2010年 12月 05日
『ダメ人間の世界史&日本史』ブログ版(試し読み用)(03) 鬼謀の草食ロリコン参謀 モルトケ
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下に掲載するのは『ダメ人間の世界史』『ダメ人間の日本史』(社会評論社)の元になった文章です、書籍化に際して大幅な加筆・修正がされており、書籍版とは多少内容が異なります。
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偉大なるダメ人間シリーズその3 モルトケ
はじめに
今回は19世紀の偉大な軍人モルトケの意外なダメっぽさを扱おうと思います。
モルトケ(1800~1891)はドイツ北部に生まれ、デンマークの士官学校を経て軍人となり、その後、移籍してプロイセン軍人となった人物です。彼は身体的なたくましさや人を圧倒する威厳に欠け、性格的には心やさしく内向的、小説を執筆し外国の歴史書を翻訳するなど文人肌な面が強く、活力に乏しくもあったため、外見的に軍人として酷評を受けることもありました。その一方で戦史に深く通じ、その生涯で七カ国語を身につけるなど、卓越した知的能力を誇っており、参謀将校として適正を認められてもいました。ちなみに、たくましさや威厳、活力に欠けるとはいっても、戦場に勤務する適正を全く欠いていたわけではなく、三十代でトルコ軍に派遣されたときには、積極的に第一線での戦闘指揮を行い大いに活躍、トルコ兵たちから、古代の英雄の再来であるかのような崇拝を受けていました。とはいえ、全体的に見れば、その経歴において部隊指揮の経験はほとんど無かったと言ってよく、軍人としては無名に近い状態で、老年にさしかかるまでを過ごし、むしろ文筆家としての存在感の方が目立っているくらいでした。それが老年にさしかかってデンマーク戦争で才幹を示して後は、普墺戦争と普仏戦争の作戦を主導して、プロイセンに鮮やかな勝利をもたらし、プロイセンによるドイツ統一を軍事面で支える大役を十二分に果たしました。この栄光の中でも、驕り高ぶることはなく、大敗して非難の集中砲火を受ける敵将を弁護するなど、優しく謙虚な人柄を見失わなかった点も見事という他ないでしょう。そしてその後、彼は、神にも等しい敬意を受けながら、最晩年までドイツ軍を支え続けるとともに、庭の樹木の生長を楽しみに眺めつつ、一族の年少者達に愛情を注ぐ日々を過ごし、やすらかに天寿を全うして死んでいきました。
こうして見るとモルトケは、表面的に軍人に不向きであっため、なかなか真価を発揮する機会を得られなかったものの、実際には人格、勇気、知力、指揮能力と、いかなる面でも欠けることはなく、軍人として完璧に近いといっても良いでしょう。そして軍人でありながら、粗野な面が見られず、文人として活躍しているあたりも、非常に好感の持てる人物です。思想的には保守的な人物で、当時の民主的な思潮の盛り上がりには嫌悪感を示していますが、当時の社会や民衆の未成熟を思えば、これで彼の評価を下げる必要もないでしょう。
しかしモルトケ自身は、自らにそれほど満足してはいなかったようです。彼は、偉大なる沈黙者と称されたほど、内向的で寡黙な人物でしたが、本人は自らの内気さやはにかみが気に入らなかったらしく、デンマーク士官学校時代には、性格の弱さを不幸な特性と呼んで嘆いています。社会が豊かで穏やかになっているはずの現代ですら、内気で寡黙な人物が、性格の弱さにつけこまれ、しばしば嘲弄の対象とされることを思えば、社会の未成熟な19世紀に軍隊という暴力装置の中で過ごした人物にとって、性格の弱さが非常な重荷になったことは想像に難くありません。彼はプロイセン軍に移って数年後、27歳の時に、『二人の友人』という短編小説の中で、楽天的で人を引きつけて回る友人の陰で、嫉妬と密かな自負心を燃やし、成功と勝利の夢想を抱く、内気な青年将校の姿を描いていますが、ここにも彼の悩みを見て取ることができます。人の輪の中心を占めることのできない自らの性格を恨むに加えて、いつ訪れるとも知れない万に一つの成功と栄光の日を願う思いが、謙虚な彼とて無くはなかったのでしょう。それにしても、積もり積もった恨みの行き場を、自己投影した小説に求めているあたりは、内向性が深刻と言えば言えなくもありません。
