2013年 09月 01日
【『戦後復興首脳列伝』出版記念】旧敵との落とし前の付け方~名を取るか、実を取るか~
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以前にも告知させていただきましたとおり、この度、社会評論社『戦後復興首脳列伝』が発売となりました。Amazonや楽天ブックス、セブンネットでは注文が可能となっております。よろしくお願いいたします。
Amazon :『戦後復興首脳列伝』
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今回、その記念および販促として、本書の内容を少しだけご紹介する形で、少し変わった切り口を見てみたいと思います。戦乱が終わらせるに当っては、旧敵との落とし前をつけねばなりません。第二次大戦における日独のように完全敗北ですと、屈服するより他はありません。逆に戦いに完全勝利したり反乱を鎮圧した場合には、敵を征服・粉砕すればすむ話。問題は、いずれとも言いがたい時です。いずれもそれなりの勢力を保ったままで戦いを終わらせる場合は中々に難しい。名も実も取れる場合は必ずしも多くないですからね。ならば、名を取るか実を取るか。これがまた、悩ましい問題のようです。
まずは実を捨ててでも名を取った事例を見てみましょう。
一つ目の例。八世紀、世界帝国として栄華を誇っていた唐は安史の乱によって混迷に陥りました。唐は都を奪回し反乱の首謀者たちは打倒するものの残党たちを完全鎮圧する事はできず、旧反乱軍の名目上における降伏を認める事で事態を収拾。かくして、彼らは実質上独立勢力として生き残ったのです。どうにか反乱を終わらせた唐は実質的な支配が及ぶ範囲は狭まったものの国政改革の成功もあって更に二百年弱の命脈を保ち、一方で公認を得た旧反乱勢力は軍閥化し後に群雄を生む母体となりました。
二つ目の例です。百年戦争でイングランド相手に苦戦しながらも、フランス再統一を果たしたフランス王家。その過程である1435年、フランス国王シャルル七世は優位を確立するために国内最大貴族であるブルゴーニュ家と講和しました。その際の条件は、ブルゴーニュ家が名目上はシャルルの王位を認め臣従する以外は実質上その独立を認めるものであったそうです。シャルルにとっては、「実を捨て」てでも「名を取る」事で国内の反対派を抑える事が必要だったのですね。かくしてブルゴーニュ家は富裕な経済力を背景に反映を謳歌しましたが、やがて体制を安定させたフランス王家は名目上の君臣関係である事を最大限に利用し司法権を通じてこれに介入。巧みな挑発によってブルゴーニュ家は反乱に追い込まれ滅ぼされたのです。
これを見る限り、「実を捨てて名を取った」側は一勝一敗といったところでしょうか(唐は負けでもないか?)。名を捨てる側にはそれによって既得権益の追認を勝ち取るというメリットがある一方、名だけでも残した側には勢いを取り戻した際に奪回するための大義名分を得るという利点があったりするようです。
次は、名を捨てて実を取ろうとした事例。
一つ目。古代ローマの末裔で、長らくバルカン半島・エーゲ海を舞台に反映したビザンツ帝国。しかし十二世紀頃から目立って衰退し十三世紀初頭には西欧の十字軍の手により一旦滅亡します。これには、ギリシア正教とカトリックという宗派の違いやら商業利権を持つヴェネツィアの思惑やらが絡んでいたようで。ともあれ一たびは歴史から消えたビザンツですが、残党勢力が1261年に首都コンスタンティノープルを奪回し復活を果します。とはいえ当時のビザンツは弱体でした。そこで時の皇帝ミカエル8世は西欧が十字軍という形で逆襲するのを恐れ、ローマ教皇に連絡し東西教会の合併を申し出ました。これもギリシア正教の正統性という「名」を捨てる事で国家の安寧という「実」を狙った作戦ですね。こうして1274年7月にリヨン公会議でカトリックとギリシア正教の教会合同が正式に決定。コンスタンティノープル周辺に利権を持つ勢力に西欧全体が肩入れする口実はこれでなくなった事になり、ミカエル8世の思惑は図に当たったかに見えました。しかしビザンツの人々にとって、ギリシア正教は精神的支柱でしたので、国内で教会合同への猛烈な反発が起こります。結局、この教会合併はご破算になってしまったとか。この手が挫折したミカエルは次の手に移る訳ですが、興味のある方は本書を御参照ください。
