2012年 01月 15日
近世朝鮮半島と日本~男色に向ける視線~
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しばしば極東とひとまとめにされますが、日本と大陸は一見同じ文化を共有しているようで実は結構違いも大きいことはしばしば指摘されます。婚姻制度一つとってもそれが顕著である事は以前に指摘した通り。そこで、今回は男色を題材に近世の朝鮮半島と日本を比較してみましょう。
近代に日本を始めとする極東諸国の性的風習について研究したフリートリッヒ・クラウスは、以下のように述べています。
朝鮮半島もやはり男色が盛んだったようですね。前近代の日本が男色大国であり、中国もまた「女色より男色の方が甚だしい」なんて言われる状況だっただったのを考えると、両国に挟まれた朝鮮も例外ではなかったという事は全く不思議ではありません。しかし、朝鮮半島の知識人層・支配層に関しては少し事情が異なるようです。
十五世紀前半、足利義持が将軍であった時代に朝鮮から使節として訪れた宋希璟は『老松堂日本行録』にその感想を記録していますが、そこで彼は
と感想を述べ
なんて漢詩に詠んでます。更に時代は下って徳川時代、朝鮮は外交使節として通信使を日本の将軍交替などを契機に派遣していました。十八世紀初頭に我が国を通信使として訪れた申維翰は、その際に見た日本の印象を『海游録』にまとめています。それによると、申維翰は日本女性の美しさに感嘆すると同時に、性的習慣の放縦さに苦言を呈しています。曰く、売春施設がやたら多い、平気で混浴する、公衆の面前でいちゃつく等。中でも彼が眉を顰めたのは、同姓間での結婚。儒教では同姓不婚が原則なのを考えると、やはりこの点に大陸と日本の見過ごせない文化的差異を見出すべきなのでしょう。そしてもう一つ、申が辟易したのが男色でした。何しろ、
といった具合。そして少年には主があって気安く話しかけることも出来ず、他人の妻を寝取る方が容易だったとの事。申は日本の男色について、通信使の接待に当った儒者・雨森芳洲に愚痴をこぼしたところ、雨森は「学士はまだその楽しみを知らざるのみ」(先生は男色の楽しみを御存じないから、そのような事をおっしゃるのですよ)と返したそうで。因みに雨森は、新井白石が通信使の接待を簡略化しようとした際にそれに反対した人物です。当代有数の学者であり朝鮮に友好的な雨森でさえ男色に関してはこの通りであった事に申は結構ショックを受けていたようです。足利時代・徳川時代とも日本の男色が特筆されているのを考えると、朝鮮半島では支配層に限定して言えば男色は異様なものであった事が読み取れます。こうしてみると、同姓不婚と同様に男色の有無も両国の文化的差異を示すものであると言えそうです。まあ、日本でも太平の世となると池田光政や中江藤樹が男色に否定的な見解を持つようになり(男色を巡る鞘当がしばしば刃傷沙汰に発展し治安を乱していたのも大きな原因のようです)、次第に男色も衰えていくようですが。しかし薩摩・土佐など一部の藩では根強く残存し、近代に入ると彼らの影響もあって学生の世界で再び男色が盛んになるのはまた別の話。
ところで、雨森芳洲が対馬藩に仕えていた事を考えると、対馬までを含む日本列島が支配層含め「男色は別に恥ずかしくない」領域であり、朝鮮半島が少なくとも支配層にとっては「男色は恥ずかしい」領域だったと結論できます。余談ですが、対馬は時に韓国で自国の領土と主張する声がありしますし、足利期までは済州島と共に日本・朝鮮の境界領域を形勢し、倭寇の構成員であった海民は「三島」(壱岐・対馬・松浦)として日本とは別のグループと認識されていたりしましたが、少なくとも徳川時代には文化的には対馬は明白に日本に属するようになっていると考えるのが適切なようですね、下半身的に。
さて、余談はともあれ話をまとめますと、朝鮮半島においては民間では男色は盛んだったにせよ、どうやら支配層では基本的に一貫して縁遠いものとして扱われていたと見てよいようです。少なくとも公式文書で男色が異国の異様な風俗として興味深く報告されるレベルには。一方、日本は徳川期には次第に下火になっていくものの、支配層も含めて大っぴらに男色が行われた時代が長く続きました。こうして見ると、文化的差異を見る上で性愛問題は外せない要因のように思います。
【参考文献】
