2010年 12月 05日
『ダメ人間の世界史&日本史』ブログ版(試し読み用)(07) 少年愛帝国の提唱者 プラトン
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下に掲載するのは『ダメ人間の世界史』『ダメ人間の日本史』(社会評論社)の元になった文章です、書籍化に際して大幅な加筆・修正がされており、書籍版とは多少内容が異なります。
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はじめに
今回はプラトンです。このシリーズで古代ギリシアというだけで、だいたいどんなことを書くか、ばれており、読んでもらう意味がほとんど無いような気もしますが、おつき合いいただけると嬉しく思います。
偉大なるダメ人間シリーズその8 プラトン
プラトン(前427~347)は前4世紀に活躍したギリシアの大哲学者で、それまでの哲学を総合・体系化した人物です。総合や体系化にどのような意味があったのかは、私にはよく分かりませんが、どうもそれはかなり偉大なことらしく、実際、彼の名声は各地に轟いていました。例えば、法律を彼に作成してもらおうと、多くの国から依頼が舞い込んでおり、そのうちいくつかには応じたとも言います。哲学者に法律を作成させるというのは、正直どうかと思うのですが、これもプラトンが高い名声を誇った証拠ではあるでしょう。また彼は教育に尽力しており、彼の築いた学校のアカデメイアはその後も長く学問研究の一大中心として尊崇を受けることになります。こちらは間違いなく偉大な業績ではないかと思います。
ただ彼は、哲学者や教育者としては偉大でしたが、そこに満足せず自らの分を超えた大それた構想を抱いて、痛い目にあったりもしています。すなわち、政治家は哲学者であるべきなんてとち狂った理想を掲げ、法律作成の依頼に応じる程度に止まらず、学者の分際で政治に色目を使い、政治家の側に仕えて政治家を教化しようとし挫折するとかいう醜態をさらしているのです。もっともこれを取り上げて彼をダメ人間呼ばわりするつもりはありません。確かに、人間としてはダメな行為ではありますが、浮世離れしながらも権勢欲や功名心の肥大する例も少なくない学者先生のこと、この程度は普通にあり得る事態であって、これをもって彼のみを、あえて史上に残るダメ人間として、特筆するよう問題ではありません。
では彼の何がダメなのかと言いますと、彼は少年愛に関してちょっとダメな人だったのです。ところで勘違いしないでほしいのですが、別に「少年愛自体が」ダメだと言っているのではありません。少年愛に関して、「彼が」ちょっとばかり異常でダメな奴だったと言っているのですよ。
こう言うとひょっとすると驚く人がいるかも知れません。なるほど少年愛などと言うと、現代の一般的な価値観からは十分奇怪な性癖に見えるでしょう。ですが歴史上の優れた知性の持ち主には同性愛の傾向が強く見られるとされているのであって、歴史に残る学者ともなれば少年愛くらいあって当然の性癖、凡俗から見れば変わってはいるでしょうが、それでもまあどうにか予想の範囲内、特筆するほどのこともない性癖なのです。そのうえ彼は古代ギリシア人。古代ギリシア人が、異常に少年愛を好んだことは有名です。古代ギリシアでは少年愛はごく一般的な趣味なのです。ギリシアの偉人の彼に少年愛の傾向がなかったとしたらそっちのほうが異常者なのです。
