2011年 02月 21日
「民族英雄考―楠木正成と諸国の英雄たち―」補足その2~民族英雄になるための簡単(?)な方法~
|
昔のレジュメで、楠木正成を始めとする各地の民族英雄を比較してみたことがあります。
その際、民族英雄になる条件として
①生涯に謎が多い、アウトローな逸話がある事も(伝説が生まれる余地が多い)
②華やかな活躍、国家や君主のために大きく貢献する
③十分に報われる事なく悲劇的最期を遂げる
④近代以降に国家的に英雄として持て囃される
⑤異民族への侵略に対する抵抗において活躍
といったところが挙がりました(正成は⑤には該当しませんが)。こうした条件を満たすのはなかなか大変そうですね。しかし、考えて見ますと近代日本の民族英雄というべき「軍神」は必ずしも実際的な成果を挙げた英雄とは限りません(例えば広瀬中佐、木口小平など)。ひょっとすると、上記の条件を全て満たす必要はないのかもしれませんね。そこで、今回はもう少し他の「民族英雄」または「国民的英雄」を検討して見たいと思います。そうすれば、もっと条件が絞り込めるかもしれません。
1389年、ヨーロッパへと侵入するオスマン帝国を迎え撃つべくセルビア軍がコソボの地でこれを迎え討ちました。数に勝るセルビア軍は緒戦こそ優勢に戦いを進めオスマン帝国皇帝ムラト1世を戦死させるに至りますが、結局は敗北しセルビア王ラザールも討死。その結果、セルビアはオスマン帝国の支配下に入りました。後、セルビアの民はラザールが「現世の王国」よりも「天上の王国」を選び、部下の将兵を守るため生命を失ったと叙事詩で言い伝えたそうです。このラザール、異民族の侵略に抵抗して(相手の君主を討ち取るまでの)善戦の末に悲劇的最期を遂げていますが、華やかな活躍というのとは少し違う気がします。少なくとも②の条件は必ずしも当てはまらないようですね。
他の事例を見てみましょう。1864年、パラグアイのソラーノ・ロペス大統領は隣国ウルグアイの内紛にブラジル・アルゼンチンの両大国が介入するのを嫌い、ウルグアイのブランコ党政権を支援する事を決意。しかし直後にブラジルによってブランコ党政権は打倒され政敵のコロラド党に政権が移ったためパラグアイはブラジル・アルゼンチンに加えてウルグアイまでも敵にまわして戦う羽目になります。パラグアイは緒戦は優勢に戦いを進めるものの、国力の差や装備の差は如何ともしがたく次第に劣勢となりパラグアイ国内が戦場となっていきます。68年には首都アスンシオンも陥落するものの、ソラーノ・ロペスは老人や少年兵も動員して徹底抗戦。70年3月にソラーノ・ロペス自身が戦死する事によってようやく悲惨な戦争に終止符が打たれました。この戦争でパラグアイが蒙った被害は破滅的なもので、人口の58%および国土の26%が失われたそうです。具体的には、人口が戦前の52万5000から22万に減少し成年男性は2万8000人しかいなくなったとか。そのため、戦後復興には非常な苦労をしたほか、性モラルを中心に無秩序状態が蔓延ったとされています。日本の敗戦時における被害も相当なものでしたが、それもパラグアイの前には霞んでしまいますね。
(野望からではなく寧ろ善意から始めた戦争とは言え)そんな状況を現出した元凶であるソラーノ・ロペスですが、1930年代に軍事政権が成立したのを契機に愛国の英雄として持て囃されるようになっていきます。…正直、個人的には理解不能です。まあ、自らも戦死したことである意味責任を取ったとみなされたのかもしれません。それにしても、この辺りと比較すると、曲がりなりにも自らの主導で戦争終結に持ち込む形になった昭和天皇に対し一定の評価がなされるのも僕は納得させられました。
