2010年 07月 04日
日本人はチームワークが苦手です ~1300年の戦史が語る日本人の国民性~
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異国の文化との接触は時にそれまで気づかなかった自国の特性を認識させてくれたりするものですが、今日は歴史上の海外との交渉、日本戦史上の国際戦争から日本人の特性を考えてみたいと思います。
1/4.古代の国際戦争と日本人
古代日本帝国は、朝鮮半島で中国の唐帝国と戦い白村江の戦い(663年)に惨敗することになったのですが、この戦いについては、『日本書紀』に以下のような記述があります。
<訳>
日本は将軍たちと百済の王が状況も見定めず、口々に、「我等が先を争って襲いかかれば敵は勝手に逃げ出すに違いない」と言った。そして日本の乱れた隊列の中軍の船団を率いて大唐帝国の軍を攻撃した。大唐帝国軍は左右より挟撃しようと船団を廻らせて戦った。たちまち日本軍は敗北した。
どうも、古代の日本軍は、まともに軍内で連携することも出来ず、みんなで先を争って襲いかかることで敵が逃げてくれることを望むしかないという状態にあったようです。
この頃は、日本が、曲がりなりにも東アジアの国際政治に参加して、周辺諸国に後れを取らぬよう、国家や軍隊の組織化を推進していた時代なのですが、その時代にして、この不合理な非組織性。
唐軍の巧みな包囲戦術との対照が、なんとも切なく残念な感じで、日本人としては、思わず目をそらしたくなります。
日本人は、自分たちが和を重んじる民族であると信じている節がありますが、歴史の初期においては、和の国民性などとんでもなく、むしろ、不和こそが国民性と言われても仕方ない有り様だったようです。
2/4.近世の国際戦争と日本人
さて、これに続いて見て頂きたいのは近世期の豊臣秀吉の朝鮮出兵(1592~1598年)についてです。
秀吉の朝鮮出兵においては、日本軍が中国の明帝国軍と衝突し、日本軍の特徴が否応なしに暴き出されているのですが、朝鮮出兵で暴かれた日本軍の特性ついては、江戸時代の軍学者、荻生徂徠が見事な研究考察を行っています。徂徠は、日本の戦史や用兵学のみならず、明の名将・戚継光の用兵学まで学習し、その知的基盤の上に朝鮮出兵の戦史を研究、日本軍と明軍の差異、特性を明らかにしているのですが、それについて少し徂徠の文章を引用してみましょう。
<訳>
日本の戦いは、専ら士卒の知恵を借りて戦います。このため敗軍の将には、罪科がありません。外国の軍は士卒の知恵に頼らずに、戦いの勝敗は全く大将が掌握していますから、敗軍の将は死罪となるのです。
<訳>
日本には平常時から理論的に構築された体系的戦争術というものは存在しません。外国には平常時から理論的に構築された体系的戦争術というものがあります。……その清正家の古老の物語では、大明帝国の持つ体系的戦争術は、兵士の動かし方が日本と比べて全く異なっており、(朝鮮に出征して明軍と戦った)諸将は皆それに仰天したものだと言っています。いろいろの物語にもあることです。しかし日本の将兵は戦国時代の百戦の中で磨き抜かれた勇将・猛士であったので、惨敗にはならなかったというだけのことです。明帝国から朝鮮へ派遣された大将は、大した武将でもなかったのに、嘉靖年中に兪大猷・戚継光といった名将が定立しておいた体系が残っていたので、このような成果を挙げることができたのです。
ちなみに徂徠の軍学における軍法とは、軍法会議などと言うときの軍法とは違う言葉です。徂徠の言う軍法とは戦場における具体的臨機応変の策たる軍略と対照を成す概念で、平時における訓練・組織構築等からなる理論的体系的な戦争術のことです。
さて、秀吉の時代は、近世日本の軍事的な組織化体系化が進行した果ての時代であり、日本軍事史の流れの中に限ってみれば、その軍隊は相当高度な組織化が成されていました。
ところが、その日本人的には高度な軍事組織も、明帝国軍と対比してみると、兵士の個人的力量に頼った、非組織的な軍隊に見えると言うことです。
またしても、日本軍の和を欠く、不合理な非組織性を目にすることになりました。
3/4.近代の国際戦争と日本人
続いて、近代の太平洋戦争(1941~1945年)について見てみましょう。
太平洋戦争でアメリカ軍と戦ったことで、日本人は、アメリカ軍と日本軍の特性、差異を知り、日本軍および日本人の欠点について痛感させられることになったのですが、