さて少年愛が正常か異常かなどという話はこの程度にするとして、それでは彼が少年愛に関してどう異常であったのかですが、それを理解するために彼が前380年代半ばに著したと考えられている『饗宴』という作品について少し触れることにしましょう。この作品は、エロスすなわち愛によって人間が神の高みへと到達するという実践哲学の道筋を、美しく描き出した哲学的文学作品なのですが、じつは大々的に少年愛を扱っています。この作品の中でプラトンは登場人物達に愛について議論をさせており、一応そこでは男女間の愛についても触れられはしますが、それよりも男と男の愛、少年愛に圧倒的に重きを置いて議論が為されているのです。
そこでは登場人物達は、様々に少年愛の素晴らしさを讃えます。ギリシアでは少年愛がごくありふれた習慣であったとはいえ、それでも少年に言い寄る大人を非難する風潮もないでもありませんでしたから、自分たちの性癖を正当化しようと必死です。曰く、愛する者と愛される少年が、他のどんな者よりも互いの前においてこそ恥ずべき姿を晒すことを嫌って立派な行為に出るから素晴らしいとか、女なんて愚昧な生き物に向けられる凡俗の愛と違って強く理性ある男に向ける愛の方が高尚なんだとか、愛する年長者がその優れた能力で、愛される少年の知識や徳を増進させてやれるから素晴らしいとか…。そして話は絶頂へと上り詰め、神的な高みへと至ります。すなわち美しい少年や青年の類に夢中になって、一人の少年とか一人の人間の個体の美に愛着し、一つの美しい肉体を熱烈に追求する段階を出発点として、一つの美しい肉体から二つの美しい肉体へ、二つの美しい肉体からさらにあらゆる美しい肉体へ、そして美しい肉体から美しい職業活動、美しい職業活動から美しい学問、こうして階段を昇るように愛の対象を抽象化して高めゆき、ついには美しさ一般を愛し、美の本質、世界の根元の唯一絶対の存在である純粋な美そのものを哲学的に認識するに至る、愛の奥義が示されるのです。
言うなれば美少年の菊の花から神へと至る道。いいこと思いついた、お前、おれのケツの中で哲学しろって感じです。まあプラトンが世界の根元に対する哲学的認識を達成する実践哲学の道筋についてどう考えていたかは、今回の文章の本筋とは別に関係ありませんので、それはもう良いです。ここまで高らかに少年愛を歌い上げるのは、なかなか見られないことかもしれませんが、自己の行動や性癖を正当化するくらい、誰でもすることであって、ちょっと文才がありすぎたばっかりに目立ってしまっているだけ。しかも少年愛は、美を認識するきっかけになっているに過ぎないとも言えるので、ギリシアで少年に美を感じ少年を愛することが普通であった以上、こういった話の流れも、まあギリギリ正常の範囲でしょうから、この点から彼をダメ人間呼ばわりするのも、適切ではないのです。それにしても長々と脱線して、すいません。
では話を本筋に戻しまして、彼が少年愛に関して異常だという点は、むしろ議論の途中で登場人物に吐かせた言葉にあります。すなわち、愛する男と愛される男が互いの前で恥ずべき姿を晒したくないために立派な行動に出るという、上述の主張につづけて曰く、「今かりに何等かの方途によってただ愛者とその愛する少年とのみから成る都市または軍隊が出現したとする、そのとき彼があらゆる陋劣から遠ざかりかつ互いに名誉を競うこと以上に自分の都市を立派に統治する途はあり得ないだろう。またもしこのような人達が相携えて戦ったとしたら、たといその数はいかに少くとも、必勝を期しえよう、──全世界を敵としても、と私はいいたい。実際愛者なる男にとっては、その持ち場を離れたり、または武器を投げ出したりするところを愛する少年に見られることは、疑いもなく他の何人に見られるよりも堪え難いことであろう。また彼はそれよりむしろ幾度でも死ぬことを願うであろう。…」(『饗宴』久保勉訳 岩波文庫 179頁)さすがにここまで行くのはどうでしょう。少年愛を武力に変えて、ぼくらは全世界に勝つこともできるってのは、ちょっと少年愛に入れ込みすぎではありませんか?しかもこれ、戦争が常態であった時代に生きた、厳しい戦争の現実を知っているはずの人の言葉ですよ。