二つ目。北宋は十二世紀前半に北方民族王朝の金に河北を制圧され、前皇帝・徽宗と現皇帝・欽宗も捕虜にされる惨状に陥りました。宋は江南に逃れ、欽宗の弟(高宗)を皇帝に擁立して金に対抗します(南宋と呼ばれます)。戦いはやがて膠着状態となり、和平交渉が持たれる様になったのですが、この際にも国内的に問題が生じました。劣勢であった南宋が金に臣下の礼を取るという形式になったためです。正統な漢民族王朝という「名」を捨て異民族王朝に臣従する事で、和平という「実」を得ようとした訳です。しかし、これには中華思想から言って強い抵抗があることは容易に予想できました。そこで、南宋の宰相であった秦檜は反対派を強硬に弾圧すると共に、臣下の例を取ったかには見えないように工夫したのです。徽宗の喪に服しているのを理由に金の国書を高宗自身が拝受するのを避けたり、金からの使者を迎える際に秦檜自身の管轄下にある役所の人員に重臣たちの格好をさせ南宋朝廷挙げての歓迎に見せかけて使者を満足させたり。更には金へ臣従するという言葉は国内向けの和平文書に記さないようにしたとか。こうした涙ぐましいまでの無理を重ねて「名を捨て」なかったかのように見せかけ、ようやく和平がなったのです。それでもなお秦檜が中国史上有数の悪役として嫌われている辺り、「名を捨てる」事の難しさを思い知らされます。
これらは、名を捨てる事でそれをも上回るメリットを得ようとした事例です。こちらも一勝一敗といったところでしょうか。国内問題という観点からだけ見ても、「名を捨て実を取る」というのは難題なのですね。弁舌や謀略に長じ世界史レベルで語り継がれる事績を挙げた傑物の手ですら、現代日本の政治家とは比較も出来ないほどの強権をもってしても苦労を余儀なくされ時には挫折に追いやられているという事実は脳裏に刻んでおく必要があるでしょう。
国際的な対立を収拾するに当って、名を取るか、実を取るか。いずれかを捨てねばならない時にはどうするか。「名を捨てて実を取る」と言えば聞こえは良いですが、実際にはそう簡単にはいかない模様。名を捨てる事が国是に反するため国内の反対を抑える事ができずおじゃんになる可能性もあるし、名だけでも確保する事にも一定のメリットがあるケースもあるようです。現状でどちらを優先したほうが国益に叶うか、どちらならできそうか。失敗していずれも失う結果にはならないか。そうした事も考えに入れて、結論は出さねばならぬという事でしょう。国家指導者というのは、本当に大変ですね。
【参考文献】
戦後復興首脳列伝 麓直浩 社会評論社
世界歴史大系中国史2 松丸道雄・池田温・斯波義信・神田信夫・濱下武志編 山川出版社
関連記事:
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「とある終戦処理の失敗例~ナポレオン3世と敗戦時の対処から「王の死」作戦を考える~」
歴史研究会・とらっしゅばすけっと関連発表:
「中国史概説」(http://kurekiken.web.fc2.com/data/2005/050520a.html)
「フランス史概説」(http://kurekiken.web.fc2.com/data/2004/050204.html)
「ビザンツ帝国史」(http://kurekiken.web.fc2.com/data/2004/041120a.html)
今回取り上げた事例を含め、戦後処理・戦後復興に尽力した人々について興味のある方は、社会評論社『戦後復興首脳列伝』を御参照いただけますと幸いです。よろしくお願いいたします。