以下に、日本軍および日本人の欠点に触れた旧日本軍人の高名な研究書から、文章を引用してみましょう。
まずは、千早正隆『日本海軍の戦略発想』から。
さらに淵田美津夫/奥宮正武『ミッドウェー』から
これら二つの研究書は揃って、日本軍および日本人の不合理な非組織性を暴き立てています。和を重んじるはずの日本国民、ここでも不和こそ国民性で、極めて不合理かつ非組織的であることが示されてしまいました。
4/4.結論
以上のように、古代、近世、近代の国際戦争の記録・研究は、揃いも揃って日本人の不合理な非組織性を記しているわけですが、これは、極めて重大な結果であると思います。
たとえ鎌倉武士と元寇兵士の間に、やあやあ我こそは的個人武勇と集団戦法という格差が存在したとしても、鎌倉期と言えば中世的な権力衰退によって社会の組織性が希薄化した時代故、さして問題ありません。そのような、時代による組織力の低下は、多くの文明圏に普遍的に見られる事象です。
ところが、上記の三つの国際戦争は既に少しは触れたように、古代、近世、さらに近代という社会の組織化の高揚期に行われたものですから、その最中に露呈した不合理な非組織性というのは、
時代によって説明・正当化して、見逃してやるわけにはいかない代物ということになるのです。
つまり、和を重んずるとされていますが、
実は、日本人の国民性は不和こそが本性
で、
日本人は国民性としてチームワークが非常に苦手である
ということです。
参考資料
『国史大系 第1巻 日本書紀』経済雑誌社
『中世を考える いくさ』福田豊彦編 吉川弘文館
『荻生徂徠全集』河出書房新社
野口武彦著『江戸の兵学思想』中公文庫
千早正隆著『日本海軍の戦略発想』中公文庫
淵田美津夫/奥宮正武著『ミッドウェー』朝日ソノラマ文庫
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れきけん・とらっしゅばすけっと/京都大学歴史研究会関連発表
引きこもりニート列伝その31 李舜臣
http://www.geocities.jp/trushbasket/data/nf/neet31.html
『軍事史概説 戦略と戦術の東西文明五千年史』概要(当ブログ内に移転)
http://trushnote.exblog.jp/14455184/
C.W.C.Oman『中世における戦争術 378~1515』(翻訳)
http://www.geocities.jp/trushbasket/data/index.html
この他、明の名将・戚継光については
よろしければ、社会評論社『ダメ人間の世界史』[リンク先Amazon]
(「戚継光 あらゆる外敵に打ち勝った勇将も、内では異常な恐妻家、妻が恐くて逆らえず仕方ないから部下に八つ当たり 」収録)
もご参照ください。
リンクを変更(2010年12月7日)
1/4.古代の国際戦争と日本人
古代日本帝国は、朝鮮半島で中国の唐帝国と戦い白村江の戦い(663年)に惨敗することになったのですが、この戦いについては、『日本書紀』に以下のような記述があります。
日本諸の将と百済の王気象を見ず、しかして相謂いて曰く、我等先を争わば彼まさに自ずからに退くべし。さらに日本の乱れたる伍の中軍の卒を率いて進んで大唐の軍を打つ。大唐すなわち左右より夾んで舟を繞り戦う。ときのまに官軍敗続れぬ。(『日本書紀』27巻)
<訳>
日本は将軍たちと百済の王が状況も見定めず、口々に、「我等が先を争って襲いかかれば敵は勝手に逃げ出すに違いない」と言った。そして日本の乱れた隊列の中軍の船団を率いて大唐帝国の軍を攻撃した。大唐帝国軍は左右より挟撃しようと船団を廻らせて戦った。たちまち日本軍は敗北した。
どうも、古代の日本軍は、まともに軍内で連携することも出来ず、みんなで先を争って襲いかかることで敵が逃げてくれることを望むしかないという状態にあったようです。
この頃は、日本が、曲がりなりにも東アジアの国際政治に参加して、周辺諸国に後れを取らぬよう、国家や軍隊の組織化を推進していた時代なのですが、その時代にして、この不合理な非組織性。
唐軍の巧みな包囲戦術との対照が、なんとも切なく残念な感じで、日本人としては、思わず目をそらしたくなります。