既に述べたとおり、歴史上の優れた人物に同性愛的傾向は顕著に見られ、その中には軍事的に優れた人物も当然含まれています。例えば少年愛の盛んな古代ギリシアでは、最良の名将とされるエパメイノンダスが妻子もないのに少年を愛していたことが伝わっていますし、戦史に輝くアレクサンドロス大王は実務的に無能な人物を異常に寵愛してつねに身近に置いて高位につけており、同性愛的な感情がそこにあった可能性が推測されています。ギリシアの外に目を向けると、プロイセンのフリードリヒ大王など軍事的名声の点で最上級に属するでしょうが、妻を館に放置して、同姓の友人との知的な交流に人生の喜びを見出していました。そして同性愛で結ばれた人物のために、軍事的に活躍した人物の例も歴史上に探し出すことが可能であり、我らが日本で最高の名声を誇る二大武将の身辺に目を向けると、武田信玄に寵愛され最前線を委ねられた高坂昌信や、上杉謙信に寵愛されて最前線に派遣された河田長親が見つかります。しかしこれらのうち前三者の同性への愛情は戦闘とは関係ない次元で発揮されたものですし、後二者にしても、せいぜい同性愛が信頼、忠誠心の元になっただけで、戦場で同性愛を直接武力に変えたわけでは無いと思うんですよ。仮に彼らに、愛情を元に奮戦して他より強力な戦闘力を発揮してくれることが多少なりと期待されていたとしても、同性愛で軍隊一つ固めてしまおうなんて発想は、それとは段違いの逝っちゃってる感がないでしょうか。
やっぱり、プラトンの同性愛を戦場で武力に変えるって発想は偏執的で異常だと思います。ここまで少年愛に入れ込むのは、さすがに行き過ぎた変態さんと言わざるを得ず、彼をダメ人間と呼んで問題ないのではないかと…。
と思ったのですが、前4世紀、すなわち彼と同時代に、古代ギリシア諸都市中第三の勢力であったテーベの将軍パンメネスは、戯れに、同性愛で部隊を纏めれば、愛する男と愛される少年が互いのために踏みとどまるから崩れも破れもしない部隊ができると、言っていました。どうやらプラトンだけではなかったようです。それどころか、前4世紀のテーベには、ゴルギダスという人物が現れて、前378年、愛する男と愛される少年のみで三百名の「神聖部隊」という部隊を結成してしまいました。上には上がいるのですね。みんな頭おかしいと思います。ギリシアはダメ人間の巣窟ですか?
ちなみに神聖部隊は、現実に、凄まじい戦闘力を発揮したみたいです。例えば、前述のエパメイノンダスが無敵の戦闘民族スパルタ人を撃破した際にも、神聖部隊は最精鋭部隊として参戦しています。それどころか神聖部隊は、なんと、不敗を誇ってたりもします。やっぱりギリシア人はおかしいです。そして前338年、辺境の新興強国マケドニアの圧倒的な軍事力の前にギリシア諸都市が征服されたカイロネイアの戦いにおいて、彼らは最初で最後の敗北を喫することになり、一人残らず壊滅したそうです。実際、二十世紀初頭、彼らを埋葬した者と見られる254体の遺骨が戦場で発掘されています。
ギリシア文化の絶頂を成す大哲学者の夢を予兆に、歴史の舞台に躍り出て、輝かしい美術や哲学の題材となったギリシア文化の粋たる少年を愛し、少年愛を力に変えて不敗鉄壁の兵士となり、ギリシアの歴史の終焉に際して、祖国の自由と独立および少年愛に殉じて命を捨てた、愛の戦士達。そして彼らに愛された少年達。まことに見事な、最高のギリシア人と言って良い、燦然と輝やく生き様でした。
おわりに
プラトンで始めたのに、プラトンが霞んでしまい、プラトンをだしに同性愛や少年愛を軽く語っただけになってしまいました。人物伝の体裁すら維持できていないあたり、そろそろこのシリーズも限界でしょうか?
