【古代~現代まで】 世界史“女性武将”100選 【アジア・アフリカ・ヨーロッパ・新世界すべて対象】
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目次など(出版社商品ページ)
併記された国と世紀は、大雑把な活動の時と場所です。
なお『世界各国女傑列伝』の本文で取り上げた人物は【】、コラムで取り上げた人物は“”で、名前を囲んであります。より詳しくはそちらをご参照下さい。
【アウラ・ポコウ】[18世紀 コートジボワール]
ガーナのアシャンティ王国の王族女性。政変のため国を逃れ、群衆を率いてコートジボワールに侵入、征服、大勢力を築いた。
【フアナ・アズルドゥイ】[19世紀 ボリビア]
夫とともにボリビアの対スペイン独立運動に参戦。ゲリラ部隊の指揮権を夫と共有し、夫の死後も戦いを続けた。中佐となった。
“アマゲ”[前4世紀 ロシア]
ロシア南部の遊牧民サルマタイ人の王妃。酒浸りの王に代わり国防を固めた。少数精鋭でスキタイ王都を奇襲しスキタイ王を殺害したこともある。
【アマニレナス】[前1世紀 スーダン]
古代スーダンのクシュ王国女王。戦闘で片目を失っていた。エジプトをしばしば襲撃し、ローマ帝国とも衝突、最終的に和平した。
【アミナ】[16世紀 ナイジェリア]
ナイジェリアのザザウ国の女王。戦争に次ぐ戦争に勝利し勢力を拡大、2万の兵力を率いる恐るべき支配者として名を轟かせた。
アリョーナ[17世紀 ロシア]
ロシアの民衆反乱ステンカラージンの乱に参加。修道女だったが男装し、7千の遊撃兵を率いて戦った。反逆者かつ魔女として焼き殺された。
【イェネンガ】[12世紀 ブルキナファソ]
ガーナのモシ人の王女で少女時代に戦争で活躍、戦利品で国庫を潤した。息子はブルキナファソのモシ人諸王国の祖。非実在説あり。
イザベラ・ド・ロレーヌ[15世紀 フランス]
フランス貴族女性で文武に優れた業績。軍を率いて捕虜となった夫を解放した他、シチリア島で夫の支配を固めるため戦った。
“エセルブルグ”[8世紀 イギリス]
古のイギリスに存在したウェセックス王国国王イネの王妃。資料に乏しいが、軍を率いて巧みな戦略を展開、領土を拡張したとされる。
“エセルフレード”[10世紀 イギリス]
イギリスのマーシア国の統治者。当時の一級の武将で、軍を率いてデーン人の侵略に対抗する等した。マーシアの貴婦人の敬称を持つ。
ブルゴーニュのエマ[10世紀 フランス]
フランス王妃。政治・軍事に才能を発揮、城塞防衛や攻囲作戦を成功に導いた。敵城は、夫ではなく彼女を相手として降伏した。
“王聡児(斉王氏)”[18世紀 中国]
中国の明代の反乱指導者。武芸に長けた旅芸人だったが、襄陽白蓮教指導者の妻となり、夫の刑死後反乱、2万に上る軍で各地を転戦した。
【グレイス・オマリー】[16世紀 アイルランド]
アイルランドの女海賊。長らくイギリスと戦ったが、情勢が不利になるとイギリス女王エリザベス1世と直接会談し服属した。
“甲斐姫”[16世紀 日本]
忍城主の娘。城主不在下に少数の兵で大軍の攻囲を防ぎ、武勇を振るって活躍した。その後、会津若松に預けられていた時に、反乱鎮圧に貢献した。
瓦氏[16世紀 中国]
中国の異民族の長の妻。6千の軍を率いて海賊に襲われた土地を救援、迅速果敢な戦いで勝利した。四頭立ての兵車に乗り、巧みに戟を操り、恐れられた。
