2011年 08月 07日
とある終戦処理の失敗例~ナポレオン3世と敗戦時の対処から「王の死」作戦を考える~
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以前の記事で、「異民族相手に死にさえすれば英雄になれる」可能性がある事について述べました。また、それ以後の記事ではそれを前提として、「皇帝を敢えて戦死させる事で名誉ある敗北を遂げ体制を守る」という「王の死」作戦が第一次大戦末期のドイツで立てられた事についてもお話したかと。その作戦の有効性について考える上で、今回は類例を一つ挙げておきたいと思います。
時は十九世紀後半、普仏戦争でのこと。フランス皇帝・ナポレオン3世は、将兵の士気を高めるべく体調不良を押して自ら前線へ出陣。しかしながら戦争序盤にセダン要塞でプロイセン軍に包囲され、進退窮まってしまいます。そうした状況でも皇帝は
とある通り、気力を振り絞って義務を果そうとしていました。その際に、
といったやり取りがあったとか。第一次大戦のドイツと同様に、皇帝の戦死によって名誉ある敗北を演出し王朝を守ろうという発想が出たものの拒絶された、という出来事があったわけですね。なお、ナポレオン3世の言い分は、おそらくは本音と見て間違いないと思います。弾の飛んでくる前線に出て督戦している位ですから臆病を隠すための言い訳とは考えにくいですし、ジョルジュ・ルーに「フランスの歴代の元首の中で、人間の苦しみに対して最も敏感な一人だった」(同書 447-448頁)と評される一面を持った人物でしたから。何しろ以前にも、イタリア統一戦争におけるソルフェリーノの戦いで大きな犠牲を出した事に心を痛め、盟邦サルディニア王国から恨みを買うのも構わず停戦した前歴があったりするのです。
さて、ナポレオン3世は結局、これ以上の犠牲を出すのを嫌って降伏を決意します。しかしこれを受けたプロイセンの宰相ビスマルクの反応は、
というものでした。「プロシャはこれから頭(皇帝)を欠いた体(フランス)を相手に戦争を続けなければならなくなる」ため「休戦交渉を行うべき当事者が存在しない」(同書 同頁)という切実な問題が生じたためです。また、ウージェニー皇后はパリでこの知らせを受け取り
と怒り狂ったといいます。そして彼らの予感は的中。フランス国民はナポレオン3世の決断に激怒して帝政を廃止し、国防政府を設立して徹底抗戦する方針をとりました。戦争は市民をも巻き込んだものとなり、終戦に持ち込んだ後もパリ市民が蜂起して(パリ・コミューン)フランス人同士が殺しあうという悲惨な展開になります。そしてナポレオン3世らはそれまで抑圧されてきた共和派・王党派らによって負のレッテルを貼られ、以降は無能な皇帝というイメージが長らく定着するようになりました。元皇帝一家はイギリスへ亡命し、そのまま異郷で帰らぬ人となります。最期の言葉は側近に向けた
というものだったと伝えられています。何とも哀れを誘う話ですね。結局、ナポレオン3世の善意から出た決断は、当人や家族、フランス国民、ビスマルクのいずれも幸せにしない結果に終ってしまったと言わざるを得ないでしょう。
ナポレオン3世は、最後に味噌を付けたものの内政では成果を少なからず残した人物でした。主な業績を挙げると、
・国内産業を振興し第二次産業革命を実現、経済成長を達成
・国内の鉄道網を飛躍的に拡大させる
・人口増加に対応できず不衛生で治安も悪化していたパリを改造し、欧州でも最も美しい近代都市に変貌させる
・「貧困の根絶」を目指して社会福祉・公共事業に力を注ぎ共同住宅・浴場・洗濯場・労働者用リハビリ施設の導入を試みる
といったものがありフランス近代化への貢献は相当なものといえます。にもかかわらず、(最近になって再評価が進んでいますが)長きに渡り「伯父の栄光を利用した虚名により成り上がったに過ぎない間抜けな人物」として語られる羽目になったのは何とも気の毒ですね。その悪評は敵の捕虜となるという無様な形で失脚したのが最大の原因であろうと考えられますので、やはり降伏という選択はその意味でも拙かったのかもしれません。
とはいえ、その降伏は更なる犠牲を嫌ったためであり、昭和天皇が第二次大戦の終戦にあたり
と述べられた心情と通じるものであったはず。それが第二次大戦時の日本と大きく異なる反応によって報いられたのはなぜなのか。一つには、長年にわたる戦争で疲弊しきっていた日本と異なり、皇帝の降伏が開戦から間もなくでの出来事であり国民が敗戦を受け入れられる状況ではなかった事。二つめは、昭和天皇が神話以来の歴史を誇る王朝の当主で相当な権威を背負っていたのに対し、ナポレオン3世は武名高き伯父の名声に大きく頼った成り上がり者だったという相違があった事。もう一つは、ナポレオン3世が自分の考えを他人に打ち明けた上で物事を運ぶタイプの人物ではなかった点も無関係ではないでしょう。彼は虜囚の辱めを受ける覚悟はできたのですが、昭和天皇のように