武士道とエロス 氏家幹人 講談社現代新書
日本人の性生活 フリートリッヒ・S・クラウス著 安田一郎訳 青土社
美少年日本史 須永朝彦 國書刊行会
老松堂日本行録 宋希璟著 村井章介校注 岩波文庫
中世日本の内と外 村井章介 筑摩書房
日本大百科全書 小学館
関連記事:
「同姓不婚について考える―大陸と日本―」
「ウホッ!いい日本史… 前近代日本男色略史」
「中国史における男色について」
歴史研究会・とらっしゅばすけっと関連発表:
「日本民衆文化史」
(http://kurekiken.web.fc2.com/data/2002/021206.html)
「中国民衆文化史」
(http://kurekiken.web.fc2.com/data/2002/020607.html)
「『ダメ人間の世界史&日本史』ブログ版(試し読み用)(07) 少年愛帝国の提唱者 プラトン」
男色関連で逸脱して話題を残した人物として、社会評論社『ダメ人間の日本史』より「藤原頼長 露出狂の受動男色家 ~余が犯される姿をとくと見ろ、余がレイプされて感じる様を目に焼き付けろ~」を、同『ダメ人間の世界史』より「プラトン 変態式国家論 神聖少年愛帝国の夢 ~神がかった狂気の域まで美少年を愛した男~」「リチャード一世 神の掟を踏み破り男色の罪を犯した神の軍勢の背徳変態司令官」を御参照くださいましたら幸いです。
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近代に日本を始めとする極東諸国の性的風習について研究したフリートリッヒ・クラウスは、以下のように述べています。
「中国と朝鮮に少年愛が蔓延していることについては、人々はすでに何度も読んだことがあるし、うわべだけでない旅行記作家さえもそれについて発言している。ところが、日本についてはこれに関する発言はほとんど見られない。かなり国際的に認められた日本の女性のあでやかな美しさが、日本を旅行した人や日本に定住している人の頭に、ここでも同性愛にふけている人がいるという考えを浮かばせなかったにせよ、また吉原でおおっぴらに演じられている性生活が観察者の目をとらえたにせよ、日本はつねにゲイシャ、ムスメ、ネエサン、あるいは花の妖精の国、また解消を覚悟した結婚[期間婚、一夜妻]が独身男性の理想になっているといわれている国としてしか知られていないというのが真相である。」(クラウス『日本人の性生活』青土社 334頁)
「男の売春は日本では、中国や朝鮮とは逆に、ほとんどまったくない。中国や朝鮮では、それは非常に蔓延している。このことが、皮相な旅行者に、日本では一般に同性愛が存在しないかのように思わせた一つの理由である。」(同 334頁)
朝鮮半島もやはり男色が盛んだったようですね。前近代の日本が男色大国であり、中国もまた「女色より男色の方が甚だしい」なんて言われる状況だっただったのを考えると、両国に挟まれた朝鮮も例外ではなかったという事は全く不思議ではありません。しかし、朝鮮半島の知識人層・支配層に関しては少し事情が異なるようです。
十五世紀前半、足利義持が将軍であった時代に朝鮮から使節として訪れた宋希璟は『老松堂日本行録』にその感想を記録していますが、そこで彼は
「其の王、最も少年を好み、択びて宮中に入らしめ、宮妾多しと雖も最も少年を酷愛するなり」
「国人、これに倣ふこと、皆王の少年を好むが如し」
と感想を述べ
且問王宮誰第一(王の宮殿において誰が最も寵愛をほしいままにしているのか)
塗朱粉面少年郎(顔を化粧で飾った美少年である)
なんて漢詩に詠んでます。更に時代は下って徳川時代、朝鮮は外交使節として通信使を日本の将軍交替などを契機に派遣していました。十八世紀初頭に我が国を通信使として訪れた申維翰は、その際に見た日本の印象を『海游録』にまとめています。それによると、申維翰は日本女性の美しさに感嘆すると同時に、性的習慣の放縦さに苦言を呈しています。曰く、売春施設がやたら多い、平気で混浴する、公衆の面前でいちゃつく等。中でも彼が眉を顰めたのは、同姓間での結婚。儒教では同姓不婚が原則なのを考えると、やはりこの点に大陸と日本の見過ごせない文化的差異を見出すべきなのでしょう。そしてもう一つ、申が辟易したのが男色でした。何しろ、
「日本の男娼の艶は、女色に倍する。人の気にいられ人を惑わすこともまた、女色に倍する。」
