2010年 09月 26日
古代人「文字を使うとバカになる」 ~新興メディア叩き in 古代ギリシア~
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まずは、以下の出典と登場人物に関する情報とキーワード等を伏せた会話文をお読み頂きたい。
●●なんか使うと、人間バカになり、人格も歪むと、とあるモノを酷く批判しています。
●●にはなんだか色々入りそうですね。
一昔前ならテレビ、今ならインターネット辺りを放り込んで、テレビを見れば賢くなるvsバカになる、インターネットを使えば賢くなるvsバカになるといったところでしょうか。
ところが、世の自称良識派の皆さんが小躍りして喜びそうなこの小うるさい文章、●●にはテレビもインターネットも入りません。
「●●」とそれに対応する動詞部分「■■」および「……」の省略箇所を埋め、出典を明記すると、上記の文章は以下のように正体を現します。
というわけでさっきの文章は、一昔前のテレビ時代すら超えてもう一昔前、紀元前5~4世紀の古代ギリシアの哲学者プラトンの作品『パイドロス』中で、文字の使用の有害性が批判された文章でした。
もう少し詳しく述べると、『パイドロス』というのは弁論や言葉について論じた書物で、この文章は、その中で、プラトンの師である主人公ソクラテスが、別の登場人物を相手に、エジプトの昔話と称して展開した創り話です。一応どういう文脈で語られたのかにも触れておくと、ソクラテスは、この創り話を、書かれたものは既に知識ある人にそれを思い出させる効能しかないのだと相手に納得させるために、持ち出しています。
まあ、そのソクラテスorプラトンの全体的な主張は別にどうでも良いので置いておいて、この文字を使うとバカになるという脇道の主張です。
この話、こんな風に相手を納得させる道具として主人公ソクラテスに使われたということは、プラトンやソクラテスといった古代ギリシア屈指の賢人によって、自分の論述に組み込んで相手の説得材料に使っても恥ずかしくないパーツであると見なされていたということになるはずです。つまり古代ギリシア人的に、文字を使うとバカになるというのは、単なる一部跳ねっ返りの暴論ではなく、割りと正当な主張として社会に許容される主張であったということ。
だから敢えてこう書いてしまって良いと思います。
古代ギリシア人「文字を使うとバカになる。」
ちなみに、『パイドロス』の劇中の出来事の年代は紀元前412~404年頃なのだそうです。そして古代ギリシアで散文が発達して多くの学問的著作が残されるようになってきたのはようやく前5世紀後半になってからのようなので、この『パイドロス』に描かれた頃は、ちょうど様々な知識が文字化され書物の形をとり始めた頃だと言えるようです。(なお文字の使用はこれより何世紀も前に始り、これ以前でも韻文は書かれているそうです。)
ということは「文字を使うとバカになる」は、今まさに広まりつつある、知識の蓄積・保存・流通のための新奇な方法に対する社会的な不満の表明を書き留めたものとでも言えるでしょうか?
要は、古代ギリシアの、新興メディア叩きですね。
参考資料
プラトン著『パイドロス』藤沢令夫訳 岩波文庫
『スーパー・ニッポニカ Professional』小学館
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ソクラテスとプラトンについては
良ければ社会評論社『ダメ人間の世界史』所収
「ソクラテス 寝ても起きても夢を見てフワフワ過ごした71年、妻の怒りも何のその、死ぬまで貫くニート道」
「プラトン 変態式国家論 神聖少年愛帝国の夢 ~神がかった狂気の域まで美少年を愛した男~」
[リンク先Amazon]
もご参照ください。
れきけん・とらっしゅばすけっと/京都大学歴史研究会関連発表
偉大なるダメ人間シリーズその8 プラトン(当ブログ内に移転)
http://trushnote.exblog.jp/14529128/
引きこもりニート列伝その9 ソクラテス・プラトン
http://www.geocities.jp/trushbasket/data/nf/neet09.html
アテナイ下り坂の歴史
http://kyoto.cool.ne.jp/rekiken/data/2005/051202.html
リンクを変更(2010年12月7日)
「……、この●●というものを■■ば、……知恵はたかまり、もの覚えはよくなるでしょう。私の発見したものは、記憶と知恵の秘訣なのですから。」──しかし、……答えて言った。
「……●●が実際にもっている効能と正反対のことを言われた。なぜなら、人々がこの●●というものを■■と、記憶力の訓練がなおざりにされるため、その人達の魂の中には、忘れっぽい性質が植え付けられることだろうから。それはほかでもない、彼らは書いたものを信頼して、ものを思い出すのに、自分以外のものに彫りつけられたしるしによって外から思い出すようになり、自分で自分の力によって内から思い出すことをしないようになるからである。じじつ、あなたが発明したのは、記憶の秘訣ではなくて、想起の秘訣なのだ。また他方、あなたがこれを学ぶ人たちに与える知恵というのは、知恵の外見であって、真実の知恵ではない。すなわち、彼らはあなたのおかげで、親しく教えをうけなくてももの知りになるため、多くの場合ほんとうは何も知らないでいながら、見かけだけはひじょうな博識家であると思われるようになるだろうし、また知者となる代りに知者であるといううぬぼれだけが発達するため、つき合いにくい人間となるだろう。」
●●なんか使うと、人間バカになり、人格も歪むと、とあるモノを酷く批判しています。
●●にはなんだか色々入りそうですね。