と言える人物ではなかったようです。まあ、第一の理由から皇帝が説き諭しても結果は同じだったようにも思えますが。
以上を考えると、普仏戦争におけるナポレオン3世の場合、将兵に仏心を出したのが完全に裏目に出たのを考慮すると、「敢えて名誉ある戦死を遂げる」という選択をした方が国民も敗戦を納得しやすく、名誉を守られたボナパルト王朝は皇太子に帝位が引き継がれ、ビスマルクも後継者を相手に和平交渉が出来たのではないか、という可能性が浮上してきます。「異民族相手に戦死さえすれば英雄」という風潮を利用して敢えて「王の死」を演出する作戦は、付き合わされる兵士に関する倫理的な問題はあるものの、事後処理には確かに効果的な場合がありうるのかもしれませんね。
【参考文献】
怪帝ナポレオン三世 鹿島茂 講談社学術文庫
第二次世界大戦ブックス21 天皇の決断 昭和20年8月15日 アービン・クックス著 加藤俊平訳 サンケイ新聞出版局
日本大百科全書 小学館
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時は十九世紀後半、普仏戦争でのこと。フランス皇帝・ナポレオン3世は、将兵の士気を高めるべく体調不良を押して自ら前線へ出陣。しかしながら戦争序盤にセダン要塞でプロイセン軍に包囲され、進退窮まってしまいます。そうした状況でも皇帝は
この間、ナポレオン三世は兵を励まし、砲弾が雨あられと飛んでくる前線に騎馬姿で立ちつくしていた。その姿は、明らかに最後の死に場所を求めているように見えた。
(鹿島茂『怪帝ナポレオン三世』講談社学術文庫 565頁)
とある通り、気力を振り絞って義務を果そうとしていました。その際に、
ヴィンフェン将軍は、一か八かの策として、皇帝に全軍の先頭に立って突撃を命じていただきたいと進言した。こうすれば、間違いなく皇帝は命を落とすだろうが、名誉は救われ、体制は存続するというのである。だが、皇帝はしばらく考えた後、こう言った。
「突撃をすればさらに一万いや二万人の命が失われるだろう。突撃は無駄だ。私には兵士を殺す権利はない」
(同書 同頁)
といったやり取りがあったとか。第一次大戦のドイツと同様に、皇帝の戦死によって名誉ある敗北を演出し王朝を守ろうという発想が出たものの拒絶された、という出来事があったわけですね。なお、ナポレオン3世の言い分は、おそらくは本音と見て間違いないと思います。弾の飛んでくる前線に出て督戦している位ですから臆病を隠すための言い訳とは考えにくいですし、ジョルジュ・ルーに「フランスの歴代の元首の中で、人間の苦しみに対して最も敏感な一人だった」(同書 447-448頁)と評される一面を持った人物でしたから。何しろ以前にも、イタリア統一戦争におけるソルフェリーノの戦いで大きな犠牲を出した事に心を痛め、盟邦サルディニア王国から恨みを買うのも構わず停戦した前歴があったりするのです。
さて、ナポレオン3世は結局、これ以上の犠牲を出すのを嫌って降伏を決意します。しかしこれを受けたプロイセンの宰相ビスマルクの反応は、
これが「セダン要塞におけるナポレオン三世の降伏」であり、「フランス帝国の降伏」ではないことに気づいて、複雑な心境になった。
(同書 568頁)
というものでした。「プロシャはこれから頭(皇帝)を欠いた体(フランス)を相手に戦争を続けなければならなくなる」ため「休戦交渉を行うべき当事者が存在しない」(同書 同頁)という切実な問題が生じたためです。また、ウージェニー皇后はパリでこの知らせを受け取り
「なんで、自殺しなかったのよ、あの人は!自分の名誉を汚すことになるのに気がつかなかったの?息子に、いったい、どんな名前を残すつもりなの?」
(同書 569頁)
と怒り狂ったといいます。そして彼らの予感は的中。フランス国民はナポレオン3世の決断に激怒して帝政を廃止し、国防政府を設立して徹底抗戦する方針をとりました。戦争は市民をも巻き込んだものとなり、終戦に持ち込んだ後もパリ市民が蜂起して(パリ・コミューン)フランス人同士が殺しあうという悲惨な展開になります。そしてナポレオン3世らはそれまで抑圧されてきた共和派・王党派らによって負のレッテルを貼られ、以降は無能な皇帝というイメージが長らく定着するようになりました。元皇帝一家はイギリスへ亡命し、そのまま異郷で帰らぬ人となります。最期の言葉は側近に向けた