【カーヒナ】[7世紀 チュニジア]
アフリカ北西部のベルベル人の一派ジャラワ族の女王。他部族やユダヤ人をも指揮下に収め、アラブ人の侵略に抵抗、一度は撃退に成功した。
【ショテ・ガリカ】[20世紀 コソボ]
コソボで外国人支配からの解放を求めて、夫とともに挙兵、夫の死後ゲリラ部隊の指揮権を受け継ぐ。敵指揮官を捕虜にしたこともある。
【アニータ・ガリバルディ】[19世紀 ブラジル]
ブラジル人女性。革命家ガリバルディの南米滞在時に恋仲となり戦場に同行、補給隊を率いたり、妊婦の身で騎兵隊を率いた。
“ヴァレンティナ・グリゾドゥボヴァ”[20世紀 ロシア]
ソ連の女性飛行士。男性のみで構成された航空団の司令官を務めた二次大戦中唯一の女性。大佐の地位を得た。
【クルマンジャン・ダトカ】[19世紀 キルギス]
キルギス人の部族指導者の妻。夫の助言者、夫不在時の代理として活躍。夫が殺された際、優れた統率力で士気を蘇らせた。
キュンナ[前4世紀 マケドニア]
古代マケドニア王女。イリュリア王家の血を引き、同家の慣習に従い女ながら軍人教育を受けた。戦いで敵女王を自ら殺害したことがある。
黒の乙女[19世紀 トルコ]
トルコのクルド人首長。トルコがロシアと戦ったクリミア戦争で1千の騎兵を率いた。その後ドナウ河畔での諸戦闘でもロシア軍と戦った。
ゲルベルゲ[10世紀 フランス]
フランス王妃。自分の軍隊を持ち、夫の死後息子の摂政となった時には、その軍隊を使って息子のために戦った。息子を連れて諸城を攻略した。
黄蓮聖母(林黒児)[19世紀 中国]
清末の排外運動義和団の乱で紅提灯をシンボルとする少女部隊紅灯照を率い恐れられた。乱後も外国兵は紅提灯を見ると逃げ出した。
“ザリナ”[前7世紀 イラン]
遊牧民スキタイ人の女王。美貌の持ち主で好戦的であったとされる。数々の戦いに勝利を収め、イラン高原の国メディアを征服したとされる。
【サラオウニア】[19世紀 ニジェール]
ニジェールのアズナ人の女王。軍を率いて砂漠の遊牧民トゥアレグ人やイスラム教徒の侵略を退けた。フランスの侵略とも戦った。
【サムラマト(セミラミス)】[前9世紀 イラク]
古代アッシリア王妃。伝説では30万の軍勢で中東を制覇した。実際には息子の摂政として国難の時代を統治し、業績は不明。
【ジャンヌ・ダルク】[15世紀 フランス]
フランスの農民。イギリスの侵略に抵抗、戦闘に参加した。熱狂的な攻撃精神とカリスマで兵士を駆り立て、幾つもの勝利を導いた。
“ジャンヌ・ド・ベルヴィル”[14世紀 フランス]
フランス貴族女性。夫が処刑されたため傭兵を率いてフランスに報復攻撃した。海賊に転身しさらにフランスを悩ませた。
ジャンヌ・ド・モンフォール[14世紀 フランス]
フランス貴族女性。捕虜となった夫の所領や、夫の死後の息子の相続権を守るため、戦争を指揮。その他に海戦経験もあり。
周秀英[19世紀 中国]
中国清代の反乱指導者。父とともに挙兵、清軍を破り、女中英雄と讃えられた。父が殺されると残された兵士を率い、さらに2年もの間戦いを続けた。
“荀灌”[4世紀 中国]
晋代の襄陽太守の娘。襄陽が反乱軍に包囲された際、13歳の少女の身で数十名の勇士を率い、包囲を突破、戦っては進み援軍を得ることに成功した。