「国君をはじめ、富豪、庶人でも、みな財をつぎこんでこれを蓄え、坐臥出入のときは必ず随わせ、耽溺して飽くことがない。」
(いずれも氏家幹人『武士道とエロス』講談社現代新書 103頁)
といった具合。そして少年には主があって気安く話しかけることも出来ず、他人の妻を寝取る方が容易だったとの事。申は日本の男色について、通信使の接待に当った儒者・雨森芳洲に愚痴をこぼしたところ、雨森は「学士はまだその楽しみを知らざるのみ」(先生は男色の楽しみを御存じないから、そのような事をおっしゃるのですよ)と返したそうで。因みに雨森は、新井白石が通信使の接待を簡略化しようとした際にそれに反対した人物です。当代有数の学者であり朝鮮に友好的な雨森でさえ男色に関してはこの通りであった事に申は結構ショックを受けていたようです。足利時代・徳川時代とも日本の男色が特筆されているのを考えると、朝鮮半島では支配層に限定して言えば男色は異様なものであった事が読み取れます。こうしてみると、同姓不婚と同様に男色の有無も両国の文化的差異を示すものであると言えそうです。まあ、日本でも太平の世となると池田光政や中江藤樹が男色に否定的な見解を持つようになり(男色を巡る鞘当がしばしば刃傷沙汰に発展し治安を乱していたのも大きな原因のようです)、次第に男色も衰えていくようですが。しかし薩摩・土佐など一部の藩では根強く残存し、近代に入ると彼らの影響もあって学生の世界で再び男色が盛んになるのはまた別の話。
ところで、雨森芳洲が対馬藩に仕えていた事を考えると、対馬までを含む日本列島が支配層含め「男色は別に恥ずかしくない」領域であり、朝鮮半島が少なくとも支配層にとっては「男色は恥ずかしい」領域だったと結論できます。余談ですが、対馬は時に韓国で自国の領土と主張する声がありしますし、足利期までは済州島と共に日本・朝鮮の境界領域を形勢し、倭寇の構成員であった海民は「三島」(壱岐・対馬・松浦)として日本とは別のグループと認識されていたりしましたが、少なくとも徳川時代には文化的には対馬は明白に日本に属するようになっていると考えるのが適切なようですね、下半身的に。
さて、余談はともあれ話をまとめますと、朝鮮半島においては民間では男色は盛んだったにせよ、どうやら支配層では基本的に一貫して縁遠いものとして扱われていたと見てよいようです。少なくとも公式文書で男色が異国の異様な風俗として興味深く報告されるレベルには。一方、日本は徳川期には次第に下火になっていくものの、支配層も含めて大っぴらに男色が行われた時代が長く続きました。こうして見ると、文化的差異を見る上で性愛問題は外せない要因のように思います。
【参考文献】
武士道とエロス 氏家幹人 講談社現代新書
日本人の性生活 フリートリッヒ・S・クラウス著 安田一郎訳 青土社
美少年日本史 須永朝彦 國書刊行会
老松堂日本行録 宋希璟著 村井章介校注 岩波文庫
中世日本の内と外 村井章介 筑摩書房
日本大百科全書 小学館
関連記事:
「同姓不婚について考える―大陸と日本―」
「ウホッ!いい日本史… 前近代日本男色略史」
「中国史における男色について」
歴史研究会・とらっしゅばすけっと関連発表:
「日本民衆文化史」
(http://kurekiken.web.fc2.com/data/2002/021206.html)
「中国民衆文化史」
(http://kurekiken.web.fc2.com/data/2002/020607.html)
「『ダメ人間の世界史&日本史』ブログ版(試し読み用)(07) 少年愛帝国の提唱者 プラトン」
男色関連で逸脱して話題を残した人物として、社会評論社『ダメ人間の日本史』より「藤原頼長 露出狂の受動男色家 ~余が犯される姿をとくと見ろ、余がレイプされて感じる様を目に焼き付けろ~」を、同『ダメ人間の世界史』より「プラトン 変態式国家論 神聖少年愛帝国の夢 ~神がかった狂気の域まで美少年を愛した男~」「リチャード一世 神の掟を踏み破り男色の罪を犯した神の軍勢の背徳変態司令官」を御参照くださいましたら幸いです。
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by trushbasket
| 2012-01-15 04:55
| NF