とはいえこの程度の内向性は、なるほど弱点欠点と言えなくもないものの、知力と感性に優れた人物にはよく見られるものであって、別にモルトケをダメ人間呼ばわりせねばならないほどの問題点ではなく、人によってはむしろ美点と評価してもおかしくないように思えます。ところが、モルトケの内気さは、彼をちょっと弁護しがたい発言へと駆り立てます。弟妹中で最も可愛がっていた妹のアウグステに向かって曰く「結婚は富籤だ。何を引き当てるか運次第だ。もし結婚するなら、お前の育てた娘を娶る」(片岡徹也編訳『戦略論大系3モルトケ』268頁)。
モルトケが妹アウグステの娘、男の子のように奔放で生気に満ちた美しいマリーに出会い、初対面から恋に落ちたのは、モルトケ39歳、マリー13歳の時。前々回の内容ともかぶるので、いちいち詳しい定義なんかには触れませんが、モルトケよお前もか、って感じです。だいたい妹の娘が幼い内につば付けにかかるあたり、自力で普通に外から伴侶を捜し出してくる意志が全くもって感じられません。そもそもこの言い方では、相手云々以前に、結婚自体がもしものことに過ぎないですし。自分からこんな言明してしまうのはどうなのか。なんだか全力で普通の恋愛や普通の結婚を諦め切った、素敵な姿勢を感じます。開き直りに清々しさすら漂っています。救いがあるとすれば、マリーを生んだのがアウグステではなく先妻で、すなわちマリーはモルトケにとって義理の姪であり、血のつながりが無かったってところくらいでしょうか。それでもちょっと良い感じにダメ人間ではないかと思いますよ。
そもそも彼は、デンマーク時代には、ふさふさしたブロンドの髪と気だての良い青い目に飾られた誠実な容貌、物静かでありながら話し好きで愛想の良い人柄によって、友の記憶に残っており、後にはフランス皇帝ナポレオン3世を訪問する親王に随行し、ウージェニー皇后に、寡黙な紳士ながら打てば響くように返答する面白い人物と評されることになる男です。それなりの年齢のふさわしい伴侶を社会に求め自力で見つけ出してくることが、それほど困難であったとは思えないのですが…。なのにここまで諦めきってるのは、気質的にちょっとばかりダメな何かがあると言わざるを得ないです。
そういえば彼は、デンマーク時代の友人にも、ふとした瞬間に隠された憂鬱が表情をかすめるとして、地の沈んだ性格が看破されてたりしているので、愛想の良い態度をとり続けることは、おそらく苦手だったのでしょう。そして彼のそのような性格では、愛嬌を振りまき続け異性の気を引いて回るのは大変なことだったでしょう。それどころか彼の鋭敏な知性は、そのような行動に興味を惹かれず、かえって退屈と苦痛すら感じたのかも知れません。実際、他の偉人達の実例を見ても、知性に優れた思索的な人物は、しばしば異性との関係に非常に冷淡で、結婚をしないとか非常に晩婚であるとかいうことが少なくありません。彼もそういった偉人によく見られる人格類型に属していたということでしょう。ただ彼の場合、相手の年齢とか、そんな年齢の身内につば付けにかかって自らそれを言明するという、何とも言い難い形での開き直りっぷりのせいで、単なる女嫌いと一線を画した、良い感じにダメな雰囲気が漂っていると思います。
なるほど彼の言うとおり結婚は運次第であり、信頼の置ける人物の育てた娘を伴侶に迎えたいという彼の判断は、その運頼みの不確かさを大いに緩和する、賢明な判断と言えなくもないでしょうが、だからといって、逝っちゃってるものは逝っちゃってるのです。
