2010年 08月 30日
貫かないを貫き通した漢達 ~童貞達の西洋軍事史名将伝~
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変態メイド熱血少年漫画『メイドいんジャパン』(おりもとみまな 秋田書店)で、
とか言って、いきなり天使の羽と輪っかを生やし、圧倒的な武力で大暴れしてくれた、最強メイドの栗田建女さん(男性)の漢らしいカッコよさに感動したので、なんとなく、リアルに強くてカッコいい童貞の人を捜してみたくなりました。
そういうわけで、今日は歴史上の強くてカッコイイ童貞の人特集。
歴史上のカッコいい人といえば、やはり国々や民族の興廃をその手に握る軍事的英雄でしょうから、童貞名将伝と行きましょう。
まあ、個々人の性的嗜好や人間関係や日々の遊び・気晴らしの逐一が歴史上に完全に記録されているわけではなく、童貞であるとの確証を得るのは無理なことも多いので、童貞と思しき人の特集ですが。
エパメイノンダス(前418頃~362)
古代ギリシアの都市国家テーベの名将。レウクトラの戦いで、無敵の軍事国家スパルタの軍を叩き潰すなど、軍事的手腕を発揮し、テーベをギリシアの覇権国家へと押し上げた。
エパメイノンダスは生涯妻を持たず、子はおらず、政敵からも友人からもそれについて非難を受けています。しかも、ろくでなしの息子を持つ親友ペロピダスが、エパメイノンダスは子孫を残さないことで国家に損害を与えていると言うのに対し、「君こそより大きな損害を与えないよう注意し給え。あれほど悪名高い息子を世に残すのだから」(ネポス『英雄伝』上村健二・山下太郎訳 国文者102頁)と言い返しており、自分が子孫を残していないことによほどの自信があったことが窺えます。女の愛人、恋人がいたり、商売女を買ったりして、不用意に種蒔きした記憶があれば、こんな事を自信満々で言うことはできないはずですから、妻子が無いどころか、それ以外の女性関係も皆無だったのでしょう。
またエパメイノンダスは、極貧でありながら、それにもかかわらず気前の良い金持ちであるペロピダスからの援助を拒否、質素で学問に耽溺する超俗的な生活を送っており、この欲望と金に甚だ乏しい生活態度・経済状態から言っても、小金を積んで童貞を捨てに行ったとは考えにくいです。
さらに、ミキュトスという若者を寵愛したこと、哲学オタクであったことからしても、エパメイノンダスは女性を性愛の対象にしてはいなかったであろうと推測されます。古代ギリシアでは少年愛趣味の人間が、妙に哲学的に大きく構えた議論で、少年愛の素晴らしさを語り、異性愛より同性愛が優れているなどと強弁したりするものなので、哲学趣味で少年を愛したエパメイノンダスも、異性愛を軽んじ同性愛を重んじる人であった可能性がかなりあると言えるのです。
以上より、おそらくエパメイノンダスは童貞を貫いた人でしょう。
プリンツ・オイゲン(1663~1736)
プリンツ・オイゲンはオーストリアの名将で、トルコやフランス相手に軍事的手腕を発揮、オーストリア帝国の柱石となった。ドイツ人の敬愛を受け、民謡にまで謳われる英雄であり、史上屈指の名将に数えられる。
オイゲンは十代の頃には男色関係の女役を務めた人物で、長じては、堂々たる男らしい男と交遊しその後援者となることに喜びを見出していたとされます。多くの外交文書はオイゲンに愛妾が複数人いたことを伝えていますが、愛妾というのは、当時の貴族社会におけるステータスシンボルにして社交の道具であり、社交に巧みな婦人を愛妾として、性的関係を持たずもっぱら社交界における補佐を期待すると言うことも、少なくありませんでした。したがって、男が好きで、しかも女役に回るような嗜好の持ち主オイゲンが愛妾を持ったからと行って、童貞捨ててるとは限らないのです。