日本人は、自分たちが和を重んじる民族であると信じている節がありますが、歴史の初期においては、和の国民性などとんでもなく、むしろ、不和こそが国民性と言われても仕方ない有り様だったようです。
2/4.近世の国際戦争と日本人
さて、これに続いて見て頂きたいのは近世期の豊臣秀吉の朝鮮出兵(1592~1598年)についてです。
秀吉の朝鮮出兵においては、日本軍が中国の明帝国軍と衝突し、日本軍の特徴が否応なしに暴き出されているのですが、朝鮮出兵で暴かれた日本軍の特性ついては、江戸時代の軍学者、荻生徂徠が見事な研究考察を行っています。徂徠は、日本の戦史や用兵学のみならず、明の名将・戚継光の用兵学まで学習し、その知的基盤の上に朝鮮出兵の戦史を研究、日本軍と明軍の差異、特性を明らかにしているのですが、それについて少し徂徠の文章を引用してみましょう。
日本の軍は、専ら士卒の智惠をかり候て軍を致候事に候。依之敗軍の將、罪科無之候。異國の軍は士卒の智惠を不用候て、戰の勝負は全く大將の掌握に有之候故、敗軍の將は死罪に候。(『鈐録外書』2巻 『荻生徂徠全集』河出書房新社 6巻 612頁)
<訳>
日本の戦いは、専ら士卒の知恵を借りて戦います。このため敗軍の将には、罪科がありません。外国の軍は士卒の知恵に頼らずに、戦いの勝敗は全く大将が掌握していますから、敗軍の将は死罪となるのです。
日本には治世の軍法と申もの無之候。異國には治世の軍法有之事に候。……其淸正家の故老の物語に、大明の軍法は、人數の遣様、日本と替り各別の事にて、諸將皆是に仰天致したると申事にて候。いろいろの物語有之事に候。されども百戰の中よりみがゝれたる勇將・猛士ゆへ、きたなき負は不致迄の事に候。明朝より高麗へ渡り候大將、左迄の者にても無之候へども、嘉靖年中、兪大猷・戚南塘と申す名將の立置たる法ども殘り候間、如此に御座候。(同上 644、645頁 一部漢字記号改変)
<訳>
日本には平常時から理論的に構築された体系的戦争術というものは存在しません。外国には平常時から理論的に構築された体系的戦争術というものがあります。……その清正家の古老の物語では、大明帝国の持つ体系的戦争術は、兵士の動かし方が日本と比べて全く異なっており、(朝鮮に出征して明軍と戦った)諸将は皆それに仰天したものだと言っています。いろいろの物語にもあることです。しかし日本の将兵は戦国時代の百戦の中で磨き抜かれた勇将・猛士であったので、惨敗にはならなかったというだけのことです。明帝国から朝鮮へ派遣された大将は、大した武将でもなかったのに、嘉靖年中に兪大猷・戚継光といった名将が定立しておいた体系が残っていたので、このような成果を挙げることができたのです。
ちなみに徂徠の軍学における軍法とは、軍法会議などと言うときの軍法とは違う言葉です。徂徠の言う軍法とは戦場における具体的臨機応変の策たる軍略と対照を成す概念で、平時における訓練・組織構築等からなる理論的体系的な戦争術のことです。
さて、秀吉の時代は、近世日本の軍事的な組織化体系化が進行した果ての時代であり、日本軍事史の流れの中に限ってみれば、その軍隊は相当高度な組織化が成されていました。
ところが、その日本人的には高度な軍事組織も、明帝国軍と対比してみると、兵士の個人的力量に頼った、非組織的な軍隊に見えると言うことです。
またしても、日本軍の和を欠く、不合理な非組織性を目にすることになりました。
3/4.近代の国際戦争と日本人
続いて、近代の太平洋戦争(1941~1945年)について見てみましょう。
太平洋戦争でアメリカ軍と戦ったことで、日本人は、アメリカ軍と日本軍の特性、差異を知り、日本軍および日本人の欠点について痛感させられることになったのですが、
以下に、日本軍および日本人の欠点に触れた旧日本軍人の高名な研究書から、文章を引用してみましょう。
まずは、千早正隆『日本海軍の戦略発想』から。
かつての日本海軍が敗北を喫した原因は数多あるであろうが、私は、兵力量が十分でなかったとか、兵器の性能が敵のものより劣っていたとか、あるいはそれを扱う人の伎倆が劣っていたということよりも、敗北の真因は、戦争というものについての総合的な判断を欠き、かつまたその対応において計画性に欠けていたことにあるのではないかと考えるのである。(千早正隆『日本海軍の戦略発想』中公文庫 339頁)
ただ私はここで。そのような欠陥は、多分に、近視眼的な短見と、短兵に事を急ごうとする日本人の特性から生まれたのではないかと考えられるということを指摘したい。(同上 340頁)
