2010年 03月 15日
世界各地の「遼 来 来」 ~泣く子も黙る世界の勇将、知将、名将、殺戮者~
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ここは歴史ネタのブログですので、読者の皆様の中にも、中国の歴史物語、三国志をご存じの方、三国志がお好きな方も多いでしょう。ですから、三国志の有名なエピソード、3世紀の魏の国の猛将張遼が、あまりの強さのために、敵国呉において非常に恐れられ、呉では子供が泣くと、張遼が来ると言って叱りつけ黙らせるようになったという話をご存じの方は、当然、かなりの数おられるでしょう。
なにせ、7千の兵力で城を守って10万の呉軍の阻止に当たり、800の兵で出撃急襲して呉軍を叩きのめしてしまったとかいう恐るべき剛勇の人物ですから、泣く子が黙るほど恐れられるのも納得です。
ちなみに、張遼の冴え渡る武勇は、漫画『蒼天航路』で大変印象深くカッコ良く描かれていますから、普段漫画など読まない歴史好きの方とか、三国志に興味の無かった漫画好きの方とか、一度読んでみることをオススメしますよ。
というわけで、みんなで見よう、
遼 来 来(『蒼天航路』文庫版 16巻 40頁他)。
ところで、漫画から歴史に話を戻しますと、こんな風に子供を叱るのに名を使うという形で、恐ろしさを喧伝された人物は、実は、張遼だけではなく、歴史上に他にも何人もいたりします。今日は、そんな人物を特集してみたいと思います。
中国では、6世紀、北魏に仕えた猛将楊大眼が、梁の軍勢をしばしば破って梁の兵士と民衆に恐れられ、その名を、泣く子を黙らせるのに使われたといいます。
また、10世紀に中国に侵入した遊牧国家遼の最大の名将で、電撃的な用兵で鳴らした耶律休哥も、その名を聞くと泣く子が黙ったそうです。
このように、中国史では恐るべき武将への畏怖の念を、しばしば、子供を叱るのに使うという形で記録してきたわけです。
ですが、このような形で、優れた敵将への畏怖を表したのは中国人だけではありません。
西洋史でも似たような例が知られています。
まず、西洋古代史の最高の名将である前3世紀のカルタゴの知将ハンニバルは、イタリア半島のローマ共和国との戦争で、ローマの圧倒的大軍に包囲網を敷かれながら、見事包囲網を迂回してすり抜け、敵の首都ローマへと迫り、長らく首都まで侵入を受けることの無かったローマ人を大いに恐怖させました。そのためローマでは、母親が子供を叱るときに、ハンニバルが来ると言うようになったとか。
そして、東ローマ帝国の6~7世紀の名将ナルセスは、帝国の東部戦線の指揮を執り、ササン朝ペルシアの王位継承への介入作戦を成功させるなど大いに活躍、ペルシア領のアッシリア地方において、その名を、母親が子供を叱る際に、使われるようになったとか言います。
(東ローマ帝国にはほぼ同時代に、西方遠征でナルセスという名の高名な宦官武将が活躍しているのですが、このナルセスとそのナルセスは別人です。)
この他、12世紀のイギリス王リチャード1世は、獅子心王と讃えられる勇将で、西欧キリスト教世界から外世界への遠征軍、十字軍を率いて中東へと侵入、イスラム教勢力の支配下にあったキリスト教・イスラム教双方の聖地エルサレムの奪取を目指して間近まで迫るなど、大いに武勇を発揮しました。そのためイスラム世界では、リチャード王が来ると言って、泣く子を叱りつけるようになったそうです。
なお、以上のように、子供を叱るのに名を使われた歴史上の人物は、多くが優れた武将で、その圧倒的な軍事的力量によって恐れられたのですが、それ以外でも子供を叱るのに名を使われた人物がいます。
それは15世紀イタリアの都市フォルリの女傑カテリーナ・スフォルツァ。彼女は、恐怖政治と仇の関係者に対する残虐な大量処刑で名を馳せ、なんと500年経った現代まで、子供を叱るのに、カテリーナ伯爵夫人が来ると言って、その名を使われているそうです。
今日の所はここまでとしますが、ひょっとすると、ここに上げた人物以外にも、まだまだ似たような恐れられ方をした人物が、色々いるかも知れませんね。
参考資料
陳寿著『正史 三国志3 魏書III』今鷹真訳 ちくま学芸文庫
王欣太著『蒼天航路』李學仁原案 講談社漫画文庫
田中芳樹著『中国武将列伝』中公文庫
塩野七生著『ローマ人の物語II ハンニバル戦記』新潮社
エドワード・ギボン著『ローマ帝国衰亡史第VIII巻』筑摩書房
ジャン・ド・ジョワンヴィル著『聖王ルイ 西欧十字軍とモンゴル帝国』伊藤敏樹訳 ちくま学芸文庫
塩野七生著『ルネサンスの女たち』中公文庫
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涼宮ハルヒの名将の憂鬱 後編
どれほど兵は神速を尊ぶか? ~歴史的に行軍速度を探求し戦争術評価の尺度とする試み~
タマはなくても矢弾は撃てる、ナニは無くとも槍は立つ いけいけ宦官大将軍
れきけん・とらっしゅばすけっと/京都大学歴史研究会関連発表
C.W.C.Oman『中世における戦争術 378~1515』(翻訳)
http://www.geocities.jp/trushbasket/data/my/oman.html
梁朝春秋~南朝の極盛、そして破滅~
http://kyoto.cool.ne.jp/rekiken/data/2000/001215.html