こうした不可解な「民族英雄」は他にもいます。十六世紀後半のポルトガルは絶頂期を越えて衰退へと向かい始めていましたが、この時期に即位したセバスチャン1世は宗教的情熱に取り付かれ異民族の土地を征服する事によって英雄となる事を夢見ます。ポルトガルの国家財政は既に苦しくなっていましたが、国王は各地から徴発したり教皇から援助を受けて遠征費用を整えて1578年に対岸のモロッコへと出陣。この当時、モロッコでは君主の位を巡って内紛状態になっていたためそれに乗じようとしたのです。こうして同年8月、モロッコのアルカセル・キビールで両軍は衝突しますが、慣れない異郷での進軍で疲弊していたポルトガル軍は大敗しセバスチャン国王自身も生死不明となりました。
セバスチャンは後継者を残さず戦死したため国内は政治的混乱に陥り、また敵に捕われた貴族の身代金支払いのためポルトガルは苦しい財政が更に圧迫される結果となります。こうして隣国スペインに圧倒されたポルトガルは、ついにはスペイン国王フェリペ2世がポルトガル国王を兼任する事でその支配下に置かれてしまうのです。
さて、こうした苦境の中、ポルトガル人はいつしか「行方不明のセバスチャン王がある霧の朝に帰還して祖国を救い再び栄光を回復させる」と信じるようになります。こうした伝承は少なくとも19世紀初頭まで存在したようで、数多くの人物が「セバスチャン王の再来」といわれたとか。どう考えても、いいところなしで暴走した挙句に祖国を追い込んだ張本人でしかないんですけどねえ。若くして異教徒との戦いで悲劇的に死んだ事でチャラにされたんでしょうか。
このように、必ずしも華やかな成果を挙げなくても民族英雄になれる例があることが明らかになりました。中には、明らかに国家に災厄を持ち込んだ張本人以外の何者でもない事例すら。結局、こうした事例を見る限りでは、指揮官クラスとして「異民族と戦って悲劇的に死ぬ」という条件すら満たしていれば(有能無能を問わず、マイナス方向の事績でも)英雄になれる可能性があるんですかね。決して満たしたくない条件ですけど。
【参考文献】
HISTORICAL DICTIONARY of KOSOVA; Robert Elsie; The Scarecraw Press, Inc.
Historical Dictionary of PARAGUAY; R. ANDREW NICKSON; The Scarecrow Press, Inc.
ラテンアメリカ史Ⅱ南アメリカ 増田義郎編 山川出版社
HISTORICAL DICTIONARY OF PORTUGAL; Douglas L. Wheeher; The Scarecrow Press, Inc.
The history of Portugal; James Maxwell Anderson; Greenwood Publishing Group
日本大百科全書 小学館
関連記事:
まともな軍事的英雄達の話を。
「「民族英雄考―楠木正成と諸国の英雄たち―」補足:正成とフランスの英雄たち」
「世界各地の「遼 来 来」 ~泣く子も黙る世界の勇将、知将、名将、殺戮者~」
「貫かないを貫き通した漢達 ~童貞達の西洋軍事史名将伝~」
歴史研究会・とらっしゅばすけっと関連発表:
「民族英雄考―楠木正成と諸国の英雄たち―」
(http://www.geocities.jp/trushbasket/data/nf/minzoku.html)
の他には、
「軍事史概説 戦略と戦術の東西文明五千年史」
この記事で取り上げたコソボの戦い、アルカセル・キビールの戦い、パラグアイ戦争の後始末につきましては、興味のある方は社会評論社『敗戦処理首脳列伝』を御参照くださいましたら幸いです。
Amazon :『敗戦処理首脳列伝』
楽天ブックス:『敗戦処理首脳列伝』
当ブログ内紹介記事
楽天ブックス:敗戦処理首脳列伝
(2011年3月1日、参考文献の部分が見にくかったので、書名・著者名・出版社名の間に;を追加しました。2011年5月30日、著書の紹介を追加しました。)
関連発表:
