2010年 12月 22日
本居宣長『紫文要領』より「もののあはれ」を見る 訳:NF 「歌人此物語を見る心はへの事」(三)
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目次
(二)はこちらです。
質問して言う、「昔のことを書いた書物も多く、また物語も多いのに、とりわけこの物語を見ろというのはどういうことか」、と。
答えて言う。書籍は多いけれど、国史の類は漢籍の書の有様に倣って書いたものだから、人情の詳細な点は分からない。漢籍と歌や物語を喩えて言うなら、人の家のようなものだ。漢籍は人情を言うについては表向きの玄関・書院のようだ。取り繕って飾り立てる場所であるから、華やかで美しいが、その家の中の詳細な事はそこからは分からない。歌や物語は台所より奥の居間までを通って見るようなものだ。内部用の場所であるから、緊張が解けてしどけない面は多いけれど、その家の様子が余すところ無く分かる。だから人の真実の情を取り繕わず詳細に見ようと思えば、物語を見るに越した事は無い。物語も多くある中で、この物語をとりわけ賞賛するのは、多くある他の物語より優れて、古今に類無いものだからである。『源氏物語』が優れている事は今更言うまでも無い事であり、古人による賞賛は多くなされているけれど、更に付け加えて言うと、文章が素晴らしいので、読む人は感動する事がより強く「もののあはれ」が深い。そして何事にも細やかに心を配って詳細に書いているので、読む人は今現実にその内容を見聞きするようで、その登場人物に会うような気分だ。だからますます感動する事が強く、「もののあはれ」は深い。また大部であり物語の始終を詳細に書き、世間の事を広く書いているので、読む人はあれこれと思いを通わせて「もののあはれ」を知る事が深く、世間の風俗や人情を広範に知り、物事の始終を詳細に知るため、一際「もののあはれ」も深い。また少しも虚偽を書かず、常に世の中にある事をなだらかに優美に書いているので、読む人はなるほどと思って特に感動する事が強く「もののあはれ」が深い。これらの事は、他の物語が及ぶ所ではなく、はるかに優れたものである。大体において世間の風俗や人情を詳細に書き表して、人に「もののあはれ」を深く知らせる点では、和漢古今に類が無い。孔子がもしこの物語を見れば、三百篇の詩(NF注:儒教経典「五経」の一つ『詩経』の事、中国古代の詩を集めている)をも差し置いて、必ずこの物語を六経(NF注:『詩経』、『書経』、『易経』、『礼記』、『春秋』の「五経」に加えて『楽経』または『周礼』)に連ねなさったに違いない。孔子の心を理解する儒者は、決して私の言葉を過賞とは言うまい。
質問して言う、「昔の歌を学ぶと言うのは、いつの頃の歌をさして言うのか」、と。
答えて言う。中世以来学ぶのは、第一に『古今集』である。それから『後撰集』・『拾遺集』。この三代の歌集を手本として、言葉も人情もこれに倣って詠むのである。なお、歌の形について、時代ごとに風格が変化した事などは、詳細は別に論じている。よって今はここでは省く(NF注:『排蘆小船』などに述べられている)。
質問して言う、「『詠歌大概』に『情は新しいのを優先する』とあるのに、昔の歌の情に倣うというのは当世の詠み方とは違うようであるが、どうか」、と。
答えて言う。あの「情は新しいのを優先せよ」とおっしゃったのは、ただ意図について言っているだけである。「情」の字にとらわれてはいけない。ここでは今詠む歌の一首一首の意図を言っているのだ。一首一首の意図は昔の人が詠み古していない新しい事を詠めということだ。私が言う昔に倣う「情」というのはそういう意味ではない。例を挙げて言うと、桜花を雲かと思い、紅葉葉を錦かと思い、涙に袖が朽ちると言い、海士も釣りするばかりなどと言う類がそのようなものであって、大体は今において歌に詠む事はみな昔の情態である。そして物に喩えて思いを述べようとするのは、どれも昔の情でないものはない。あの「詠歌大概」にある「情」の字はその意味ではない。あの桜花を雲かと思い、紅葉葉を錦かと見るような「情」は、昔の歌に倣って、その中でまた同じ事を新しく工夫して詠めということである。雪を詠む時に、「空の海より塩ぞふりける」などのように、新しく詠めということではない。もし昔の情に倣わずに今の情で新しく詠めば、必ずこのような事があるものだ。だから言葉も情も昔を学ぶようにと言うのだ。