ジョン・ギリンガム『リチャード1世と中世の軍事学』要点メモ
http://kyoto.cool.ne.jp/rekiken/data/2002/021101y.html
(以下2010年6月26日加筆)
リチャード1世については
よろしければ、社会評論社『ダメ人間の世界史』
(「リチャード一世 神の掟を踏み破り男色の罪を犯した神の軍勢の背徳変態司令官」収録)
もご参照ください。
なにせ、7千の兵力で城を守って10万の呉軍の阻止に当たり、800の兵で出撃急襲して呉軍を叩きのめしてしまったとかいう恐るべき剛勇の人物ですから、泣く子が黙るほど恐れられるのも納得です。
ちなみに、張遼の冴え渡る武勇は、漫画『蒼天航路』で大変印象深くカッコ良く描かれていますから、普段漫画など読まない歴史好きの方とか、三国志に興味の無かった漫画好きの方とか、一度読んでみることをオススメしますよ。
というわけで、みんなで見よう、
遼 来 来(『蒼天航路』文庫版 16巻 40頁他)。
ところで、漫画から歴史に話を戻しますと、こんな風に子供を叱るのに名を使うという形で、恐ろしさを喧伝された人物は、実は、張遼だけではなく、歴史上に他にも何人もいたりします。今日は、そんな人物を特集してみたいと思います。
中国では、6世紀、北魏に仕えた猛将楊大眼が、梁の軍勢をしばしば破って梁の兵士と民衆に恐れられ、その名を、泣く子を黙らせるのに使われたといいます。
また、10世紀に中国に侵入した遊牧国家遼の最大の名将で、電撃的な用兵で鳴らした耶律休哥も、その名を聞くと泣く子が黙ったそうです。
このように、中国史では恐るべき武将への畏怖の念を、しばしば、子供を叱るのに使うという形で記録してきたわけです。
ですが、このような形で、優れた敵将への畏怖を表したのは中国人だけではありません。
西洋史でも似たような例が知られています。
まず、西洋古代史の最高の名将である前3世紀のカルタゴの知将ハンニバルは、イタリア半島のローマ共和国との戦争で、ローマの圧倒的大軍に包囲網を敷かれながら、見事包囲網を迂回してすり抜け、敵の首都ローマへと迫り、長らく首都まで侵入を受けることの無かったローマ人を大いに恐怖させました。そのためローマでは、母親が子供を叱るときに、ハンニバルが来ると言うようになったとか。
そして、東ローマ帝国の6~7世紀の名将ナルセスは、帝国の東部戦線の指揮を執り、ササン朝ペルシアの王位継承への介入作戦を成功させるなど大いに活躍、ペルシア領のアッシリア地方において、その名を、母親が子供を叱る際に、使われるようになったとか言います。
(東ローマ帝国にはほぼ同時代に、西方遠征でナルセスという名の高名な宦官武将が活躍しているのですが、このナルセスとそのナルセスは別人です。)
この他、12世紀のイギリス王リチャード1世は、獅子心王と讃えられる勇将で、西欧キリスト教世界から外世界への遠征軍、十字軍を率いて中東へと侵入、イスラム教勢力の支配下にあったキリスト教・イスラム教双方の聖地エルサレムの奪取を目指して間近まで迫るなど、大いに武勇を発揮しました。そのためイスラム世界では、リチャード王が来ると言って、泣く子を叱りつけるようになったそうです。
なお、以上のように、子供を叱るのに名を使われた歴史上の人物は、多くが優れた武将で、その圧倒的な軍事的力量によって恐れられたのですが、それ以外でも子供を叱るのに名を使われた人物がいます。
それは15世紀イタリアの都市フォルリの女傑カテリーナ・スフォルツァ。彼女は、恐怖政治と仇の関係者に対する残虐な大量処刑で名を馳せ、なんと500年経った現代まで、子供を叱るのに、カテリーナ伯爵夫人が来ると言って、その名を使われているそうです。
今日の所はここまでとしますが、ひょっとすると、ここに上げた人物以外にも、まだまだ似たような恐れられ方をした人物が、色々いるかも知れませんね。
参考資料
陳寿著『正史 三国志3 魏書III』今鷹真訳 ちくま学芸文庫
王欣太著『蒼天航路』李學仁原案 講談社漫画文庫
田中芳樹著『中国武将列伝』中公文庫
塩野七生著『ローマ人の物語II ハンニバル戦記』新潮社
エドワード・ギボン著『ローマ帝国衰亡史第VIII巻』筑摩書房
ジャン・ド・ジョワンヴィル著『聖王ルイ 西欧十字軍とモンゴル帝国』伊藤敏樹訳 ちくま学芸文庫
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http://www.geocities.jp/trushbasket/data/my/oman.html
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http://kyoto.cool.ne.jp/rekiken/data/2000/001215.html
ジョン・ギリンガム『リチャード1世と中世の軍事学』要点メモ
http://kyoto.cool.ne.jp/rekiken/data/2002/021101y.html
(以下2010年6月26日加筆)
リチャード1世については
よろしければ、社会評論社『ダメ人間の世界史』
(「リチャード一世 神の掟を踏み破り男色の罪を犯した神の軍勢の背徳変態司令官」収録)
もご参照ください。
by trushbasket
| 2010-03-15 02:22
| My(山田昌弘)