「セダンで、私たちは卑怯者ではなかったな、そうだろ?」
(同書 585頁)
というものだったと伝えられています。何とも哀れを誘う話ですね。結局、ナポレオン3世の善意から出た決断は、当人や家族、フランス国民、ビスマルクのいずれも幸せにしない結果に終ってしまったと言わざるを得ないでしょう。
ナポレオン3世は、最後に味噌を付けたものの内政では成果を少なからず残した人物でした。主な業績を挙げると、
・国内産業を振興し第二次産業革命を実現、経済成長を達成
・国内の鉄道網を飛躍的に拡大させる
・人口増加に対応できず不衛生で治安も悪化していたパリを改造し、欧州でも最も美しい近代都市に変貌させる
・「貧困の根絶」を目指して社会福祉・公共事業に力を注ぎ共同住宅・浴場・洗濯場・労働者用リハビリ施設の導入を試みる
といったものがありフランス近代化への貢献は相当なものといえます。にもかかわらず、(最近になって再評価が進んでいますが)長きに渡り「伯父の栄光を利用した虚名により成り上がったに過ぎない間抜けな人物」として語られる羽目になったのは何とも気の毒ですね。その悪評は敵の捕虜となるという無様な形で失脚したのが最大の原因であろうと考えられますので、やはり降伏という選択はその意味でも拙かったのかもしれません。
とはいえ、その降伏は更なる犠牲を嫌ったためであり、昭和天皇が第二次大戦の終戦にあたり
しかし自分はいかになろうとも、万民の生命を助けたい。これ以上、戦争をつづけては、わが国がまったく焦土となり、万民にこれ以上苦悩をなめさせることは、わたくしとして実に忍びがたい。
(アービン・クックス『第二次世界大戦ブックス21 天皇の決断 昭和20年8月15日』加藤俊平訳 サンケイ新聞社出版局 160頁)
と述べられた心情と通じるものであったはず。それが第二次大戦時の日本と大きく異なる反応によって報いられたのはなぜなのか。一つには、長年にわたる戦争で疲弊しきっていた日本と異なり、皇帝の降伏が開戦から間もなくでの出来事であり国民が敗戦を受け入れられる状況ではなかった事。二つめは、昭和天皇が神話以来の歴史を誇る王朝の当主で相当な権威を背負っていたのに対し、ナポレオン3世は武名高き伯父の名声に大きく頼った成り上がり者だったという相違があった事。もう一つは、ナポレオン3世が自分の考えを他人に打ち明けた上で物事を運ぶタイプの人物ではなかった点も無関係ではないでしょう。彼は虜囚の辱めを受ける覚悟はできたのですが、昭和天皇のように
このさい、わたくしとして、なすべきことがあれば、なんでもいとわない。国民に呼びかけることがよければ、わたくしはいつでもマイクの前にも立つ。
必要があれば、自分が親しく説きさとしてもかまわない。このさい詔書をだす必要もあろうから、政府はさっそくその起草をしてもらいたい。
(いずれも同書 161頁)
と言える人物ではなかったようです。まあ、第一の理由から皇帝が説き諭しても結果は同じだったようにも思えますが。
以上を考えると、普仏戦争におけるナポレオン3世の場合、将兵に仏心を出したのが完全に裏目に出たのを考慮すると、「敢えて名誉ある戦死を遂げる」という選択をした方が国民も敗戦を納得しやすく、名誉を守られたボナパルト王朝は皇太子に帝位が引き継がれ、ビスマルクも後継者を相手に和平交渉が出来たのではないか、という可能性が浮上してきます。「異民族相手に戦死さえすれば英雄」という風潮を利用して敢えて「王の死」を演出する作戦は、付き合わされる兵士に関する倫理的な問題はあるものの、事後処理には確かに効果的な場合がありうるのかもしれませんね。
【参考文献】
怪帝ナポレオン三世 鹿島茂 講談社学術文庫
第二次世界大戦ブックス21 天皇の決断 昭和20年8月15日 アービン・クックス著 加藤俊平訳 サンケイ新聞出版局
日本大百科全書 小学館
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「軍事史概説 戦略と戦術の東西文明五千年史」
普仏戦争におけるフランスや第二次大戦における日本の敗戦処理に関しましては、社会評論社『敗戦処理首脳列伝』を御参照くださいましたら幸いです。
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by trushbasket
| 2011-08-07 22:41
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