「民族英雄考―楠木正成と諸国の英雄たち―」
(http://www.geocities.jp/trushbasket/data/nf/minzoku.html)
その際、民族英雄になる条件として
①生涯に謎が多い、アウトローな逸話がある事も(伝説が生まれる余地が多い)
②華やかな活躍、国家や君主のために大きく貢献する
③十分に報われる事なく悲劇的最期を遂げる
④近代以降に国家的に英雄として持て囃される
⑤異民族への侵略に対する抵抗において活躍
といったところが挙がりました(正成は⑤には該当しませんが)。こうした条件を満たすのはなかなか大変そうですね。しかし、考えて見ますと近代日本の民族英雄というべき「軍神」は必ずしも実際的な成果を挙げた英雄とは限りません(例えば広瀬中佐、木口小平など)。ひょっとすると、上記の条件を全て満たす必要はないのかもしれませんね。そこで、今回はもう少し他の「民族英雄」または「国民的英雄」を検討して見たいと思います。そうすれば、もっと条件が絞り込めるかもしれません。
1389年、ヨーロッパへと侵入するオスマン帝国を迎え撃つべくセルビア軍がコソボの地でこれを迎え討ちました。数に勝るセルビア軍は緒戦こそ優勢に戦いを進めオスマン帝国皇帝ムラト1世を戦死させるに至りますが、結局は敗北しセルビア王ラザールも討死。その結果、セルビアはオスマン帝国の支配下に入りました。後、セルビアの民はラザールが「現世の王国」よりも「天上の王国」を選び、部下の将兵を守るため生命を失ったと叙事詩で言い伝えたそうです。このラザール、異民族の侵略に抵抗して(相手の君主を討ち取るまでの)善戦の末に悲劇的最期を遂げていますが、華やかな活躍というのとは少し違う気がします。少なくとも②の条件は必ずしも当てはまらないようですね。
他の事例を見てみましょう。1864年、パラグアイのソラーノ・ロペス大統領は隣国ウルグアイの内紛にブラジル・アルゼンチンの両大国が介入するのを嫌い、ウルグアイのブランコ党政権を支援する事を決意。しかし直後にブラジルによってブランコ党政権は打倒され政敵のコロラド党に政権が移ったためパラグアイはブラジル・アルゼンチンに加えてウルグアイまでも敵にまわして戦う羽目になります。パラグアイは緒戦は優勢に戦いを進めるものの、国力の差や装備の差は如何ともしがたく次第に劣勢となりパラグアイ国内が戦場となっていきます。68年には首都アスンシオンも陥落するものの、ソラーノ・ロペスは老人や少年兵も動員して徹底抗戦。70年3月にソラーノ・ロペス自身が戦死する事によってようやく悲惨な戦争に終止符が打たれました。この戦争でパラグアイが蒙った被害は破滅的なもので、人口の58%および国土の26%が失われたそうです。具体的には、人口が戦前の52万5000から22万に減少し成年男性は2万8000人しかいなくなったとか。そのため、戦後復興には非常な苦労をしたほか、性モラルを中心に無秩序状態が蔓延ったとされています。日本の敗戦時における被害も相当なものでしたが、それもパラグアイの前には霞んでしまいますね。
(野望からではなく寧ろ善意から始めた戦争とは言え)そんな状況を現出した元凶であるソラーノ・ロペスですが、1930年代に軍事政権が成立したのを契機に愛国の英雄として持て囃されるようになっていきます。…正直、個人的には理解不能です。まあ、自らも戦死したことである意味責任を取ったとみなされたのかもしれません。それにしても、この辺りと比較すると、曲がりなりにも自らの主導で戦争終結に持ち込む形になった昭和天皇に対し一定の評価がなされるのも僕は納得させられました。