譙国夫人(洗夫人)[6世紀 中国]
中国の南方少数民族の女性。知謀に富み用兵に優れ、反乱鎮圧の功績で譙国夫人に封じられた。少数民族の指導者となり聖母として崇められた。
【ガブリエラ・シラング】[18世紀 フィリピン ]
山地民の血を引くフィリピンの対スペイン反乱指導者。反乱を率いた夫の死後、夫の軍と山地民を束ね、戦いを続けた。
“神功皇后”[4世紀 日本]
亡夫に代わって遠征軍の指揮を執り朝鮮に侵攻した。非実在説あり。彼女を記す資料は創作に満ち、実在を認めるにしろ伝承を割引く必要がある。
任氏(浣花夫人)[8世紀 中国]
唐の地方軍団長官崔寧の妾。浣花夫人の呼称を持つ。夫不在時の反乱を、私財を投じて集めた1千の兵で鎮圧。四川省に彼女を祀る祠がある。
“秦良玉”[17世紀 中国]
中国明代の名将。文武に優れ、男装して軍を指揮、満州族の侵略や反乱と戦い勝利を重ねた。正史に列伝が立てられた唯一の女武将。
スガラ[12世紀 スリランカ]
スリランカ南部の女王。南方の王である甥と争い、劣勢になっても山地に要塞群を築き10年に亘り抗戦。恐れ知らずの反逆の女王の名を残した。
【ズリーニ・イロナ】[17世紀 ハンガリー]
オーストリアのハンガリー支配に抵抗した独立運動家。軍を統率する夫逮捕後、4千の兵で要塞を防衛、2年以上も持ちこたえた。
“セー・ドン・ホン・ベー”[19世紀 ベナン]
ベナンに栄えたダオメー王国が誇る女性部隊の高名な指揮官。6千の女性部隊を率いて要塞を攻撃した。
“蘇三娘”[19世紀 中国]
清代の農民。夫が盗賊に殺されたため数百の兵を集めて仇討ちし、その後、義賊となり高い声望を得た。2千の兵を率いて太平天国の乱に加わった。
【タイトゥ】[19世紀 エチオピア]
エチオピア皇后。5千もの自分の軍隊を持っていた。夫にイタリアの侵略への抵抗を決意させ、戦争でも敵部隊を討ち士気を鼓舞し活躍した。
【タタ・アジャチェ】[19世紀 ベナン]
ベナンに栄えたダオメー王国王妃。兵士から王妃となった。王国の全ての戦争に参加し、ダオメー史上最も偉大な王妃とされた。
【タマラ】[12世紀 グルジア]
中世グルジアの女王。優れた戦士にして指揮官であり、しばしば戦場に立って勝利を収め、名を轟かせた。グルジアの最盛期を築いた。
“ターラー・バーイー”[18世紀 インド]
デカン高原のマラータ王国王妃。夫の戦死後、戦いを指揮、ムガルの侵略軍を撤退に追い込む。王位を巡る内紛でも激しく攻防した。
【チャルウェ】[19世紀 ジンバブエ]
ジンバブエでイギリスによる植民地化に抵抗した女性指導者。山岳地帯に要塞を構え、白人を襲撃した。死後、名声が膨れ上がった。
“チュウ婦人(趙嫗)”[3世紀 ベトナム]
中国のベトナム支配に対する抵抗運動指導者。結婚することなく山に入り、兵を訓練、挙兵した。民衆に広く支持されたが、敗死。
【チュッ・ニャッ・ディン】[19世紀 インドネシア]
オランダの侵略に抵抗したアチェの貴族女性。父と夫の死後ゲリラ部隊を引き継ぎ、労苦で盲目となっても戦い続けた。
【チュン・チャク】[1世紀 ベトナム]
中国のベトナム支配に対する抵抗運動指導者。8千の兵力で挙兵、65もの城を落とし独立。配下には36人の女性武将がいた。2年後敗死。
“陳硯真”[7世紀 中国]
