2011年 03月 13日
日本史上の大震災について
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日本が地震国であることは認識しつつも、東北地方で起きた震災の想像を絶する壮絶な光景に、それまでの認識の甘さを痛感させられた人は多いのではないでしょうか。
私も、予想を超えた大災害などいくらでも起こりうるもので、日本が地震国であることについてのこれまでの自分の認識は甘かったと、感じました。
とはいえ、何の危険も苦痛も役割も無い位置から、何か語ったところで、それは実のないただの言葉にすぎませんから、現在起こっている事態について語るのはこれまでにして、
今日は、日本が地震国であるという事実を正しく認識し直すために、歴史上の大震災について、見ていきたいと思います。
1703年 元禄地震 M8.2(関東)
関東大震災とほぼ同じ場所(相模湾北部)で発生したが、関東大震災より震源域が広かったと見られている。
被害分布は関東大震災に類似。相模湾沿岸の被害が甚大で、小田原では大半の家屋が焼失した。
死者5千余名、倒壊家屋2万戸に及んだ。
1707年 宝永地震 M8.4(静岡から中四国、九州)
南海トラフに沿って生じた断層運動が原因と見られている。
日本史上最大の地震とされ、被害範囲が非常に広く、家屋倒壊地域は、静岡から九州の一部に及んだ。
伊豆から九州に至る太平洋沿岸や大阪湾を津波が襲い、高知に甚大な被害。
1771年 八重山地震津波 M7.4(沖縄)
地震動による被害はない。
津波によって八重山列島に甚大な被害。八重山列島の総人口2万9千人の4割余りが死亡したと言われる。八重山列島の主島である石垣島では、一説によれば、最大で85メートル達し。特に甚大な被害を出した。
震源は石垣島の南東約30キロメートルの海底下。
1847年 善光寺地震 M7.4(長野)
長野盆地で発生。
善光寺ご開帳の年に当たり全国からの参拝客でにぎわう善光寺の町で火災が発生、善光寺周辺に集まった男女7千~8千のうち生存者は約1割。
多くの地滑りが生じたが虚空蔵山で発生した地滑りが犀川をせき止め、それによってできた長さ30キロメートルの湖の底に村がいくつか水没した。地震後20日ほどで湖が決壊、長野盆地は大洪水となった。真田藩がこれを予期して立てた対策のおかげで、洪水による死者は約100人に止まった。
1万3千余戸が潰れた。
1855年 安政の大地震 M6.9(東京)
江戸の荒川河口付近で発生した直下地震。東京直下にこの地震と関連のありそうな地震断層は発見されず、フィリピン海域のプレート中で発生したとも言われる。
地震後約30カ所から火災が発生したが、風が穏やかであったおかげで、火災は比較的早く収まった。焼失面積は関東大震災の20分の1。
津波はなかった。
江戸の町方で倒壊1万6千戸、死者約4700人といわれ、武家・社寺方を含めると、被害は家屋2万、死者1万人余に達すると考えられている。
幕府は、五カ所の救小屋設置により被災者を救済、大名に対しては帰国許可や貸付金返済延期、旗本・ご家人には貸し金などの措置をとった。地震に関する様々な出版活動が見られ、地震直後から焼失地域を示す一枚摺が発行されたし、鯰絵(地震をおこすとされたナマズをテーマにした漫画)は、震災によって大きな利益を得た大工、左官、材木商などを風刺した。
1891年 濃尾地震 M8.4(岐阜・愛知)
濃尾平野で発生。
日本の内陸でおきた地震としては最大のものとされる。
死者7273人、全半壊家屋22万2501戸(全壊家屋1万4千余戸)。名古屋付近にあった西洋式の煉瓦造りの建物が大きな被害を受けたことでも注目された。
1896年 三陸沖地震 M8.5(青森・岩手太平洋岸)
マグニチュードは6.8説も有力。