やがてモルトケは41歳の時にマリーに求婚。マリーがこれを受諾すると、彼女の父の希望によって一年後の結婚が決まります。ちなみにモルトケは寂しい十二ヶ月の間に十二も年をとってしまうだろうと嘆いていますが、がんばって踏みとどまって下さい。ただでさえ二十六歳差、しかもひょろっとした体格と謹厳な物腰で年齢以上に老けて見える外見、そこに一年で十二年分も老け込んだら、犯罪っぽさがいっぱいいっぱいです。
マリーは、叔父が海外の勤務地から母に送った手紙、豊かな文才で現地の風物を伝え一家の話題の中心となった手紙を通じ、叔父への尊敬と憧憬の念を抱いていましたし、傲慢とすら受け取られかねない叔父の謹厳・寡黙の陰に潜む、温かさや茶目を見抜く聡明さを持っていました。そしてモルトケの側は年長者らしい寛容と導きを示しましたから、年齢差にかかわらず二人の結婚は、深い愛情に満ちた穏やかなものとなりました。モルトケの寡黙と謹厳をマリーの快活と優雅が補い、マリーが病死するまでの二十六年、子供はないものの幸福な生活が続きました。そしてマリーの死の二十三年後、モルトケは最後の瞬間まで妻の肖像画に視線を向けながら、息を引き取っています。どこかダメっぽさの漂う始まりだったとはいえ、とても幸福だったようなので、出発点の些細なシミに目くじらたてるような野暮なまねは、やめておいた方が良かったのかもしれませんね。
おわりに
気質的にヘタレてダメっぽく、そもそも歴史家志望で金が無いため士官学校に入ったにすぎない人物が、何度も軍人として不向きとされながらも、軍人としての実績をどうにか積み重ね、老年に入って一気に軍事的英雄にのし上がるのだから、不思議なものです。
参考資料
モルトケ;ゼークト著 齋藤榮治訳 岩波書店(年譜が詳しい)
戦略論大系3モルトケ;片岡徹也編訳 芙蓉書房出版(解題に伝記的情報が充実)
ドイツ参謀本部;渡部昇一 中公文庫
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偉大なるダメ人間シリーズその3 モルトケ
はじめに
今回は19世紀の偉大な軍人モルトケの意外なダメっぽさを扱おうと思います。
モルトケ(1800~1891)はドイツ北部に生まれ、デンマークの士官学校を経て軍人となり、その後、移籍してプロイセン軍人となった人物です。彼は身体的なたくましさや人を圧倒する威厳に欠け、性格的には心やさしく内向的、小説を執筆し外国の歴史書を翻訳するなど文人肌な面が強く、活力に乏しくもあったため、外見的に軍人として酷評を受けることもありました。その一方で戦史に深く通じ、その生涯で七カ国語を身につけるなど、卓越した知的能力を誇っており、参謀将校として適正を認められてもいました。ちなみに、たくましさや威厳、活力に欠けるとはいっても、戦場に勤務する適正を全く欠いていたわけではなく、三十代でトルコ軍に派遣されたときには、積極的に第一線での戦闘指揮を行い大いに活躍、トルコ兵たちから、古代の英雄の再来であるかのような崇拝を受けていました。とはいえ、全体的に見れば、その経歴において部隊指揮の経験はほとんど無かったと言ってよく、軍人としては無名に近い状態で、老年にさしかかるまでを過ごし、むしろ文筆家としての存在感の方が目立っているくらいでした。それが老年にさしかかってデンマーク戦争で才幹を示して後は、普墺戦争と普仏戦争の作戦を主導して、プロイセンに鮮やかな勝利をもたらし、プロイセンによるドイツ統一を軍事面で支える大役を十二分に果たしました。この栄光の中でも、驕り高ぶることはなく、大敗して非難の集中砲火を受ける敵将を弁護するなど、優しく謙虚な人柄を見失わなかった点も見事という他ないでしょう。そしてその後、彼は、神にも等しい敬意を受けながら、最晩年までドイツ軍を支え続けるとともに、庭の樹木の生長を楽しみに眺めつつ、一族の年少者達に愛情を注ぐ日々を過ごし、やすらかに天寿を全うして死んでいきました。