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今回、その記念および販促として、本書の内容を少しだけご紹介する形で、少し変わった切り口を見てみたいと思います。戦乱が終わらせるに当っては、旧敵との落とし前をつけねばなりません。第二次大戦における日独のように完全敗北ですと、屈服するより他はありません。逆に戦いに完全勝利したり反乱を鎮圧した場合には、敵を征服・粉砕すればすむ話。問題は、いずれとも言いがたい時です。いずれもそれなりの勢力を保ったままで戦いを終わらせる場合は中々に難しい。名も実も取れる場合は必ずしも多くないですからね。ならば、名を取るか実を取るか。これがまた、悩ましい問題のようです。
まずは実を捨ててでも名を取った事例を見てみましょう。
一つ目の例。八世紀、世界帝国として栄華を誇っていた唐は安史の乱によって混迷に陥りました。唐は都を奪回し反乱の首謀者たちは打倒するものの残党たちを完全鎮圧する事はできず、旧反乱軍の名目上における降伏を認める事で事態を収拾。かくして、彼らは実質上独立勢力として生き残ったのです。どうにか反乱を終わらせた唐は実質的な支配が及ぶ範囲は狭まったものの国政改革の成功もあって更に二百年弱の命脈を保ち、一方で公認を得た旧反乱勢力は軍閥化し後に群雄を生む母体となりました。
二つ目の例です。百年戦争でイングランド相手に苦戦しながらも、フランス再統一を果たしたフランス王家。その過程である1435年、フランス国王シャルル七世は優位を確立するために国内最大貴族であるブルゴーニュ家と講和しました。その際の条件は、ブルゴーニュ家が名目上はシャルルの王位を認め臣従する以外は実質上その独立を認めるものであったそうです。シャルルにとっては、「実を捨て」てでも「名を取る」事で国内の反対派を抑える事が必要だったのですね。かくしてブルゴーニュ家は富裕な経済力を背景に反映を謳歌しましたが、やがて体制を安定させたフランス王家は名目上の君臣関係である事を最大限に利用し司法権を通じてこれに介入。巧みな挑発によってブルゴーニュ家は反乱に追い込まれ滅ぼされたのです。
これを見る限り、「実を捨てて名を取った」側は一勝一敗といったところでしょうか(唐は負けでもないか?)。名を捨てる側にはそれによって既得権益の追認を勝ち取るというメリットがある一方、名だけでも残した側には勢いを取り戻した際に奪回するための大義名分を得るという利点があったりするようです。
次は、名を捨てて実を取ろうとした事例。
一つ目。古代ローマの末裔で、長らくバルカン半島・エーゲ海を舞台に反映したビザンツ帝国。しかし十二世紀頃から目立って衰退し十三世紀初頭には西欧の十字軍の手により一旦滅亡します。これには、ギリシア正教とカトリックという宗派の違いやら商業利権を持つヴェネツィアの思惑やらが絡んでいたようで。ともあれ一たびは歴史から消えたビザンツですが、残党勢力が1261年に首都コンスタンティノープルを奪回し復活を果します。とはいえ当時のビザンツは弱体でした。そこで時の皇帝ミカエル8世は西欧が十字軍という形で逆襲するのを恐れ、ローマ教皇に連絡し東西教会の合併を申し出ました。これもギリシア正教の正統性という「名」を捨てる事で国家の安寧という「実」を狙った作戦ですね。こうして1274年7月にリヨン公会議でカトリックとギリシア正教の教会合同が正式に決定。コンスタンティノープル周辺に利権を持つ勢力に西欧全体が肩入れする口実はこれでなくなった事になり、ミカエル8世の思惑は図に当たったかに見えました。しかしビザンツの人々にとって、ギリシア正教は精神的支柱でしたので、国内で教会合同への猛烈な反発が起こります。結局、この教会合併はご破算になってしまったとか。この手が挫折したミカエルは次の手に移る訳ですが、興味のある方は本書を御参照ください。