ちなみにオイゲンについて記述を残したオルレアン公妃は回想録で「公子に女性関係がなかったというのは、とんでもない間違いだ」(飯塚信雄『バロックの騎士 プリンツ・オイゲンの冒険』平凡社 252頁)などと言っていますが、そのように否定することで「とんでもない間違い」が世の人の間に存在し、しかも否定の言葉を述べねばならぬほど高い信用性をもって通用していた説であることを教えてくれていますね。それで、その世間の信じる「とんでもない間違い」と公妃の弁のいずれを支持すべきかですが、オルレアン公妃自身オイゲンにつき「女性には興味を示さず、美男子の小姓たちの方がましだったのでしょう」(同書 122頁)と述べてもいるのですから、世間の信じる「とんでもない間違い」のほうが正解のような気がします。
ということで、プリンツ・オイゲンはたぶん童貞を貫いた人です。
カール12世(1682~1718)
スウェーデンの王。軍事的天才で知られ、周辺諸国と激しく戦い、生涯のほとんどを戦陣で過ごした人物。兵隊王の異名を持つ。
野心的戦闘的な人物で、アレクサンドロスやカエサルのような史上の大征服者に憧れ、若くして王となり周辺諸国との戦いに乗り出すや、戦いに専念し、あらゆる快楽を放棄、女性と関係を持つこともありませんでした。女性に生活を乱されることを嫌い、また、厳しい軍規を兵士に課すため自ら厳しい禁欲で模範を垂れたのだといいます。
それ以前に、宮廷の一婦人との間に艶聞を立てられたことがありますが、これは真偽不明の噂のレベルに留まるようです。
ということで、ほぼ確実にカール12世は童貞を貫いた人です。
フリードリヒ2世(1712~86)
ドイツ地域の東北方にある国家プロイセンの王。大国オーストリアとの戦争を戦い抜き、プロイセンの領土を拡張、プロイセンをヨーロッパの強国の地位へと押し上げた人物。大王の尊称で呼ばれる。
当時の風潮に反して小市民的な一穴主義を貫き、ヨーロッパ貴族社会での社交上必須の道具であった愛妾の一人も作らない厳格な父の元、若き日は異性との接触を厳しく制限されていた。例えば、1728年に父とともにザクセン選帝侯アウグストを訪問した際には、豪華なベッドに全裸の美女を配置して歓待されたが、これを見た父は息子の目を遮って、息子をその場から連れ出したという。
若き日のフリードリヒには、教会の聖歌隊の指揮者の娘を気に入ってプレゼントを贈るようなこともあったのですが、この娘は、フリードリヒ2世が父を嫌って海外逃亡を企て失敗し、関係者が次々処罰された際に、処女膜が無傷であることを医師と産婆によって確認した上で、鞭打ち刑に処されています。
そして海外逃亡失敗後、性根を鍛え直されている時期にはは、フリードリヒは、父によって女性の客を迎えることを厳禁されていました。この頃に、女性に愛の詩を捧げて受け入れられてはいますが、時代の風習に倣った社交的な行動に過ぎず、肉欲とは関係のない行動だったそうです。
フリードリヒは、やがて望まぬ結婚を父に強いられ世継ぎを待望されることになりましたが、妻との性交渉は無かったそうです。彼は子作りを望む声には「私の子作りについての御要望に対しては義務感を持っています。ちょうど今繁殖期にある牡鹿のような気分に私がなれば、九ヶ月後には、御要望の通りになることでしょう。そのことが私たちの甥や甥の息子にとって幸福となるか、私には分かりません。王国は常に世継ぎを見つけ出します。王の座が空席のままでいることはないのです。」(飯塚信雄『フリードリヒ大王 啓蒙君主のペンと剣』中公新書 66頁)などと答えて、いかにも妻との小作りに乗り気でありませんでしたし、それどころか父の死後王位に就いてからは妻と完全に別居し宮廷で顔を合わせても会話しないほど疎遠となっており、結局後継ぎを残していません。ちなみに、王となって以降のフリードリヒは、妻を無視して男友達との交友ばかりに意識を向け、女性の客を迎えることさえほとんど無かったそうです。
