2011年 03月 20日
前近代の日本・朝鮮半島とイスラーム
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現在、中近東地域ではチュニジア、エジプトそしてリビア等と政治的な変動が広がってます。この地域が石油供給源であるのに加え海上交通の要所だったりする事もあって、世界的な関心は高いのですが日本における注目度は今ひとつな感があります。日本が震災のため現在それどころじゃない、というのもあるでしょうが、日本とイスラームが文化的接触が非常に少ないというのも大きいかと思います。
それに関して、以前疑問に思っていた事がありました。日本は前近代における中国との貿易において現地でイスラーム商人と接触する事もあった可能性が高いにも関わらず、なぜイスラームとの接点らしい接点が見出せないか、ということ。そういえば、日本だけでなく隣接する朝鮮半島もまたムスリムが少ない地域として知られています。今回は、そのあたりの事情について。
概要について調べたところ、『Encyclopaedia of Islam and the Muslim World』や『The Oxford Encyclopaedia of the Modern Islamic World』といったイスラーム関連の百科事典には日本・朝鮮に関する記事そのものがありません。『岩波イスラーム辞典』によれば2000年時点での日本人ムスリムは10万人。『世界キリスト教百科事典』『An Encyclopaedia of Korea Culture』によれば韓国にイスラームが持ち込まれたのは朝鮮戦争における国連軍に参加したトルコ軍スンナ派イマームを通じてであり2001年現在で3000人程度、イマーム1人、モスク1箇所。いずれも、イスラームとの接触は遅くムスリム数も少数だということです。
しかし、少なくとも朝鮮半島に関してはそれまで全く接触がなかったわけでもないようです。唐代において新羅商人は山東半島の登州を拠点に揚州、楚州までを範囲として交易に従事していました。登州は朝鮮半島が三国に分立していた時期から新羅との交通が盛んであった土地です。一方でイスラーム商人も同じ時期に広州を拠点に楊州までの範囲で中国交易をしていたので両者は当然接触しており、新羅はイスラーム商人を通じて中国に持ち込まれた玳瑁・香木などを好んでいたといいます。9世紀のイブン・フルダーズビフ『諸道諸国誌』は「シナ」(中国の事と思われます)の向こうに「シーラー」という国があり赴いたムスリムが永住する例が少なくないがその国の内情は良く分からないと記しているとか。この「シーラー」は「新羅」の事と推定されています。一方、『シナ・インド物語』は「シーラー」について情報を伝えてくれる者も行った事のある者も皆無と記していたりもします。ただし、1024年・1025年には大食(アラブ)から高麗に使節団が送られた事が判明しており、イスラーム世界と朝鮮に接点が皆無でなかった事は判明しています。ただし、飽くまでも中国での遭遇が主であり朝鮮に直接赴くイスラーム商人は極めて少なかった事が読み取れます。
なお、揚州に遣唐使を派遣していた日本もイスラーム商人との接点は皆無ではなかったようで『諸道諸国誌』は「シナ」の東方に黄金の国「ワークワーク」があり、そこでは飼犬の鎖や猿の首輪を黄金で作り黄金で織った衣服を売っており良質の黒檀がとれると記しています。マルコ・ポーロの『東方見聞録』を髣髴とさせる内容であり、「ワークワーク」は「倭国」に由来する呼び名とする説もあります。だとすると日本が貿易の支払いに金を用いていた事からそうした印象がもたれたのでしょうか。10世紀のペルシア人部ズルク・イブン・シャクリヤールも「ワークワーク」の豊かさについて伝聞したと記しています。ただし、『シナ・インド物語』では「ワークワーク」に関する記述がなく、日本が新羅より接触が少なかったのが伺えます。とはいえ、大宰府の鴻鵬館から9世紀ごろのイスラーム陶器・ガラス瓶・ガラス杯が出土しており『日本書紀』『続日本紀』にイラン人とおぼしき名が見られる事から日本本土との接点が全くなかったわけではないようです。
しかし10世紀、揚州が戦乱で衰退した後にイスラーム商人はシュリーヴィジャヤ王国に拠点を移し、イスラーム商人と日本人が直接接触する機会は著しく減少。16・17世紀の日本は南蛮貿易・朱印船貿易で南方と接触しましたが日本は物資集積地を現地に持たず、アラブ舟が寄港する貿易港からは離れていました事もあって直接接触は起こらなかったようです。
