2012年 10月 21日
「邪気眼を持たぬ者にはわからんだろう…」~魔力を有する視線「邪視」について~
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思春期特有の屁理屈やら妄想やらによる黒歴史ものの行動や言動を「中二病」というそうですが、その一つで知られたものとして「邪気眼」とやらを持っていると勝手に設定したというのがあるそうです。詳細は
を見ていただければ分かりますが、どうやら特殊な人間が持つ第三の眼を意味するようで。
さて、この邪気眼に限らず、昔から人間は眼や視線に特殊な力が備わっていると考えいたようです。そして、そういった力のある眼は「邪視」と呼ばれ恐れてきました。
「邪視」は英語の「イヴル・アイ」を訳したものですが、漢訳された仏教経典では「邪眼」「邪盻」「悪眼」「見毒」「眼毒」「邪視」と様々な字が当てられているようです。英語のほかにも、フランス語で「モーヴェー・ズイユ」、イタリア語で「マロキオ」、ドイツ語で「ベゼル・ブリック」、サンスクリット語で「クドス・シュチス」と呼ばれており広く西洋東洋を問わず邪視が信じられていたことが分かります。千夜一夜物語を訳したバートンは、邪視信仰はエジプトから始まって中近東に広がったのではないかと推測しています。
邪視信仰の源流とされるエジプトには、女神イシスの邪視に関する伝承があります。イシスが殺された夫オシリスの棺を開けて泣いていた際、子供がそれを背後から見ていたのでイシスは振り返って子供を睨み付けます。子供はその眼の力に耐えられず命を落としたそうです。
古代ギリシア神話にはゴーゴンやバジリスクのように恐ろしい眼の力を持った怪物が登場し、ギリシアでも早くから邪視信仰が入った事が広く知られています。
そしてアラブでは邪視を恐れて男の子を髭が生えるまで地下室で育て、外に出さないようにする例もあったとか。これは女より男、大人より子供の方が邪視の害を受けやすいと信じられていたためで、他に男の子を女の子の格好をさせ育てたり目立たないようわざと汚い格好をさせた事例もあるそうです。
また、中国では妊婦が胎児と合わせて眼が四つあると考えられ、邪視の持ち主として嫌われたそうです。そしてその夫も同様な扱いを受けたとか。また眼が四つある方相氏は、古代には魔除として病気を追い払うと信じられていました。なお、後世には転じて方相氏が病気を招くと信じられた例もあります。
インドでは、上述のように仏教経典で邪視について言及されています。更に二十世紀初頭、G・E・ピールという学者が科学雑誌『Nature』へ起稿した論文に興味深い事が述べられています。両眼の上に黄赤色の眼のような点がある犬は眠っている際にも眼を開けているように見えるため野犬が恐れて近づかないそうです。そこでインドのある地方では人が死ぬとそうした犬を連れて死体を見せ、死体に悪鬼が近づかないようにする風習があったとか。
日本でも、視線の力が人を病気にしたり殺したりする力があるとする考えは見られました。『宇治拾遺物語』では霊が藤原頼道を見つめて病気に陥れるものの心誉僧正の霊力によって退散させられた話があります。また『源氏物語』明石巻では先帝桐壷院が朱雀帝の夢に現れて帝を睨み付けたため帝は眼病にかかってしまったという話があります。同じく『源氏物語』若菜下巻では源氏が正妻女三宮と密通した柏木に精神的圧迫を加えて病死に追い込んでいますが、鎌倉期の物語批評書『無名草子』はこれについて源氏が柏木をにらみ殺したと評しています。
近代にいたってもまだ邪視を信じていた人物は存在し、十九世紀フランスの作家ゴーティエは作曲家オッフェンバックを邪視の所有者と信じ、音楽家と眼を合わせないよう注意していました。それだけでなく、新聞の批評欄に音楽家の名前を書く事すら避けていたそうです。また彼は『ジェッタトゥーラ』という小説で、邪視の持ち主である青年が恋人を眺めているうちに彼女を死に至らせてしまうという話を書いたりもしています。
さて、こうした邪視を避けるためどのような方策が練られていたのでしょうか。上述したゴーティエは玄関に牛の角をぶら下げて魔除としていました。獣の角以外に隕石をお守りとして利用する例もあったそうです。ユダヤ人社会では邪視よけに塩を子供の舌に乗せたといいます。また、日本で笊が魔よけとして用いられた時期がありましたが、南方熊楠『十二支考』によれば鬼が人に邪視を加えようとした際に笊の目の複雑さに気をとられ力を失うのを狙ったものだとか。