ちなみにあまりの女っ気の無さのため、フリードリヒは、ザクセン選帝侯訪問の際に淋病をもらって世継ぎを作れない身体になったとの噂を立てられており、また彼には同性愛疑惑まで存在します。フリードリヒの姉は回想録でフリードリヒに幾人かの愛人女性がいたと主張しており、さらにフリードリヒの死に際には、彼の性器が通常の大きさと形を持っていたという侍医の発表がわざわざ為されたりしていますが、おそらくフリードリヒが通常の性的嗜好や通常の性的能力を備えていたと、世間を納得させようとしてのことだと思われます。姉の言う愛人の中に、ザクセン選帝侯訪問時に出会った踊り子や、例の鞭打たれた処女まで含まれている辺りに、その必死さが窺えます。
以上より、おそらくフリードリヒ大王は童貞を貫いた人でしょう。
ローレンス(1888~1935)
ローレンスは、イギリスの考古学者にしてアラブ独立運動指導者。「十字軍城砦」をテーマに大学の卒論を書くほど軍事史に造詣が深く、アラブ独立運動を支援してゲリラ戦指導者となり活躍した。彼の著書『知恵の七柱』は、ゲリラ戦の戦争術について広く深く取り扱った名著でゲリラ戦理論書の先駆的存在である。
ローレンスは自ら性的欲望を感じたことがないと称し、終生女性と肉体関係を持たなかったことで知られています。
ちなみに、性的欲望を感じない人ローレンスは、トルコ軍に捕らわれて拷問を受けた際に、倒錯的な性的欲望を感じてしまったと著書で告白しています。この他、ローレンスの性的嗜好としては、多少美少年趣味があったらしく、アラブの地で、少年を可愛がって連れ回し、また同地で見た戦士達の男色に敬意を向け、それを清純なものと評しています。受動的な性的嗜好に加えて美少年趣味とは、なるほど積極的に女性の肉体にむしゃぶりついて肉体関係を持つ気になるわけないですね。
ということで、ローレンスはほぼ確実に童貞を貫いた人です。
以上で西洋童貞名将伝はとりあえずお終い。
他にもいるかもしれませんし、また童貞判断につき異論があるのも認めます。
参考資料
ネポス著『英雄伝』上村健二・山下太郎訳 国文社
飯塚信雄著『バロックの騎士 プリンツ・オイゲンの冒険』平凡社
ヴォルテール著『英雄交響曲 チャールス十二世』丸山熊雄訳 白水社
飯塚信雄著『フリードリヒ大王 啓蒙君主のペンと剣』中公新書
中野好夫著『アラビアのロレンス〔改訂版〕』岩波新書
ピーターパレット編『現代戦略思想の系譜 マキャベリから核時代まで』防衛大学校「戦争・戦略の変遷」研究会訳 ダイヤモンド社
リデル・ハート著『戦略論(上)(下)』森沢亀鶴訳 原書房
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F.E.Adcock『ギリシア人とマケドニア人の戦争術』(翻訳)について補足
涼宮ハルヒの名将の憂鬱 前編
れきけん・とらっしゅばすけっと/京都大学歴史研究会関連発表
F.E.Adcock『ギリシア人とマケドニア人の戦争術』(翻訳)(当ブログ内に移転しました)
http://trushnote.exblog.jp/14618338/
引きこもりニート列伝その8 エパメイノンダス
http://www.geocities.jp/trushbasket/data/nf/neet08.html
軍事史概説 戦略と戦術の東西文明五千年史(当ブログ内に移転しました)
http://trushnote.exblog.jp/14455184/
プリンツ・オイゲンについては
「デオン 王弟フィリップ オイゲン公子 誰よりも男らしい戦士たちの女らしい私生活を見よ ~ブルボン朝フランスが生んだ男の娘戦士たち~」
(社会評論社『ダメ人間の世界史』所収)[リンク先Amazon]
もご参照下さい。
なお同書では、フリードリヒ大王の父フリードリヒ・ヴィルヘルム一世も取り上げています