質問して言う、「『古今集』を第一として、『後撰集』・『拾遺集』までの歌を手本として詠むため、その頃の風俗や人情を良く理解せよと言うのに、『源氏物語』は少し後に出来たので、時代が違うのでないか。その上に紫式部の頃は、歌の風体も少し悪くなりかかった頃であるから、この物語を見て、その時代の風俗や人情を学ぼうと言うのはどういうものか」、と。
答えて言う。時代に従って世間の風俗も移り変わる中で、万葉集以前の事はしばらく置いて、今の都となってからしばらく、歌の道は世間で行われず、朝廷でも全くその沙汰もなかったのだが、仁和(NF注:光孝天皇)の頃からまた起こってきて、寛平延喜(NF注:寛平は宇多天皇、延喜は醍醐天皇)の頃からこの道は盛んにに世間で行われるようになった。世間の風俗も次第に変わったのである。しかし一方で絵物語が世間で持て囃されるのも、寛平延喜の頃から盛んであったと見え、大体物語などで書かれている事はこの頃の風俗や情である。伊勢物語は少し前であるが、それほど風俗や情態が変わっているようにも見えないが、少し変わっているところもあって文体も古風である。その他の物語も大体はみな寛平延喜前後の風俗や人情であり、格別の変化も見えない。さてその後の一条院の頃と寛平延喜の頃を比べてみると、歌風は変わった点もやや見られるが、世間の風俗や人情は同じであり、さほど変わった所は見えない。貴人の風情や朝廷の有様などは、ただ音自己とである。だから三代集(NF注:『古今集』、『後撰集』、『拾遺集』)の歌を学ぶについて、その頃の風俗や人情を理解するためにこの物語を見るのには、少しも時代の相違はあるはずがない(NF注:古今集の編纂された醍醐天皇時代と『源氏物語』の時代とは実はかなりの変化がある。しかし『拾遺集』編纂と『源氏物語』はほぼ同時代であるし、源氏物語は宇多・醍醐天皇時代を模範としているとされている)。『万葉集』の歌を詠もうと言ってこの物語を見るのは、大変な間違いである。風俗が大いに変化しているからである。三代集の歌とこの物語とは人情が少しも変わらず、全く同じである。だから歌を詠む人は、明け暮れにこの物語に眼をさらし心を染めて、昔の風俗や人情をよく理解して、心をその境地として、その人情に染め上げて「もののあはれ」を理解するときは、今詠んでいる歌も昔と変わるところがないであろう。
(四)へ続きます。
(二)はこちらです。
質問して言う、「昔のことを書いた書物も多く、また物語も多いのに、とりわけこの物語を見ろというのはどういうことか」、と。
答えて言う。書籍は多いけれど、国史の類は漢籍の書の有様に倣って書いたものだから、人情の詳細な点は分からない。漢籍と歌や物語を喩えて言うなら、人の家のようなものだ。漢籍は人情を言うについては表向きの玄関・書院のようだ。取り繕って飾り立てる場所であるから、華やかで美しいが、その家の中の詳細な事はそこからは分からない。歌や物語は台所より奥の居間までを通って見るようなものだ。内部用の場所であるから、緊張が解けてしどけない面は多いけれど、その家の様子が余すところ無く分かる。だから人の真実の情を取り繕わず詳細に見ようと思えば、物語を見るに越した事は無い。物語も多くある中で、この物語をとりわけ賞賛するのは、多くある他の物語より優れて、古今に類無いものだからである。『源氏物語』が優れている事は今更言うまでも無い事であり、古人による賞賛は多くなされているけれど、更に付け加えて言うと、文章が素晴らしいので、読む人は感動する事がより強く「もののあはれ」が深い。そして何事にも細やかに心を配って詳細に書いているので、読む人は今現実にその内容を見聞きするようで、その登場人物に会うような気分だ。だからますます感動する事が強く、「もののあはれ」は深い。また大部であり物語の始終を詳細に書き、世間の事を広く書いているので、読む人はあれこれと思いを通わせて「もののあはれ」を知る事が深く、世間の風俗や人情を広範に知り、物事の始終を詳細に知るため、一際「もののあはれ」も深い。また少しも虚偽を書かず、常に世の中にある事をなだらかに優美に書いているので、読む人はなるほどと思って特に感動する事が強く「もののあはれ」が深い。これらの事は、他の物語が及ぶ所ではなく、はるかに優れたものである。大体において世間の風俗や人情を詳細に書き表して、人に「もののあはれ」を深く知らせる点では、和漢古今に類が無い。孔子がもしこの物語を見れば、三百篇の詩(NF注:儒教経典「五経」の一つ『詩経』の事、中国古代の詩を集めている)をも差し置いて、必ずこの物語を六経(NF注:『詩経』、『書経』、『易経』、『礼記』、『春秋』の「五経」に加えて『楽経』または『周礼』)に連ねなさったに違いない。孔子の心を理解する儒者は、決して私の言葉を過賞とは言うまい。