鎖国期間、『和蘭風説書』によりサファヴィー朝やムガル帝国・オスマン帝国の戦争・内政についての情報が伝聞。洋学交流により新しい世界地理の知識が徐々に広がっていきます。18世紀初頭に編纂された寺島良安『和漢三才図会』の巻十四「外夷人物」にはイスラーム世界の人々に関する記述も多少含まれているとか。そして新井白石はキリスト教宣教師シドッチから「マアゴメタン」について聞き「漢に回回の教といふもの」であろうと推定、地理書ではイスラームやムハンマドにも言及しています。19世紀には山村昌永『訂正増訳采覧異言』(1802頃)や箕作省吾『坤輿図識』(1845)・箕作阮甫『地球説略』(1856)のようにイスラーム世界の位置と各国関係をほぼ正確に図示した書籍も登場。ただし山村昌永もムハンマドの父を仏教徒、母をユダヤ教徒としてクルアーンの内容についてもヨーロッパ人の偏見・誤解を受け継いでいますし、他の書籍にも西洋人の目を経たイメージが投影されているのは否めません。日本人とイスラーム世界との直接の接触は近代を待つ必要がありました。
一方、イスラーム世界でも「ワークワーク」は『千夜一夜物語』でバスラのハサンの物語に登場するなど関心が伺えるものの、日本に関する知見は以降寧ろ後退したようです。例えば10世紀『インドの不思議』には「ワークワーク」のイメージにザンジバルやスマトラのそれも混じっていきます。後世には、実として人がなる木があり、その実が「ワクワク」と鳴く国という伝承すら生まれたようです。現在のアラブ世界でも未知の異郷を表す喩えとして「ワークワーク」という言葉が用いられるそうで、日本はイスラーム世界にとって一貫して遠い世界であったといえます。イスラーム商人にとっては、中国周辺が活動の東限に近く日本は少しそこから外れていたということでしょう。考えてみれば、西洋人が南北アメリカ大陸の存在を認識するまでは、彼らにとってこの辺りは世界の果てだったでしょうしね。
【参考文献】
イスラム・ネットワーク 宮崎正昭 講談社選書メチエ
岩波イスラーム辞典 岩波書店
世界キリスト教百科事典 教文館
An Encyclopaedia of Korea Culture Hansebon
Encyclopaedia of Islam and the Muslim World Thoman Gale
The Oxford Encyclopaedia of the Modern Islamic World Oxford
関連記事:
「天国・極楽のイメージ ~どんな餌で世界の信者たちは釣られたか~」
「外国から見た日本、日本から見た外国―娯楽文化の視点から―(前半)」、「(後半)」
「「あの国のあの法則」 ~50年前の碩学の言葉と地政学的証明~」
歴史研究会・とらっしゅばすけっと関連発表:
「旅行業と巡礼」
(http://www.geocities.jp/trushbasket/data/nf/travel.html)
「イスラム教歴史」
(http://kyoto.cool.ne.jp/rekiken/data/2001/011005.html)
それに関して、以前疑問に思っていた事がありました。日本は前近代における中国との貿易において現地でイスラーム商人と接触する事もあった可能性が高いにも関わらず、なぜイスラームとの接点らしい接点が見出せないか、ということ。そういえば、日本だけでなく隣接する朝鮮半島もまたムスリムが少ない地域として知られています。今回は、そのあたりの事情について。
概要について調べたところ、『Encyclopaedia of Islam and the Muslim World』や『The Oxford Encyclopaedia of the Modern Islamic World』といったイスラーム関連の百科事典には日本・朝鮮に関する記事そのものがありません。『岩波イスラーム辞典』によれば2000年時点での日本人ムスリムは10万人。『世界キリスト教百科事典』『An Encyclopaedia of Korea Culture』によれば韓国にイスラームが持ち込まれたのは朝鮮戦争における国連軍に参加したトルコ軍スンナ派イマームを通じてであり2001年現在で3000人程度、イマーム1人、モスク1箇所。いずれも、イスラームとの接触は遅くムスリム数も少数だということです。
しかし、少なくとも朝鮮半島に関してはそれまで全く接触がなかったわけでもないようです。唐代において新羅商人は山東半島の登州を拠点に揚州、楚州までを範囲として交易に従事していました。登州は朝鮮半島が三国に分立していた時期から新羅との交通が盛んであった土地です。一方でイスラーム商人も同じ時期に広州を拠点に楊州までの範囲で中国交易をしていたので両者は当然接触しており、新羅はイスラーム商人を通じて中国に持ち込まれた玳瑁・香木などを好んでいたといいます。9世紀のイブン・フルダーズビフ『諸道諸国誌』は「シナ」(中国の事と思われます)の向こうに「シーラー」という国があり赴いたムスリムが永住する例が少なくないがその国の内情は良く分からないと記しているとか。この「シーラー」は「新羅」の事と推定されています。一方、『シナ・インド物語』は「シーラー」について情報を伝えてくれる者も行った事のある者も皆無と記していたりもします。ただし、1024年・1025年には大食(アラブ)から高麗に使節団が送られた事が判明しており、イスラーム世界と朝鮮に接点が皆無でなかった事は判明しています。ただし、飽くまでも中国での遭遇が主であり朝鮮に直接赴くイスラーム商人は極めて少なかった事が読み取れます。