ここまで書いたところで、友人からメールが来て『喪男の哲学史』とかいう本が出ており、Amazonの内容紹介によると、そこではプラトンの理想郷はアキバとしていると教えてもらいました。読まずにどうこう言うのは良くないことだと思いますし、私はプラトンは『饗宴』しか読んでいないので、そもそもプラトンの理想郷を語る資格もないのですが、とりあえず、プラトンの理想郷は池袋のほうがふさわしいのではないかという気がします。あるいは、プラトンの理想とする国家は軍国スパルタのような国だとか聞いているので、どちらもふさわしくないと言うべきかもしれません。
参考資料
饗宴;プラトン著 久保勉訳 岩波文庫
西洋哲学史 上;シュヴェーグラー著 谷川徹三/松村一人訳 岩波文庫
バートランド・ラッセル 西洋哲学史;市井三郎訳 みすず書房
プルターク英雄伝(四);河野與一訳 岩波文庫
ディオドロス・シクルス『歴史叢書』第十六巻より「フィリッポス二世のギリシア征服」訳および註(下);森谷公俊訳 帝京史学9号
ファロスの王国 古代ギリシアの性の政治学;エヴァ・クールズ著 中務哲郎/久保田光利/下田立行訳 岩波書店
古代ギリシアの同性愛;ケネス・ドーヴァー著 中務哲郎/下田立行訳 リブロポ-ト
人と思想5 プラトン;中野幸次著 清水書院
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今回はプラトンです。このシリーズで古代ギリシアというだけで、だいたいどんなことを書くか、ばれており、読んでもらう意味がほとんど無いような気もしますが、おつき合いいただけると嬉しく思います。
偉大なるダメ人間シリーズその8 プラトン
プラトン(前427~347)は前4世紀に活躍したギリシアの大哲学者で、それまでの哲学を総合・体系化した人物です。総合や体系化にどのような意味があったのかは、私にはよく分かりませんが、どうもそれはかなり偉大なことらしく、実際、彼の名声は各地に轟いていました。例えば、法律を彼に作成してもらおうと、多くの国から依頼が舞い込んでおり、そのうちいくつかには応じたとも言います。哲学者に法律を作成させるというのは、正直どうかと思うのですが、これもプラトンが高い名声を誇った証拠ではあるでしょう。また彼は教育に尽力しており、彼の築いた学校のアカデメイアはその後も長く学問研究の一大中心として尊崇を受けることになります。こちらは間違いなく偉大な業績ではないかと思います。
ただ彼は、哲学者や教育者としては偉大でしたが、そこに満足せず自らの分を超えた大それた構想を抱いて、痛い目にあったりもしています。すなわち、政治家は哲学者であるべきなんてとち狂った理想を掲げ、法律作成の依頼に応じる程度に止まらず、学者の分際で政治に色目を使い、政治家の側に仕えて政治家を教化しようとし挫折するとかいう醜態をさらしているのです。もっともこれを取り上げて彼をダメ人間呼ばわりするつもりはありません。確かに、人間としてはダメな行為ではありますが、浮世離れしながらも権勢欲や功名心の肥大する例も少なくない学者先生のこと、この程度は普通にあり得る事態であって、これをもって彼のみを、あえて史上に残るダメ人間として、特筆するよう問題ではありません。
では彼の何がダメなのかと言いますと、彼は少年愛に関してちょっとダメな人だったのです。ところで勘違いしないでほしいのですが、別に「少年愛自体が」ダメだと言っているのではありません。少年愛に関して、「彼が」ちょっとばかり異常でダメな奴だったと言っているのですよ。
こう言うとひょっとすると驚く人がいるかも知れません。なるほど少年愛などと言うと、現代の一般的な価値観からは十分奇怪な性癖に見えるでしょう。ですが歴史上の優れた知性の持ち主には同性愛の傾向が強く見られるとされているのであって、歴史に残る学者ともなれば少年愛くらいあって当然の性癖、凡俗から見れば変わってはいるでしょうが、それでもまあどうにか予想の範囲内、特筆するほどのこともない性癖なのです。そのうえ彼は古代ギリシア人。古代ギリシア人が、異常に少年愛を好んだことは有名です。古代ギリシアでは少年愛はごく一般的な趣味なのです。ギリシアの偉人の彼に少年愛の傾向がなかったとしたらそっちのほうが異常者なのです。