唐代の反乱指導者。仙人を自称し、民衆を組織して反乱、県を攻め落とした。文佳皇帝を名乗り新王朝の樹立を宣言、一時は1万以上の民衆を集めた。
“陳葉氏”[19世紀 中国]
清に反乱した太平天国の指導者の一人凌十八が率いる軍団の五大幹部の一人。作戦指揮や兵士の鼓舞、宣伝活動に活躍した。
“鄭一嫂”[19世紀 中国]
中国の女海賊。夫が400隻6万人もの大海賊連合を築くのに協力、夫の死後海賊連合の頂点に立った。有利な条件で政府と和平、恩赦と報償を得た。
“ディン夫人(グエン・ティ・ディン)”[20世紀 ベトナム]
反植民地運動、ベトナム戦争で活躍。ベンチェ州で反乱し敵を駆逐した。南ベトナム解放戦線副司令官となった。
【テウタ】[前3世紀 モンテネグロ]
古代バルカンのイリュリア王国の王妃。夫の死後息子の摂政となり、モンテネグロのリサンを本拠地に海賊活動で周辺諸国を脅かした。
“テープカサットリー(チャン)”[18世紀 タイ]
タイ南部のタラーンの領主の妻。夫が死亡した時にビルマ軍の侵攻を受けたが、妹と協力し、的確な指揮で防衛に成功した。
【デボラ】[前13世紀 イスラエル]
古代イスラエルの指導者。カナン王との決戦を命じてカナン軍をおびき寄せ、将士の求めで戦場にも同行、天候と地形を活用し大勝した。
“唐賽児”[15世紀 中国]
中国明代の白蓮教反乱の指導者。妖術の使い手とされ、仏母を称して白蓮教徒を組織し蜂起、一時勢力は数万人に達した。敗北し姿を消した。
“ドゥルガワティ”[16世紀 インド]
デカン高原のゴンドワナの王妃。1万8千のムガル帝国軍を戦象1千5百・騎兵6千の軍で撃退した。再侵略に対し勇戦するも敗北した。
“トミュリス”[前6世紀 キルギス]
中央アジアの遊牧民マッサゲタイ人の女王。ペルシア帝国のキュロス大王の侵略に抵抗、会戦でキュロス大王を戦死させた。
“巴御前”[12世紀 日本]
平安末期の覇権を争った木曽義仲軍閥の女性武将。武勇と将才に優れ、合戦のたびに一方の大将となり肩を並べる者の無い功績を立てたと讃えられる。
【ナニー】[18世紀 ジャマイカ]
ジャマイカでイギリス支配に対する抵抗を行った女性。ゲリラ戦に活躍した。呪術でイギリス人を潰走させたなどと伝説される。
“ニュー”[19世紀 ベトナム]
ベトナムの愛国者トゥー・ソーの妻で兵法に優れる。夫とともにフランスの侵略に抵抗する義軍5千を率い、夫の死後も長く戦いを続けた。
マルガレタ・ネリ[20世紀 メキシコ]
メキシコ革命で反乱軍を率いた女性指揮官。1千の兵力を率いて勇名を馳せ、その接近を聞いたゲレロ州知事は逃亡した。
“バー・カン夫人(グエン・ティ・ニョー)”[19世紀 ベトナム]
フランスの侵略に抵抗した義軍指導者デー・タムの妻。25年も戦い、時に夫の司令部で時に独立して活動。
【ハトシェプスト】[前15世紀 エジプト]
古代エジプトの女王。平和な政策で有名だが、自ら軍を率い、黄金産出地である南方のスーダンに遠征したり東方国境を防衛した。
【ミカエラ・バスティダス】[18世紀 ペルー]
夫とともにスペインのペルー支配に反乱し、反乱のカリスマながら杜撰な夫を、優れた軍事的才覚によって実務的に支えた。
“婦好”[前13世紀 中国]
古代中国の殷の王妃。1万3千の大軍を指揮して遠征を行ったなど、幾つか戦争指揮を物語る資料が甲骨文中に存在。墓所から多数の武器が出土。