さらにまた、いま一つの欠陥である非協力性も、そのような傾向を深めた、といわなけらばならない。日本人は、一般的に言って、分業とチームワークは苦手とするところである。(同上 341頁)
たしかに米国の物量は、戦前の日本側の判断を、はるかに越えるものであった。……
しかし、それだけが米国の真の力ではなかった。真の力は、そのほかにあった。それは、実にそのような大軍備の増強を、所要の時期までに整備しあげた大組織力と、さらにこれを縦横に駆使する見事なチームワークであった。……(同上 349頁)
さらに淵田美津夫/奥宮正武『ミッドウェー』から
この立場に立てば、ミッドウェー海戦は、わが国民性の欠陥を、見事にあばきたてた戦いであった。これまで述べてきた数々の敗因には、その根底にことごとくわが国民性の欠陥が潜んでいる。合理性を欠く我が国民性は、やることなすことが行き当たりばったりで、相互の間に理屈が合わない。セクリョナリズムの国民性はものをみる視野が狭く、やることが独善的である。……(淵田美津夫/奥宮正武『ミッドウェー』朝日ソノラマ文庫 417頁)
個々の戦士や部隊の、賞賛に値する努力も犠牲もなんら報いられるところはなかった。大の虫を生かすために小の虫を殺すということは知っていても、それを具体化する研究も訓練も積まれていなかった。つまり団体としては未完成だったのである。(同上 418頁)
これら二つの研究書は揃って、日本軍および日本人の不合理な非組織性を暴き立てています。和を重んじるはずの日本国民、ここでも不和こそ国民性で、極めて不合理かつ非組織的であることが示されてしまいました。
4/4.結論
以上のように、古代、近世、近代の国際戦争の記録・研究は、揃いも揃って日本人の不合理な非組織性を記しているわけですが、これは、極めて重大な結果であると思います。
たとえ鎌倉武士と元寇兵士の間に、やあやあ我こそは的個人武勇と集団戦法という格差が存在したとしても、鎌倉期と言えば中世的な権力衰退によって社会の組織性が希薄化した時代故、さして問題ありません。そのような、時代による組織力の低下は、多くの文明圏に普遍的に見られる事象です。
ところが、上記の三つの国際戦争は既に少しは触れたように、古代、近世、さらに近代という社会の組織化の高揚期に行われたものですから、その最中に露呈した不合理な非組織性というのは、
時代によって説明・正当化して、見逃してやるわけにはいかない代物ということになるのです。
つまり、和を重んずるとされていますが、
実は、日本人の国民性は不和こそが本性
で、
日本人は国民性としてチームワークが非常に苦手である
ということです。
参考資料
『国史大系 第1巻 日本書紀』経済雑誌社
『中世を考える いくさ』福田豊彦編 吉川弘文館
『荻生徂徠全集』河出書房新社
野口武彦著『江戸の兵学思想』中公文庫
千早正隆著『日本海軍の戦略発想』中公文庫
淵田美津夫/奥宮正武著『ミッドウェー』朝日ソノラマ文庫
関連記事
オタク首相の日本近現代90年史 ~漫画オタクの総理大臣は既に1920年代には登場していた~
提督達の見たヘタリア ~イタリアは乞食、コソ泥、ごろつき、売女~
「あの国のあの法則」 ~50年前の碩学の言葉と地政学的証明~
れきけん・とらっしゅばすけっと/京都大学歴史研究会関連発表
引きこもりニート列伝その31 李舜臣
http://www.geocities.jp/trushbasket/data/nf/neet31.html
『軍事史概説 戦略と戦術の東西文明五千年史』概要(当ブログ内に移転)
http://trushnote.exblog.jp/14455184/
C.W.C.Oman『中世における戦争術 378~1515』(翻訳)
http://www.geocities.jp/trushbasket/data/index.html
この他、明の名将・戚継光については
よろしければ、社会評論社『ダメ人間の世界史』[リンク先Amazon]
(「戚継光 あらゆる外敵に打ち勝った勇将も、内では異常な恐妻家、妻が恐くて逆らえず仕方ないから部下に八つ当たり 」収録)
もご参照ください。
リンクを変更(2010年12月7日)
by trushbasket
| 2010-07-04 00:29
| My(山田昌弘)