(「フリードリヒ・ヴィルヘルム一世 民と美食をウザいほど熱愛した熱苦しいデブ王様の話」参照)
リンクを変更(2010年12月9日、21日)
42年間童貞を守り通したら 天使になれた
(『メイドいんジャパン』18話)
とか言って、いきなり天使の羽と輪っかを生やし、圧倒的な武力で大暴れしてくれた、最強メイドの栗田建女さん(男性)の漢らしいカッコよさに感動したので、なんとなく、リアルに強くてカッコいい童貞の人を捜してみたくなりました。
そういうわけで、今日は歴史上の強くてカッコイイ童貞の人特集。
歴史上のカッコいい人といえば、やはり国々や民族の興廃をその手に握る軍事的英雄でしょうから、童貞名将伝と行きましょう。
まあ、個々人の性的嗜好や人間関係や日々の遊び・気晴らしの逐一が歴史上に完全に記録されているわけではなく、童貞であるとの確証を得るのは無理なことも多いので、童貞と思しき人の特集ですが。
エパメイノンダス(前418頃~362)
古代ギリシアの都市国家テーベの名将。レウクトラの戦いで、無敵の軍事国家スパルタの軍を叩き潰すなど、軍事的手腕を発揮し、テーベをギリシアの覇権国家へと押し上げた。
エパメイノンダスは生涯妻を持たず、子はおらず、政敵からも友人からもそれについて非難を受けています。しかも、ろくでなしの息子を持つ親友ペロピダスが、エパメイノンダスは子孫を残さないことで国家に損害を与えていると言うのに対し、「君こそより大きな損害を与えないよう注意し給え。あれほど悪名高い息子を世に残すのだから」(ネポス『英雄伝』上村健二・山下太郎訳 国文者102頁)と言い返しており、自分が子孫を残していないことによほどの自信があったことが窺えます。女の愛人、恋人がいたり、商売女を買ったりして、不用意に種蒔きした記憶があれば、こんな事を自信満々で言うことはできないはずですから、妻子が無いどころか、それ以外の女性関係も皆無だったのでしょう。
またエパメイノンダスは、極貧でありながら、それにもかかわらず気前の良い金持ちであるペロピダスからの援助を拒否、質素で学問に耽溺する超俗的な生活を送っており、この欲望と金に甚だ乏しい生活態度・経済状態から言っても、小金を積んで童貞を捨てに行ったとは考えにくいです。
さらに、ミキュトスという若者を寵愛したこと、哲学オタクであったことからしても、エパメイノンダスは女性を性愛の対象にしてはいなかったであろうと推測されます。古代ギリシアでは少年愛趣味の人間が、妙に哲学的に大きく構えた議論で、少年愛の素晴らしさを語り、異性愛より同性愛が優れているなどと強弁したりするものなので、哲学趣味で少年を愛したエパメイノンダスも、異性愛を軽んじ同性愛を重んじる人であった可能性がかなりあると言えるのです。
以上より、おそらくエパメイノンダスは童貞を貫いた人でしょう。
プリンツ・オイゲン(1663~1736)
プリンツ・オイゲンはオーストリアの名将で、トルコやフランス相手に軍事的手腕を発揮、オーストリア帝国の柱石となった。ドイツ人の敬愛を受け、民謡にまで謳われる英雄であり、史上屈指の名将に数えられる。
オイゲンは十代の頃には男色関係の女役を務めた人物で、長じては、堂々たる男らしい男と交遊しその後援者となることに喜びを見出していたとされます。多くの外交文書はオイゲンに愛妾が複数人いたことを伝えていますが、愛妾というのは、当時の貴族社会におけるステータスシンボルにして社交の道具であり、社交に巧みな婦人を愛妾として、性的関係を持たずもっぱら社交界における補佐を期待すると言うことも、少なくありませんでした。したがって、男が好きで、しかも女役に回るような嗜好の持ち主オイゲンが愛妾を持ったからと行って、童貞捨ててるとは限らないのです。