震度自体はたいしたことがなく、地震の約30分後に襲ってきた津波による被害が大きい。三陸地方のリアス式海岸で波高が高まり、湾奥で波高は24メートル余に達した。
死者21959人。
1923年 関東大震災 M7.9(関東南部)
小田原から相模トラフ沿いに南東約100キロメートルが震源域。
地震後家屋倒壊によって134カ所から出火、火災が被害を拡大、東京市の総戸数の70パーセント強が消失するなどした。
東京、神奈川、千葉、埼玉、茨城、静岡、山梨に被害は及んだ。
津波が相模湾、房総半島南部を襲ったが、津波による被害は無かった。
神奈川県根府川では山津波(山崩れの大規模なもの)により、集落と、停車中の列車が埋まった。
死者9万1344人、行方不明者1万3275人、重傷1万6514人、軽傷3万5560人、全焼38万1090世帯、全壊8万2819世帯、半壊9万1232世帯。
1927年 北丹後地震 M7.5(京都府北西部)
京都府北西部丹後半島で発生。
郷村、山田両断層を出現させ、断層沿いの町村で建物の倒壊率が高かった。
死者2925人、全壊1万2584戸。
1933年 三陸沖地震 M8.1(青森・岩手太平洋岸)
津波による被害が大きい。
死者3008人。
三陸沖津波はしばしば各地に甚大な被害をもたらしているが、港として栄えた岩手県唐丹湾の本郷など、1933年とこの年、二度にわたる津波の大被害によって繁栄を失い、同湾の中心は小白浜に移るに至っている。
1943年 鳥取地震 M7.4(鳥取)
鳥取市付近に発生、震源が極めて浅く、深さ0キロメートル。
死者1083人、全半壊家屋1万3500余。
この地震の半年前にほぼ同じ地点で二度地震が発生、全半壊573戸に上っているが、これは前震と考えられている。
1944年 東南海地震 M8.0(東海地方)
震源域は紀伊半島沖から静岡県の御前崎の西。駿河湾内は破壊しなかったと考えられている。
三重、愛知、静岡各県の沿海地域で被害が大きい。
津波は伊豆半島から紀伊半島を襲った。
死者998人、全半壊約7万戸。
1945年 三河地震 M7.1(愛知)
愛知南部渥美湾内に発生。震源が非常に浅く、深さ0キロメートル。
激震地域では瞬時に家が潰れた。
死者1961人、重傷者896人、全壊5539戸、半壊1万1706戸。
1946年 南海地震 M8.1(高知など)
震源域は四国沖と考えられる。
高知県での被害が最大。
津波が伊豆から九州を襲った。
死者・行方不明者1432人、全半壊住家3万5078戸、流失家屋1451、焼失家屋2598。
1948年 福井地震 M7.3(福井)
福井平野で発生。震源の深さは極めて浅く、0キロメートル。福井平野中央部で家屋全壊率100パーセントとなる土地が多かった。
各地で火災が発生3851戸が焼失。
死者3892人、家屋全壊3万5420戸、半壊1万1816戸。
この他、上記より前の時代だと、
高知で12平方キロメートルの農地が海没したという684年の大地震、
奈良東大寺の大仏の頭部を落とした855年の大地震、
多賀城などに大きな被害を与えた陸奥国大地震(869)、
平安京を崩壊させ方丈記に描かれた元暦の大地震(1185)、
鎌倉を壊滅状態に陥れた1257年の大地震、
浜名湖口の砂州が切断されるなどした東海地方の明応の地震(1498)および大阪の永正の地震(1510)、
岐阜県白川郷で帰雲山を崩壊させ内ヶ島氏を滅亡させた天正の大地震(1585)、
蟄居中の加藤清正が主君豊臣秀吉の身を案じて登城したという逸話の残る近畿の慶長地震(1596)
などが歴史上著名である。
上記より後の時代では、北海道の十勝沖地震、新潟地震、宮城県沖地震、青森秋田県境沖100キロメートルで起こった日本海中部地震や、阪神・淡路大震災などが大災害としてよく知られている。