なお、揚州に遣唐使を派遣していた日本もイスラーム商人との接点は皆無ではなかったようで『諸道諸国誌』は「シナ」の東方に黄金の国「ワークワーク」があり、そこでは飼犬の鎖や猿の首輪を黄金で作り黄金で織った衣服を売っており良質の黒檀がとれると記しています。マルコ・ポーロの『東方見聞録』を髣髴とさせる内容であり、「ワークワーク」は「倭国」に由来する呼び名とする説もあります。だとすると日本が貿易の支払いに金を用いていた事からそうした印象がもたれたのでしょうか。10世紀のペルシア人部ズルク・イブン・シャクリヤールも「ワークワーク」の豊かさについて伝聞したと記しています。ただし、『シナ・インド物語』では「ワークワーク」に関する記述がなく、日本が新羅より接触が少なかったのが伺えます。とはいえ、大宰府の鴻鵬館から9世紀ごろのイスラーム陶器・ガラス瓶・ガラス杯が出土しており『日本書紀』『続日本紀』にイラン人とおぼしき名が見られる事から日本本土との接点が全くなかったわけではないようです。
しかし10世紀、揚州が戦乱で衰退した後にイスラーム商人はシュリーヴィジャヤ王国に拠点を移し、イスラーム商人と日本人が直接接触する機会は著しく減少。16・17世紀の日本は南蛮貿易・朱印船貿易で南方と接触しましたが日本は物資集積地を現地に持たず、アラブ舟が寄港する貿易港からは離れていました事もあって直接接触は起こらなかったようです。
鎖国期間、『和蘭風説書』によりサファヴィー朝やムガル帝国・オスマン帝国の戦争・内政についての情報が伝聞。洋学交流により新しい世界地理の知識が徐々に広がっていきます。18世紀初頭に編纂された寺島良安『和漢三才図会』の巻十四「外夷人物」にはイスラーム世界の人々に関する記述も多少含まれているとか。そして新井白石はキリスト教宣教師シドッチから「マアゴメタン」について聞き「漢に回回の教といふもの」であろうと推定、地理書ではイスラームやムハンマドにも言及しています。19世紀には山村昌永『訂正増訳采覧異言』(1802頃)や箕作省吾『坤輿図識』(1845)・箕作阮甫『地球説略』(1856)のようにイスラーム世界の位置と各国関係をほぼ正確に図示した書籍も登場。ただし山村昌永もムハンマドの父を仏教徒、母をユダヤ教徒としてクルアーンの内容についてもヨーロッパ人の偏見・誤解を受け継いでいますし、他の書籍にも西洋人の目を経たイメージが投影されているのは否めません。日本人とイスラーム世界との直接の接触は近代を待つ必要がありました。
一方、イスラーム世界でも「ワークワーク」は『千夜一夜物語』でバスラのハサンの物語に登場するなど関心が伺えるものの、日本に関する知見は以降寧ろ後退したようです。例えば10世紀『インドの不思議』には「ワークワーク」のイメージにザンジバルやスマトラのそれも混じっていきます。後世には、実として人がなる木があり、その実が「ワクワク」と鳴く国という伝承すら生まれたようです。現在のアラブ世界でも未知の異郷を表す喩えとして「ワークワーク」という言葉が用いられるそうで、日本はイスラーム世界にとって一貫して遠い世界であったといえます。イスラーム商人にとっては、中国周辺が活動の東限に近く日本は少しそこから外れていたということでしょう。考えてみれば、西洋人が南北アメリカ大陸の存在を認識するまでは、彼らにとってこの辺りは世界の果てだったでしょうしね。
【参考文献】
イスラム・ネットワーク 宮崎正昭 講談社選書メチエ
岩波イスラーム辞典 岩波書店
世界キリスト教百科事典 教文館
An Encyclopaedia of Korea Culture Hansebon
Encyclopaedia of Islam and the Muslim World Thoman Gale
The Oxford Encyclopaedia of the Modern Islamic World Oxford
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「「あの国のあの法則」 ~50年前の碩学の言葉と地政学的証明~」
歴史研究会・とらっしゅばすけっと関連発表:
「旅行業と巡礼」
(http://www.geocities.jp/trushbasket/data/nf/travel.html)
「イスラム教歴史」
(http://kyoto.cool.ne.jp/rekiken/data/2001/011005.html)
by trushbasket
| 2011-03-20 22:10
| NF








