2013年 06月 16日
古代日本の商業概観
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集権体制が確立した古代帝国においては、中国にせよオリエントにせよローマにせよ商業活動が中々活発であった記憶があります。しかし、我が国の古代帝国というべきいわゆる「律令国家」においては余り商業活動の影が見られないように思います。実際のところ、どうだったのか。少し本を読んで調べてみました。ちょっとデータが古いかもしれませんが、御了承ください。
1.貨幣
古代の貨幣といえばよく知られているのが「和同開珎」である。ただし、それ以前にも貨幣鋳造がなされなかったわけではないようだ。とはいえ、その時の貨幣は呪術力が期待された品であったとされ、経済活動にどの程度寄与していたかは不明である。「和同開珎」は、明白に経済活動における交換手段を意図して鋳造された点で注目される。和銅三年(711)、官人への俸禄を銭で支給する事が定められており貨幣普及への第一歩が図られたといえよう。翌年には役夫への賃金も銭で支払われる事となり、租税のうちで「調」(各地の名産を納める)も布一常(72cm幅、4m)を銭五文に相当すると定めた。
流石に、上から無理に貨幣普及を強制しても受け入れられないであろう事は政府も認識していたようで、和銅三年(711)に貨幣を蓄えて朝廷に献上した者に官位を授けると定め、地方豪族を対象に貨幣を行き渡らせようとした。官位を手に入れることで地元での権威拡大を求める豪族たちは争って貨幣を求めたようであるが、結果として貨幣の死蔵を招く事となった。しかし少なくとも初期においては、地方豪族が銭を集めるのに夢中であったため銭の需要は増大し都から訪れた商人が銭と引き換えに品物を手に入れることができたようであり、ある程度効果があったと見る事も可能なようだ。
ともあれ、この法令によるものかは不明であるが、調の銭納は畿内周辺のみではあるが認められるようになっており、十世紀初頭の延喜年間にも京と畿内五ヶ国では銭納が辛うじて見られたようだ。また、私鋳銭も認められるようになっているようで、北九州で原料を新羅から密輸して偽造を行なっている事例が知られている。民間では和銅七年(714)に撰銭が行なわれており私鋳銭の存在が一定程度認識されている事が分る。これらの話は、ある程度の流通が前提となっていると考えてよいであろう。
2.金融・酒屋・寺院
当時の有力地方豪族の中には、その富を利用して金融を営むものもあった。九世紀の仏教説話集である『日本霊異記』によれば、郡司の妻が米や銭を貸し付けたり酒を作って売り暴利を貪ったという逸話が存在したという。こうした経済活動は、富豪の女性が主導権を握る事が少なくなかったのであろう。
当時、農業を行なう上での種籾を貸し出す「出挙(すいこ)」が行なわれており公的なものが公出挙、豪族により私的に行なわれる私出挙とがあった。公出挙は春と夏の年二回行なわれており、四十束ずつで利子は五割であった。私出挙の回数は固定されておらず利子は十割までであったようだ。この出挙は豪族たちにとって大きな利権であると同時に、農耕が問題なく行われるようにするための社会的責務でもあった。種籾を貸す一般の出挙の他にも、銭を貸し出す事も当然ありこれは「銭出挙」と呼ばれた。
有力豪族が一族女性を中心に酒を売り米や銭を「出挙」として貸し出して更に富を蓄積する。南北朝期や足利期でもしばしば見られた光景がこの時期にも存在したのである。
更に、豪族に加えて寺院も同様な活動をしていた。やはり『日本霊異記』から参照すると、紀伊国名草軍三上村では、薬王寺の運営資金を確保するため薬として酒を庶民に貸し付けていた事が知られる。公的資金が投与される大寺院と違い、地方豪族などにより建立された地方寺院は自力で運営資金を得なければならず、その過程でこうした活動が見られたようだ。また、大安寺から銭を借りてそれを資金として商売をする商人の話も『日本霊異記』には認められており、大寺院もその財産を基にして金融を営んでいた事が分る。更に金貸しを本業として、妻子を持つ僧もいた事も『日本霊異記』には記録されている。また、返済せずに亡くなると牛に転生し働いて返済する事になるという伝承が残されており、宗教的権威が取り立てに有利であった事も察せられるのである。