こうして見るとモルトケは、表面的に軍人に不向きであっため、なかなか真価を発揮する機会を得られなかったものの、実際には人格、勇気、知力、指揮能力と、いかなる面でも欠けることはなく、軍人として完璧に近いといっても良いでしょう。そして軍人でありながら、粗野な面が見られず、文人として活躍しているあたりも、非常に好感の持てる人物です。思想的には保守的な人物で、当時の民主的な思潮の盛り上がりには嫌悪感を示していますが、当時の社会や民衆の未成熟を思えば、これで彼の評価を下げる必要もないでしょう。
しかしモルトケ自身は、自らにそれほど満足してはいなかったようです。彼は、偉大なる沈黙者と称されたほど、内向的で寡黙な人物でしたが、本人は自らの内気さやはにかみが気に入らなかったらしく、デンマーク士官学校時代には、性格の弱さを不幸な特性と呼んで嘆いています。社会が豊かで穏やかになっているはずの現代ですら、内気で寡黙な人物が、性格の弱さにつけこまれ、しばしば嘲弄の対象とされることを思えば、社会の未成熟な19世紀に軍隊という暴力装置の中で過ごした人物にとって、性格の弱さが非常な重荷になったことは想像に難くありません。彼はプロイセン軍に移って数年後、27歳の時に、『二人の友人』という短編小説の中で、楽天的で人を引きつけて回る友人の陰で、嫉妬と密かな自負心を燃やし、成功と勝利の夢想を抱く、内気な青年将校の姿を描いていますが、ここにも彼の悩みを見て取ることができます。人の輪の中心を占めることのできない自らの性格を恨むに加えて、いつ訪れるとも知れない万に一つの成功と栄光の日を願う思いが、謙虚な彼とて無くはなかったのでしょう。それにしても、積もり積もった恨みの行き場を、自己投影した小説に求めているあたりは、内向性が深刻と言えば言えなくもありません。
とはいえこの程度の内向性は、なるほど弱点欠点と言えなくもないものの、知力と感性に優れた人物にはよく見られるものであって、別にモルトケをダメ人間呼ばわりせねばならないほどの問題点ではなく、人によってはむしろ美点と評価してもおかしくないように思えます。ところが、モルトケの内気さは、彼をちょっと弁護しがたい発言へと駆り立てます。弟妹中で最も可愛がっていた妹のアウグステに向かって曰く「結婚は富籤だ。何を引き当てるか運次第だ。もし結婚するなら、お前の育てた娘を娶る」(片岡徹也編訳『戦略論大系3モルトケ』268頁)。
モルトケが妹アウグステの娘、男の子のように奔放で生気に満ちた美しいマリーに出会い、初対面から恋に落ちたのは、モルトケ39歳、マリー13歳の時。前々回の内容ともかぶるので、いちいち詳しい定義なんかには触れませんが、モルトケよお前もか、って感じです。だいたい妹の娘が幼い内につば付けにかかるあたり、自力で普通に外から伴侶を捜し出してくる意志が全くもって感じられません。そもそもこの言い方では、相手云々以前に、結婚自体がもしものことに過ぎないですし。自分からこんな言明してしまうのはどうなのか。なんだか全力で普通の恋愛や普通の結婚を諦め切った、素敵な姿勢を感じます。開き直りに清々しさすら漂っています。救いがあるとすれば、マリーを生んだのがアウグステではなく先妻で、すなわちマリーはモルトケにとって義理の姪であり、血のつながりが無かったってところくらいでしょうか。それでもちょっと良い感じにダメ人間ではないかと思いますよ。