質問して言う、「昔の歌を学ぶと言うのは、いつの頃の歌をさして言うのか」、と。
答えて言う。中世以来学ぶのは、第一に『古今集』である。それから『後撰集』・『拾遺集』。この三代の歌集を手本として、言葉も人情もこれに倣って詠むのである。なお、歌の形について、時代ごとに風格が変化した事などは、詳細は別に論じている。よって今はここでは省く(NF注:『排蘆小船』などに述べられている)。
質問して言う、「『詠歌大概』に『情は新しいのを優先する』とあるのに、昔の歌の情に倣うというのは当世の詠み方とは違うようであるが、どうか」、と。
答えて言う。あの「情は新しいのを優先せよ」とおっしゃったのは、ただ意図について言っているだけである。「情」の字にとらわれてはいけない。ここでは今詠む歌の一首一首の意図を言っているのだ。一首一首の意図は昔の人が詠み古していない新しい事を詠めということだ。私が言う昔に倣う「情」というのはそういう意味ではない。例を挙げて言うと、桜花を雲かと思い、紅葉葉を錦かと思い、涙に袖が朽ちると言い、海士も釣りするばかりなどと言う類がそのようなものであって、大体は今において歌に詠む事はみな昔の情態である。そして物に喩えて思いを述べようとするのは、どれも昔の情でないものはない。あの「詠歌大概」にある「情」の字はその意味ではない。あの桜花を雲かと思い、紅葉葉を錦かと見るような「情」は、昔の歌に倣って、その中でまた同じ事を新しく工夫して詠めということである。雪を詠む時に、「空の海より塩ぞふりける」などのように、新しく詠めということではない。もし昔の情に倣わずに今の情で新しく詠めば、必ずこのような事があるものだ。だから言葉も情も昔を学ぶようにと言うのだ。
質問して言う、「『古今集』を第一として、『後撰集』・『拾遺集』までの歌を手本として詠むため、その頃の風俗や人情を良く理解せよと言うのに、『源氏物語』は少し後に出来たので、時代が違うのでないか。その上に紫式部の頃は、歌の風体も少し悪くなりかかった頃であるから、この物語を見て、その時代の風俗や人情を学ぼうと言うのはどういうものか」、と。
答えて言う。時代に従って世間の風俗も移り変わる中で、万葉集以前の事はしばらく置いて、今の都となってからしばらく、歌の道は世間で行われず、朝廷でも全くその沙汰もなかったのだが、仁和(NF注:光孝天皇)の頃からまた起こってきて、寛平延喜(NF注:寛平は宇多天皇、延喜は醍醐天皇)の頃からこの道は盛んにに世間で行われるようになった。世間の風俗も次第に変わったのである。しかし一方で絵物語が世間で持て囃されるのも、寛平延喜の頃から盛んであったと見え、大体物語などで書かれている事はこの頃の風俗や情である。伊勢物語は少し前であるが、それほど風俗や情態が変わっているようにも見えないが、少し変わっているところもあって文体も古風である。その他の物語も大体はみな寛平延喜前後の風俗や人情であり、格別の変化も見えない。さてその後の一条院の頃と寛平延喜の頃を比べてみると、歌風は変わった点もやや見られるが、世間の風俗や人情は同じであり、さほど変わった所は見えない。貴人の風情や朝廷の有様などは、ただ音自己とである。だから三代集(NF注:『古今集』、『後撰集』、『拾遺集』)の歌を学ぶについて、その頃の風俗や人情を理解するためにこの物語を見るのには、少しも時代の相違はあるはずがない(NF注:古今集の編纂された醍醐天皇時代と『源氏物語』の時代とは実はかなりの変化がある。しかし『拾遺集』編纂と『源氏物語』はほぼ同時代であるし、源氏物語は宇多・醍醐天皇時代を模範としているとされている)。『万葉集』の歌を詠もうと言ってこの物語を見るのは、大変な間違いである。風俗が大いに変化しているからである。三代集の歌とこの物語とは人情が少しも変わらず、全く同じである。だから歌を詠む人は、明け暮れにこの物語に眼をさらし心を染めて、昔の風俗や人情をよく理解して、心をその境地として、その人情に染め上げて「もののあはれ」を理解するときは、今詠んでいる歌も昔と変わるところがないであろう。
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by trushbasket
| 2010-12-22 04:38
| NF