こうした不可解な「民族英雄」は他にもいます。十六世紀後半のポルトガルは絶頂期を越えて衰退へと向かい始めていましたが、この時期に即位したセバスチャン1世は宗教的情熱に取り付かれ異民族の土地を征服する事によって英雄となる事を夢見ます。ポルトガルの国家財政は既に苦しくなっていましたが、国王は各地から徴発したり教皇から援助を受けて遠征費用を整えて1578年に対岸のモロッコへと出陣。この当時、モロッコでは君主の位を巡って内紛状態になっていたためそれに乗じようとしたのです。こうして同年8月、モロッコのアルカセル・キビールで両軍は衝突しますが、慣れない異郷での進軍で疲弊していたポルトガル軍は大敗しセバスチャン国王自身も生死不明となりました。
セバスチャンは後継者を残さず戦死したため国内は政治的混乱に陥り、また敵に捕われた貴族の身代金支払いのためポルトガルは苦しい財政が更に圧迫される結果となります。こうして隣国スペインに圧倒されたポルトガルは、ついにはスペイン国王フェリペ2世がポルトガル国王を兼任する事でその支配下に置かれてしまうのです。
さて、こうした苦境の中、ポルトガル人はいつしか「行方不明のセバスチャン王がある霧の朝に帰還して祖国を救い再び栄光を回復させる」と信じるようになります。こうした伝承は少なくとも19世紀初頭まで存在したようで、数多くの人物が「セバスチャン王の再来」といわれたとか。どう考えても、いいところなしで暴走した挙句に祖国を追い込んだ張本人でしかないんですけどねえ。若くして異教徒との戦いで悲劇的に死んだ事でチャラにされたんでしょうか。
このように、必ずしも華やかな成果を挙げなくても民族英雄になれる例があることが明らかになりました。中には、明らかに国家に災厄を持ち込んだ張本人以外の何者でもない事例すら。結局、こうした事例を見る限りでは、指揮官クラスとして「異民族と戦って悲劇的に死ぬ」という条件すら満たしていれば(有能無能を問わず、マイナス方向の事績でも)英雄になれる可能性があるんですかね。決して満たしたくない条件ですけど。
【参考文献】
HISTORICAL DICTIONARY of KOSOVA; Robert Elsie; The Scarecraw Press, Inc.
Historical Dictionary of PARAGUAY; R. ANDREW NICKSON; The Scarecrow Press, Inc.
ラテンアメリカ史Ⅱ南アメリカ 増田義郎編 山川出版社
HISTORICAL DICTIONARY OF PORTUGAL; Douglas L. Wheeher; The Scarecrow Press, Inc.
The history of Portugal; James Maxwell Anderson; Greenwood Publishing Group
日本大百科全書 小学館
関連記事:
まともな軍事的英雄達の話を。
「「民族英雄考―楠木正成と諸国の英雄たち―」補足:正成とフランスの英雄たち」
「世界各地の「遼 来 来」 ~泣く子も黙る世界の勇将、知将、名将、殺戮者~」
「貫かないを貫き通した漢達 ~童貞達の西洋軍事史名将伝~」
歴史研究会・とらっしゅばすけっと関連発表:
「民族英雄考―楠木正成と諸国の英雄たち―」
(http://www.geocities.jp/trushbasket/data/nf/minzoku.html)
の他には、
「軍事史概説 戦略と戦術の東西文明五千年史」
この記事で取り上げたコソボの戦い、アルカセル・キビールの戦い、パラグアイ戦争の後始末につきましては、興味のある方は社会評論社『敗戦処理首脳列伝』を御参照くださいましたら幸いです。
Amazon :『敗戦処理首脳列伝』楽天ブックス:『敗戦処理首脳列伝』
当ブログ内紹介記事
楽天ブックス:敗戦処理首脳列伝
(2011年3月1日、参考文献の部分が見にくかったので、書名・著者名・出版社名の間に;を追加しました。2011年5月30日、著書の紹介を追加しました。)
by trushbasket
| 2011-02-21 00:24
| NF








