<読書案内>「水滸伝」入門用の推薦図書~中国をより理解するために~
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さて、日本人の中国に対するイメージに大きく寄与しているのは儒教や「史記」、「三国志」、唐詩あたりだろうと思われます。しかし、「史記」や「三国志」は古代社会の支配階級に限局した話であり、現代中国との違いは無視できないレベルで存在します。いうなれば、日本へのイメージを「古事記」あたりのみで形成するようなもの。これらだけから中国を理解しようというのは、かえって中国への誤解を招きかねない一面があるのではないでしょうか。現代中国を理解する上では、中世以降(つまり「史記」「三国志」以降)に繰り返された北方民族の侵入による混乱や彼らによる支配から受けた影響を除外して語る事はできないでしょうし。また、日本人に馴染み深い盛唐時代も支配階級に限られた文化であり、また唐が事実上北方民族系の王朝であったせいか例外的なまでに西域文化の影響も強い印象で中国文明の代表として語るのは必ずしも適切でないと考えます。
という訳で、日本人に比較的なじみがある話で、なおかつ中国社会を理解する上でこれらより有用なものといえば「水滸伝」ではないかと思います。何しろ、徳川期から大人気でしたしね。御存知の方も多いかと思いますが、「水滸伝」は「三国演義」や「西遊記」などと並ぶ明初期における庶民文学の代表作で、北宋末を舞台に宋江ら108人の好漢が山賊としてアジトである梁山泊に集い、やがて朝廷に帰順し各地の逆賊を討伐する過程で離散していくという話です。
中国を理解するという観点からは、「史記」や「三国志」などと比べて「水滸伝」は以下の点で強みを持っていると思われます。
①舞台が近世社会である。
庶民が社会的実力をつけ、また漢民族のナショナリズムが芽生え始めた近世は、基本的に現代中国と連続性が強いといえます。そのため、現代の中国を理解する上で有用です。
②庶民・小役人の社会が物語の舞台として取り上げられている。
支配階層中心に脚光を浴びていた「史記」「三国志」と違い、「水滸伝」の好漢たちは民衆の中から生まれた英雄が多くを占めます。そのため、民衆や小役人といった社会の大多数を占める人々の姿が活写されています。庶民向けの娯楽文化であるため、彼ら自身に受け入れられるよう民衆社会の姿がそれなりに忠実に描き出されていると見るべきでしょう。
③庶民に人気のある歴史的英雄になぞらえた好漢も多数登場する。
日本人が知っている中国武将は「三国志」や「史記」に大きく偏っています。それ以外の時代の武将がモデルの好漢も多く登場しますから、どういった武将が中国庶民の間で人気があったのかを知る手がかりにもなります。
という訳で、中国理解のためには子供時代から「三国志」よりも「水滸伝」に親しんだ方がよいのかもしれません。しかし、「水滸伝」は量も膨大であり初心者、特に子供には読み通すのは難しいのが実情。そこで、今回は「水滸伝」を理解する上で初心者にとっつきやすい本をいくつか挙げてみようかと。
・水滸伝 施耐庵 立間祥介・訳 井上洋介・絵 講談社青い鳥文庫
「講談社青い鳥文庫」は、「ムーミン」や「コロボックル」といったシリーズで知られる子供向け文庫で、この「水滸伝」も「小学上級より」と設定され子供向けを意識して簡潔にまとめられています。好漢108人が梁山泊に勢ぞろいする所で完結とする「七十回本」に準拠して話の流れが分かりやすく原作の魅力もよく保たれており、文章のテンポも悪くありません。さて、この本で特筆すべきは描写する場面の選択です。御存知の方も多いかと思いますが原作「水滸伝」には好漢たちによる人肉食や残虐行為など現代日本人には受け入れられないであろう場面が多々含まれています。で、この「青い鳥文庫」版「水滸伝」は子供向けでありながらそうした場面を基本的に削除せず描いています。旅人に毒をもって人肉饅頭にしてしまう酒場、捕えられ好漢たちに復讐として食べられてしまう仇敵、秦明・朱仝といった豪傑を勧誘するため梁山泊が行った女子供の虐殺など、削除される事も多い部分もそのまま描写。また、英雄豪傑たちが護送中や流刑地で(特に疑問を感じた様子もなく)小役人に賄賂を使い待遇をよくしてもらったりする辺りもちゃんと描かれてます。子供向けにもかかわらずなその勇者っぷりは、PTA辺りから文句がこないかヒヤヒヤものではありますが、原作理解という点では寧ろ好ましいかと。日本人向けに抵抗がないようにした改作は、異文化理解を難しくする一面があるのは否定できませんから。相互理解のためには、現代の我々の価値観と合致しない部分にも目をそむけてはいけないと思います。
・水滸伝天導一〇八星好漢FILE シブサワ・コウ編 KOEI
KOEIによる歴史ゲーム「水滸伝天導一〇八星」に登場する武将のデータを掲載したもの。梁山泊の好漢たちだけでなく、北宋朝廷や遼(北方民族王朝)・反乱軍の人物についても(物語上の)略歴が記されており、「水滸伝」の登場人物について知る上で最適な一冊といえます。また、コラム部分で好漢のモデルとなった武将や中国における「水滸伝」の続編二次創作事情についても知ることができ、情報量はかなりのもの。昔のKOEIゲーム武将ファイルは侮れないものが多いですね。ただ、入手が現在では困難かもしれません。
・水滸伝―虚構のなかの史実 宮崎市定 中公文庫
中国史研究の第一人者である宮崎市定による、「水滸伝」の舞台である北宋末についての解説書。同時代における社会状況・国際情勢、登場する皇帝・奸臣たち・反乱者の史実での姿に加え、好漢たちの出身母体である軍人・小役人・宗教者について、「水滸伝」のストーリーを踏まえた上で分かりやすく詳細に解説しています。筆者自身が少年時代以来の「水滸伝」愛読者だったそうで、楽しく読める一冊だと思います。
他にも水滸伝関連書籍は多く存在しますが、初心者向けとして個人的にお勧めできるのは知っている限りではこの辺りです。
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歴史研究会・とらっしゅばすけっと関連発表:
「中国民衆文化史」(http://kyoto.cool.ne.jp/rekiken/data/2002/020607.html)
「物語の消費形態について―いわゆるオタクを時間的・空間的に相対化する試み―」
(http://www.geocities.jp/trushbasket/data/nf/kouroumu.html)