寺院の話がでたので、脱線するが当時の民間仏教についても少し述べる。当時の仏教といえば政府を中心とした鎮護国家のそれが話題になることが多いが、地方豪族が氏寺として建立した地方寺院などを拠点として庶民にも仏教信仰は広まりつつあった。『日本霊異記』にも漁民が遭難した際に「南無釈迦牟尼仏」と名号を唱えたという逸話があり、難しい教理は知らなくとも仏の名を唱える形での信仰はある程度普及していたのではなかろうか。特に漁民・猟師などの間には殺生への罪悪感も教えが広がる上で一役買ったようである。そして、これら地方寺院に住む僧は必ずしも国家から公認され受戒したものばかりではなく、私度僧も多かったようだ。私度僧を禁止する法令が出されてはいるものの、『続日本紀』によれば「日本の風土に合わず、穏やかではないので、官符は下したものの世の中には行なわれなかった」そうである。公文書に私度僧を表わす「沙弥」と署名した例も見られているので、恐らくは『続日本紀』にあるように禁令は実効を伴わなかったのではないか。私度僧には公的な経済援助がなされなかったまでの話であり、実際に処罰されたわけではないようだ。ともあれ、こうした民間への仏教の普及が、寺院の経済活動において有利に働いたのは間違いない。
富裕者・寺院による酒屋・金融業。南北朝・足利期という貨幣経済勃興期と類似した経済状況であったことがここからは類推できる。
3.市場・街道
都に東市・西市が存在した事は知られているが、地方レベルでも各地に市が設けられたようだ。知られているところでは大和の海柘榴市(つばいち)、飛鳥の軽市、河内の餌香市(えかいち)、難波市、備前の深津市、紀伊の木の市、美濃の小川市などがある。これらの中でも、深津市には瀬戸内海を越えて讃岐からも人が来ていたようであるし、小川市には尾張愛知郡から蛤が運ばれていたといわれており広汎な経済活動があった事が伺える。
また、山間部では塩を確保するため交易が行なわれており、太平洋側と日本海側とを繋ぐ南北の街道が交易路として発達。その中間地域で塩を交換する市が設けられた。広島・島根の県境にある「塩町」は山陰と山陽を分ける山岳地域において塩の交易がなされた場所であるし、信濃国塩尻も糸魚川と天竜川から上ってきた塩を交換した所である。
これらの市では、「市人」と呼ばれる商人たちが活動しており市の運営も彼等の合議によりなされていたと推定されている。
ただ、この市による交易の規模を過大評価することは禁物で、当時の市は村落から離れたところにあり全体数も十四世紀は勿論、十二世紀後半と比較しても多くはなかったといえる。
一方、商業活動の発達に伴い街道も確立したようだ。都を中心とした政治的な街道が東西方向を主にしていたのに対し、商業的な街道は上述の「塩の道」のように南北を軸としていた事が多かった。例えば前述した『日本霊異記』に登場する大安寺から銭を借りて商売する商人の話であるが、彼はその銭を資金として越前に向かいそこで物資を買って都に戻り商売する予定を立てている。敦賀―琵琶湖―宇治―都というルートが確立していた事は『古事記』『万葉集』からも知られており、水上交通も商業発達に伴ってある程度発展していたと見るべきであろう。また、敦賀には日本海を通じて物資が集積していたのではなかろうか。
4.おわりに
古代日本においても、それなりに広汎な規模で商業活動が認められてはいたらしい事は判明しました。この時期の庶民生活について触れた史料は少なく、『日本霊異記』はその意味でも貴重です。また、貨幣も限定的であるとはいえ当初イメージしていたよりは流通していたようですね。
そして、そうした中から浮かび上がる人々の活動は、南北朝をしばしば追いかけていた僕としては既視感を伴うものでした。女性が中心になっての経済活動、酒屋や寺院が中心となっての金融業、贋金の流通とそれに伴う撰銭、各地方での市の発達…。各地域が自給体制を取っていた中世から商業の発達により全国規模の貨幣経済が勃興し始めた十四世紀頃と良く似た姿が浮かび上がってきます。しかしながら、貨幣の分布が畿内に限定されており、海外との交易の姿もみえてこないなど南北朝期と比較して見劣りする面がある事も否定は出来ません。恐らくは経済規模も南北朝期より相当に劣るものであったのではないかと想像されます。
まとめです。集権的古代帝国の成立に伴い広汎な規模での商業活動もある程度は成長したが、ユーラシア周辺の他文明圏における古代帝国と比較すると、商業活動は明らかに未熟であった。日本史に限定しても、商業活動が再興・勃興し始めた十四世紀と比較して見劣りする程度だったようだ。この辺りが妥当な結論ではないかと思います。
【参考文献】
日本の歴史3奈良の都 青木和夫 中公文庫
民衆の古代史 吉田一彦著 風媒社
食べる日本史 樋口清之 朝日文庫
日本中世の村落 清水三男著 大山喬平・馬田綾子校注 岩波文庫
日本の歴史8蒙古襲来 黒田俊雄 中公文庫
日本の歴史9南北朝の動乱 佐藤進一 中公文庫
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歴史研究会・とらっしゅばすけっと関連発表:
「世界史序説 ~歴史を理解したふりをするための文明論略説~」
(http://www.geocities.jp/trushbasket/data/my/preface.html)