参考資料
『スーパー・ニッポニカ Professional』小学館
私も、予想を超えた大災害などいくらでも起こりうるもので、日本が地震国であることについてのこれまでの自分の認識は甘かったと、感じました。
とはいえ、何の危険も苦痛も役割も無い位置から、何か語ったところで、それは実のないただの言葉にすぎませんから、現在起こっている事態について語るのはこれまでにして、
今日は、日本が地震国であるという事実を正しく認識し直すために、歴史上の大震災について、見ていきたいと思います。
1703年 元禄地震 M8.2(関東)
関東大震災とほぼ同じ場所(相模湾北部)で発生したが、関東大震災より震源域が広かったと見られている。
被害分布は関東大震災に類似。相模湾沿岸の被害が甚大で、小田原では大半の家屋が焼失した。
死者5千余名、倒壊家屋2万戸に及んだ。
1707年 宝永地震 M8.4(静岡から中四国、九州)
南海トラフに沿って生じた断層運動が原因と見られている。
日本史上最大の地震とされ、被害範囲が非常に広く、家屋倒壊地域は、静岡から九州の一部に及んだ。
伊豆から九州に至る太平洋沿岸や大阪湾を津波が襲い、高知に甚大な被害。
1771年 八重山地震津波 M7.4(沖縄)
地震動による被害はない。
津波によって八重山列島に甚大な被害。八重山列島の総人口2万9千人の4割余りが死亡したと言われる。八重山列島の主島である石垣島では、一説によれば、最大で85メートル達し。特に甚大な被害を出した。
震源は石垣島の南東約30キロメートルの海底下。
1847年 善光寺地震 M7.4(長野)
長野盆地で発生。
善光寺ご開帳の年に当たり全国からの参拝客でにぎわう善光寺の町で火災が発生、善光寺周辺に集まった男女7千~8千のうち生存者は約1割。
多くの地滑りが生じたが虚空蔵山で発生した地滑りが犀川をせき止め、それによってできた長さ30キロメートルの湖の底に村がいくつか水没した。地震後20日ほどで湖が決壊、長野盆地は大洪水となった。真田藩がこれを予期して立てた対策のおかげで、洪水による死者は約100人に止まった。
1万3千余戸が潰れた。
1855年 安政の大地震 M6.9(東京)
江戸の荒川河口付近で発生した直下地震。東京直下にこの地震と関連のありそうな地震断層は発見されず、フィリピン海域のプレート中で発生したとも言われる。
地震後約30カ所から火災が発生したが、風が穏やかであったおかげで、火災は比較的早く収まった。焼失面積は関東大震災の20分の1。
津波はなかった。
江戸の町方で倒壊1万6千戸、死者約4700人といわれ、武家・社寺方を含めると、被害は家屋2万、死者1万人余に達すると考えられている。
幕府は、五カ所の救小屋設置により被災者を救済、大名に対しては帰国許可や貸付金返済延期、旗本・ご家人には貸し金などの措置をとった。地震に関する様々な出版活動が見られ、地震直後から焼失地域を示す一枚摺が発行されたし、鯰絵(地震をおこすとされたナマズをテーマにした漫画)は、震災によって大きな利益を得た大工、左官、材木商などを風刺した。
1891年 濃尾地震 M8.4(岐阜・愛知)
濃尾平野で発生。
日本の内陸でおきた地震としては最大のものとされる。
死者7273人、全半壊家屋22万2501戸(全壊家屋1万4千余戸)。名古屋付近にあった西洋式の煉瓦造りの建物が大きな被害を受けたことでも注目された。
1896年 三陸沖地震 M8.5(青森・岩手太平洋岸)
マグニチュードは6.8説も有力。
震度自体はたいしたことがなく、地震の約30分後に襲ってきた津波による被害が大きい。三陸地方のリアス式海岸で波高が高まり、湾奥で波高は24メートル余に達した。
死者21959人。
