2013年 01月 05日
5 指揮・命令の下し方 2 ~太鼓やホラ貝は戦場では聞こえない~
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荻生徂徠『鈐録外書』5/11
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問題提起(1巻)
軍勢の進退には、ほら貝・太鼓・どらを用いる。ほら貝にも序破急・渡り・かけり・そらし・本かしら等、様々な吹き方がある。広い野原で人馬が行き交い、武器や防具の音、弓・鉄砲の音が騒がしい場合、このような面倒な使い分けはかえって聞こえにくいだろう。もし間違えば、軍勢を動かし損ねることになるだろう。これはどのように理解するべきだろうか。
補足(3巻)
第5条の疑問についてであるが、貝・太鼓の複雑な打ち方・吹き方は、全て士卒の世代交代が起こり、畳の上で軍学者連中が口先で付け加えたものにすぎない。その真相は、御当家に貝・太鼓の達人が存在しないと家光様の代に軍学者連中が申し立て、初めて出現したというわけである。無しにすませるわけにいかない物であれば、家康様の時代にも貝や太鼓は当然存在はしており、また地方では山伏の役目として軍中で貝を吹かせている。これは皆証拠から明らかである。ただ、細かい合図をしたいときに、異国の軍法では様々なやり方があるものの、先述の通り日本には細かな軍法が無いので、細かな合図も無しに全て事を済ませていたのである。
反論および再反論(5巻)
第5条の貝・太鼓の事は、たとえ家康様の時代に無かったとしても、戦の役に立つ物であれば、用いるべきである。とくに甲州においては貝・太鼓ともに利用したことが、目立たないながらもあったのであるし、古の木曽義仲がくりから落としに使っており、義経は京都攻撃の時に、それまでこそ太鼓を持っていなかったようだが、平等院の太鼓を取り寄せて打ったと言われている。家康様の時代に貝・太鼓に部署を定められた役人がいなかったからと言って、貝・太鼓の合図が存在しなかったとは言えないであろう。また地方では、山伏に陣貝を吹かせることが、今でも行われている。打ち方・吹き方について、戦闘中には聞こえないとの疑問は、太平の後、貝吹き・太鼓打ちの家なるものが登場して、生計のために様々な偽作を行ったのを、耳にした故のものだろう。兵家は、それぞれなりの使い方を良く吟味しているので、お節介は無用である。
張紙 よく吟味しているというのは、まことに結構なことである。それならば特に言うことはない。しかしこの条の疑問は、ここ十年ほど前に、ある西国の者が言っていたことである。しかもその後、唐船を追い払った際に、貝・太鼓の合図が全く聞こえなかったと、その人は強く主張していたのである。その家は山鹿流を専ら用いており、その家の軍学者も山鹿の門弟であった。貴方の言い分からすると、西国の方へは山鹿流は敢えてろくでもないことばかり伝えているようである。
細かく戦いを指揮するので、異国の法では様々の合図があるとの言い分については、戦時の法は簡潔にして厳格なものが好ましいのであり、人が理解できないような細かな合図を定めることは、無用のことと思われる。
張紙 そうは言っても納得のいかない細かな合図があるからこそ、疑問を呈したのである。
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問題提起(1巻)
軍勢の進退には、ほら貝・太鼓・どらを用いる。ほら貝にも序破急・渡り・かけり・そらし・本かしら等、様々な吹き方がある。広い野原で人馬が行き交い、武器や防具の音、弓・鉄砲の音が騒がしい場合、このような面倒な使い分けはかえって聞こえにくいだろう。もし間違えば、軍勢を動かし損ねることになるだろう。これはどのように理解するべきだろうか。
補足(3巻)
第5条の疑問についてであるが、貝・太鼓の複雑な打ち方・吹き方は、全て士卒の世代交代が起こり、畳の上で軍学者連中が口先で付け加えたものにすぎない。その真相は、御当家に貝・太鼓の達人が存在しないと家光様の代に軍学者連中が申し立て、初めて出現したというわけである。無しにすませるわけにいかない物であれば、家康様の時代にも貝や太鼓は当然存在はしており、また地方では山伏の役目として軍中で貝を吹かせている。これは皆証拠から明らかである。ただ、細かい合図をしたいときに、異国の軍法では様々なやり方があるものの、先述の通り日本には細かな軍法が無いので、細かな合図も無しに全て事を済ませていたのである。
反論および再反論(5巻)
第5条の貝・太鼓の事は、たとえ家康様の時代に無かったとしても、戦の役に立つ物であれば、用いるべきである。とくに甲州においては貝・太鼓ともに利用したことが、目立たないながらもあったのであるし、古の木曽義仲がくりから落としに使っており、義経は京都攻撃の時に、それまでこそ太鼓を持っていなかったようだが、平等院の太鼓を取り寄せて打ったと言われている。家康様の時代に貝・太鼓に部署を定められた役人がいなかったからと言って、貝・太鼓の合図が存在しなかったとは言えないであろう。また地方では、山伏に陣貝を吹かせることが、今でも行われている。打ち方・吹き方について、戦闘中には聞こえないとの疑問は、太平の後、貝吹き・太鼓打ちの家なるものが登場して、生計のために様々な偽作を行ったのを、耳にした故のものだろう。兵家は、それぞれなりの使い方を良く吟味しているので、お節介は無用である。
張紙 よく吟味しているというのは、まことに結構なことである。それならば特に言うことはない。しかしこの条の疑問は、ここ十年ほど前に、ある西国の者が言っていたことである。しかもその後、唐船を追い払った際に、貝・太鼓の合図が全く聞こえなかったと、その人は強く主張していたのである。その家は山鹿流を専ら用いており、その家の軍学者も山鹿の門弟であった。貴方の言い分からすると、西国の方へは山鹿流は敢えてろくでもないことばかり伝えているようである。
細かく戦いを指揮するので、異国の法では様々の合図があるとの言い分については、戦時の法は簡潔にして厳格なものが好ましいのであり、人が理解できないような細かな合図を定めることは、無用のことと思われる。
張紙 そうは言っても納得のいかない細かな合図があるからこそ、疑問を呈したのである。
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by trushbasket
| 2013-01-05 00:44
| My(山田昌弘)