「歴史の基本原則」(http://kurekiken.web.fc2.com/data/2005/050520b.html)
1.貨幣
古代の貨幣といえばよく知られているのが「和同開珎」である。ただし、それ以前にも貨幣鋳造がなされなかったわけではないようだ。とはいえ、その時の貨幣は呪術力が期待された品であったとされ、経済活動にどの程度寄与していたかは不明である。「和同開珎」は、明白に経済活動における交換手段を意図して鋳造された点で注目される。和銅三年(711)、官人への俸禄を銭で支給する事が定められており貨幣普及への第一歩が図られたといえよう。翌年には役夫への賃金も銭で支払われる事となり、租税のうちで「調」(各地の名産を納める)も布一常(72cm幅、4m)を銭五文に相当すると定めた。
流石に、上から無理に貨幣普及を強制しても受け入れられないであろう事は政府も認識していたようで、和銅三年(711)に貨幣を蓄えて朝廷に献上した者に官位を授けると定め、地方豪族を対象に貨幣を行き渡らせようとした。官位を手に入れることで地元での権威拡大を求める豪族たちは争って貨幣を求めたようであるが、結果として貨幣の死蔵を招く事となった。しかし少なくとも初期においては、地方豪族が銭を集めるのに夢中であったため銭の需要は増大し都から訪れた商人が銭と引き換えに品物を手に入れることができたようであり、ある程度効果があったと見る事も可能なようだ。
ともあれ、この法令によるものかは不明であるが、調の銭納は畿内周辺のみではあるが認められるようになっており、十世紀初頭の延喜年間にも京と畿内五ヶ国では銭納が辛うじて見られたようだ。また、私鋳銭も認められるようになっているようで、北九州で原料を新羅から密輸して偽造を行なっている事例が知られている。民間では和銅七年(714)に撰銭が行なわれており私鋳銭の存在が一定程度認識されている事が分る。これらの話は、ある程度の流通が前提となっていると考えてよいであろう。
2.金融・酒屋・寺院
当時の有力地方豪族の中には、その富を利用して金融を営むものもあった。九世紀の仏教説話集である『日本霊異記』によれば、郡司の妻が米や銭を貸し付けたり酒を作って売り暴利を貪ったという逸話が存在したという。こうした経済活動は、富豪の女性が主導権を握る事が少なくなかったのであろう。
当時、農業を行なう上での種籾を貸し出す「出挙(すいこ)」が行なわれており公的なものが公出挙、豪族により私的に行なわれる私出挙とがあった。公出挙は春と夏の年二回行なわれており、四十束ずつで利子は五割であった。私出挙の回数は固定されておらず利子は十割までであったようだ。この出挙は豪族たちにとって大きな利権であると同時に、農耕が問題なく行われるようにするための社会的責務でもあった。種籾を貸す一般の出挙の他にも、銭を貸し出す事も当然ありこれは「銭出挙」と呼ばれた。
有力豪族が一族女性を中心に酒を売り米や銭を「出挙」として貸し出して更に富を蓄積する。南北朝期や足利期でもしばしば見られた光景がこの時期にも存在したのである。
更に、豪族に加えて寺院も同様な活動をしていた。やはり『日本霊異記』から参照すると、紀伊国名草軍三上村では、薬王寺の運営資金を確保するため薬として酒を庶民に貸し付けていた事が知られる。公的資金が投与される大寺院と違い、地方豪族などにより建立された地方寺院は自力で運営資金を得なければならず、その過程でこうした活動が見られたようだ。また、大安寺から銭を借りてそれを資金として商売をする商人の話も『日本霊異記』には認められており、大寺院もその財産を基にして金融を営んでいた事が分る。更に金貸しを本業として、妻子を持つ僧もいた事も『日本霊異記』には記録されている。また、返済せずに亡くなると牛に転生し働いて返済する事になるという伝承が残されており、宗教的権威が取り立てに有利であった事も察せられるのである。
寺院の話がでたので、脱線するが当時の民間仏教についても少し述べる。当時の仏教といえば政府を中心とした鎮護国家のそれが話題になることが多いが、地方豪族が氏寺として建立した地方寺院などを拠点として庶民にも仏教信仰は広まりつつあった。『日本霊異記』にも漁民が遭難した際に「南無釈迦牟尼仏」と名号を唱えたという逸話があり、難しい教理は知らなくとも仏の名を唱える形での信仰はある程度普及していたのではなかろうか。特に漁民・猟師などの間には殺生への罪悪感も教えが広がる上で一役買ったようである。そして、これら地方寺院に住む僧は必ずしも国家から公認され受戒したものばかりではなく、私度僧も多かったようだ。私度僧を禁止する法令が出されてはいるものの、『続日本紀』によれば「日本の風土に合わず、穏やかではないので、官符は下したものの世の中には行なわれなかった」そうである。公文書に私度僧を表わす「沙弥」と署名した例も見られているので、恐らくは『続日本紀』にあるように禁令は実効を伴わなかったのではないか。私度僧には公的な経済援助がなされなかったまでの話であり、実際に処罰されたわけではないようだ。ともあれ、こうした民間への仏教の普及が、寺院の経済活動において有利に働いたのは間違いない。