さて少年愛が正常か異常かなどという話はこの程度にするとして、それでは彼が少年愛に関してどう異常であったのかですが、それを理解するために彼が前380年代半ばに著したと考えられている『饗宴』という作品について少し触れることにしましょう。この作品は、エロスすなわち愛によって人間が神の高みへと到達するという実践哲学の道筋を、美しく描き出した哲学的文学作品なのですが、じつは大々的に少年愛を扱っています。この作品の中でプラトンは登場人物達に愛について議論をさせており、一応そこでは男女間の愛についても触れられはしますが、それよりも男と男の愛、少年愛に圧倒的に重きを置いて議論が為されているのです。
そこでは登場人物達は、様々に少年愛の素晴らしさを讃えます。ギリシアでは少年愛がごくありふれた習慣であったとはいえ、それでも少年に言い寄る大人を非難する風潮もないでもありませんでしたから、自分たちの性癖を正当化しようと必死です。曰く、愛する者と愛される少年が、他のどんな者よりも互いの前においてこそ恥ずべき姿を晒すことを嫌って立派な行為に出るから素晴らしいとか、女なんて愚昧な生き物に向けられる凡俗の愛と違って強く理性ある男に向ける愛の方が高尚なんだとか、愛する年長者がその優れた能力で、愛される少年の知識や徳を増進させてやれるから素晴らしいとか…。そして話は絶頂へと上り詰め、神的な高みへと至ります。すなわち美しい少年や青年の類に夢中になって、一人の少年とか一人の人間の個体の美に愛着し、一つの美しい肉体を熱烈に追求する段階を出発点として、一つの美しい肉体から二つの美しい肉体へ、二つの美しい肉体からさらにあらゆる美しい肉体へ、そして美しい肉体から美しい職業活動、美しい職業活動から美しい学問、こうして階段を昇るように愛の対象を抽象化して高めゆき、ついには美しさ一般を愛し、美の本質、世界の根元の唯一絶対の存在である純粋な美そのものを哲学的に認識するに至る、愛の奥義が示されるのです。
言うなれば美少年の菊の花から神へと至る道。いいこと思いついた、お前、おれのケツの中で哲学しろって感じです。まあプラトンが世界の根元に対する哲学的認識を達成する実践哲学の道筋についてどう考えていたかは、今回の文章の本筋とは別に関係ありませんので、それはもう良いです。ここまで高らかに少年愛を歌い上げるのは、なかなか見られないことかもしれませんが、自己の行動や性癖を正当化するくらい、誰でもすることであって、ちょっと文才がありすぎたばっかりに目立ってしまっているだけ。しかも少年愛は、美を認識するきっかけになっているに過ぎないとも言えるので、ギリシアで少年に美を感じ少年を愛することが普通であった以上、こういった話の流れも、まあギリギリ正常の範囲でしょうから、この点から彼をダメ人間呼ばわりするのも、適切ではないのです。それにしても長々と脱線して、すいません。
では話を本筋に戻しまして、彼が少年愛に関して異常だという点は、むしろ議論の途中で登場人物に吐かせた言葉にあります。すなわち、愛する男と愛される男が互いの前で恥ずべき姿を晒したくないために立派な行動に出るという、上述の主張につづけて曰く、「今かりに何等かの方途によってただ愛者とその愛する少年とのみから成る都市または軍隊が出現したとする、そのとき彼があらゆる陋劣から遠ざかりかつ互いに名誉を競うこと以上に自分の都市を立派に統治する途はあり得ないだろう。またもしこのような人達が相携えて戦ったとしたら、たといその数はいかに少くとも、必勝を期しえよう、──全世界を敵としても、と私はいいたい。実際愛者なる男にとっては、その持ち場を離れたり、または武器を投げ出したりするところを愛する少年に見られることは、疑いもなく他の何人に見られるよりも堪え難いことであろう。また彼はそれよりむしろ幾度でも死ぬことを願うであろう。…」(『饗宴』久保勉訳 岩波文庫 179頁)さすがにここまで行くのはどうでしょう。少年愛を武力に変えて、ぼくらは全世界に勝つこともできるってのは、ちょっと少年愛に入れ込みすぎではありませんか?しかもこれ、戦争が常態であった時代に生きた、厳しい戦争の現実を知っているはずの人の言葉ですよ。