“ファルザナ・ソムル”[18世紀 インド]
ドイツ人傭兵と結婚してムガル皇帝のため戦い、所領を与えられ私兵を持つ。夫の死後単独の領主・指揮官として二度皇帝を救った。
“ブイ・ティ・スァン(裴氏春)”[19世紀 ベトナム]
象の扱いに習熟したベトナムの女武将。民衆の広範な支持を受けたタイソンの反乱の参加者で、5千の兵を指揮した。
“ボウディッカ”[1世紀 イギリス]
イギリスのイケニ人の王族女性。ローマ軍の下士官に暴行され、娘達を陵辱され、反乱を起こした。ローマ人とその支持者を7万を虐殺。
“ラスカリナ・ブーブリーナ”[19世紀 ギリシア]
トルコ支配下のギリシアで独立戦争に財産を捧げ、4隻の軍艦と小規模な陸軍で、沿海の町々を攻囲し、トルコ船を襲った。
【エミリヤ・プラテル】[19世紀 リトアニア]
リトアニアとポーランドをロシア支配から解放するため、数百の兵を集め反乱に参加。正規軍に編入され連隊指揮官となった。
【ヤコバ・ファン・ベイエレン】[15世紀 オランダ]
オランダ、ベルギー等に所領を持つ大貴族の娘。軍事的才能に優れ、自ら反乱を鎮圧、あるいは長きに亘り外敵と戦った。
“ベレニケ2世”[前3世紀 エジプト]
リビアのギリシア人都市キュレネの王女。軍を集め気にくわない婚約者を攻撃した。後にエジプト王妃となってからも軍を率いた。
“平陽公主”[7世紀 中国]
唐の建国者李淵の娘。父が隋に反乱した際、軍を集め活躍、父の天下取りに貢献した。その軍は女性が率いる軍と言うことで娘子軍と呼ばれた。
“マリーヤ・ボチカリョーヴァ”[20世紀 ロシア]
一次大戦時のロシアで勇敢な兵士として活躍していたが、女性決死隊の創設を主張、認められその指揮官となった。
【マヴィア】[4世紀 ヨルダン]
シリア、ヨルダン、イスラエルにかけて広がったガッサーン族の女王と考えられる。自ら軍の先頭に立ってローマ軍を何度も叩き潰した。
“マデレーヌ・ド・サンネクテール”[16世紀 フランス]
フランス貴族女性。城を大軍に攻められるも少数で出撃し勝利、逃げた敵が城に侵入したので隣街で援軍を集め撃退。
【マント・マヴロゲヌース】[19世紀 ギリシア]
私財を投じゲリラ部隊と船2隻でギリシア独立戦争に参戦。ギリシアへの諸外国の援助を引き出すのにも成功。中将となった。
“マティルダ・オブ・ブーローニュ”[12世紀 イギリス]
イギリスのスティーヴン王の妃。内乱で軍を率いた。攻囲戦で敵の重鎮を捕獲、捕虜交換で囚われの王を救う等した。
【マティルダ・ディ・カノッサ】[11世紀 イタリア]
イタリアにおける皇帝と教皇の争いで軍を率いて活躍、勇将の皇帝ハインリヒ4世相手に健闘、奇襲で大勝したことも。
マニア[前4世紀 トルコ]
小アジア北西部の総督の妻。夫の死後ペルシア帝国州知事から後継総督と認められた。周辺諸都市を攻略した他、州知事の戦争にも同行協力した。
“マンサリコ”[16世紀 リベリア]
アフリカ西部に繁栄したマリ帝国の女性。支持者を連れてマリを脱出、リベリアに築いた拠点からシエラレオネ方面を征服、勢力を広げた。
【マンタティシ】[19世紀 レソト]
ソト人の王妃。大戦乱の時代に息子の摂政として部族を率い、敵を破りつつレソトに移住した。同時に八本の槍を投げる等と恐れられた。
【マンドハイ】[15世紀 モンゴル]
