C.W.C.Oman『中世における戦争術 378~1515』 山田昌弘訳 新装版 1章注
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(*)元の文章を変更した箇所は全て[]で示してある。重要な修正については註で注意を喚起しているが、些細な修正に関してはそのようなことを措置は不要であると判断した。──編者
(1)P.Cornelius Tacitus,Annals, Bk.II,21,in The Complete Works of Tacitus, ed Moses Hades (New York, 1942), p.64.
(2)1世紀の古いレギオンは3世紀末の時点では十分な活力を維持している。ブリタニアの簒奪者であるカラウシウスの硬貨は、クラウディウス帝以来ブリタニアとガリアに配置されていたいくつかのレギオンが、彼の下で働いたことを記念している。
(3)彼はレギオン132隊のほかにも無数の兵力(numeri)を持ち、さらに100隊の無所属のcohortも保有していた。
(4)歩兵および騎兵の長官、宮廷の伯、35人の軍団長。Ferdinand Lot, L'Art militaire, I, 25 はこの数字を信用できないとする。
(5)Ammianus Marcellinus, Roman History, tr.C.D.Yonge (London, 1894), pp.608-615.
(6)Maurice, Artis militias, Lib. VI.
(7)簒奪者エウゲニウスがテオドシウスを撃破しかけた激戦では、アルボガストの蛮族騎兵が(マクシムスの敗北のわずか七年後にすぎないのに)西帝国の主力部隊になっているのを、見ることができる。
(8)Flavius Vegetius Renatus, Military Institutions of Romans, tr. John Clark (Harrisburg, Penna., 1944), pp.24, 38-39, 90.
(9)Procopius, De Belle Persico in Corpus Scriptorum Historiae Byzantinae (Bonn, 1833), preface.
(10)このゲルマン世界の単語は6世紀には完全に受け入れられた。
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