太古日本における数や坂への見方について~とあるエロゲーの舞台を考察してみる~
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奈々坂は、「秋桜の空に」の主人公オミくんによれば「尋常ではないほど、坂が多く、自転車での通学は並みの苦労ではない」(『秋桜の空に』)という土地であるようです。で、この土地には由緒ある神社が存在すると言う設定なのですが、その神社の伝説によれば奈々坂は「ななつの坂を越え」辿り着く場所でありその向こうは「八坂と呼ばれる、森に覆われた闇」なんだとか。
以上から考えると、「奈々坂」は本来「七坂」であったという設定だと思われます。さてここで坂の名に付けられている「七」と「八」に日本人が抱いたイメージについて述べてみます。
「七」という数字を用いている実例を挙げると「初七日」のようにまだ具体性を持つものもありますが、そうでない場合もあります。例えば「太平記」は湊川合戦で敗れ自決を前にした楠木正成・正季兄弟が「七たび生まれ変わっても朝敵を滅ぼしたい」と誓い合ったという逸話を記していますが、この「七たび」とは単に実際に七回というのではなく「生まれ変われる限りずっと」というニュアンスが込められているのです。「七代祟る」という言い回しも同じ意味合いがあります。因みに、上述のような思いを抱いて果てた正成は「太平記」で怨霊となっていますが、その際に「七頭」の牛に乗り「七回」登場しています。「七」という数字には特別な意味合いが込められている事が読み取れますが、具体的な数であったり無限に近い意味であったりと様々です。「七」は太古の日本人にとって数えられるか否かという境目で、数える事が尽きようとしている場所であると言えそうです。
次に、「八」です。この数字が用いられている慣用的用法を挙げると、「八方」「八つ当たり」「八雲」「八重桜」のように実際に「八」の数字であると言うより「とにかく沢山ある」というニュアンスのものが多いと言えます。「八」と他の数字を組み合わせたものも入れると、「嘘八百」「八百万の神」とやはり「数の多さ」を意味するものがほとんどです。こうした「八」には神聖な意味合いが与えられる事が多く、例えば皇位継承の証である「三種の神器」は二つが「八咫鏡」「八尺瓊勾玉」と「八」を名称に含んでおり、残りの「天叢雲剣」にも「八握剣」という別名があったりします。そしてこの国の古い名称も「大八島」である事からも同じことが言えます。
幼児にものを数えさせると、「ひとつ、ふたつ、…たくさん!」といった事になったりしますが、数の概念が発達する前の日本人にとっても同様な事が言えたのかもしれませんね。「七」が「たくさん」になるかならないか微妙な所であり「八」は大概の場合「たくさん」を意味するものだった訳で。
してみると、「奈々坂」(七坂)は「数えられるギリギリの数」だけ坂を越えた場所であり、「世界の果て」という意味合いがありそうです。更に向こうの「八坂」は「具体的にイメージできない位向こう」というニュアンスでしかも「闇」すなわち異界と想像される訳ですから尚更の事。
さて、人々はこうした数だけでなく「坂」にも特別な意味合いを見出していたようです。以前の記事で、三叉路や村境といった境界線になりうる場所に魔除けとして道祖神が安置された事について述べましたが、橋や坂もまた境界線として認識されていたようです。例えば京における清水坂や奈良の奈良坂は都市の内外を示す境目として神聖視され、清水寺や般若寺など寺社が設けられています。そういえば、「古事記」で現世と根の国(来世)の境目が「黄泉比良坂」と呼ばれる坂であり、イザナギがそこに大石と杖を立てたのが道祖神の始まりとされていましたね。
以上から考えると、「奈々坂」は「この世の果て」に存在する「坂」、すなわち「来世への境目」と太古において認識されたのかもしれません。そのような地に大きな森があったとすれば、そこが神聖な土地とみなされ神社へと発展したのは自然な成り行きと言えるでしょう。高地の森林は死者の魂が帰る場所として古来より見られていましたし。Marronも民俗信仰の視点から見て面白い場所を舞台として設定したものだと言えそうです。
【参考文献】
中世日本文化史論考 横井清 平凡社
妖怪と怨霊の日本史 田中聡 集英社新書
日本史の快楽 上横手雅敬 角川ソフィア文庫
日本古典文学大系太平記 一~三 岩波書店
古事記 倉野憲司校注 岩波文庫
道祖神信仰史研究 石田哲弥編 名著出版
日本の民俗宗教 宮家準 講談社学術文庫
秋桜の空に Marron
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歴史研究会・とらっしゅばすけっと関連発表:
「日本民衆文化史」(http://kyoto.cool.ne.jp/rekiken/data/2002/021206.html)
「エロゲーを中心とする恋愛ゲームの歴史に関するごく簡単なメモ」
(http://kyoto.cool.ne.jp/rekiken/data/s2004/050311.html)
「楠木正成」(http://kyoto.cool.ne.jp/rekiken/data/2000/001201.html)
「自殺と往生」(http://www.geocities.jp/trushbasket/data/nf/oujo.html)
現世と来世の境界線について述べています。
関連サイト:
「Marron official homepage」(http://www.marron.nu/)より
「秋桜の空に」(http://www.marron.nu/cosmos.html)
「太平記 現代語訳」(http://www5d.biglobe.ne.jp/~katakori/taiheiki/)
相当な意訳ですが、全体を一通り通すには便利です。