が多いらしいですし。
ところでそんな場合の対処法。
猟師の家の母子の話からして、
凶悪な年配者が掴みかかってきても、複数人で武器を使って反撃すれば、勝てる。
……こっちもあまり役に立ちそうにないですね。
ということで、残念なことに、古典は、現状に活かせる知恵は何も与えてくれませんでした。
それでも、年配者なら何でも尊重報恩しろとか言って理不尽な道徳まき散らしたりせず、
年配者が敬うよりも警戒すべき存在であると、記述を残してくれただけでも、大きな仕事をしてくれたと言えるかも知れません。
そういうわけで、大事な内容をもう一度確認しておきましょう。
よい子のみんな、平安時代のご先祖さまからのありがたいアドバイスだ。
年配者を見たら、それはみんなのことを食べようと狙っている鬼であることが結構あるから、気をつけないといけないよ。
参考資料
『新編日本古典文学全集 38 今昔物語集4』小学館小学館
『スーパー・ニッポニカ Professional』小学館
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戦う老人力 ~戦闘の限界年齢を西洋古代史から考える~ 古代のジジィが強すぎるの巻
極意・マンガの描き方 from 平安朝 ~見るべき要素を誇張せよ 具体的にはエロマンガではチンコをでかく~
今昔オナホ物語 ~お手製自慰用具いまむかし(男の子用)~
れきけん・とらっしゅばすけっと/京都大学歴史研究会関連発表
人を食った話
http://www.geocities.jp/trushbasket/data/nf/cannibal.html
日本民衆文化史
http://kyoto.cool.ne.jp/rekiken/data/2002/021206.html
おまけリンク
少年犯罪データベース
http://kangaeru.s59.xrea.com/
第2回 キレやすいのは誰だ【反社会学講座】
http://mazzan.at.infoseek.co.jp/lesson2.html
新・後藤和智事務所 ~若者報道から見た日本~
http://kgotoworks.cocolog-nifty.com/youthjournalism/
by trushbasket
| 2010-03-01 01:57
| My(山田昌弘)