それだけでなく、人差し指と中指の間に親指を挟む握り方、通称「女握り」をする事で邪視から逃れる事ができるとも信じられていました。これは女性器を模したものであり、女性器には邪視を防ぐ力があると信じられていた事によるようです。同様の理由から、アラビアやトルコでは女陰形の子安貝が邪視を防ぐとされていたとか。
このように、各地で眼が不思議な力を持つと信じられていたことが分かります。中でもインドの犬に関する話は、眼や視線を恐れるのは人間だけでない事を教えてくれますね。視線への恐怖は敵に見つかるのを恐れる動物的本能レベルに起因しているものなのでしょうか。
【参考文献】
南方熊楠コレクションⅡ南方民俗学 河出文庫
東西不思議物語 澁澤龍彦 河出文庫
イシスとオシリスの伝説について プルタルコス 柳沼重剛訳 岩波文庫
日本古典文学大系宇治拾遺物語 小学館
無名草子評解 冨倉徳次郎著 有精堂
日本古典文学大系源氏物語二、四 岩波書店
日本大百科全書 小学館
関連記事:
「『十七か、聞くだけで勃起するわい』―日本の性器信仰―」
「HENTAIとヘタレが咲き乱れる日本の文学的至宝・物語文学案内 『2/2 鎌倉編』上 注目作は超ラノベ」
若き日の藤原定家の「邪気眼」じゃなかった、中二病っぷりは中々のものでした。
「平安貴族の優雅な罵詈雑言の世界 ~麻呂はあの腐れマンコが憎いでおじゃる~ from 『うつほ物語』」
歴史研究会・とらっしゅばすけっと関連発表:
「古代インドにおけるヒンドゥーイズムの展開」
(http://kurekiken.web.fc2.com/data/1997/970718.html)
「源氏物語を読む」
(http://kurekiken.web.fc2.com/data/1998/980515.html)
関連サイト:
記事内で述べた他には
「池田光穂のウェブページ」(http://133.1.255.37/~mikeda/ikeda-jfirst.htm)より
「邪視」(http://133.1.255.37/~mikeda/tep007.html)
参考:「邪気眼―はてなキーワード」
(http://d.hatena.ne.jp/keyword/%BC%D9%B5%A4%B4%E3)
を見ていただければ分かりますが、どうやら特殊な人間が持つ第三の眼を意味するようで。
さて、この邪気眼に限らず、昔から人間は眼や視線に特殊な力が備わっていると考えいたようです。そして、そういった力のある眼は「邪視」と呼ばれ恐れてきました。
「邪視」は英語の「イヴル・アイ」を訳したものですが、漢訳された仏教経典では「邪眼」「邪盻」「悪眼」「見毒」「眼毒」「邪視」と様々な字が当てられているようです。英語のほかにも、フランス語で「モーヴェー・ズイユ」、イタリア語で「マロキオ」、ドイツ語で「ベゼル・ブリック」、サンスクリット語で「クドス・シュチス」と呼ばれており広く西洋東洋を問わず邪視が信じられていたことが分かります。千夜一夜物語を訳したバートンは、邪視信仰はエジプトから始まって中近東に広がったのではないかと推測しています。
邪視信仰の源流とされるエジプトには、女神イシスの邪視に関する伝承があります。イシスが殺された夫オシリスの棺を開けて泣いていた際、子供がそれを背後から見ていたのでイシスは振り返って子供を睨み付けます。子供はその眼の力に耐えられず命を落としたそうです。
古代ギリシア神話にはゴーゴンやバジリスクのように恐ろしい眼の力を持った怪物が登場し、ギリシアでも早くから邪視信仰が入った事が広く知られています。
そしてアラブでは邪視を恐れて男の子を髭が生えるまで地下室で育て、外に出さないようにする例もあったとか。これは女より男、大人より子供の方が邪視の害を受けやすいと信じられていたためで、他に男の子を女の子の格好をさせ育てたり目立たないようわざと汚い格好をさせた事例もあるそうです。
また、中国では妊婦が胎児と合わせて眼が四つあると考えられ、邪視の持ち主として嫌われたそうです。そしてその夫も同様な扱いを受けたとか。また眼が四つある方相氏は、古代には魔除として病気を追い払うと信じられていました。なお、後世には転じて方相氏が病気を招くと信じられた例もあります。