ちなみにオイゲンについて記述を残したオルレアン公妃は回想録で「公子に女性関係がなかったというのは、とんでもない間違いだ」(飯塚信雄『バロックの騎士 プリンツ・オイゲンの冒険』平凡社 252頁)などと言っていますが、そのように否定することで「とんでもない間違い」が世の人の間に存在し、しかも否定の言葉を述べねばならぬほど高い信用性をもって通用していた説であることを教えてくれていますね。それで、その世間の信じる「とんでもない間違い」と公妃の弁のいずれを支持すべきかですが、オルレアン公妃自身オイゲンにつき「女性には興味を示さず、美男子の小姓たちの方がましだったのでしょう」(同書 122頁)と述べてもいるのですから、世間の信じる「とんでもない間違い」のほうが正解のような気がします。
ということで、プリンツ・オイゲンはたぶん童貞を貫いた人です。
カール12世(1682~1718)
スウェーデンの王。軍事的天才で知られ、周辺諸国と激しく戦い、生涯のほとんどを戦陣で過ごした人物。兵隊王の異名を持つ。
野心的戦闘的な人物で、アレクサンドロスやカエサルのような史上の大征服者に憧れ、若くして王となり周辺諸国との戦いに乗り出すや、戦いに専念し、あらゆる快楽を放棄、女性と関係を持つこともありませんでした。女性に生活を乱されることを嫌い、また、厳しい軍規を兵士に課すため自ら厳しい禁欲で模範を垂れたのだといいます。
それ以前に、宮廷の一婦人との間に艶聞を立てられたことがありますが、これは真偽不明の噂のレベルに留まるようです。
ということで、ほぼ確実にカール12世は童貞を貫いた人です。
フリードリヒ2世(1712~86)
ドイツ地域の東北方にある国家プロイセンの王。大国オーストリアとの戦争を戦い抜き、プロイセンの領土を拡張、プロイセンをヨーロッパの強国の地位へと押し上げた人物。大王の尊称で呼ばれる。
当時の風潮に反して小市民的な一穴主義を貫き、ヨーロッパ貴族社会での社交上必須の道具であった愛妾の一人も作らない厳格な父の元、若き日は異性との接触を厳しく制限されていた。例えば、1728年に父とともにザクセン選帝侯アウグストを訪問した際には、豪華なベッドに全裸の美女を配置して歓待されたが、これを見た父は息子の目を遮って、息子をその場から連れ出したという。
若き日のフリードリヒには、教会の聖歌隊の指揮者の娘を気に入ってプレゼントを贈るようなこともあったのですが、この娘は、フリードリヒ2世が父を嫌って海外逃亡を企て失敗し、関係者が次々処罰された際に、処女膜が無傷であることを医師と産婆によって確認した上で、鞭打ち刑に処されています。
そして海外逃亡失敗後、性根を鍛え直されている時期にはは、フリードリヒは、父によって女性の客を迎えることを厳禁されていました。この頃に、女性に愛の詩を捧げて受け入れられてはいますが、時代の風習に倣った社交的な行動に過ぎず、肉欲とは関係のない行動だったそうです。
フリードリヒは、やがて望まぬ結婚を父に強いられ世継ぎを待望されることになりましたが、妻との性交渉は無かったそうです。彼は子作りを望む声には「私の子作りについての御要望に対しては義務感を持っています。ちょうど今繁殖期にある牡鹿のような気分に私がなれば、九ヶ月後には、御要望の通りになることでしょう。そのことが私たちの甥や甥の息子にとって幸福となるか、私には分かりません。王国は常に世継ぎを見つけ出します。王の座が空席のままでいることはないのです。」(飯塚信雄『フリードリヒ大王 啓蒙君主のペンと剣』中公新書 66頁)などと答えて、いかにも妻との小作りに乗り気でありませんでしたし、それどころか父の死後王位に就いてからは妻と完全に別居し宮廷で顔を合わせても会話しないほど疎遠となっており、結局後継ぎを残していません。ちなみに、王となって以降のフリードリヒは、妻を無視して男友達との交友ばかりに意識を向け、女性の客を迎えることさえほとんど無かったそうです。
