現代語訳 『鈐録外書』 ~近世最高の軍オタ荻生徂徠が戦国合戦と江戸兵学を論じる~
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荻生徂徠の兵学は、江戸時代において軍事学を志す者の基礎教養としての地位を占めたが、中でもこの『鈐録外書』は時代に応じて戦争術を発展させる必要性を、広い視野と分厚い知識を元に論じた、進歩的かつ実際的な書で、軍学者のみならず蘭学者からも絶賛を受けている。この書は日本の知識人に進歩的実践的な軍事的教養を叩き込み、後に、日本がスムーズに洋式兵学を受容し軍事的に近代化するための、知的基礎を整えたとさえ言うことができよう。
このような意味で軍事史上の重要文献である本書であるが、また戦国期の軍事の入門書としても、なかなか有益である。荻生徂徠は代々軍事に詳しい家系の生まれで、戦国期の実戦経験者の言葉を、実戦経験者自身から直接、あるいは実戦経験者の親類から間接に聞く機会に恵まれていた。そのため本書には、江戸期の多くの軍学者の戦国合戦論とは異なる、リアリティ溢れる戦国合戦論が含まれており、手頃な分量とも相まって、格好の戦国軍事学入門書となっているのである。
近代化の前史の資料として、あるいは戦国軍事学入門書として、活用するもよし、またその進歩的実際的な内容を自らの知的鍛錬や組織・集団運営の役に立てるもよし、読み手の好みと資質に応じて、何通りもの活用法のある良書と言えよう。
現代語訳するに当たっては、『鈐録外書』の元々の構成を大きく改め、さらに訳者によるタイトルを付加した。元々は荻生徂徠による問題提起(1巻)、それに対する徂徠の補足(2、3巻)、軍学者による反論の書き付けとそれに対する徂徠の再反論の張紙(4、5巻)、徂徠による補論(6巻)の順に話が進むが、これを再構成し、各問題ごとに問題提起・反論・再反論を続けて読めるよう、纏め直してある。
目次
1 軍学はいかに時代の変化に対処すべきか ~偽りの近代化に終始する信玄流・謙信流を批判する~
2 部隊編成論 ~法も技もない粗雑な戦国集団戦法とひ弱で硬直した江戸軍学の集団戦法論~
3 陣形論 ~魚鱗だの鶴翼だの言ってはしゃいでるバカは己の無知を恥じるが良い~
4 指揮・命令の下し方 ~組織はグダグダ、部下に丸投げ、日本流の悪しき統帥~
5 指揮・命令の下し方 2 ~太鼓やホラ貝は戦場では聞こえない~
6 補給戦論 ~大名も軍学者ももっと兵糧輸送を研究すべき~
7 部隊編成論 2 ~無能な高給取りと役立たずの従者のせいで日本の軍隊は空洞化している~
8 騎兵論 ~戦国に騎馬戦は存在したか?~
9 陣営論 ~もっと陣営の構造を簡素化せよ~
10 武芸・軍学論 ~戦の役に立ちそうもない遊戯まがいの武芸・軍学を断罪する~
補論 徂徠兵学の情報源となった戦場経験者について/軍学諸流派を論じる/国際比較に基づく軍法論
以下は、徂徠の論に対する軍学者の意見(総論)とこれに対する徂徠の意見(総論)である。
(4巻)
軍法に関する疑問点10ヶ条を拝見した。私は何も物を知らぬ身であれば、なるほどと思うところもあり、また現代の初学の軍法者などには問題もあるので、これはよき警告となるのではないかと思う。しかし真に軍法を習得した者より見れば、特に疑問を抱くようなことはないのであって、困惑している。浅学の身ではあるが、世の軍学者という者の立場から、納得いきかねる点を、大体につき以下に記し、お目にかけることとする。決して非難申しているわけではない。ご教示を得たく思って、かくのごとく申し上げた次第である。
(5巻)
以上、十ヶ条の疑問点につき、僭越ながら、つたない意見を書き付け、御覧いただいた次第、その上でご教示をよろしくお願いする。以上。