二つ目。北宋は十二世紀前半に北方民族王朝の金に河北を制圧され、前皇帝・徽宗と現皇帝・欽宗も捕虜にされる惨状に陥りました。宋は江南に逃れ、欽宗の弟(高宗)を皇帝に擁立して金に対抗します(南宋と呼ばれます)。戦いはやがて膠着状態となり、和平交渉が持たれる様になったのですが、この際にも国内的に問題が生じました。劣勢であった南宋が金に臣下の礼を取るという形式になったためです。正統な漢民族王朝という「名」を捨て異民族王朝に臣従する事で、和平という「実」を得ようとした訳です。しかし、これには中華思想から言って強い抵抗があることは容易に予想できました。そこで、南宋の宰相であった秦檜は反対派を強硬に弾圧すると共に、臣下の例を取ったかには見えないように工夫したのです。徽宗の喪に服しているのを理由に金の国書を高宗自身が拝受するのを避けたり、金からの使者を迎える際に秦檜自身の管轄下にある役所の人員に重臣たちの格好をさせ南宋朝廷挙げての歓迎に見せかけて使者を満足させたり。更には金へ臣従するという言葉は国内向けの和平文書に記さないようにしたとか。こうした涙ぐましいまでの無理を重ねて「名を捨て」なかったかのように見せかけ、ようやく和平がなったのです。それでもなお秦檜が中国史上有数の悪役として嫌われている辺り、「名を捨てる」事の難しさを思い知らされます。
これらは、名を捨てる事でそれをも上回るメリットを得ようとした事例です。こちらも一勝一敗といったところでしょうか。国内問題という観点からだけ見ても、「名を捨て実を取る」というのは難題なのですね。弁舌や謀略に長じ世界史レベルで語り継がれる事績を挙げた傑物の手ですら、現代日本の政治家とは比較も出来ないほどの強権をもってしても苦労を余儀なくされ時には挫折に追いやられているという事実は脳裏に刻んでおく必要があるでしょう。
国際的な対立を収拾するに当って、名を取るか、実を取るか。いずれかを捨てねばならない時にはどうするか。「名を捨てて実を取る」と言えば聞こえは良いですが、実際にはそう簡単にはいかない模様。名を捨てる事が国是に反するため国内の反対を抑える事ができずおじゃんになる可能性もあるし、名だけでも確保する事にも一定のメリットがあるケースもあるようです。現状でどちらを優先したほうが国益に叶うか、どちらならできそうか。失敗していずれも失う結果にはならないか。そうした事も考えに入れて、結論は出さねばならぬという事でしょう。国家指導者というのは、本当に大変ですね。
【参考文献】
戦後復興首脳列伝 麓直浩 社会評論社
世界歴史大系中国史2 松丸道雄・池田温・斯波義信・神田信夫・濱下武志編 山川出版社
関連記事:
「【告知】『戦後復興首脳列伝』、いよいよ発売迫る」
「カノッサの屈辱で坊主にヘイコラ頭を下げた残念な皇帝ハインリヒ4世が実はかなりの名将な件」
「とある終戦処理の失敗例~ナポレオン3世と敗戦時の対処から「王の死」作戦を考える~」
歴史研究会・とらっしゅばすけっと関連発表:
「中国史概説」(http://kurekiken.web.fc2.com/data/2005/050520a.html)
「フランス史概説」(http://kurekiken.web.fc2.com/data/2004/050204.html)
「ビザンツ帝国史」(http://kurekiken.web.fc2.com/data/2004/041120a.html)
今回取り上げた事例を含め、戦後処理・戦後復興に尽力した人々について興味のある方は、社会評論社『戦後復興首脳列伝』を御参照いただけますと幸いです。よろしくお願いいたします。
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セブンネット : 戦後復興首脳列伝
by trushbasket
| 2013-09-01 22:03
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