「腹を切って死ぬべきである」~日本人と切腹について少し掘り下げてみる~
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という訳で、以前に切腹の歴史について概観した事がありましたが、今回も少し切腹に関して補足しておこうかと存じます。
・切腹と「責任を取る」事の関係
切腹は、敗戦なり不祥事なりの責任をとるための手段として認識される向きがあるようです。その根源にある考え方として、民俗学者・千葉徳爾氏は太古の祭祀があるのではないかと推測しています。太古において、農耕・狩猟での豊穣を祈るため動物を生贄としてその内臓を神に捧げたのが根元にあって、その延長として、真心を神に表明する最後の手段として自身の内臓を引き出す事が行われるようになったのではないかという説です。敗北や不祥事が神の加護が失われた結果と捉え、神に自らの真心を示す最後の手段として行ったというのです。責任を取る手段として切腹が捉えられた背景として、あり得る話に思えます。
この説が当っているのかどうかは分かりません。ただ、中国での事例を考慮すると真心を表明する手段という話に関しては的外れではないのではないかと思われます。中国における切腹はまれなのですが、不義密通による懐妊の疑いをかけられた女性が自らの潔白を示すため腹を切り中を示すという事が行われた事例があったようです。
・女性と切腹
通常、切腹をするのは男性のみで女性は行わない事が多いと考えられています。上述の又吉イエス氏も、女性候補に対しては「腹を切れ」とは言わないようですし。実際のところ、どうだったのでしょう。
ある病院が明治三十八年(1905)から昭和二十年(1945)までとった統計では、切腹した者が52名いたうち9名が女性だったそうです。また徳川前期の尾張藩士・朝日重章が残した日記『鸚鵡篭中記』によれば、貞享二年(1685)から33年間に記された切腹による自殺者が男38名・女5名だとか。朝日と同時代をもう少し見回すと、井原西鶴『武家義理物語』の「人の言葉の末みたがよい」には主君に殉死した夫を追って切腹した妻の話があり、また近松門左衛門が『長町女腹切』という作品を世に出しています。
女性の切腹は男性と比べるとかなり少数なのは事実ですが、それでも無視できない程度には存在する。この辺りが結論になりそうです。そういえば、文献に見える切腹らしきものの最古と言えなくもない事例は、『播磨国風土記』における淡海の神という女神が刀で腹を割いて死んだという伝承だとか。無論そのまま事実として受け取る事はできませんが、「腹を切って死ぬ」事例が男性の専売特許では必ずしもなかった傍証として捉える事は許されそうです。
・沖縄と切腹
日本とは別の歴史を歩んできた時期も長い沖縄。この地において、切腹は存在したのでしょうか。これに関し、沖縄出身の民俗学者・伊波普猷は『古琉球』で八重山諸島の人々が日本民族である証拠として
特に八重山の人が古来自殺する時に腹を切って死ぬところなどは、ヨリ大なる証拠である。これは八重山の人がよく父祖の習慣を遺伝していることを語っている
(千葉徳爾『切腹の話』講談社現代新書 119頁)
と述べているのです。更に、琉球を使命で訪れた明時代の中国人・陳侃は『使琉球録』でそれを裏付ける証言を残しています。曰く、八重山諸島の住民は戦いを好み不平不満があれば刀で人を殺し、それが法に触れて罪を免れ得ないと予想された際には自らも腹を切って死ぬ、と。
そして与那国島には、アンアイサトシという人物の伝承があります。彼は仲間と福建省に移住し、そこで甘藷(サツマイモ)を見て食糧不足に悩む故郷へと持ち帰りました。島で栽培の指導に当たり救世主のように敬われますが、移住先と故郷の板ばさみとなり洞窟で切腹し内臓を引き出して絶命したとか。
これらの話から、古来より沖縄にも切腹の風習が存在した事が読み取れそうです。沖縄本島で切腹が少ないのは、薩摩によって征服された後に、士族も刀を持てなくなったのが大きな理由ではないかという話もあるとか。もっとも、共同体による保護が強いため自殺自体が元来少ないという要因も大きいようですが。
いくつかのテーマに分けてみてみましたが、切腹一つとっても意外な事実が出てくるものなのですね。
【参考文献】
切腹の話 千葉徳爾 講談社現代新書
日本大百科全書 小学館
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「自殺と往生」(http://www.geocities.jp/trushbasket/data/nf/oujo.html)