モンゴル王の第二夫人だったが王の死後、王太子を保護して即位させ摂政となった。群雄割拠の中、敵を破ってモンゴルの優勢を確立した。
“妙麟(妙林)”[16世紀 日本]
鶴崎城主の後家。島津軍の攻撃に対し兵士の出払った城を女と農民を率い防衛した。善戦後開城したが、島津軍が撤退する際に奇襲大勝した。
【ムトニ・キリマ】[20世紀 ケニア]
ケニアの対白人抵抗運動マウマウの反乱の指導者の一人。巧みな戦略立案能力を持ち、マウマウの軍の中で元帥の地位まで昇った。
【ヤー・アサンテワー】[20世紀 ガーナ]
ガーナのアシャンティ族の国々の女王の一人。イギリス総督の圧政に対し挙兵、総督への攻撃失敗後も粘り強く抵抗を続けた。
楊妙真 [13世紀 中国]
金末元初の反乱軍紅襖軍の首領で、馬上で双刀を操る武術の達人。夫とともに反乱し夫の死後も各地を転戦。諸勢力の間を泳ぎ回る政治的才覚を持つ。
【ラクシュミー・バーイー】[19世紀 インド]
インドのジャンシー王国王妃。夫の後継者たる養子の摂政となり、強兵政策の後、イギリスの侵略に対し挙兵。伝説では二刀流。
“マリナ・ラスコヴァ”[20世紀 ロシア]
二次大戦中のソ連で女性航空連隊の創設を主張、認められた。自らも女性航空連隊の司令官となった。
【リブサ】[8世紀 チェコ]
チェコ西部の女王。女性軍隊を率いて領土を拡張、反乱した女将軍ヴァラスカと戦った。相当後世の資料しか無く誇張や伝説の付加が考えられる。
“ラズィーヤ”[13世紀 インド]
インドのデリー・スルタン朝で父王に息子を差し置いて後継者に指名された。王にふさわしい全ての資質を備えたと評され軍も自ら統率した。
“ラートゲルタ”[9世紀 ノルウェー]
ノルウェー貴族女性で戦に熟練していた。元夫であるデンマーク王の窮地には120隻の援軍を出し活躍。非実在説あり。
“ランニング・イーグル(ブラウン・ウィーゼル)”[19世紀 アメリカ]
インディアンのブラックフット族の女性。狩りと戦いに活躍、英雄に与えられるランニング・イーグルの称号を得た。戦闘部隊の長になった。
呂母[1世紀 中国]
県の長官に死刑にされた息子の敵討ちのため、私財を投じ数百の若者を集め、これを核に何千もの兵力を組織し反乱、将軍を自称した。長官を殺した。
【ルシラ】[9世紀 ノルウェー]
ノルウェーのバイキング女性。バルト海や北海で諸国の王と争った。アイルランドを略奪し赤の乙女の名で記録された。非実在説あり。
【ロドグネ】[前2世紀 イラン]
古代イラン高原のパルティアの王女。馬を駆って軍を指揮、長年に亘る戦いの果てに反乱を鎮圧した。功績を讃えて肖像が王の印章に使われた。
ボナ・ロンガバルバ[15世紀 イタリア]
イタリア貴族女性。戦略と士気を喚起する能力に優れた。夫の遠征全てに同行して戦った他、城を攻めて囚われの夫を救出したことも。
【ンジンガ】[17世紀 アンゴラ]
アンゴラのマタムバ国を支配した女王。男装して優れた戦士として戦い、軍を率いた。男になると称し、女装させた愛人を多数囲っていた。
参考資料
『世界各国女傑列伝』の参考資料と重複するものは省略します。
クセノポン著『ギリシア史』京都大学学術出版界
ポール・アヴリッチ著『ロシア民衆反乱史』白石治朗訳 彩流社
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