ちなみにあまりの女っ気の無さのため、フリードリヒは、ザクセン選帝侯訪問の際に淋病をもらって世継ぎを作れない身体になったとの噂を立てられており、また彼には同性愛疑惑まで存在します。フリードリヒの姉は回想録でフリードリヒに幾人かの愛人女性がいたと主張しており、さらにフリードリヒの死に際には、彼の性器が通常の大きさと形を持っていたという侍医の発表がわざわざ為されたりしていますが、おそらくフリードリヒが通常の性的嗜好や通常の性的能力を備えていたと、世間を納得させようとしてのことだと思われます。姉の言う愛人の中に、ザクセン選帝侯訪問時に出会った踊り子や、例の鞭打たれた処女まで含まれている辺りに、その必死さが窺えます。
以上より、おそらくフリードリヒ大王は童貞を貫いた人でしょう。
ローレンス(1888~1935)
ローレンスは、イギリスの考古学者にしてアラブ独立運動指導者。「十字軍城砦」をテーマに大学の卒論を書くほど軍事史に造詣が深く、アラブ独立運動を支援してゲリラ戦指導者となり活躍した。彼の著書『知恵の七柱』は、ゲリラ戦の戦争術について広く深く取り扱った名著でゲリラ戦理論書の先駆的存在である。
ローレンスは自ら性的欲望を感じたことがないと称し、終生女性と肉体関係を持たなかったことで知られています。
ちなみに、性的欲望を感じない人ローレンスは、トルコ軍に捕らわれて拷問を受けた際に、倒錯的な性的欲望を感じてしまったと著書で告白しています。この他、ローレンスの性的嗜好としては、多少美少年趣味があったらしく、アラブの地で、少年を可愛がって連れ回し、また同地で見た戦士達の男色に敬意を向け、それを清純なものと評しています。受動的な性的嗜好に加えて美少年趣味とは、なるほど積極的に女性の肉体にむしゃぶりついて肉体関係を持つ気になるわけないですね。
ということで、ローレンスはほぼ確実に童貞を貫いた人です。
以上で西洋童貞名将伝はとりあえずお終い。
他にもいるかもしれませんし、また童貞判断につき異論があるのも認めます。
参考資料
ネポス著『英雄伝』上村健二・山下太郎訳 国文社
飯塚信雄著『バロックの騎士 プリンツ・オイゲンの冒険』平凡社
ヴォルテール著『英雄交響曲 チャールス十二世』丸山熊雄訳 白水社
飯塚信雄著『フリードリヒ大王 啓蒙君主のペンと剣』中公新書
中野好夫著『アラビアのロレンス〔改訂版〕』岩波新書
ピーターパレット編『現代戦略思想の系譜 マキャベリから核時代まで』防衛大学校「戦争・戦略の変遷」研究会訳 ダイヤモンド社
リデル・ハート著『戦略論(上)(下)』森沢亀鶴訳 原書房
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れきけん・とらっしゅばすけっと/京都大学歴史研究会関連発表
F.E.Adcock『ギリシア人とマケドニア人の戦争術』(翻訳)(当ブログ内に移転しました)
http://trushnote.exblog.jp/14618338/
引きこもりニート列伝その8 エパメイノンダス
http://www.geocities.jp/trushbasket/data/nf/neet08.html
軍事史概説 戦略と戦術の東西文明五千年史(当ブログ内に移転しました)
http://trushnote.exblog.jp/14455184/
プリンツ・オイゲンについては
「デオン 王弟フィリップ オイゲン公子 誰よりも男らしい戦士たちの女らしい私生活を見よ ~ブルボン朝フランスが生んだ男の娘戦士たち~」
(社会評論社『ダメ人間の世界史』所収)[リンク先Amazon]
もご参照下さい。
なお同書では、フリードリヒ大王の父フリードリヒ・ヴィルヘルム一世も取り上げています
(「フリードリヒ・ヴィルヘルム一世 民と美食をウザいほど熱愛した熱苦しいデブ王様の話」参照)
リンクを変更(2010年12月9日、21日)
by trushbasket
| 2010-08-30 00:53
| My(山田昌弘)