そもそも彼は、デンマーク時代には、ふさふさしたブロンドの髪と気だての良い青い目に飾られた誠実な容貌、物静かでありながら話し好きで愛想の良い人柄によって、友の記憶に残っており、後にはフランス皇帝ナポレオン3世を訪問する親王に随行し、ウージェニー皇后に、寡黙な紳士ながら打てば響くように返答する面白い人物と評されることになる男です。それなりの年齢のふさわしい伴侶を社会に求め自力で見つけ出してくることが、それほど困難であったとは思えないのですが…。なのにここまで諦めきってるのは、気質的にちょっとばかりダメな何かがあると言わざるを得ないです。
そういえば彼は、デンマーク時代の友人にも、ふとした瞬間に隠された憂鬱が表情をかすめるとして、地の沈んだ性格が看破されてたりしているので、愛想の良い態度をとり続けることは、おそらく苦手だったのでしょう。そして彼のそのような性格では、愛嬌を振りまき続け異性の気を引いて回るのは大変なことだったでしょう。それどころか彼の鋭敏な知性は、そのような行動に興味を惹かれず、かえって退屈と苦痛すら感じたのかも知れません。実際、他の偉人達の実例を見ても、知性に優れた思索的な人物は、しばしば異性との関係に非常に冷淡で、結婚をしないとか非常に晩婚であるとかいうことが少なくありません。彼もそういった偉人によく見られる人格類型に属していたということでしょう。ただ彼の場合、相手の年齢とか、そんな年齢の身内につば付けにかかって自らそれを言明するという、何とも言い難い形での開き直りっぷりのせいで、単なる女嫌いと一線を画した、良い感じにダメな雰囲気が漂っていると思います。
なるほど彼の言うとおり結婚は運次第であり、信頼の置ける人物の育てた娘を伴侶に迎えたいという彼の判断は、その運頼みの不確かさを大いに緩和する、賢明な判断と言えなくもないでしょうが、だからといって、逝っちゃってるものは逝っちゃってるのです。
やがてモルトケは41歳の時にマリーに求婚。マリーがこれを受諾すると、彼女の父の希望によって一年後の結婚が決まります。ちなみにモルトケは寂しい十二ヶ月の間に十二も年をとってしまうだろうと嘆いていますが、がんばって踏みとどまって下さい。ただでさえ二十六歳差、しかもひょろっとした体格と謹厳な物腰で年齢以上に老けて見える外見、そこに一年で十二年分も老け込んだら、犯罪っぽさがいっぱいいっぱいです。
マリーは、叔父が海外の勤務地から母に送った手紙、豊かな文才で現地の風物を伝え一家の話題の中心となった手紙を通じ、叔父への尊敬と憧憬の念を抱いていましたし、傲慢とすら受け取られかねない叔父の謹厳・寡黙の陰に潜む、温かさや茶目を見抜く聡明さを持っていました。そしてモルトケの側は年長者らしい寛容と導きを示しましたから、年齢差にかかわらず二人の結婚は、深い愛情に満ちた穏やかなものとなりました。モルトケの寡黙と謹厳をマリーの快活と優雅が補い、マリーが病死するまでの二十六年、子供はないものの幸福な生活が続きました。そしてマリーの死の二十三年後、モルトケは最後の瞬間まで妻の肖像画に視線を向けながら、息を引き取っています。どこかダメっぽさの漂う始まりだったとはいえ、とても幸福だったようなので、出発点の些細なシミに目くじらたてるような野暮なまねは、やめておいた方が良かったのかもしれませんね。
おわりに
気質的にヘタレてダメっぽく、そもそも歴史家志望で金が無いため士官学校に入ったにすぎない人物が、何度も軍人として不向きとされながらも、軍人としての実績をどうにか積み重ね、老年に入って一気に軍事的英雄にのし上がるのだから、不思議なものです。
参考資料
モルトケ;ゼークト著 齋藤榮治訳 岩波書店(年譜が詳しい)
戦略論大系3モルトケ;片岡徹也編訳 芙蓉書房出版(解題に伝記的情報が充実)
ドイツ参謀本部;渡部昇一 中公文庫
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by trushbasket
| 2010-12-05 01:25
| My(山田昌弘)