既に述べたとおり、歴史上の優れた人物に同性愛的傾向は顕著に見られ、その中には軍事的に優れた人物も当然含まれています。例えば少年愛の盛んな古代ギリシアでは、最良の名将とされるエパメイノンダスが妻子もないのに少年を愛していたことが伝わっていますし、戦史に輝くアレクサンドロス大王は実務的に無能な人物を異常に寵愛してつねに身近に置いて高位につけており、同性愛的な感情がそこにあった可能性が推測されています。ギリシアの外に目を向けると、プロイセンのフリードリヒ大王など軍事的名声の点で最上級に属するでしょうが、妻を館に放置して、同姓の友人との知的な交流に人生の喜びを見出していました。そして同性愛で結ばれた人物のために、軍事的に活躍した人物の例も歴史上に探し出すことが可能であり、我らが日本で最高の名声を誇る二大武将の身辺に目を向けると、武田信玄に寵愛され最前線を委ねられた高坂昌信や、上杉謙信に寵愛されて最前線に派遣された河田長親が見つかります。しかしこれらのうち前三者の同性への愛情は戦闘とは関係ない次元で発揮されたものですし、後二者にしても、せいぜい同性愛が信頼、忠誠心の元になっただけで、戦場で同性愛を直接武力に変えたわけでは無いと思うんですよ。仮に彼らに、愛情を元に奮戦して他より強力な戦闘力を発揮してくれることが多少なりと期待されていたとしても、同性愛で軍隊一つ固めてしまおうなんて発想は、それとは段違いの逝っちゃってる感がないでしょうか。
やっぱり、プラトンの同性愛を戦場で武力に変えるって発想は偏執的で異常だと思います。ここまで少年愛に入れ込むのは、さすがに行き過ぎた変態さんと言わざるを得ず、彼をダメ人間と呼んで問題ないのではないかと…。
と思ったのですが、前4世紀、すなわち彼と同時代に、古代ギリシア諸都市中第三の勢力であったテーベの将軍パンメネスは、戯れに、同性愛で部隊を纏めれば、愛する男と愛される少年が互いのために踏みとどまるから崩れも破れもしない部隊ができると、言っていました。どうやらプラトンだけではなかったようです。それどころか、前4世紀のテーベには、ゴルギダスという人物が現れて、前378年、愛する男と愛される少年のみで三百名の「神聖部隊」という部隊を結成してしまいました。上には上がいるのですね。みんな頭おかしいと思います。ギリシアはダメ人間の巣窟ですか?
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おわりに
プラトンで始めたのに、プラトンが霞んでしまい、プラトンをだしに同性愛や少年愛を軽く語っただけになってしまいました。人物伝の体裁すら維持できていないあたり、そろそろこのシリーズも限界でしょうか?
ここまで書いたところで、友人からメールが来て『喪男の哲学史』とかいう本が出ており、Amazonの内容紹介によると、そこではプラトンの理想郷はアキバとしていると教えてもらいました。読まずにどうこう言うのは良くないことだと思いますし、私はプラトンは『饗宴』しか読んでいないので、そもそもプラトンの理想郷を語る資格もないのですが、とりあえず、プラトンの理想郷は池袋のほうがふさわしいのではないかという気がします。あるいは、プラトンの理想とする国家は軍国スパルタのような国だとか聞いているので、どちらもふさわしくないと言うべきかもしれません。
参考資料
饗宴;プラトン著 久保勉訳 岩波文庫
西洋哲学史 上;シュヴェーグラー著 谷川徹三/松村一人訳 岩波文庫
バートランド・ラッセル 西洋哲学史;市井三郎訳 みすず書房
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by trushbasket
| 2010-12-05 01:35
| My(山田昌弘)