富裕者・寺院による酒屋・金融業。南北朝・足利期という貨幣経済勃興期と類似した経済状況であったことがここからは類推できる。
3.市場・街道
都に東市・西市が存在した事は知られているが、地方レベルでも各地に市が設けられたようだ。知られているところでは大和の海柘榴市(つばいち)、飛鳥の軽市、河内の餌香市(えかいち)、難波市、備前の深津市、紀伊の木の市、美濃の小川市などがある。これらの中でも、深津市には瀬戸内海を越えて讃岐からも人が来ていたようであるし、小川市には尾張愛知郡から蛤が運ばれていたといわれており広汎な経済活動があった事が伺える。
また、山間部では塩を確保するため交易が行なわれており、太平洋側と日本海側とを繋ぐ南北の街道が交易路として発達。その中間地域で塩を交換する市が設けられた。広島・島根の県境にある「塩町」は山陰と山陽を分ける山岳地域において塩の交易がなされた場所であるし、信濃国塩尻も糸魚川と天竜川から上ってきた塩を交換した所である。
これらの市では、「市人」と呼ばれる商人たちが活動しており市の運営も彼等の合議によりなされていたと推定されている。
ただ、この市による交易の規模を過大評価することは禁物で、当時の市は村落から離れたところにあり全体数も十四世紀は勿論、十二世紀後半と比較しても多くはなかったといえる。
一方、商業活動の発達に伴い街道も確立したようだ。都を中心とした政治的な街道が東西方向を主にしていたのに対し、商業的な街道は上述の「塩の道」のように南北を軸としていた事が多かった。例えば前述した『日本霊異記』に登場する大安寺から銭を借りて商売する商人の話であるが、彼はその銭を資金として越前に向かいそこで物資を買って都に戻り商売する予定を立てている。敦賀―琵琶湖―宇治―都というルートが確立していた事は『古事記』『万葉集』からも知られており、水上交通も商業発達に伴ってある程度発展していたと見るべきであろう。また、敦賀には日本海を通じて物資が集積していたのではなかろうか。
4.おわりに
古代日本においても、それなりに広汎な規模で商業活動が認められてはいたらしい事は判明しました。この時期の庶民生活について触れた史料は少なく、『日本霊異記』はその意味でも貴重です。また、貨幣も限定的であるとはいえ当初イメージしていたよりは流通していたようですね。
そして、そうした中から浮かび上がる人々の活動は、南北朝をしばしば追いかけていた僕としては既視感を伴うものでした。女性が中心になっての経済活動、酒屋や寺院が中心となっての金融業、贋金の流通とそれに伴う撰銭、各地方での市の発達…。各地域が自給体制を取っていた中世から商業の発達により全国規模の貨幣経済が勃興し始めた十四世紀頃と良く似た姿が浮かび上がってきます。しかしながら、貨幣の分布が畿内に限定されており、海外との交易の姿もみえてこないなど南北朝期と比較して見劣りする面がある事も否定は出来ません。恐らくは経済規模も南北朝期より相当に劣るものであったのではないかと想像されます。
まとめです。集権的古代帝国の成立に伴い広汎な規模での商業活動もある程度は成長したが、ユーラシア周辺の他文明圏における古代帝国と比較すると、商業活動は明らかに未熟であった。日本史に限定しても、商業活動が再興・勃興し始めた十四世紀と比較して見劣りする程度だったようだ。この辺りが妥当な結論ではないかと思います。
【参考文献】
日本の歴史3奈良の都 青木和夫 中公文庫
民衆の古代史 吉田一彦著 風媒社
食べる日本史 樋口清之 朝日文庫
日本中世の村落 清水三男著 大山喬平・馬田綾子校注 岩波文庫
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日本の歴史9南北朝の動乱 佐藤進一 中公文庫
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歴史研究会・とらっしゅばすけっと関連発表:
「世界史序説 ~歴史を理解したふりをするための文明論略説~」
(http://www.geocities.jp/trushbasket/data/my/preface.html)
「歴史の基本原則」(http://kurekiken.web.fc2.com/data/2005/050520b.html)
by trushbasket
| 2013-06-16 20:50
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