一昔前ならテレビ、今ならインターネット辺りを放り込んで、テレビを見れば賢くなるvsバカになる、インターネットを使えば賢くなるvsバカになるといったところでしょうか。
ところが、世の自称良識派の皆さんが小躍りして喜びそうなこの小うるさい文章、●●にはテレビもインターネットも入りません。
「●●」とそれに対応する動詞部分「■■」および「……」の省略箇所を埋め、出典を明記すると、上記の文章は以下のように正体を現します。
「王様、この文字というものを学べば、エジプト人たちの知恵はたかまり、もの覚えはよくなるでしょう。私の発見したものは、記憶と知恵の秘訣なのですから。」──しかし、タモスは答えて言った。
「たぐいなき技術の神テウトよ、技術上の事柄を生み出す力をもった人と、生み出された技術がそれを使う人々にどのような害をあたえ、どのような益をもたらすかを判別する力をもった人とは、別の者なのだ。いまもあなたは。文字の生みの親として、愛情にほだされ、文字が実際にもっている効能と正反対のことを言われた。なぜなら、人々がこの文字というものを学ぶと、記憶力の訓練がなおざりにされるため、その人達の魂の中には、忘れっぽい性質が植え付けられることだろうから。それはほかでもない、彼らは書いたものを信頼して、ものを思い出すのに、自分以外のものに彫りつけられたしるしによって外から思い出すようになり、自分で自分の力によって内から思い出すことをしないようになるからである。じじつ、あなたが発明したのは、記憶の秘訣ではなくて、想起の秘訣なのだ。また他方、あなたがこれを学ぶ人たちに与える知恵というのは、知恵の外見であって、真実の知恵ではない。すなわち、彼らはあなたのおかげで、親しく教えをうけなくてももの知りになるため、多くの場合ほんとうは何も知らないでいながら、見かけだけはひじょうな博識家であると思われるようになるだろうし、また知者となる代りに知者であるといううぬぼれだけが発達するため、つき合いにくい人間となるだろう。」
(プラトン『パイドロス』藤沢令夫訳 岩波文庫 134、135頁)
というわけでさっきの文章は、一昔前のテレビ時代すら超えてもう一昔前、紀元前5~4世紀の古代ギリシアの哲学者プラトンの作品『パイドロス』中で、文字の使用の有害性が批判された文章でした。
もう少し詳しく述べると、『パイドロス』というのは弁論や言葉について論じた書物で、この文章は、その中で、プラトンの師である主人公ソクラテスが、別の登場人物を相手に、エジプトの昔話と称して展開した創り話です。一応どういう文脈で語られたのかにも触れておくと、ソクラテスは、この創り話を、書かれたものは既に知識ある人にそれを思い出させる効能しかないのだと相手に納得させるために、持ち出しています。
まあ、そのソクラテスorプラトンの全体的な主張は別にどうでも良いので置いておいて、この文字を使うとバカになるという脇道の主張です。
この話、こんな風に相手を納得させる道具として主人公ソクラテスに使われたということは、プラトンやソクラテスといった古代ギリシア屈指の賢人によって、自分の論述に組み込んで相手の説得材料に使っても恥ずかしくないパーツであると見なされていたということになるはずです。つまり古代ギリシア人的に、文字を使うとバカになるというのは、単なる一部跳ねっ返りの暴論ではなく、割りと正当な主張として社会に許容される主張であったということ。
だから敢えてこう書いてしまって良いと思います。
古代ギリシア人「文字を使うとバカになる。」
ちなみに、『パイドロス』の劇中の出来事の年代は紀元前412~404年頃なのだそうです。そして古代ギリシアで散文が発達して多くの学問的著作が残されるようになってきたのはようやく前5世紀後半になってからのようなので、この『パイドロス』に描かれた頃は、ちょうど様々な知識が文字化され書物の形をとり始めた頃だと言えるようです。(なお文字の使用はこれより何世紀も前に始り、これ以前でも韻文は書かれているそうです。)
ということは「文字を使うとバカになる」は、今まさに広まりつつある、知識の蓄積・保存・流通のための新奇な方法に対する社会的な不満の表明を書き留めたものとでも言えるでしょうか?
要は、古代ギリシアの、新興メディア叩きですね。
参考資料
プラトン著『パイドロス』藤沢令夫訳 岩波文庫
『スーパー・ニッポニカ Professional』小学館
関連記事
穴があったら入りたい 尻込みするほど恥ずかしい古代ギリシア文化史
F.E.Adcock『ギリシア人とマケドニア人の戦争術』(翻訳)について補足
日本に見る漢字と言語の関係~日本人は如何にして二次元を愛するようになったか~
ソクラテスとプラトンについては
良ければ社会評論社『ダメ人間の世界史』所収
「ソクラテス 寝ても起きても夢を見てフワフワ過ごした71年、妻の怒りも何のその、死ぬまで貫くニート道」
「プラトン 変態式国家論 神聖少年愛帝国の夢 ~神がかった狂気の域まで美少年を愛した男~」
[リンク先Amazon]
もご参照ください。
れきけん・とらっしゅばすけっと/京都大学歴史研究会関連発表
偉大なるダメ人間シリーズその8 プラトン(当ブログ内に移転)
http://trushnote.exblog.jp/14529128/
引きこもりニート列伝その9 ソクラテス・プラトン
http://www.geocities.jp/trushbasket/data/nf/neet09.html
アテナイ下り坂の歴史
http://kyoto.cool.ne.jp/rekiken/data/2005/051202.html
リンクを変更(2010年12月7日)
by trushbasket
| 2010-09-26 18:26
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