インドでは、上述のように仏教経典で邪視について言及されています。更に二十世紀初頭、G・E・ピールという学者が科学雑誌『Nature』へ起稿した論文に興味深い事が述べられています。両眼の上に黄赤色の眼のような点がある犬は眠っている際にも眼を開けているように見えるため野犬が恐れて近づかないそうです。そこでインドのある地方では人が死ぬとそうした犬を連れて死体を見せ、死体に悪鬼が近づかないようにする風習があったとか。
日本でも、視線の力が人を病気にしたり殺したりする力があるとする考えは見られました。『宇治拾遺物語』では霊が藤原頼道を見つめて病気に陥れるものの心誉僧正の霊力によって退散させられた話があります。また『源氏物語』明石巻では先帝桐壷院が朱雀帝の夢に現れて帝を睨み付けたため帝は眼病にかかってしまったという話があります。同じく『源氏物語』若菜下巻では源氏が正妻女三宮と密通した柏木に精神的圧迫を加えて病死に追い込んでいますが、鎌倉期の物語批評書『無名草子』はこれについて源氏が柏木をにらみ殺したと評しています。
近代にいたってもまだ邪視を信じていた人物は存在し、十九世紀フランスの作家ゴーティエは作曲家オッフェンバックを邪視の所有者と信じ、音楽家と眼を合わせないよう注意していました。それだけでなく、新聞の批評欄に音楽家の名前を書く事すら避けていたそうです。また彼は『ジェッタトゥーラ』という小説で、邪視の持ち主である青年が恋人を眺めているうちに彼女を死に至らせてしまうという話を書いたりもしています。
さて、こうした邪視を避けるためどのような方策が練られていたのでしょうか。上述したゴーティエは玄関に牛の角をぶら下げて魔除としていました。獣の角以外に隕石をお守りとして利用する例もあったそうです。ユダヤ人社会では邪視よけに塩を子供の舌に乗せたといいます。また、日本で笊が魔よけとして用いられた時期がありましたが、南方熊楠『十二支考』によれば鬼が人に邪視を加えようとした際に笊の目の複雑さに気をとられ力を失うのを狙ったものだとか。
それだけでなく、人差し指と中指の間に親指を挟む握り方、通称「女握り」をする事で邪視から逃れる事ができるとも信じられていました。これは女性器を模したものであり、女性器には邪視を防ぐ力があると信じられていた事によるようです。同様の理由から、アラビアやトルコでは女陰形の子安貝が邪視を防ぐとされていたとか。
このように、各地で眼が不思議な力を持つと信じられていたことが分かります。中でもインドの犬に関する話は、眼や視線を恐れるのは人間だけでない事を教えてくれますね。視線への恐怖は敵に見つかるのを恐れる動物的本能レベルに起因しているものなのでしょうか。
【参考文献】
南方熊楠コレクションⅡ南方民俗学 河出文庫
東西不思議物語 澁澤龍彦 河出文庫
イシスとオシリスの伝説について プルタルコス 柳沼重剛訳 岩波文庫
日本古典文学大系宇治拾遺物語 小学館
無名草子評解 冨倉徳次郎著 有精堂
日本古典文学大系源氏物語二、四 岩波書店
日本大百科全書 小学館
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「平安貴族の優雅な罵詈雑言の世界 ~麻呂はあの腐れマンコが憎いでおじゃる~ from 『うつほ物語』」
歴史研究会・とらっしゅばすけっと関連発表:
「古代インドにおけるヒンドゥーイズムの展開」
(http://kurekiken.web.fc2.com/data/1997/970718.html)
「源氏物語を読む」
(http://kurekiken.web.fc2.com/data/1998/980515.html)
関連サイト:
記事内で述べた他には
「池田光穂のウェブページ」(http://133.1.255.37/~mikeda/ikeda-jfirst.htm)より
「邪視」(http://133.1.255.37/~mikeda/tep007.html)
by trushbasket
| 2012-10-21 20:51
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