1923年 関東大震災 M7.9(関東南部)
小田原から相模トラフ沿いに南東約100キロメートルが震源域。
地震後家屋倒壊によって134カ所から出火、火災が被害を拡大、東京市の総戸数の70パーセント強が消失するなどした。
東京、神奈川、千葉、埼玉、茨城、静岡、山梨に被害は及んだ。
津波が相模湾、房総半島南部を襲ったが、津波による被害は無かった。
神奈川県根府川では山津波(山崩れの大規模なもの)により、集落と、停車中の列車が埋まった。
死者9万1344人、行方不明者1万3275人、重傷1万6514人、軽傷3万5560人、全焼38万1090世帯、全壊8万2819世帯、半壊9万1232世帯。
1927年 北丹後地震 M7.5(京都府北西部)
京都府北西部丹後半島で発生。
郷村、山田両断層を出現させ、断層沿いの町村で建物の倒壊率が高かった。
死者2925人、全壊1万2584戸。
1933年 三陸沖地震 M8.1(青森・岩手太平洋岸)
津波による被害が大きい。
死者3008人。
三陸沖津波はしばしば各地に甚大な被害をもたらしているが、港として栄えた岩手県唐丹湾の本郷など、1933年とこの年、二度にわたる津波の大被害によって繁栄を失い、同湾の中心は小白浜に移るに至っている。
1943年 鳥取地震 M7.4(鳥取)
鳥取市付近に発生、震源が極めて浅く、深さ0キロメートル。
死者1083人、全半壊家屋1万3500余。
この地震の半年前にほぼ同じ地点で二度地震が発生、全半壊573戸に上っているが、これは前震と考えられている。
1944年 東南海地震 M8.0(東海地方)
震源域は紀伊半島沖から静岡県の御前崎の西。駿河湾内は破壊しなかったと考えられている。
三重、愛知、静岡各県の沿海地域で被害が大きい。
津波は伊豆半島から紀伊半島を襲った。
死者998人、全半壊約7万戸。
1945年 三河地震 M7.1(愛知)
愛知南部渥美湾内に発生。震源が非常に浅く、深さ0キロメートル。
激震地域では瞬時に家が潰れた。
死者1961人、重傷者896人、全壊5539戸、半壊1万1706戸。
1946年 南海地震 M8.1(高知など)
震源域は四国沖と考えられる。
高知県での被害が最大。
津波が伊豆から九州を襲った。
死者・行方不明者1432人、全半壊住家3万5078戸、流失家屋1451、焼失家屋2598。
1948年 福井地震 M7.3(福井)
福井平野で発生。震源の深さは極めて浅く、0キロメートル。福井平野中央部で家屋全壊率100パーセントとなる土地が多かった。
各地で火災が発生3851戸が焼失。
死者3892人、家屋全壊3万5420戸、半壊1万1816戸。
この他、上記より前の時代だと、
高知で12平方キロメートルの農地が海没したという684年の大地震、
奈良東大寺の大仏の頭部を落とした855年の大地震、
多賀城などに大きな被害を与えた陸奥国大地震(869)、
平安京を崩壊させ方丈記に描かれた元暦の大地震(1185)、
鎌倉を壊滅状態に陥れた1257年の大地震、
浜名湖口の砂州が切断されるなどした東海地方の明応の地震(1498)および大阪の永正の地震(1510)、
岐阜県白川郷で帰雲山を崩壊させ内ヶ島氏を滅亡させた天正の大地震(1585)、
蟄居中の加藤清正が主君豊臣秀吉の身を案じて登城したという逸話の残る近畿の慶長地震(1596)
などが歴史上著名である。
上記より後の時代では、北海道の十勝沖地震、新潟地震、宮城県沖地震、青森秋田県境沖100キロメートルで起こった日本海中部地震や、阪神・淡路大震災などが大災害としてよく知られている。
参考資料
『スーパー・ニッポニカ Professional』小学館
by trushbasket
| 2011-03-13 18:46
| My(山田昌弘)