張紙 書き付けはしっかり拝見したが、私の十ヶ条の疑問は、一ヶ条も答えてもらっていない。何のための書き付けであったのやら、理解に苦しむところである。ただ世間の軍学者という者を非難しているので、気に障ってのことと思われる。とうてい賛同できるような内容ではない。それ故挨拶する必要も無いと思われるのだが、高名な師についたなどと称しているので、私も心底を残らず張り紙しておくこととする。
(6巻)
書き付けは得と拝見したが、私の疑問の各条は、そちらで詳細に検討していただいたようである。大変結構なことだ。長年軍学に親しんでいる者ならば、このようにこそありたいものである。その上申し上げることは何もない。大体武士が剣術を習うのも、必勝を期すべき場面でいかなる事態に直面しても、存分に働けるようにである。死を覚悟して落ち着き、心を安らかにするためである。軍学というものもそれと同じである。組を預かり、侍を引き回し、また幸運にも一郡をも領有する事になったとして、そこで明日にでも事が起これば、存分に働いて見せると覚悟を決めるためのものである。合戦の勝負は、人の器量。時の運にも左右されるもので、そのように軍学を学んだといっても。必勝の秘術になるというわけでは決してない。とはいえ剣術も軍法を習得していなければ、覚悟が定まらないために、肝心の場面に至って、七転八倒取り乱すことにもなりかねない。たとえ術としては良くない流儀や、劣った流儀であっても、学んだ武士がことごとく覚悟が定まり、明日にでも良く働いてみせるということになれば、それで十分なことではある。そのため昔から剣術にも様々な流派があるのであって、軍学も同様である以上、究極的にはいずれの流派も優劣は無いとも言える。これは武士たる者の役目の性質上は当然の道理であって、書き付けのような見解も、大変結構なことである。これは正直な気持ちであって、でたらめを言っているわけではない。孔子の門弟である子路は、冠飾りを結びつつ衛に死に、後世、宋の儒学者はこれを惜しむべき勇者と評したけれど、孔門の教えはそのようなものではなく、子路は子路で自己を貫いたに過ぎず、その器量の偏ったところに孔子は関与することなく、子路を特に秘蔵の弟子としていたのである。そういうわけで古学の考え方から言っても、貴方の書き付けの内容には満足しており、そこに偽りの心はない。さて貴方個人についてはそうである。とはいえ貴方の書き付けの内容を見るに、一個人の問題を超えて、学者連中のためを考えているようである。聖人の古学は、もっぱら治国の問題を扱っている。周礼大司馬の職掌が軍事であるのも、そのためである。宋の儒学者のように、自己の心身を修めればそれで万事解決し、兵学は物騒な覇術であると言って、疎略に扱うのは、古学に反しており、古学者たる自分も年を取り老いを感じる身であるが、それでも治国の心がけを絶やしたことはない。幸いにも貴方は軍事に精を出しているようで、私ごときでは相手に不足するところもあるかもしれない。深く議論してみたくもある。とはいえ既に述べたとおり、貴方の一身上の問題に関して言えば、覚悟か決まっていることであり、それを見届けた以上は、もはや差し出口を挟む必要もない。これ以上は何をも言うことは無いけれど、以下に述べる事情から、書き付けに張紙して、私見を述べさせてもらった。とはいえ張紙だけでは言い尽くせないことがあるので、以下に書き付けておく。
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とらっしゅのーと軍事史図書室(軍事関連の重要記事へのリンク集)
なお蘭学者の杉田玄白が『鈐録外書』にはまったエピソードについて『ダメ人間の日本史』(社会評論社)で、
荻生徂徠が『鈐録外書』の中でたびたび言及する異国の軍法の大家、戚継光の人物と業績については『ダメ人間の世界史』(同)で、
ある程度詳しく取り上げていますので、よろしければそちらもご参照下さい。
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