【オタク元帥】 総理大臣・海軍元帥 加藤友三郎のマンガ趣味は世間からどう評価されたか 【マンガ首相】
|
オタク首相の日本近現代90年史 ~漫画オタクの総理大臣は既に1920年代には登場していた~
これは世間の受けがそれなりに良かったようで、歴史なんてマイナー趣味を扱ってるこんなブログがちょくちょく余所のサイトからリンクされ、いつもより多くのお客さんが読みに来てくださったようです。それで、せっかく受けがよいのですから、加藤のマンガ趣味について、もう少しだけ書いておこうと思います。
ただ、
加藤のマンガ趣味については
社会評論社『ダメ人間の日本史』(リンク先Amazon商品ページ)
の加藤を扱ったページで取り上げており、本に書いた内容と重複する内容を書くのは、出版社に対して義理を欠くことになります。
そういうわけで、加藤がどんな風にマンガを取扱い、マンガに関してどういう行動をとっていたかについて、興味ある方は、『ダメ人間の日本史』のほうを読んで頂くとして、今日ここでは、本の方では触れていない、加藤のマンガ趣味が世間にどのように評価されたかという問題について述べたいと思います。
とはいえ、インターネット時代の現代と違って、日本全国の見ず知らずの一般人が大勢集まってワイワイやれる言論空間なんて物は昔にはありませんから、
一般日本人が、元帥だ総理だの趣味を共通の話題として、ロシア帝国のバルチック艦隊をやっつけた英雄加藤首相はマンガオタクだったらしい、日本終わったな、日本始まったなとか、ロシア終わったなとか、俺たちの加藤、俺たちの友三郎とか、ワイワイ盛り上がることなんか不可能なわけで、世間の加藤のマンガ趣味へ評価は、伝記作者のマンガ趣味の取り上げ方を通じて、間接的に推測するとかせざるを得ないのですが、
そういうわけで、加藤の死の数年後に書かれた彼の伝記、『元帥加藤友三郎傳』(1928)の加藤のマンガ趣味へのコメントを見て頂きましょう。
惟ふに元帥が寡言にも拘らず、往々にして寸鐵骨を刺すが如き皮肉の言ありたるは、此の漫畫に學ぶ所多かりしやも知るべからず。(『元帥加藤友三郎傳』加藤元帥傳記編纂委員会 279頁)
ということで、鋭い皮肉屋であった加藤の弁論の鋭さは、マンガから多くを学んだものだったかも知れないと、マンガ趣味を、推測・疑問含みながらも、割りに肯定的に評価してます。
この『加藤友三郎傳』、加藤を讃える内容の本なのですが、
戦前なんて言う頭固そうな時代の、偉大な軍人を賞賛する内容の本においては、
マンガ趣味なんか、都合の悪いものとして見なかったことにされそうなもの。何せ、現代でもマンガ趣味はしばしば揶揄の対象になりますし。
それが、そんな時代に、加藤のマンガ趣味が、無かったことにされたりせず、「漫畫に學ぶ所多かりし」と、むしろどちらかといえば肯定的に捉えられているって点は、なかなか面白いのではないかと思います。
故人を讃える伝記で、マンガ趣味を取り上げた、しかも肯定的に評価したということは、マンガ趣味であったと人に知られても、故人の評価が下がらない、そしてマンガ趣味を肯定的に評価しても批判を受けないという社会状況にあったと言うことですから。
ということで、加藤のマンガ趣味は社会から肯定的に評価された、あるいは少なくとも、社会は加藤のマンガ趣味を知った場合に肯定的に評価する用意があった、とは言って良いようです。
なんか、意外と、戦前の社会って頭やわらかですね。
余談ながら、『元帥加藤友三郎傳』の30年後、戦後になって書かれた『三代宰相列伝 加藤友三郎』(1958)では、同じ事実を取り上げ、加藤が鋭い皮肉屋であることと結びつけているのは同様ながら、以下のように評価しています。
かれは、胃腸のよわいものにありがちなように、するどい頭脳をもっていた。他人の頭脳が、かれからみると劣弱鈍感に感じられたことが、多かったと想像される。かれは、いつも皮肉屋であり、どうかすると寸鉄人を刺すようなことをいった。他人がバカに見えてしかたがないということもあったろう。そこから、一種の傲慢さも生まれたであろうし、通俗の意味のいわゆる「人間味」に欠けた一種の孤独性に、かれはいつも閉じこもっている原因でもあったにちがいない。かれの漫画趣味は、そうしたかれの性格を、よく物語っているということができる。(新井達夫『三代宰相列伝 加藤友三郎』時事通信社 188、189頁)
この『三代宰相列伝 加藤友三郎』の文章は、否定的な響きはしておらず、冷静に加藤の性格を論評しているだけだとは思いますが、オタクをコミュニケーション能力が低く陰気でひとりぼっちであると否定的に語って揶揄する最近の時代の文章となんだか似通った内容ではあります。
ところで、仮に、今、加藤の伝記が書かれることがあれば、マンガ趣味はどう評価されるのでしょうか?
ひょっとしたら、都合の悪い物として無かったことにされるか、あるいは偉大な人物に相応しくない欠点として残念がられるか、しそうな気がしますね。
普通の人と日本社会全体を見れば、そもそもオタ叩きみたいなしょーもない活動に精を出すほど暇でないからかして、時代が進むにつれ、オタ趣味にも寛容で軟らかくなってきてる気はするものの、一部の利口ぶった人々は、妙に態度を硬化させつつある今日この頃ですから。
参考資料
『元帥加藤友三郎傳』加藤元帥傳記編纂委員会
新井達夫著『三代宰相列伝 加藤友三郎』 時事通信社
山田昌弘/麓直浩著『ダメ人間の日本史』社会評論社
関連記事
オタク首相の日本近現代90年史 ~漫画オタクの総理大臣は既に1920年代には登場していた~
エロマンガ大王 後白河法皇 ~日本エロマンガの歴史は天皇家より始まる~
清少納言がスイーツ(笑)な上にヲタである件
れきけん・とらっしゅばすけっと/京都大学歴史研究会関連発表
物語の消費形態について―いわゆるオタクを時間的・空間的に相対化する試み―その2
http://www.geocities.jp/trushbasket/data/nf/genji.html
西洋軍事史(当ブログ内に移転)
http://trushnote.exblog.jp/14470857/
日本民衆文化史
http://kyoto.cool.ne.jp/rekiken/data/2002/021206.html
あわせてこちらもどうぞ
リンクを変更(2010年12月7日)